姶良市加治木町木田の史跡を3つ紹介します。
隈姫神社です。
鳥居の横の仁王像。両腕が欠けています。
丸に十の字の石灯籠と隈姫神社社殿。
隈姫は人吉の相良家の娘で、島津義弘の夫人でしたが、島津家と相良家が不和となり、隈姫は離縁させられました。
拝殿。
隈姫は川に投身自殺し、義弘公はこれを哀れんで宝現寺を建て、菩提を弔いました。
本殿。
寺は廃仏毀釈により廃寺となり、隈姫神社と改められました。
隈姫神社の前の水路を上流へ行くと、洞窟内に蝮神様と十一面観音があります。
洞窟の中です。
十一面観音。
これが蝮神様でしょうか。
後藤塚です。山路後藤兵衛は、島津義弘が死んだとき殉死した8人のうちの一人です。
傍らの石を指差して、「これを墓石にしてくれ。先の世で主君に会ったら石が3つに割れるだろう」と言い残して切腹しました。
その言葉通り、石は3つに割れたそうです。
>隈姫は川に投身自殺し、義弘公はこれを哀れんで
本人同士は憎みあったわけではないというのが
せめてもの救いですね。
>これが蝮神様でしょうか。
こちらもなんだか十一面観音に似ていますね。
殉死した家来 主君に会えてよかった・・・
隈姫のことは、この神社を訪れて、初めて知りました。
戦国時代は、政略結婚が多かったから、悲劇もたくさんあったでしょうね。
島津義弘は、妙円寺参りで有名な武将です。
義弘の死の際、殉死した家来も多かったんですね。
これも悲劇ですね。
そういう経緯があるのですね。
勉強になります。
鹿児島在住時、加治木にはほとんど行く機会がありませんでした。近いのに、もったいないことをしました~
隈姫のことは、私もはじめて知りました。
訪ねると、いろいろ勉強になることがあります。
加治木は、史跡が多いところです。