鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

坊津まち歩き(1)

2018-06-30 | 水辺の風景

南さつま市坊津町のまち歩きをしました。

 

歴史資料センター輝津館(きしんかん)からスタートです。

 

輝津館の庭にある仁王像。

 

輝津館から坊浦を望む。中央の大小の尖った岩が双剣石です。

 

双剣石のアップ。

 

輝津館の近くに遊歩道があるので散策しました。

 

震洋隊記念碑。震洋は、太平洋戦争末期、小さな舟で敵艦に体当たりした特攻艇ですが、ここにも基地があったのでしょう。

 

神社がありました。

 

梅崎春生文学碑。梅崎春生は海軍暗号兵として坊津に駐屯し、坊津を舞台にした小説「幻化」を発表しました。

 人生幻化に似たり 梅崎春生

 

遊歩道から坊浦を望む。右に小さく双剣石が見えます。

輝津館に戻り、国道を坊泊小学校跡(一条院跡)に向かいます。

 

国道から坊の町を見たものです。ここは、昔から密貿易が行われた港です。

 

坊浦の湾口を望む。

 

国道脇に沈溺諸霊塔があります。

 

沈溺諸霊塔。1808年11月10日、坊津に入港しようとした唐船が沈没し、乗組員90人のうち29名は助けられましたが、61名が溺死しました。1832年、船主が坊津を訪れて謝意を示しました。

 

隣にある太鼓橋。大谷川に架かっていたものですが、道路改良に伴い、平成13年ここに移設しました。

 

太鼓橋へ上がります。

 

太鼓橋から坊浦を望む。

次回は坊泊小学校跡(一条院跡)へ行きます。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
仁王像 (momomama)
2018-07-01 07:00:47
おはようございます。
せめてお顔があれば・・・・
なんとも痛々しい・・・
鑑真和上が命を懸けて、身を捨ててきてくださったのに申し訳ないことですね。

>乗組員90人のうち29名は助けられましたが
事故だったようで・・・少なすぎるもののこの数字に救われました。

太鼓橋 可愛いですね。 ちゃんと移設されてよかった・・
雨は大丈夫ですか? 昨日は津和野ドライブの予定を中止しましたよ。
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Unknown (元単身赴任ミドル)
2018-07-01 10:29:23
おはようございます。

震洋隊というのがあったのですね。
知りませんでした。
潜水艦ではなく、小船なんですね。
ちょっと調べてみたいと思います~
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こんにちは~ (蓮の花)
2018-07-01 12:42:23
仁王像の首がない像は九州の古墳がある場所で
よく見かけます。
長年の風雪によって自然に壊れたものと思います。
この坊津にも小さな海軍の特攻基地があったとは
全く知りませんでした。
知覧の特攻基地は余りにも有名ですが小さな
特攻基地は歴史上で埋もれていますね。
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一条院跡にも (chiro)
2018-07-01 13:08:07
momomamaさん

こんにちは。
仁王像は、次回紹介する一条院跡にもあります。
こちらは、ちゃんと首があります。
沈溺諸霊塔は、鹿児島でもあまり知られていません。
必死に救出しようとしたんでしょうが、多くの人が亡くなったんですね。

北九州は、大雨だったようですね。
鹿児島は、ほとんど降っていません。
台風が近づいていますね。
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ベニヤ板 (chiro)
2018-07-01 13:13:17
元単身赴任ミドルさん

こんにちは。
鹿児島には、震洋隊の基地が他にもあります。
ベニヤ板で造った小さなボートでした。
実戦前に、終戦を迎えたようです。
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廃仏毀釈 (chiro)
2018-07-01 13:16:30
蓮の花さん

こんにちは~
古墳のあるところに、首のない仁王像があるんですね。
鹿児島の仁王像は、ほとんど廃仏毀釈で破壊されたものです。

坊津の特攻基地、私も初めて知りました。
戦争末期には、このような小さな特攻艇もあったんですね。
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