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カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

ほら・あれ・それ・え~っと言葉が死んでいくよォ

2017-02-20 09:49:49 | 本と雑誌
 最近うっかり忘れが激しくなったような気がする。

 例えば何かをする目的で二階に上がったのに、階段の途中で別な事が頭に浮かんで、その事を考えながら二階に上がり着いた途端に、何のために二階に上がったかを失念するという、お粗末な事象がわりと頻繁に発生する。

 三つ以上の用件を一度に片づけるぞと張り切って家を出て、帰って来た後でちゃんと一つくらいは未達成がある。

 自分に自信がないので、必要でかつ重要な事は直ぐに手帳にメモをすることにしている。

 特に他人との関わり合いの中で、忘れることは許されないと自分で自覚した事項は「いつ・どこで・なにを」を明記する。

 ところが、ここで要注意は手帳に書いたことで安心してメモしたことを忘れるので一日2回位は手帳を開く。

 人の名前も、場所も、事柄も直ぐに言葉になって口から発せられず「ほら・あれ・え~っと」等と自分で話の腰を折る。

 
 「小川洋子の言葉の標本」小川洋子・福住一義(著)2011.9文藝春秋(刊)
 本に書き表わした言葉はある意味で、本の中で言葉の標本として博物館のように展示され残されていく。

 ただし、紙の印刷物媒体そのものの存続が危ぶまれている昨今、それは何処に展示されるのか。

 個人の所蔵として?図書館・古書店で?。

 「ほら・あれ・それ」などと固有名詞などがスラスラ出ないことなど日常茶飯事で「語彙」などはドンドン失われていることに気づく今日この頃である。

 新しく長ったらしいカタカナ語が、メールや文章にするのは手間が掛かると、4文字くらいに短縮されて流通し始めると、英語にも日本語にもない意味すら不明な言葉となって私などは置いてけ堀を食らってしまう。

 
 「季節と出会う俳句七十二候」「風車・和田悟郎句集」

 一月が経てば季候の変化は実感できる。

 二十四節季は更に半月でそれを表し、七十二候に至っては5日毎の変化を読み取れというわけだ。

 5日の変化を実感できるほど今の日本人の五感が研ぎ澄まされているとは思えないが・・。

 それでも、この微妙な変化を言葉で表そうとした先人の努力には頭が下がる。

 季語として利用する人もいるだろうが、言葉の博物館として捉えることも出来る。

 昔から言葉はサドンデスゲームを繰り返してきた。

 泡沫のように漂う言葉の中で千年持ちこたえる言葉は想像できない。

 「サドンデスゲーム言葉も命がけ」

 
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