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葛紅兵:中国は憎悪を煽る反日宣伝を中止すべきだ

2007-06-24 22:11:31 | 中国異論派選訳
中国は憎悪を煽る反日宣伝を停止すべきだ

葛紅兵

 聞くところによると、日本で中国各地の「抗日戦争記念館」の「反日」写真を撤去するよう求める超党派の議員連盟が発足したというが、私はその本当の目的は知らない。
 もしも、日本の中国侵略の事実を隠蔽しようとするのであれば、我々は当然反撃すべきである。もしも、中日両国の友好の未来のためであれば、私は彼らの主張も全く理由がないとは思えない。
 中国各地の第二次大戦記念宣伝は、各種の視聴覚技術・写真技術を使用して、写実的に各種の日本人の残虐行為を再現している。殺戮、強姦などなど、この種の刺激的な宣伝は、いずれも「憎しみを宣伝する」ことを基本目的としていることが見て取れる。このような憎しみ宣伝型の記念は、見学者、とりわけ青少年見学者にはいかなる肯定的な意義ももたない。むしろ、否定的な意義が非常に大きい。これは、彼らの心の中を憎しみで満たす。彼らが受けている教育は「戦争は人類の災難、全人類の悲劇、戦争は避けなければならない」ではない。全く正反対に、彼らが受けるのは「我々は強くなければならない。戦争で自分を守れるほど。我々は強くなければならない。敵が侵略できないほど。我々は強くなければならない。将来の戦争で敵を皆殺しにできるほど。」ということだ。
 このような宣伝は、彼らに本当に戦争の残酷さと反人類的本質を理解させることにはならない。むしろ、彼らに「正義」と「復讐」の戦争を渇望させる。彼らは好戦的になり、残虐になる。なぜなら、彼らはすでに繰り返し、詳細に敵がいかに残酷かを見ているのだから。敵よりもより残酷であって始めて、肉体的に彼らを消滅させられ、「我々」は始めて勝利できると信じる。
 憎しみ宣伝型の第二次大戦記念は、中国の第二次大戦記念をすっかり変質させた。それは直接の反日宣伝、対日憎悪宣伝となった。それは我々に日本人民も戦争の犠牲者であり、戦争で傷ついたのは人類全体であることを見えなくさせた。それはまた、我々に今日の日本がすでに民主国家であることを見えなくさせた。民主国家の根本観念は、戦争を通じてではなく、市場を通じて生存空間を確保すること、武力で相手を消滅させてではなく、話し合いを通じて権益を得ることである。
 いかなる第二次大戦の記念も宣伝も、みな愛と平和を世に広めることを目的とすべきである。憎しみ宣伝型の記念は反人類的である。このような記念の悪い結果はすでに現在の若者の中に現れている。彼らの狭隘で好戦的な心や憎しみを光栄とする心情こそこうした宣伝が撒き散らした悪い結果である。彼らは半世紀にわたる対日憎悪宣伝によって生まれた子供である。
 現在、各地の第二次大戦記念で大量の血なまぐさい写真が展示されているが、これは「人間性」教育に不利であり、とりわけ小中学生が正確な人類観・戦争観を樹立するのに不利である。子供たちに直接このような血なまぐさい写真を見せることは彼らの心を傷つける。私は世界中の多くの国で無数の第二次大戦記念館を見学してきた。それらの国はみな第二次大戦で深く傷つき、その傷の深さは我々より軽くはない。しかし、それらの記念館では、ほとんど血なまぐさい写真を見ない。子供はまだ小さいのだから、第二次大戦記念館では、人類は終局的には善であり、人類は美しく、明日は平和が待っており、我々は平和を大切にし、平和を守らなければならないことを知らせるべきだ。私は「イギリス人はどのように第二次大戦を記念しているか」という文章を書いたが、我々はイギリス人に学ぶべきだ。
 第二次大戦が終わってすでに50年を経過した。我々は東南アジア諸国に、シンガポール、タイなどの第二次大戦記念の経験を学ぶべきだ。それらの国では対日憎悪感情はなく、むしろ彼らと日本はとてもうまくいっている。我々はフランスやイギリスの経験にも学ぶべきだ。彼らは対独憎悪感情はなく、彼らとドイツの協力はとてもうまくいっている。50年が過ぎたのだから、我々は毎日「我々が遅れたのは日本の侵略のせいだ。我々の傷はまだいえていない。」と言い続けることはできない。
 憎しみは毒薬だ。それは人の心を蝕む毒薬であり、国の心を蝕む毒薬でもある。第一次大戦敗戦後のドイツは、まさに憎しみに毒され、その結果第二次大戦が起こった。この教訓は我々も知っているはずだ。戦争を引き起こした国への懲罰と道徳的蔑視、非難には限度がなければならず、限度を超えたら結果は逆になるだろう。罪人のやり方で罪人に対してはならない。繰り返し罪人に謝罪を求め、侮辱的なやり方(土下座を要求する)で罪人を「教育」することはいずれも不適切である。このやり方では、我々は罪人と同じ誤りを犯していることがわからないのだろうか。
 寛容は傷と人間性を治癒する良薬である。国に対しても個人に対しても。
 第二次大戦記念は平和と愛を広めることを目標とすべきであり、憎しみの宣伝を目標とすべきではない。第二次大戦の記念は戦争反対と人類がこうむった戦争被害に対する哀悼を目標とすべきであり、一つの国の視点から別の国への憎しみを過度に宣伝し、敵視感情を醸成することを目標とすべきではない。

原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/
e/896f15ba40d339e0f434c7ec3e9b68d6

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