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姚立法:私の選挙経験(1)

2007-01-30 16:14:03 | 中国異論派選訳
下記の文章は、最近共産党が禁書にしたルポルタージュ『我反対』(朱凌著)の主人公である姚立法が書いた自らの選挙運動経験談である。

私の選挙経験
姚立法

原文:
http://www.chinaelections.org/
NewsInfo.asp?NewsID=35542

1980年の春、私が在学していた湖北省潜江師範学校の人民代表選挙の時、私もクラスメートも選挙での投票は国民の法定の政治的権利であることも、投票に参加する誰もが被選挙権を持っていることも知らなかった。投票人の選挙権に対する期待など全く考えもしなかった。

私が最初に潜江県人民代表選挙に立候補したのは、1987年末である。そのころ私たち県教育局の事務所で一緒に仕事をしている若者たちはしょっちゅう集まって政治の話をしていた。特に1986年の全国に波及した学生運動について話し合った。

10数名の青年が第一次候補者推薦締め切りの日に連名で私を推薦したので、教育局の選挙事務担当の管理職は非常に怒った。推薦者に名前を連ねた人は自分の職場の管理職から、自由主義の誤りを犯したとか、ブルジョア自由化の現れだといって批判された。また、姚立法のどこが先進的なのかと詰問された。

日をおかずに、選挙区が掲示して発表した第二次候補者名簿の中にまだ私の名前があった。しかし、私も選挙民も第二次候補者がどのように選ばれたのかを知らなかった。正式候補者名簿が発表されたときには、私の名はすでに削られていた。最後に、私は当選しなかったが、それでも30票余りを得票し、非正式候補者の中では最多だった(正式候補者は印刷されていてその名前に丸をつけるだけ、それ以外の人に投票したい場合は名前を書く)。

1990年、潜江市(1988年に県から市になった)で第二回市人民代表選挙が行われた。

このときは、私は選挙の数ヶ月前から「中華人民共和国全国人民代表大会および地方各級人民代表大会選挙法」(以下選挙法と略称)と「中華人民共和国全国人民代表大会および地方各級人民代表大会代表法」(以下代表方と略称)など関係する法律の勉強を始め、また同僚を選挙運動に誘った。より多くの選挙民に私を知ってもらうために、私は2000枚の個人履歴を謄写版で刷ってすべての選挙民に配った。私が当選する可能性は小さいとわかっていたので、みんなには業務態度が比較的清廉だとみんなが認めている教育局共産党紀律検査委員会書記の饒徳清同士に投票するよう勧めた。市共産党委員会宣伝部は私の行動を知ると、二人の職員を派遣して私に選挙運動をしないよう、ビラを配らないよう要求した。一人は私に「法律の抜け穴を利用するな」と言った。もう一人は「党の指導こそが民主だ、おまえはこの上どんな民主が要るというんだ? おまえのようなのが選挙運動をやったら、共産党市委員会の意図が実現できないじゃないか?」と詰問した。私は、「私は選挙民だから、当然被選挙権がある。自分を宣伝しないで、私の被選挙権はどうやって実現するんだ」と答えた。そして、二人に聞き返した「厳格に法に基づいて選挙を行うよう要求することが、党の指導と矛盾するというのか? 君達がこれまでに決めた人民代表の正式候補者は選挙法の第何条第何項によって選ばれたのだ?」。

この年、饒徳清は非正式候補では得票数1位、私が2位で50票を獲得した。二人とも当選しなかった。

私が三回目に市人民代表選挙に参加したのは、1993年である。

前の2回の選挙では負けたが、私はあきらめはしなかった。厳格に法に基づき公開、公正な選挙を行えば、私が当選する可能性は大きいと信じていた。また、私が選挙に参加し選挙民に選挙の法定手続きを宣伝すること、とりわけ正式候補者確定の法手続きを宣伝すること、および人民代表の権利、人民代表大会の職権などを宣伝することは、選挙の手続きの適正化とより多くの選挙民にわが国の根本的な政治制度である人民代表大会制度の先進性を宣伝するのに積極的な意義があると考えた。

1993年11月1日午前9時、教育局選挙区は11の選挙民グループのグループ長および選挙民代表が出席して、いかに正式代表候補者を確定するかの会議を開いた。会議は左義凱副局長が議長だった。

会議の席で、選挙事務担当の教育局政治工作科(人事・思想政治工作担当部門)楊邦新科長は、党の上級組織が市政府総務部門共産党委員会が私たちの選挙区に推薦した黎喜農同志を当選させるよう要求していると発言した。彼の話が終わる前にほとんどの会議参加者が反対した。

会議で次のように決めた。24名の一次候補者(黎喜農をふくむ)の略歴を100部刷り、選挙民全員に紹介し宣伝する。各選挙民グループは4日午前中にまとまって予備選挙を行う。票は教育局で印刷し、選挙民は一人3票のみをもつ(選挙区の正式代表定員は2名だから、正しくは2票であるべき)、選挙区で各選挙民グループの投票結果をまとめ、得票数の上位3名を正式候補者とする。

1日午後、私と金兆茂がそれぞれの選挙ビラを選挙民に配った。

「選挙民の皆さんへ」の中で、私は次のように自己紹介している。

私は厚かましくなく、腹黒くなく、口はうまくなく、骨なしではなく、謀反を起こさず、外国かぶれでなく、接待したり袖の下を贈ったりせず、鼻にかけたりへつらったりせず、放縦にならず、汚職をせず、卑屈にも高慢にもならない。
皆さん私に一票を投じてください。もし私が市人民代表に当選したら、私は必ず次のことをやります。5年間の無給休職を申請し、5年のうちに選挙区選挙民と市人民代表大会、政府の間を走り回り、正正堂堂とすべての選挙民の声と意見を伝達し、市政府と関連政府機関が法に基づいて行政を行っているかを監督します。

2日午後5時ごろ、潜江中学と市機関幼稚園(市役所職員向け幼稚園)で前倒しの予備選挙が行われた。私は潜江中学で218票で第二位、幼稚園で32票、第一位だった。情報はすぐに広まった。

3日午前、教育局は選挙民グループ長(主に各部門の責任者)を集めて緊急会議を開いた。会議で、投票ではなく協議方式で正式候補者を選ぶことに変更された。

8日、私の「再び選挙民の皆さんへ」が選挙区の全戸に配布された。その中で次のように厳しく指摘した。

選挙民の推薦によって選ばれたのではない選挙民グループ長や、副グループ長の身分は不法である。第一次候補者の選出を選挙民に知らせることなく、グループ長が先に候補者を決め、その上で責任者の署名をもらって報告するのは不法である。ある選挙民グループ長は3人の候補者だけを紹介して選挙民と「協議」し、投票も、挙手も、口頭での表決も行わず、実際には検討の余地のない協議であったが、これも不法である。

ビラの中で、わたしは選挙法34条の規定を力を込めて宣伝した。「選挙人は代表候補者に対して賛成票を投じることも、反対票を投じることもできる。正式候補者以外の任意の選挙民に投票することも、棄権することもできる。」そして、わざわざ投票用紙の見本をつけて投票注意事項を説明した。

市教育局はこれに不安を抱き、各選挙民グループに共産党教育局委員会メンバーを貼り付け、重点対象者にくりかえし説得工作をするよう指示した。主な目的は選挙が「意外な結果」にならないようにするためである。また、市政府弁公室と教育局の管理職が大勢私を捕まえて説得を始めた。一人の管理職は机を叩きながら声を荒げて「もしまたビラを撒いたら、それは憲法が禁止する行為だぞ!」と怒鳴った。私は「私は選挙プロセスに違法行為があったから公開して争っているので、当然あなた方の支持と法律の保護を受けられるはずだ」と答えた。するともう一人の管理職は「私は君と同郷だから腹蔵なく言うが、政府に逆らわないほうがいい。君の条件なら、まじめに勉強すれば前途は無限に広がって、出世もできる」。私と個人的に仲の良い教育局局長の鄒象斌は「この選挙が不法だということは、我々の代表が不法に選ばれたということになるが、我々の政府は人民代表が選んだんだから、おまえの理屈で行くと、我々の政府も不法な政府ということになるんじゃないか?」と質問してきた。私は断固として「私は選挙プロセスに、確かに不法行為があったのを見たから、責任感のある選挙民として、当然指摘すべき事を指摘したまでです」と答えた。相手はいかんともしがたいと思ったようだ。

私が公然と選挙運動をしビラを撒いたことが、市のある主な幹部に知れ、ある会議の席で、この幹部は心配そうに私のビラを読み上げ、このような風潮は「非常に危険」であり、決して放っておいてはならないといった。

私の選挙宣伝は多くの妨害にあった。多くの職場の守衛が姚立法の立入を許してはならない、貼ったビラはすぐはがせという通知を受けた。

11月10日、「選挙民への三通目の手紙」が選挙民に配られた。ビラの中では、主に次のように述べた。話し合いで正式な候補者を決めるのは違法である。法律には明確に「公布した(第一次)候補者名簿は、各選挙区の選挙民グループの中で話し合い、相対多数の選挙民の意見により、正式な候補者名簿を決定する」と定められている。

ビラの末尾には次のように書いた。皆さん、民主を促進し、人治を法治に代え、文化的で豊かで公正な社会を実現することは、人類共同の事業であり、同様に我々みんなの事業でもあります!

このときも、やはり正式候補者には選ばれなかった。しかし、11月18日の選挙結果では非正式候補者中で第一位の598票を獲得し、非正式候補への投票総数の30%を超えた。情報は潜江の町中に伝わった。

私が3回選挙に参加して当選しなかったことについて、すでに退職した元教育局副局長の左義凱が最近「南方週末」記者の黄広明に次のように語っている。「姚立法の人民代表選挙への立候補は法律に合致し、正常なことでもある。しかし、特定の環境の中で異常なこととみなされる」。左義凱はかつて私に立候補を取りやめるよう説得したことを認めている。「上部から私に圧力があった。人民代表の人選は、普通は上部で内定している」。

1993年以降、私は厄介なことに見舞われ続けた。例えば、職場で仕事から完全に外され、職階・賃金・住宅分配でも多くの嫌がらせを受けた。一年以上全く給料をもらえなかった。予め資金を支払っていた住宅も、私には配分されなかった。職階は14年間昇進していない。職員の中には私が人民代表選挙に立候補したのは派手な言動で人気を博そうとしたとか、出世したい一心でやったことだとか、ひどいのは精神病だなどと言う者もいた。

1995年末、教育局は私に5年間の「無給休職」手続きをとるよう指示した。

私は1996年から、小商いをはじめたが、すぐに赤字経営になった。そのあと武漢に行って株相場をやったがこれも大赤字になった。1997年、私は潜江の戻って、液化石油ガスボンベ注入の小さな店を始めた。しかし、車でボンベを運ぶ途中で事故で人に怪我をさせ、数千元の賠償を払った。あっちこっち壁にぶつかり、生計の道がほとんど断たれてしまった。

1998年の春になるとすぐ、私はまた年末の潜江市第四期人民代表選挙の準備に取り掛かった。

私は3回の選挙で落選し、障害が大きいことを実感したが、回を重ねるごとに得票は増えたので、希望と自信もなくはなかった。

最初の代表選挙以来、私は参選の明確な目的をもっていた。それは、選挙の公正と手続きの正義を実現し、また人民を代表して国家を管理する権利を獲得することである。選挙の公正と手続きの正義がないために、選挙権は選挙民にいかなる真の利益ももたらしえない。利益のない選挙権を選挙民は放棄するか政治的任務の一つとして対応する。であれば、選挙活動の主体である選挙民――すなわち国家権力の所有者――は国家の主人の位置にはいない。これは憲法の原則に反する。従って、私は精力を主に選挙法の学習と宣伝に注いだ。

人民代表の正式候補者を公開・公正に法に基づいて確定することは選挙の全プロセスの核心であり、私はこれについて研究した。

選挙法第31条第1項と「湖北省県郷級人民代表大会代表選挙実施細則」(以下実施細則と略称)。第28条はどちらも正式代表候補者選出方法についての規定である。
しかし、どちらの規定も可操作性が欠けている。選挙区選挙管理グループにとってわかりずらい。実施細則は本来選挙法の実施のために選挙法よりも具体的に定められるべきだが、実際は、実施細則第28条は選挙法第31条1項の丸写しである。「交付された人民代表候補者名簿は、各選挙区の選挙民グループが討論を通じて、相対多数の選挙民の意見に基づき、正式代表候補者名簿を決定する」。

私はまた上は中央から下は区県級までの指導者の選挙管理会議での演説などを探し出した。彼らの正式代表候補者をどのように決めるかについての説明は、やはり選挙法の原文をそのまま読んでいた。

専門家が書いた選挙法解釈は参考にすぎず、また法律上の効力を有する解釈は探し出せなかった。

5月に、私は潜江市人民代表大会常務委員会弁公室主任の李従雲から全国人民代表大会常務委員会編纂の「地方人民代表大会改選選挙事務便覧」を手に入れた。便覧には「直接選挙のときに、名前の上がった候補者が多いときは、話し合いを経て、最後にどんな方法で正式候補者を決めるか」という問題の答えは、「意見募集の方式でも、挙手あるいは投票方式でも良いが、最終的に選挙民の比較多数の意見により正式候補者を確定する。」とあり、私は貴重な宝物を手に入れたように嬉しかった。

しかし、答えの中の「意見募集の方式」をどのように解釈するかが難題である。この問題を抱えて、私は市人民代表大会、省人民代表大会の関係委員会を駆け回ったが、明確な解釈は得られなかった。

私は他の考えが浮かばない中で、全国人民代表大会常務委員会法律工作委員会に思い至った。6月4日、私は法律工作委員会副主任の喬暁陽に手紙で尋ねた。「県郷の人民代表直接選挙においてどのように『意見募集の方式』により正式候補者を確定するのですか?」。まもなく返事が来た。

姚立法同志:
こんにちは!
手紙を拝読しました。喬主任はあなたの国の法律に対する関心と研究を賞賛し、私にあなたの質問に回答するよう指示しました。
人民代表を直接選挙するときに、候補者が多いときには、実務においては、各選挙民グループのグループ長がグループ内の選挙民の意見を聞き、選挙区が各選挙民グループの意見を取りまとめ、候補者が得た賛同意見の多寡の順序により、正式候補者を確定します。この方法は簡単で実施しやすいので、法律もこれを認めています。
全国人民代表大会常務委員会法律工作委員会国家法行政法室
1998年7月8日

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