秦暉:戸籍問題の本質は人権問題
貧しい外地の農民が都市に「流れ込む」と、最初は農民の身分によって差別され、後には外地人の身分によって差別され、そして現在は貧民の身分によって差別されている。よって戸籍問題は人権、公民権の視点から全面的に再考し、農民を国民として処遇しなければならない。
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全国人民代表大会と政治協商会議の開会直前に、全国11省市の13の新聞が「共同社説」を発表し、「人民に賦与された手中の権力を行使し、関係当局に1958年公布の『戸籍登録条例』を廃止し、戸籍制度改革を推進するよう促す」と呼びかけた。中国においては、このように民間世論を「共同社説」の方法で発表するということはこれまでになかったことである〔ただし、中国において合法的に発行される新聞は全て共産党および関連団体の機関紙だから、共同社説が出るということは政権内の戸籍改革推進派の動きと思われる〕。それは、一方で中国の改革〔1978年の政策転換をさす〕以降の言論開放面での進歩の反映であり、もう一方で現行「戸籍制度の害悪」が人々が耐えられないほど大きくなっていることの反映でもある。
だが、周知のようにいわゆる「戸籍制度」は「流動人口管理」だけの簡単なものではない。それは実際には政治権力が市民的権利を侵奪することにより一連の問題を生んでいる。移転の自由・財産権などはひとまず置いて、まず「生存権」を例にとってみよう。当局は生存権が一番重要な権利で、そのためなら他の多くの権利を犠牲にしてもいいとみなしているし、批判者たちはそのような人権観はあまりにも低俗であり、「ブタの権利」だとみなしている。確かに、生存権は権利の一つとして確かに非常に重要だし、中国で生存権に問題がないわけでもない。まず「生存権」は生存することと同じではないことを知るべきだ。例えばブタは生存しているが、ブタに「生存権」があるとは言えない。なぜならブタは飼育者の意思によって「生存」させられているにすぎず、もし飼育者がしたいと思えばブタは生存できないからだ。ゆえに、生存権を「ブタの権利」と貶めることはできない。以前の専制時代においても、臣民は生存しており、ある者(寵臣、寵妃、寵奴の類)の生活は非常に豊かだが、それで彼らが「生存権」を有しているとは言えない。なぜなら彼らの生存は自らの権利ではなく、主人の好き嫌いに基づいており、「君主が死ねと言えば、死なざるを得ない」からだ。
では我々の「外来者」はどのように「生存している」のだろう? 強制収容の時代〔2003年に「収容遣送弁法」が廃止される前〕には、街角で出稼ぎ労働者は好き勝手に「三証」〔暫定居住許可証、計画出産証明、就業許可証。これが全部そろっていないと「三無者」〕の有無を調べられ、証明書をもっていなければ拘束されるのがごく普通の情景だった。そのために蘇萍、程樹良、黃秋香、張正海、樸永根……などなどが犠牲となる次から次へと悲惨な事件が起きた。「604号列車から逃げるために飛び降りて死亡した女性出稼ぎ労働者」や宝安区で囚人列車から「餃子を投げ入れるように投げ落とされて」死傷した「外地人」など名も知れぬ犠牲者が出続けた。「収容」の網をかける範囲はどんどん広くなり、物乞い・売春婦から「三無者」〔三つの証明書のうちどれかが欠けている人〕へ、出稼ぎ労働者から大学生へ、「盲流」〔国家計画外で移動する人〕から「不法陳情者」へ、そしてついに2003年大学卒業生で正式な仕事もあった孫志剛までが「収容」禍で殺されてしまった。これが大衆の怒りを買い、民意が天に伝わった。この事件がきっかけで「収容悪法」〔実際は法律ではなく政令〕が廃止されたことは、疑いもなく中国の人権面での進歩であった。
しかし、廃止してから何年も経つのに、人々は今でもときどき「貧乏な外地人」が街で権力の暴力にさらされる事件を耳にする。とりわけ行政の研修教材『城管執法操作実務』に、都市管理局取締員が行商人は無慈悲に取り締まるべきで、「簡単に赦免してはならず」、「徹底的に」「全ての力を使って」なおかつ「顔からは出血させず、体に傷をつけず、目撃者がないように」やらなければならないと書いてあるのがネットワーク上で暴露されると、世論は騒然となった。以前の暴力的収容は身分証明書類の検査を名目に行われた。改革前は「戸籍検査」(その当時は「暫定居住許可証」さえなく、農民が街に出てくるにはそのたびに政府の「証明書」を発行してもらわないと、「盲流」として逮捕される危険があった)。改革後は都市に戸籍のない人も証明書を得れば「出稼ぎ」できるようになり、「三証検査」になった。「戸籍検査」も「三証検査」も戸籍に直接関係している。だが今の「都市管理局取締員」と「違法建築撤去」は「都市景観」維持を名目にし、「無許可露店営業」とスラム(当局は「違法建築」という)を対象としているので、「戸籍」とは直接の関係はないと言える。だがだれもが知っているように、被害者は同じ人たちだ。これはすなわち、貧しい外地農民が都市に「流入」(当局は彼らを移民とは認めない)すると、最初彼らは農民身分(「農村戸籍」)で差別され、後には外地人(「暫定居住」者)の身分で差別され、そして現在は貧民の身分(高尚な職業ではない「無許可露店営業」もしくは高尚な住宅でないスラム住民)として差別されている。
取壊しの進歩と借家人の権利
この三段階の変化にこの間のある種の進歩が体現されていないとは言えない。彼らは改革前はほとんど都市に行くことはできなかった。その後「暫定居住」して出稼ぎすることができるようになったが、「証明書」を常時携帯しなければならなくなった。そうしなければ面倒なことになる(証明書を持っていても面倒が避けられるとは限らないが)。今はもしうまくして高尚な職業と住宅を手に入れれば、「証明書検査」で暴力をふるわれる機会は少ない。だが、もし困窮していれば「都市景観」にふさわしくないとして都市から拒絶される。しかし困窮していることは罪なのだろうか? 誰も困窮したいとは思わない。もし故郷で十分豊かになれるなら、彼らは都市に頼ることはない。だがそれができないのに、我々の都市はなぜ貧しい人を拒絶するのだろう?
現代都市はもちろん計画と管理が必要である。「違法建築」は使ってはならない概念ではない。だがそれは人権尊重の前提の下でなければならない。筆者はそれには3つの条件があると考える。まず「法」は一方利害関係者(たとえば自分たちの職員だけに豪華な住宅を提供しようとする政府)が発する「命令」のように、建物を撤去し人を追い出し、さらには火を放ったり拘束したりという基本的人権を侵害する「法」であってはならず、きちんと立法したものでなければならない。しかも立法過程には全ての利害関係者が参加しなければならず、代議制であれ公聴会であれ、「流動人口〔移民〕」の参加がなければならない。次に、この「法」は常識に沿ったものでなければならない。少なくとも、もしその「法」に反したら「暫定居住者」はどこに住めるのかという質問に、立「法」者は答えなければならない。最後に、その「法」は厳粛性がなければならず、朝令暮改して以前に立ち戻ってはならない。苦力〔クーリー〕がほしいときは掘立小屋を建てさせて「定住」させ、使い終わったら小屋を「違法」扱いして追い出したり、土地利用計画がないときは放置しておいて、土地を使って金儲けをしたくなったら「違法」扱いして追い出したりということがあってはならない。
指摘しておかなければならないのは、これは単なる財産権の問題ではないということである。中国の強制的「収用・撤去」問題はまだ完全には解決していないが、大衆の不満の圧力によって多少は改善してきた。まだ市場取引にはなっていないが、多くの資金潤沢で地価が高額な大都市の近年の「移転補償」基準は大幅に上がっている。地元戸籍「農民」が家主のいわゆる「城中村」〔都市計画の過程で市街化に取り残され市街地に囲まれて残った村〕は、「城中村改造は村民が満足するものでなければならない」という方針の下で多くの「収用成金」の「村民」を生んでいる。今日のこの種の「改造」に存在する主な問題はすでに「村民」の権益が侵害されるという問題ではない(この種の問題はまだ完全には解決されていないし、とりわけ資金力の弱い「二線都市」ではまだこの種の問題が目立つとはいえ)。だが、周知のように今の「城中村」はほとんど外来出稼ぎ労働者の集住する劣悪な借家地区であり、地元戸籍の家主はふつうそこには住んでいない。これは実際は中国式の「スラム」である。そこに住む「外来」の貧しい借家人の人数は家主である「村民」の数倍から数十倍に上る。彼らこそ「城中村改造」の最も重要で最も膨大な利害関係集団である。だが「移転補償」は彼らに全く関係ない。彼らは以前同様、無条件で駆逐されている。さらにしばしば「城中村改造」の第一歩は「身分証明検査」に名を借りて借家人を追い出すことから始まる。それによって貸家の「家賃収入」機能を失わせ、家主の補償額を値切るのだ。
深圳で数年前「関外」〔特区エリアの外〕で大規模にスラムを撤去し、その結果「流動人口」百万人が追い出されたと言われている。中国は「外来者」が「空き地」に自分で小屋を建てることを禁じているが、これら郊外の小屋は実際は戸籍のある住民が建てて出稼ぎ労働者に賃貸しているものだ(場合によっては土地だけを貸し、借家人に自分で小屋を建てさせることもあるが)。当時深圳当局はこれを「違法賃貸」だから城中村のような補償はせず、無償撤去を行うと言って、多くの批判を招いた。だが、補償するかどうかは戸籍住民についてだけのことで、貧しい借家人にとっては「城中村」から追い出されるにしても「関外」の小屋から追い出されるにしても、全く補償はない。だが、彼らが城中村から「関外」へ、さらにもっと辺鄙なところに追いやられるたびに、生活の質は著しく低下し、大きな打撃を受ける。しかも、今日強制収用をめぐる不正に対する批判の声が大きくなっていると言っても、基本的に地元戸籍の家主の権益侵害批判に留まっている。一番ひどい被害を受けるのは、追い出される貧しい借家人――外来の出稼ぎ労働者だが、誰も彼らの声を代弁しない。ある人はこれを悲しんで「百万人の失語」と言っている!
都市農村統一計画の落し穴
中国では今日多くの都市が、都市整備は農民の利益をも考慮しなければならないと言っている。とりわけ「都市農村統一計画」モデル事業の指定を受けたいくつかの都市は「改革の先端」として、多くの地元「農民」に恩恵をもたらす措置が打ち出されている。その中の一部の措置(中でも重要なのは移転補償と再定住基準)は高く評価できる。だがすべてのこれら「都市農村統一計画」は実は地元戸籍の「農民」身分と非「農民」身分の格差縮小策に過ぎない。それはもちろん当然だ。だが、中国の「流動労働者」制度がかくも発達した今日においては、主に「外来出稼ぎ者」の血と汗によって都市の地元の「農民」にも利益を分配するのは決して難しいことではない。出稼ぎ労働者の数が戸籍人口の数倍から数十倍に達する広東省東莞市などの戸籍人口は十年も前にとっくに「都市と農村の格差」を解消し、地元「農民」は高額の小作料を手にし、実情は多くの「市民」よりもっと豊かになっている。だが地元戸籍人口と出稼ぎ労働者の身分障壁は非常に高いままだ。もし今日の「都市農村統一計画」がこの現象を繰り返すだけなら、どれほど「先端」性があるのか疑問である。
それだけではなく、これら「改革の先端」都市の成否の評価基準も同様な問題がある。今の基準では、これらの都市に他の都市と比べて豪華な広い道が四方八方に通じているとしたら、それは成功であり、多くのスラムがあったら、それは失敗である。ゆえに、これらモデル指定都市は他の都市よりさらに力を入れて再開発を進め、「城中村を改造」し、「田園都市」を建設し、はては仇和〔共産党昆明市委員会書記の名〕式の強権的手段で「鉄腕都市改造」を行っている。前に述べたように「都市農村統一計画」の新たな措置は地元「農民」の利益に配慮することはできるだろうが、貧しい借家人――出稼ぎ労働者の境遇は良くなるだろうか?
明らかに中国の「戸籍制度の弊害」は戸籍だけの問題ではなく、「農業戸籍」の廃止だけで解決するものでもない(それを行うのは当然としても)。この制度が差別しているのは「農民」だけではなく、むしろますます「外地人」に比重が移っており、とりわけ外来の「貧民」を標的にしている。後ろの二つの問題を解決せずに「農業戸籍」を取り消すだけでは、大した意義はない。
農民から非農民への転換も差別を生むだろう
実際、近年役人と商人が結託した「土地囲い込み運動」が猖獗を極め、多くの地方で「逆向きの」戸籍政策が登場している。すなわち農民を強制的に「農転非」〔農民戸籍から非農民戸籍に転換〕したり「(行政)村の居民委員会への改組、鎮の街道弁公室への改組」をしていることである。「村を居民委員会に改組」すれば、農民の土地を没収することができる――なぜなら、現行の土地制度によれば、「農地」は「農民」の「集団所有」〔村有〕だからだ。そして「非農業用地」は「国有」と決められているからだ。だから「農転非」されてしまえば土地に対する権利を失う。そのため今多くの地方で農民が逆に「農業戸籍」を守るために闘っている!
市民的権利保護のメカニズムと権力分立のメカニズムのない現状では、「農業戸籍」の取り消しも「農業戸籍」の創設と同様に差別を生みだすことは明らかだ。何年か前、中国のある大都市のある役人が外国の記者から「あなたの市では将来スラムは発生しますか」と聞かれて頭から否定していた。主な理由は中国の出稼ぎ労働者はみな「両生人」で、家族を村に残し、一人で都市の飯場に住んで、三十すぎになったら村に帰るから都市に大量の貧しい家族が住む「スラム」が出現することはないというのだった。だが同じ役人が、一年後には「両生人」に対する自慢を改め、「両生人」の土地使用方法は不経済だから、彼らを市民に変えなければならないと言い出した。人々は彼が「出稼ぎ労働者」を市民にしたいのかと思ったが、よく見ると彼は地元戸籍の農民に土地を差し出させるために「市民」にしたいと言ったにすぎなかった。
だから、農民が都市で仕事をしたければ望むと望まざるとに関わらず「両生人」にならざるを得ないが、一旦政府が彼らの土地に目をつけると、農民は「両生人」でいることさえできなくなる。戸籍改革がもしそのようなものになるとすれば、余りにもひどすぎる。
だから戸籍問題は人権・公民権の視点から全面的に再考し、土地制度・社会保障制度・居住移転制度の関連改革を同時に行わなければならない。都市について言えば、戸籍制度改革は地元戸籍の「農民」を大切にするだけでなく、「外来者」とりわけ外来の貧民を大切にしなければならない。そして国家について言えば、改革目標は農民を国民とし、農民の土地を国民の〔私有〕財産とし、「出稼ぎ労働者」を(「流動労働者」ではなく)労働者にし、「帰郷した出稼ぎ労働者」を(保障すべき)失業者にすることだ。
■(秦暉は清華大学歴史学部教授)
出典:http://www.yzzk.com/cfm/
Content_Archive.cfm?channel=ae&path=385921171/11ae2.cfm
(転載自由・要出典明記)
関連記事:
「低人権の利」が中国の脅威的競争力を生み出した(1)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9a232a3622b1d080bc92a758323a4413
「低人権の利」が中国の脅威的競争力を生み出した(2)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/1ce6676429e0bfe66946986769b2d59a
第三の可能性――世界の中国化
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9887c3162e644619c3e579698656ae8e
貧しい外地の農民が都市に「流れ込む」と、最初は農民の身分によって差別され、後には外地人の身分によって差別され、そして現在は貧民の身分によって差別されている。よって戸籍問題は人権、公民権の視点から全面的に再考し、農民を国民として処遇しなければならない。
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全国人民代表大会と政治協商会議の開会直前に、全国11省市の13の新聞が「共同社説」を発表し、「人民に賦与された手中の権力を行使し、関係当局に1958年公布の『戸籍登録条例』を廃止し、戸籍制度改革を推進するよう促す」と呼びかけた。中国においては、このように民間世論を「共同社説」の方法で発表するということはこれまでになかったことである〔ただし、中国において合法的に発行される新聞は全て共産党および関連団体の機関紙だから、共同社説が出るということは政権内の戸籍改革推進派の動きと思われる〕。それは、一方で中国の改革〔1978年の政策転換をさす〕以降の言論開放面での進歩の反映であり、もう一方で現行「戸籍制度の害悪」が人々が耐えられないほど大きくなっていることの反映でもある。
だが、周知のようにいわゆる「戸籍制度」は「流動人口管理」だけの簡単なものではない。それは実際には政治権力が市民的権利を侵奪することにより一連の問題を生んでいる。移転の自由・財産権などはひとまず置いて、まず「生存権」を例にとってみよう。当局は生存権が一番重要な権利で、そのためなら他の多くの権利を犠牲にしてもいいとみなしているし、批判者たちはそのような人権観はあまりにも低俗であり、「ブタの権利」だとみなしている。確かに、生存権は権利の一つとして確かに非常に重要だし、中国で生存権に問題がないわけでもない。まず「生存権」は生存することと同じではないことを知るべきだ。例えばブタは生存しているが、ブタに「生存権」があるとは言えない。なぜならブタは飼育者の意思によって「生存」させられているにすぎず、もし飼育者がしたいと思えばブタは生存できないからだ。ゆえに、生存権を「ブタの権利」と貶めることはできない。以前の専制時代においても、臣民は生存しており、ある者(寵臣、寵妃、寵奴の類)の生活は非常に豊かだが、それで彼らが「生存権」を有しているとは言えない。なぜなら彼らの生存は自らの権利ではなく、主人の好き嫌いに基づいており、「君主が死ねと言えば、死なざるを得ない」からだ。
では我々の「外来者」はどのように「生存している」のだろう? 強制収容の時代〔2003年に「収容遣送弁法」が廃止される前〕には、街角で出稼ぎ労働者は好き勝手に「三証」〔暫定居住許可証、計画出産証明、就業許可証。これが全部そろっていないと「三無者」〕の有無を調べられ、証明書をもっていなければ拘束されるのがごく普通の情景だった。そのために蘇萍、程樹良、黃秋香、張正海、樸永根……などなどが犠牲となる次から次へと悲惨な事件が起きた。「604号列車から逃げるために飛び降りて死亡した女性出稼ぎ労働者」や宝安区で囚人列車から「餃子を投げ入れるように投げ落とされて」死傷した「外地人」など名も知れぬ犠牲者が出続けた。「収容」の網をかける範囲はどんどん広くなり、物乞い・売春婦から「三無者」〔三つの証明書のうちどれかが欠けている人〕へ、出稼ぎ労働者から大学生へ、「盲流」〔国家計画外で移動する人〕から「不法陳情者」へ、そしてついに2003年大学卒業生で正式な仕事もあった孫志剛までが「収容」禍で殺されてしまった。これが大衆の怒りを買い、民意が天に伝わった。この事件がきっかけで「収容悪法」〔実際は法律ではなく政令〕が廃止されたことは、疑いもなく中国の人権面での進歩であった。
しかし、廃止してから何年も経つのに、人々は今でもときどき「貧乏な外地人」が街で権力の暴力にさらされる事件を耳にする。とりわけ行政の研修教材『城管執法操作実務』に、都市管理局取締員が行商人は無慈悲に取り締まるべきで、「簡単に赦免してはならず」、「徹底的に」「全ての力を使って」なおかつ「顔からは出血させず、体に傷をつけず、目撃者がないように」やらなければならないと書いてあるのがネットワーク上で暴露されると、世論は騒然となった。以前の暴力的収容は身分証明書類の検査を名目に行われた。改革前は「戸籍検査」(その当時は「暫定居住許可証」さえなく、農民が街に出てくるにはそのたびに政府の「証明書」を発行してもらわないと、「盲流」として逮捕される危険があった)。改革後は都市に戸籍のない人も証明書を得れば「出稼ぎ」できるようになり、「三証検査」になった。「戸籍検査」も「三証検査」も戸籍に直接関係している。だが今の「都市管理局取締員」と「違法建築撤去」は「都市景観」維持を名目にし、「無許可露店営業」とスラム(当局は「違法建築」という)を対象としているので、「戸籍」とは直接の関係はないと言える。だがだれもが知っているように、被害者は同じ人たちだ。これはすなわち、貧しい外地農民が都市に「流入」(当局は彼らを移民とは認めない)すると、最初彼らは農民身分(「農村戸籍」)で差別され、後には外地人(「暫定居住」者)の身分で差別され、そして現在は貧民の身分(高尚な職業ではない「無許可露店営業」もしくは高尚な住宅でないスラム住民)として差別されている。
取壊しの進歩と借家人の権利
この三段階の変化にこの間のある種の進歩が体現されていないとは言えない。彼らは改革前はほとんど都市に行くことはできなかった。その後「暫定居住」して出稼ぎすることができるようになったが、「証明書」を常時携帯しなければならなくなった。そうしなければ面倒なことになる(証明書を持っていても面倒が避けられるとは限らないが)。今はもしうまくして高尚な職業と住宅を手に入れれば、「証明書検査」で暴力をふるわれる機会は少ない。だが、もし困窮していれば「都市景観」にふさわしくないとして都市から拒絶される。しかし困窮していることは罪なのだろうか? 誰も困窮したいとは思わない。もし故郷で十分豊かになれるなら、彼らは都市に頼ることはない。だがそれができないのに、我々の都市はなぜ貧しい人を拒絶するのだろう?
現代都市はもちろん計画と管理が必要である。「違法建築」は使ってはならない概念ではない。だがそれは人権尊重の前提の下でなければならない。筆者はそれには3つの条件があると考える。まず「法」は一方利害関係者(たとえば自分たちの職員だけに豪華な住宅を提供しようとする政府)が発する「命令」のように、建物を撤去し人を追い出し、さらには火を放ったり拘束したりという基本的人権を侵害する「法」であってはならず、きちんと立法したものでなければならない。しかも立法過程には全ての利害関係者が参加しなければならず、代議制であれ公聴会であれ、「流動人口〔移民〕」の参加がなければならない。次に、この「法」は常識に沿ったものでなければならない。少なくとも、もしその「法」に反したら「暫定居住者」はどこに住めるのかという質問に、立「法」者は答えなければならない。最後に、その「法」は厳粛性がなければならず、朝令暮改して以前に立ち戻ってはならない。苦力〔クーリー〕がほしいときは掘立小屋を建てさせて「定住」させ、使い終わったら小屋を「違法」扱いして追い出したり、土地利用計画がないときは放置しておいて、土地を使って金儲けをしたくなったら「違法」扱いして追い出したりということがあってはならない。
指摘しておかなければならないのは、これは単なる財産権の問題ではないということである。中国の強制的「収用・撤去」問題はまだ完全には解決していないが、大衆の不満の圧力によって多少は改善してきた。まだ市場取引にはなっていないが、多くの資金潤沢で地価が高額な大都市の近年の「移転補償」基準は大幅に上がっている。地元戸籍「農民」が家主のいわゆる「城中村」〔都市計画の過程で市街化に取り残され市街地に囲まれて残った村〕は、「城中村改造は村民が満足するものでなければならない」という方針の下で多くの「収用成金」の「村民」を生んでいる。今日のこの種の「改造」に存在する主な問題はすでに「村民」の権益が侵害されるという問題ではない(この種の問題はまだ完全には解決されていないし、とりわけ資金力の弱い「二線都市」ではまだこの種の問題が目立つとはいえ)。だが、周知のように今の「城中村」はほとんど外来出稼ぎ労働者の集住する劣悪な借家地区であり、地元戸籍の家主はふつうそこには住んでいない。これは実際は中国式の「スラム」である。そこに住む「外来」の貧しい借家人の人数は家主である「村民」の数倍から数十倍に上る。彼らこそ「城中村改造」の最も重要で最も膨大な利害関係集団である。だが「移転補償」は彼らに全く関係ない。彼らは以前同様、無条件で駆逐されている。さらにしばしば「城中村改造」の第一歩は「身分証明検査」に名を借りて借家人を追い出すことから始まる。それによって貸家の「家賃収入」機能を失わせ、家主の補償額を値切るのだ。
深圳で数年前「関外」〔特区エリアの外〕で大規模にスラムを撤去し、その結果「流動人口」百万人が追い出されたと言われている。中国は「外来者」が「空き地」に自分で小屋を建てることを禁じているが、これら郊外の小屋は実際は戸籍のある住民が建てて出稼ぎ労働者に賃貸しているものだ(場合によっては土地だけを貸し、借家人に自分で小屋を建てさせることもあるが)。当時深圳当局はこれを「違法賃貸」だから城中村のような補償はせず、無償撤去を行うと言って、多くの批判を招いた。だが、補償するかどうかは戸籍住民についてだけのことで、貧しい借家人にとっては「城中村」から追い出されるにしても「関外」の小屋から追い出されるにしても、全く補償はない。だが、彼らが城中村から「関外」へ、さらにもっと辺鄙なところに追いやられるたびに、生活の質は著しく低下し、大きな打撃を受ける。しかも、今日強制収用をめぐる不正に対する批判の声が大きくなっていると言っても、基本的に地元戸籍の家主の権益侵害批判に留まっている。一番ひどい被害を受けるのは、追い出される貧しい借家人――外来の出稼ぎ労働者だが、誰も彼らの声を代弁しない。ある人はこれを悲しんで「百万人の失語」と言っている!
都市農村統一計画の落し穴
中国では今日多くの都市が、都市整備は農民の利益をも考慮しなければならないと言っている。とりわけ「都市農村統一計画」モデル事業の指定を受けたいくつかの都市は「改革の先端」として、多くの地元「農民」に恩恵をもたらす措置が打ち出されている。その中の一部の措置(中でも重要なのは移転補償と再定住基準)は高く評価できる。だがすべてのこれら「都市農村統一計画」は実は地元戸籍の「農民」身分と非「農民」身分の格差縮小策に過ぎない。それはもちろん当然だ。だが、中国の「流動労働者」制度がかくも発達した今日においては、主に「外来出稼ぎ者」の血と汗によって都市の地元の「農民」にも利益を分配するのは決して難しいことではない。出稼ぎ労働者の数が戸籍人口の数倍から数十倍に達する広東省東莞市などの戸籍人口は十年も前にとっくに「都市と農村の格差」を解消し、地元「農民」は高額の小作料を手にし、実情は多くの「市民」よりもっと豊かになっている。だが地元戸籍人口と出稼ぎ労働者の身分障壁は非常に高いままだ。もし今日の「都市農村統一計画」がこの現象を繰り返すだけなら、どれほど「先端」性があるのか疑問である。
それだけではなく、これら「改革の先端」都市の成否の評価基準も同様な問題がある。今の基準では、これらの都市に他の都市と比べて豪華な広い道が四方八方に通じているとしたら、それは成功であり、多くのスラムがあったら、それは失敗である。ゆえに、これらモデル指定都市は他の都市よりさらに力を入れて再開発を進め、「城中村を改造」し、「田園都市」を建設し、はては仇和〔共産党昆明市委員会書記の名〕式の強権的手段で「鉄腕都市改造」を行っている。前に述べたように「都市農村統一計画」の新たな措置は地元「農民」の利益に配慮することはできるだろうが、貧しい借家人――出稼ぎ労働者の境遇は良くなるだろうか?
明らかに中国の「戸籍制度の弊害」は戸籍だけの問題ではなく、「農業戸籍」の廃止だけで解決するものでもない(それを行うのは当然としても)。この制度が差別しているのは「農民」だけではなく、むしろますます「外地人」に比重が移っており、とりわけ外来の「貧民」を標的にしている。後ろの二つの問題を解決せずに「農業戸籍」を取り消すだけでは、大した意義はない。
農民から非農民への転換も差別を生むだろう
実際、近年役人と商人が結託した「土地囲い込み運動」が猖獗を極め、多くの地方で「逆向きの」戸籍政策が登場している。すなわち農民を強制的に「農転非」〔農民戸籍から非農民戸籍に転換〕したり「(行政)村の居民委員会への改組、鎮の街道弁公室への改組」をしていることである。「村を居民委員会に改組」すれば、農民の土地を没収することができる――なぜなら、現行の土地制度によれば、「農地」は「農民」の「集団所有」〔村有〕だからだ。そして「非農業用地」は「国有」と決められているからだ。だから「農転非」されてしまえば土地に対する権利を失う。そのため今多くの地方で農民が逆に「農業戸籍」を守るために闘っている!
市民的権利保護のメカニズムと権力分立のメカニズムのない現状では、「農業戸籍」の取り消しも「農業戸籍」の創設と同様に差別を生みだすことは明らかだ。何年か前、中国のある大都市のある役人が外国の記者から「あなたの市では将来スラムは発生しますか」と聞かれて頭から否定していた。主な理由は中国の出稼ぎ労働者はみな「両生人」で、家族を村に残し、一人で都市の飯場に住んで、三十すぎになったら村に帰るから都市に大量の貧しい家族が住む「スラム」が出現することはないというのだった。だが同じ役人が、一年後には「両生人」に対する自慢を改め、「両生人」の土地使用方法は不経済だから、彼らを市民に変えなければならないと言い出した。人々は彼が「出稼ぎ労働者」を市民にしたいのかと思ったが、よく見ると彼は地元戸籍の農民に土地を差し出させるために「市民」にしたいと言ったにすぎなかった。
だから、農民が都市で仕事をしたければ望むと望まざるとに関わらず「両生人」にならざるを得ないが、一旦政府が彼らの土地に目をつけると、農民は「両生人」でいることさえできなくなる。戸籍改革がもしそのようなものになるとすれば、余りにもひどすぎる。
だから戸籍問題は人権・公民権の視点から全面的に再考し、土地制度・社会保障制度・居住移転制度の関連改革を同時に行わなければならない。都市について言えば、戸籍制度改革は地元戸籍の「農民」を大切にするだけでなく、「外来者」とりわけ外来の貧民を大切にしなければならない。そして国家について言えば、改革目標は農民を国民とし、農民の土地を国民の〔私有〕財産とし、「出稼ぎ労働者」を(「流動労働者」ではなく)労働者にし、「帰郷した出稼ぎ労働者」を(保障すべき)失業者にすることだ。
■(秦暉は清華大学歴史学部教授)
出典:http://www.yzzk.com/cfm/
Content_Archive.cfm?channel=ae&path=385921171/11ae2.cfm
(転載自由・要出典明記)
関連記事:
「低人権の利」が中国の脅威的競争力を生み出した(1)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9a232a3622b1d080bc92a758323a4413
「低人権の利」が中国の脅威的競争力を生み出した(2)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/1ce6676429e0bfe66946986769b2d59a
第三の可能性――世界の中国化
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9887c3162e644619c3e579698656ae8e