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冉雲飛:中国はなぜ悪者扱いされやすいのか

2008-08-11 17:12:13 | 中国異論派選訳
冉雲飛:中国はなぜ悪者扱いされやすいのか

 私は中国が悪者扱いされているとは思わないが、なぜこの問題を取り上げるかというと、我が国の官製メディアと多くの民族主義感情に流された人々が、西側のたまたまの誤報を見つけて、それを西側の集団的、意図的な中国に対する歪曲だとみなしているからだ。イギリスの作家キップリングはかつて「東洋は東洋、西洋は西洋で、両者は永遠に出会うことはない」と言った。キップリングは断定しすぎだろう、出会うことは出会うのであり、どう出会うか、出会いをどう処理するか、それが東西問題のありようだ。出会いをどう処理するか、それは東西の精神と物質生活の多くの面に関係し、永遠に議論すべき難題である。しかし東西が交わる出会いの中での、中国のこの間の反応はほかの多くの東洋の国と異なることは言をまたない。西側の問題は西側の多方面の利益のゲームと牽制によって処理されている。我々が少し理性的になれば、彼らのメディアの面での自己矯正能力とメカニズムは、いずれも中国など比べ物にならないことがわかるだろう。マスコミはつぶれるつもりがなければ、どの会社もメディアの信頼性を重視する。思うに中国人が考えるべきは、もし本当に中国を悪者扱いしているのなら、なぜ我々が簡単に悪者扱いされてしまうのかということである。思うに、人から誤解を受けたら、まず自分に問題がなかったかを考えるべきであり、それがこの文章の重点が中国自身の問題の反省に置かれている原因である。私は急いで書いた一片の文章でこの大きな命題を語りつくせるとは思わないが、いささかまとまりのない見方を以下に示し、皆さんの批判と思考を促したい。

一、今日の非理知的民族主義の地雷は、すべて中国愚民教育のおかげである。香港の作家陶傑はかつて、中国の教育は未来に地雷を埋めるものだと言った。この言葉は袁偉時先生の言う「オオカミの乳教育」と同じものを指している。我々の愛国家、愛政府、愛共産党をごった煮にした愚民化教育のゆえに、西側の共産党全体主義統治への批判を目にすると、当局はその愚民化教育を使って、これは中国を批判し中華を侮辱する発言だという。すると一部の教育の害を受けた人が、立ち上がって幻の憤怒のために戦闘を始める。外国の中国批判の多くは、当局批判や共産党全体主義統治批判であり、この国の人民と文化に対するものではない。一般人としては、それを見分け、当局の宣伝に左右されてはならない。しかし残念ながら、自分のひどい生存環境に怒りもせず、逆に愛国の火を燃やす人々は、どれだけ見分けが付いているだろうか? 当局はまさにこれを利用して、その統治を合法化し、統治者の小グループの利益を最大化しようとしている。

二、後進国として一種の天然の被害者意識があり、他人のいかなる批判も挑発とみなしてしまう。49年以降の我々の教育は、遅れることは殴られることだ、というものだった。この命題は非常に奇妙だが、いまでも広く受け入れられている。世界で多くの国が遅れているが、殴られたことがない国は多い。遅れと殴られることには天然の結びつきはない。しかし、遅れた意識はたしかに世界との交流にますます多くの不要な厄介事をもたらしている。例えばアヘン戦争は、相手が互恵的商業を意図していただけだったのに、中国の理由のない拒絶にあい、厄介なことになった。もちろん、このような戦争をもたらした西側にも弱い者いじめの嫌疑があるが、中国がどのような責任を負うべきかを我々自身無視してはならない。アヘン戦争から今日まで、我々はマゾヒズム状態から抜け出していない。これは民族心理全体のゆがみ、脆弱さの表れであり、このようなぜい弱さとマゾヒズムは、我々のひどい近現代史研究とイデオロギーの必要によって拡大され、それによって軽佻浮薄な民族主義感情が形成された。

三、当局が民衆のマゾヒズムを培養することにより、共産党のいわゆる救世主としての救世作用を際立たせようとした。政権を握った49年以降、当局が始めた宣伝は、「共産党がなければ中国はない」、というものだった。のちにこのような絶対的な言い方はあまりに恥知らずだと感じて、「共産党がなければ新中国はない」と言い換えた。この種の「……がなければ、……はない」という武断的構文は、49年以降の当局の宣伝の中で、くり返しくり返し乱用され、共産党がなければ、中国人は中国人ではなく、中国人は生きていけないという幻覚を強めた。なぜ彼らは民衆を愚弄し、このような幻覚を培養するのか? それは彼らが自分たちは武力で政権を奪い、しかも日本の中国侵略に乗じて勢力を大きくしたということを知っているからである。彼らは民衆が彼らに服従しないことを恐れ、一連の洗脳策略を実施した。そして民衆の頭の中に「共産党がなければ新中国はない」というマイクロチップを植え付けることに成功し、民衆は完全に独立思考能力を失った。マゾヒスト心理の培養と、幻の虐待圧迫(他国の圧迫と侵略の誇張)によって、精神面での中国人の完全な当局への隷属と支配を完成し、また全体主義経済による人の物的欲求に対する全面的なコントロールを通じて、非常にうまく「救世主」というマイクロチップの植え込みに成功した。

四、「救世主」チップの植え込みにより、帝国主義の侵略史を誇張し、民族主義のアヘンを培養した。西側は中国を侵略したかどうかは問題ではない。たしかに西側は中国と交わる時の、弱い者いじめの行為については批判されるべきである。しかし、それもある程度は我々自身の専制制度、排外封鎖による。中国の近現代の多くの戦争には、もちろん外国の侵略挑発も原因であるが、中国自身の問題もこうした災難の発生を促したのであり、我々は理性的に向かい合わなければならない。49年以前は、西側の侵略に対して、我々は「まだ一と言ったら一、二と言ったら二」の、実務的態度があったが、49年以降は、完全に党派利益のために、共産党政権の合法性の演出するためには、いかなる歴史の歪曲も厭わなくなった。たとえば、米国が国民党を支持したら、米国の一切を否定した。50年代の反米騒動は、すべて当局が党の私利私欲のために発動したものであり、民衆のためとか民族のためとかではなかった。50年代に米国を悪者扱いしたことには、もちろん共産全体主義陣営と民主陣営の冷戦という原因もあるが、共産党当局のソ連全体主義のため、党の私利私欲のためといういとがあったということも否定できない。

五、党派利益のためであり、民族利益のためではない外交政策は、東西摩擦ないし中国のいわゆる悪者扱いの一つの原因である。50,60年代は、国内で多くの民数が死んだのに、ベルトをきつく締めてイデオロギー上の階級的「兄弟」であるベトナムを支援し、のちにイデオロギーと党派の対立により、「兄弟」ベトナムを「懲罰」した。これらはみな党派外交であり、民族に災害をもたらした。いまでも、当局の外交政策の中には、友人かどうかの観念があり、やはり党派とイデオロギーが国家や民族の利益を凌駕している。この世界の景観はすなわち、朝鮮やキューバのように自由民主世界からならず者政権とみなされたら、中国当局の友人である。このような党派利益のために他を顧みない非理性的選択は、西側にどう評価されるだろう? 自由民主制度には確かに問題があるが、すでに3~400年の期間、とりわけ20世紀になってからは、いわゆる社会主義などほかの制度よりもすぐれた制度である。

六、全体主義統治は西側が中国政府を「悪者扱い」する本当の原因である。現在の政治文化に必要なのは独占の排除であり、権力と政党間の相互けん制である。なぜならこうして初めて、すべての権利と自由が、徐々に守られることになるからだ。政治的な独占、一党独裁は、過去のジャングルの法則の延長であり、非文明的な強権政治である。このような制度は批判とけん責を受けるべきであり、改めるべきである。全体主義制度は様々なゆがみをもたらす。今のチベット問題がそうだ。問題を挙げれば、第一に情報封鎖による真相の隠ぺい。西側メディアにチベットに接近する機会を与えなかったことが、西側メディアの誤報の原因である。第二に、当局の宣伝の信頼性が全く失われているのに、当局が新華社だけに情報の発信を許したことは、当然全世界の強い批判を招いた。第三に、メディアの現場取材ツアーを組織し、宣伝したやり方は、メディアの自由な取材の制限でもあった。「取材ツアーの組織」自体がばかげており、取材の真実性の要求からかけ離れている。まして、取材過程で既に当局のでっちあげが暴露された。今回の国際的なチベット事件に対する強い批判ないし、一部の虚偽報道は、彼ら自身の価値観と変更の問題かもしれないが、最も重要なのは、中国当局の封鎖的態度と危機管理能力の低さである。彼らは、以前のように手で天を遮るように、社会のあらゆる反対意見や疑問を消し去ることができると考えている。それは実は自他双方を偽るものである。真実を報道できなければ、当然ある程度の虚偽は免れず、中国当局によって誇張され「悪者扱い」されることになる。

七、非理性的な民族主義は両刃の剣であり、民衆と国家が最終的な被害者となる。数十年の愛党すなわち愛政府、愛政府すなわち愛国の愚民教育により、当局はすでに概念の歪曲に成功し、党派利益を民族国家の利益の上に置くことに成功した。しかも党派利益を利用して国家民族の利益を盗むことに成功した。その結果多くの人の利益がはく奪されたのに、そのことに気付かないことが、当局の数十年に及ぶ愚民政策の成功を示している。しかも、彼らは党派利益のために、自由と民主を「悪者扱い」することに成功し、民衆に中国では自由と民主は向かないと感じさせ、民衆の利益の乗っ取りに成功した。民族や国家といった大きな看板を利用して党派利益をむさぼり、すべての宣伝装置を利用して、自由民主国家の良い点を歪曲し、惜しむことなく社会主義制度の優越性を宣伝している。台湾海峡問題で彼らが台湾に対して強硬であるのは、彼らが愛国だからではなく、そうでないと非理性的な民族主義者、冷静でない愛国主義者に弁明できないからである。なぜならこの問題は党の統治の合法性に影響するからだ。もし本当に台湾問題を解決しようとすれば、党派利益を放棄し、民衆・民族・国家利益を一番上に置くだけでよいのだ。しかし、全体主義の当局は、そうできるだろうか? 私も統一を望むが、共産党が党派利益を放棄し、独裁統一を放棄しないで、どうやって台湾を統一できよう? 自由と民主を享受できているのに、だれが独裁政権のもとへの統一を望むだろう? 香港モデルは根本的に台湾問題には適用できない。最近の胡錦涛は比較的実務的だが、本当に統一したければ、それには長い時間がかかる。自由と民主主義以外に、中国は台湾を統一できない。中国が独裁政治を改めず、党派利益によって全世界の自由民主主義国家と国内の民衆の利益に挑戦して、悪者扱いされたとして、誰か他人のせいにできようか?

2008年4月10日 成都にて
原文:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d54af850469f8db74c1a79c0ac115c08

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