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朝日新聞:大きな物語

2006-12-18 22:50:47 | Weblog
 フランスの哲学者リオタールに初めてインタビューしたのは1986年の秋だった。『ポストモダンの条件』が日本でも翻訳され、ポストモダン思想を代表する理論家として脚光を浴びていた。
 「もう『大きな物語』の時代は終わったんですよ」。パリの静かな住宅街で、温厚な表情の哲学者は諭すように語った。いまの時代の顕著な変化は歴史の進歩や人間の解放という近代が目指してきた大きな物語を、人びとが信じなくなったことなのだという。
 大きな物語が消えると共に、その担い手だった知識人の時代も終わった。正義や理想といった、人類にとって共通の目標や普遍的な価値観も失われたという。「これからは人々は断片化した自分たちだけの小さな物語の中で生きるしかなくなったのです」。分かりやすい話だった。

 何日かあと、ニューヨークで「リオタールの大きな物語消滅論は明らかに間違っている」と激しく反論する知識人に会った。
 パレスチナ生まれの英文学者エドワード・サイードだった。このときは51歳。西欧近代の知のあり方を批判した著書『オリエンタリズム』で注目され始めていたが、一般にはパレスチナ問題とのかかわりで知られる程度だった。
 「解放の理想は失われたというが、いまも世界中で多くの人々が自由を求めて苦闘しているのです」。そう語るサイードは一方で、人類共通の価値観や大きな理想に背を向けて伝統や宗教のような小さな世界に閉じこもる傾向が、地球全体に強まっていることに強い危機感を示した。
 「だからこそ真実や普遍的な価値を追究する知識人の役割は少しも変わっていない。これからが知識人の存在が試される時代なのです。」
 言葉のとおり、その後のサイードは力を持たない人々の立場に立って世界の困難と向き合い、真実と大きな理想を求める知識人として一貫した道を歩み続けた。
 「知識人の声は孤独の声だ」とサイードは言う。「それでも知識人が果たすべき責務は、力の及ぶ限り真実を語り続けることだ」。晩年は白血病に冒されながら、その姿勢は揺るぎがなかった。
 サイードには94年と99年にもインタビューした。そのたびに視線は一段と遠くを見つめるようになっていた。「他の民族がこうむった苦難も人類共通の苦難として受け止めなければならない」。生まれ故郷の国と民族を思いながら、敵対する民の迫害の歴史にも目を向け続けた。

 リオタールは1998年に73歳で亡くなる。サイードも2003年に病魔との長い戦いに力尽きた。67歳だった。
 あとに多くの著書と言葉が残された。「君主ではなく、旅人の言葉に鋭敏に耳を傾けなければならない」。「大切なのは、ものごとをただありのまま見るのではなく、それがいかにしてそうなったかを見ることだ」。『知識人とは何か』(平凡社)など多くの翻訳を手がけた英文学者の大橋洋一氏は、サイードが好んだ「冬の精神」という言葉に注目する。
 春が近づく気配を予感しながら、希望の季節をただ待ち続けるだけではなく、あえて寒風に身をさらす。「いまが困難な冬の時代だからこそ、厳しい冬の精神を持たなければならないとサイードは考えた。晩年になると伝統やナショナリズムに回帰する知識人が多いが、彼は最後まで何かに帰属して暖かく包まれる生き方と無縁だった」と大橋氏は言う。

 自分が属する共同体の慣れ親しんだ空気に包まれて暮らしたい。人はそう思う。国や民族だけではない。何かの組織や集団に強い帰属意識を抱き、その一員として生きることは安逸につながる。
 だが、いつも仲間にあわせて気を配り、集団で思考する生き方からは新しいものは見えない。心地よいものの境界を超えて冬の精神を持て、とサイードは説き続けた。
 21世紀のいま、人類共通の大きな理想ではなく自分たちだけの閉ざされた物語を美化する動きが広がっている。無意識のうちに集団思考に流れる空気もある。
 孤立を恐れずに逆風に向かい、熱狂や集団思考から遠ざかる。冬の精神が受け継がれた時にはじめて、次の時代の新しい物語は見えてくるのかもしれない。
(編集委員・清水勝雄)

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