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8月15日の靖国事件に抗議する声明 (転載)

2005-08-22 11:52:50 | Weblog
2005年8月15日、軍国主義と民族排外主義を掲げる右翼団体が靖国神社にあつまり、6千人の大集会を行いました。核武装を主張する安倍晋三、石原慎太郎をはじめとして、複数の閣僚と多くの国会議員が、右翼団体とともに靖国神社に参拝し、戦没兵士への「哀悼」の意を表しました。それは、かつての東アジアへの侵略戦争から現在のイラク戦争に至るまで、他国の民衆への虐殺行為を不問にし、自らの加害と被害を無関心の淵に沈めることで、戦争を容認するものです。

正午の時報を合図に、軍国主義者たちが黙祷を捧げ、そこから数百メートル離れた路上で、戦争反対を訴える私たちの友人が警察官に逮捕されました。かれらは、戦没兵士への「追悼」がさらなる戦争を準備するものであることをうったえ、戦争と軍国主義に反対するプラカードを掲げていました。プラカードを持った約50名の市民が靖国神社に向かって足をすすめようとするなかで、おおぜいの重装備の警察官が彼らを取り囲み、たまたま通りがかっただけの人々をもまきこんで、暴力的に圧迫しました。そうして、包囲した市民のなかから4名を引きずり出し、逮捕したのです。警察は逮捕理由を「公務執行妨害」であると言っています。しかしそこにいかなる正当な公務があったというのでしょうか。

日本の警察が、些細な理由で市民を逮捕することや、逮捕した市民を「過激派」と呼びなすことは、珍しくありません。そういうことに、私たちは慣れてしまっています。市民が自由に活動し意思表示をする権利がおかされ、警察の横暴と強権はますますエスカレートしています。市民が集まることや表現することが、愚かしい行為であるかのようにされようとしています。私たちは、戦前戦中の怖ろしい時代に逆戻りしているのではないでしょうか。

私たちは戦争に反対します。そして、戦争反対の意思表示すら許さないような軍国主義と警察国家に反対します。裁かれるべきは、プラカードを掲げる市民ではなく、市民を圧迫する者です。戦争反対を訴える市民がいったいどれだけ「過激」なのか、警察は「過激」でないのか、本当の「過激派」は誰なのかを、私たちは問うていきたいと思います。

ご支援とご注目をお願いいたします。

8月15日事件救援会(ANTIFA 815)
http://antifa815.podzone.org/

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