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何清漣:中国における統治の暴力化(2)

2007-01-16 13:59:18 | 中国異論派選訳
二、市街地再開発:立退き住民の悪夢

1、都市立退き対象者の経済的権利が剥奪されている

 中国では、都市での立退きのすべての過程に地方政府が関与する。地方政府が関与しなければ、千万人百万人の住居権を剥奪する立退きは一歩も前に進まないといえる。地方政府はどのような手段を使って民衆の生存権を侵害する悪行を公然と行うのか? 答えは、「公共の利益」にかこつけて立退きに合法性を与えるということだ。第一に、都市広場・道路・緑地など公共インフラの整備にかこつける。第二に、「都市再開発」にかこつける。もっとも、中国政府は法律上こうしたやり方にとても「中国的特色」のある言い方をする。まず、すべての建物を建物所有権だけがあり、土地所有権のない物品と定義し、「このような国民の土地所有権を没収するやり方は国家の性質によって決定される」と述べる。そこからさらに、中共が政権を樹立した時にすべての個人所有の土地(当時没収しなかった不動産の土地所有権部分)を没収し、すべて国家所有としたことをもって地価が「公」に帰することの根拠とするのである。こうして、地方政府は正正堂堂と多くの都市住民の先祖伝来の宅地を国有とみなし、立退きのときの補償を拒否する[18]。

 「公共の利益」を旗印とする立退き「政策かご」の中で、「都市再開発」は底なしの穴である、一部の都市では、立退き住民の悪夢となっている。ある都市では立退き住民が戻ることを許さず、大多数の住民が都市郊外に追いやられ、生活コストが大幅に増えた。住宅と家庭用品購入だけでなく、生活スタイルも変えざるを得なくなる。交通・買い物・子供の入学などいずれも厄介な問題である。ある不動産開発会社は立ち退いた土地に高級マンションや豪華一戸建てを建てるので、立退き住民が戻ってくることを許したとしても、補償基準が低いので戻るために住宅を買うことはできない。よって、住まいを失うという脅威の下で、立退き住民は往々にして強烈な反抗をする。

 中国共産党政権樹立初期の「土地改革」、「商工業改造」の富める者から奪って貧しいものを救う政策とは反対に、現在の立退き対象住民の土地を囲い込む行為は実質的には貧しき者から奪って富める者を救う政策である。それだけでなく、政府は立ち退きのときに「貴賎を分ける」政策を明確に規定している。たとえば、北京市は「副部長級以上の公民、特殊公民(民主党派の上層部、外国籍、台湾で元国民党の上層部)の不動産は、立退き過程で土地使用権を法律に基づいて評価・補償しなければならない」と規定する[19]。これは赤裸々に土地使用権は国有ではなく、「法律に基づき」等級に基づく差別があるということだ。権力階層と「特殊公民」にとっては、彼らの住宅は「法律に基づき」私有でき、立退きのときはその土地使用権は必ず十分な補償をされなければならない。権勢のない一般公民にとっては、彼らの住宅は「法律に基づき」公有であり、政府の略取に委ねるほかない。

2、中国政府はこの10年でどれほどの住宅を取り壊したか?

 この10年間どれほど多くの中国人が家を失っただろうか? 中国政府はこのようなデータを提供することはない。しかし、各方面の情報を総合すると、概況は推測できる。2005年11月29日、スイスのジュネーブに本部をおく国際人権組織「居住権・強制立退き問題センター(COHRE)」は、中国が2005年の居住権侵害がもっともひどい三つの国の一つであることを発表した。この組織は、中国に対してその署名した国際人権規約の遵守し、経済発展のために人民の居住権を侵害しないよう促した。「居住権・強制立退き問題センター」の執行主任ライチ(音訳)は記者の取材に答えて次のように語っている。彼らは毎年三つの居住権侵害のもっともひどい国を選んでおり、2005年に中国は初めて入選した。中国入選の主な原因は、彼らの組織が毎日、北京、上海およびその他の中国の都市や農村からの強制立退きに関する報告を受け取っていることだ。中国と同時に名前を挙げられた残りの2つの国は、ジンバブエとインドである。近年ジンバブエは継続的に居住権を侵害し続けており、都市の浄化計画の名のもとに70万人が家から追い出された。インドのマハラシトラ州はムンバイを「世界レベルの都市」にするために、2004年12月以降35万人を強制的に立ち退かせた。しかし、中国と比べるとこの2つの国の強制立退き被害者の数は大幅に少ない。「我々は数千数万人の家を失った人の報告を受け取った。もし彼らが強制立退きに反抗すればもっとひどい嫌がらせ・逮捕・監禁などさまざまな問題に見舞われる。中国からの報告は急増しており、我々は非常に驚いている。2008年のオリンピック施設を作るだけで40万人以上が立ち退きを迫られ、しかもその多くが強制立退きや補償額不足の立退きである」とライチは語っている[20]。「居住権・強制立退き問題センター」が発表したのは都市立退き住戸の数字であり、農村の土地を奪われた農民はここには含まれない。しかし、中国当局は過去10年に立退きをさせた住戸は少なくとも125万戸あり、370万人が転居し、その多くが強制的な立退きである。政府と不動産開発業者が提供する補償金は極めて少なく、多くの人が強制立退き後に行き場所を失っている[21]。立退きはすでに中国民衆の耐えがたい痛みになっている。

 説明しなくてはならないが、この10年間にどれほどの住宅を取り壊したかということは中国政府が機密扱いしており、納得できるような公開されたデータはない。しかし、下記のデータから実情をある程度推測できるだろう。

 雑誌『了望』には次のような数値が載っている。1992年から、北京では都市再開発問題での陳情が急増している。1995年を例にとると、1月から7月までに163件、のべ3,151人。同時期の陳情件数と人数のそれぞれ46.5%と43.2%を占めた[22]。北京での立退き問題は全国と比べると比較的早く始まった。なぜなら、陳希同が北京市長だったときから大規模立退きが始まったからである。そのご、立退きは全国に蔓延し、しかも各地の政府は北京市政府の立退きにヤクザを使うというやり方も模倣した。

 中国政府は2つの部門が立退きの陳情を受理する。一つは建設部、もう一つは国家信訪(投書・陳情の意味)部である。建設部の発表によると、2002年の1月から8月までに、投書をのべ4,820件、陳情をのべ1,730件、集団陳情を123件受理した。そのうち立退きの苦情はそれぞれ28%、70%、83.7%を占める[23]。2003年に受理した立退き陳情は3929件、18071人だった。2004年上半期の土地収用立退きの陳情は4,026件、18,620人、その内集団陳情が905件、13,223人、個別陳情が3,121件、5,397人と、半年で2003年一年間の量を超えている[24]。国家信訪局は具体的なデータを発表しておらず、陳情案件の増加率のみを公表している。2000年以降、都市再開発とりわけ立ち退き代替住宅問題での投書が毎年急増している。立退き投書は2003年8月末が前年同期比50.34%の増加。立退き陳情は、2002年が2001年比64.86%の増加、2003年8月末時点で前年同期比47.19%増加している[25]。2005年の投書と陳情人数は2003年比50%と47%増加している[26]。

 このように陳情によって抗議する立退き対象住民はごく一部にすぎない(全体の2%から5%)。上海の例では、2003年5月末、上海の富豪周正毅が上海の中心市街地静安区に17.64万平米の土地を手に入れた。これは上海最大の不動産開発プロジェクトであり、12,000戸の住民の立退きが必要になった。補償は低すぎたが、それでも500戸ほどの住民しか抗議行動をおこさなかった。そして、積極的な抗議手段、例えば陳情や訴訟に訴えたのは僅か100人余りで、1%にも満たなかった[27]。2002年2月北京市の立退き住民1万人訴訟を起した。すなわち、10,357名の立退き対象住民が連名で北京市第二中級人民裁判所に行政訴訟を起した有名な事件である。しかし、各地の立退き住民の受忍限度は異なり、集団行動の一致した利益要求にも欠け、加えて組織化コストも高い(主に政治的リスクが大きすぎる)ため、このような大規模な集団行動は全国でほとんどこの1例のみである。

 大部分の立退き住民は家族全員が終わりもなく、希望もない荊の道を歩むことを望まないがゆえに、やむを得ず耐え忍ぶ。また一部の人は、勇気を振るって請願に行くが、北京につく前につかまって連れ戻されてしまう。このような妨害を民間では「請願妨害」(当局は「説得帰郷」)と呼ぶ。「説得帰郷」させられるのが請願者の相当大きな比率を占める。黒龍江省は全国でも立退き紛争の多い省ではないが、それでも多くの北京への請願者がいる。黒龍江省政府の発表した内部データによると、2004年上半期だけで「説得帰郷させた北京請願者が218組のべ861人におよび、その内9月1日から年末までの説得帰郷者が153組のべ534人であった。また、省政府への請願者40組のべ130人を説得帰郷させた。」[28]。他の地方の説得帰郷者も少なくはない。

3、政府が暴力的立退きを指揮・関与あるいは支持放任する

 立退き過程での暴力行為はなぜたびたび発生するのか? 地方政府はなぜこうした法律違反の暴力行為を見て見ぬふりをするのか? また各地の政府はどのようにして多くの立退き住民を家から追い立て、極めて不当な立退き補償を受け入れるよう迫るのか? 答えは、政府行為のヤクザ化である。

 多くの事実が、地方政府の「立退き弁公室」と不動産開発業者の間には緊密な利害関係がある。一部の地方では、地方当局は世間を欺くために、「立退き弁公室」と不動産開発業者を形式上は別の組織にし、看板だけ2つにして実際は人員は同じである。

 以下に中国の「首都」北京市を例に、地方政府と不動産開発業者の関係を説明する。北京市西城区金融街建設開発公司の主管部門は西城区政府であり、新興不動産開発公司の主管部門は北京市政府住宅制度改革弁公室であり、朝陽区不動産経営開発公司の主管部門は朝陽区土地建物管理局である。ほとんど例外なく、商売の繁盛している不動産開発業者には政府の背景があり、往々にして総経理は政府派遣の役人が兼務している。この関係を理解すれば、政府が不動産会社と立退き住民の間に利益紛争が生じたときに、住民の家屋の評価決定と強制立退き命令を発するときに、なぜ少しも隠すことなく開発業者の肩を持つのかが理解できる。多くの開発業者はしばしば公然と立退き住民に対して「おれたちと政府は一家なんだから、おまえたちが訴えても無駄だ」と言っている[29]。

 民主国家では、裁判所は各種利益集団から超脱した公権力機関である。しかし、中国では、裁判所という公権力が大きく変質しており、不動産業者と深い利害関係をむすんでいる。北京市西城区裁判所副所長の李立千はしばしば部下の裁判官を指揮して不動産業者を代表して立退き住民と交渉し、しかも自ら多くの立ち退きを指揮した。そしてこの裁判所副所長自身は北京市西城区金融街建設開発公司立退き担当公司の経理を兼任していた[30]。

 地方政府と不動産開発業者が共生関係をむすぶのは、北京だけのことではなく、中国の普遍的な現象である。例えば、南京では2003年に立退き住民翁彪の焼身自殺事件が起こってから、2004年に立退き担当会社を整理し、12の各区県政府の立退き転居弁公室を公益法人(原文:事業単位)から、企業に改めた[31]。陝西省西安市碑林区の暴力的立退きの主力は西安市碑林区建設局であり、中央テレビ局記者の取材に対して副局長の杜波は建設局と立退き弁公室は「二枚看板、同一人員」であることを認めている[32]。

 政府が公務員を直接指揮して強制立退きに参加することはもっと多い。長沙市の立退きはきっぱりと市立退き弁公室が直接表に立っておこない、住民の抵抗に遇うと、直接警察と武装警察を動員して立退きを拒否する住民を殴打した。立退き弁公室の公務員は公然と立退き対象住民に対して「一人殴り殺すごとに数万円の補償を払っても、我々は開発を続ける」と公然と発言した。軍隊も強制立退きに介入する。たとえば長沙大韵投資不動産有限公司の法人代表胡子木はもともと湖南省軍区財務処処長であり、除隊後軍隊の看板を掲げて開発事業を行い、たびたび武装警察を使って暴力的立退きを行っていた。長沙天園家屋解体公司は長沙市天心区政府労働サービス公司に所属しており、立退き弁公室の職員は天心区政府からの出向である[33]。広東省従化市政府の強制立退きの場面はさらに「壮観」である。2005年3月7日午前8時、市政府は1000人近い解体執行部隊をそろえ、従化市街口鎮小海橋区で暴力的に商店と住宅の取り壊しを行った。この解体部隊に参加していたのは市政府公安局(及び警察犬)、計画出産弁公室、都市管理部門、国土資源局、家屋管理局、法制局、信訪局そして医療人員であった。部隊を率いたのは従化市副市長陳加猛と二人の公安局副局長であった。この日は数名の老人と女性が消防の高圧放水を受けて気絶して倒れたことでやっと中止となった[34]。

 地方政府はさらにほしいままに強圧的な手段で民衆の反抗を押さえつける。例えば、成都市政府は錦江区内の住民を転出させるために、多年にわたって各種の陰険な手段を使ってきた。まず、2004年には先頭に立って抵抗していた李廷恵女史を「違法に陳情にかこつけた抗議行動をし、人を集めて騒いだ」という罪名で逮捕され有罪とされた[35]。つぎに、住宅に放火し、立退き弁公室の職員は日常的に立退き対象住民を殴ったり罵倒したりしている[36]。多くの立退き対象住民はどこにも訴えられないという状況のもとで、追い詰められて焼身自殺という極端な方法で政府と不動産業者の財産の侵奪に抗議しているのだ。たとえば、2003年8月22日南京市府巷同慶里の住民翁彪は暴力的立退きに抗議して、立退き弁公室でガソリンをかぶって焼身自殺した。本人が死亡したほかに、6名の立退き弁公室の職員が火傷を負った。この事件がインターネット上で伝えられると全国を震撼させた[37]。行き場のないところまで追い込まれる陳情者が余りにも多いため、北京市政府はなんと『北京市信訪条例(修正草案)』につぎの条項を書き加えた。「陳情者は陳情受付場所以外に訪問の形で陳情してはならない。国家機関の事務場所およびその周辺・公共の場所に不法に集まり、騒ぎを起こし、取り囲み、国家機関に押し寄せ、公務車両を妨げ、せき止め、交通を遮断し、あるいは自殺、自傷により威嚇してはならない。そうした場合は、罰する」[38]。

 「暴力的立退き」と言う言葉は人々に立ち退き過程での殴打、罵倒、侮辱などの暴力的行為を連想させるが、十分に立ち退きのために使われる暴力の程度を体現してはいない。読者に暴力的立退きの実情をいくぶんでも理解してもらうために、以下に例をあげる。一つ目は立退き強制手段の中でわりと「文明的」な事例である。この事件は遼寧省瀋陽市のダウンタウン和平区で発生した。董国明という名の立退き対象者が立ち退きを拒否したところ、瀋陽蕪湖立退き公司によって家に閉じ込められ、ほぼ1ヶ月近くに渡って立退き会社は董と外部との一切の往来を断ち切り、董の家族が水や食物を差し入れることも禁じた。董国明は立退き請負業者が水も電気もガスもとめてしまった中で、家にあったインスタントラーメン、生のジャガイモ、生のニンジンなどで約1ヶ月間持ちこたえた。この住民を自分の家に閉じ込めた瀋陽市蕪湖立退き公司は瀋陽市政府立退き弁公室の委託を受けて立退きを実施していた[39]。もうひとつの例は上海市で発生した極端に暴力的な事例である。2005年1月9日早朝、上海市開発住宅配分有限公司は徐匯区ウルムチ中路179弄の住民を転出させるために、なんと火を放ってこの家を焼いてしまった。その結果この弄の62号の住民朱水康老夫婦が焼死した。この会社は最近対象住民に立退きを迫る時、ヤクザのやり方を使ってきた。例えば、重民を殴打侮辱したり、水電気を止めたり、住民が留守の時を狙って家の周りに糞便を撒き散らしたり、爪楊枝で鍵穴を塞いだり、大勢で住民の家に押しかけて、住民の持ち物を外に投げ出したりと言うやり方である。多くの住民はこのように昼夜を分かたず苦しめられても、涙を飲んで耐え忍び、ごく僅かの「転居補償」を受け取って出て行く。態度の断固とした住民がいると、この立退き請負業者はブルドーザーで住宅を壊して更地にした。上述の朱さんという老夫婦は転出に応じないので、この会社は彼の家に3回放火したが、地元の政府は知らぬふりをしていた[40]。地方政府の容認と支持のゆえに、この開発住宅配分有限公司はこのように恐れることなく暴力をふるい、このような惨事を招くに至ったのだ。

 一部の地域では、ヤクザ勢力が直接都市立退きに関与している。たとえば、深圳市の陳毅鋒、遼寧省の曲全国などである。これらヤクザ組織を背景にした会社が不動産開発事業行い、多くの暴力的立退きにより、対象住民は恨んでも訴えられない[41]。多くの立退き請負会社はそれ自体がヤクザ組織である。例えば内モンゴル自治区フフホト市城郷建設家屋解体有限責任公司は1994年に設立され、フフホト市都市建設局労働服務公司に所属している。この会社は8年間に30余りの立退き業務を請け負い、対象住民の両足切断など暴力的手段を用いて、純利益400万元余りを得た[42]。

 全国の地方政府の立退き弁公室と政府と関係のある立退き請負業者は似たような行為によって多くの都市住民を家から追い出し、彼らの土地を奪い、連続5年間中国暴利産業トップの不動産業を太らせている。そして、富豪リストに載る中国の富豪と多くの汚職管理を太らせている。

[番号]に示された出典については原文参照。
原載:
http://www.chinayj.net/
StubArticle.asp?issue=060302&total=94

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