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【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

ファスト商品と「記号消費」「欲望」

2010年07月25日 | カルチュラル・キーワード備忘録
このブログには「アクセス解析」機能がありまして、
「ページごとの閲覧数」をたまに見るんですが、
最近は「ユニクロUJ」の閲覧数が多いですね。

■驚きと自己発見

で、今更言うまでもないことかもしれませんが、
ファスト商品(特にファッション)隆盛の本質は、
不況による生活者の先行き不透明感(=不安)による、
節約・倹約意識によるニーズを掘り起こした、ということだけではなく、
生活者に「驚き」と「発見」をもたらしたことだ、
と私は考えます。

言うなれば「自己発見」ということでしょうか。
「賢い自分」「マスマーケティングの餌食にならない自分」。
もちろん、「ユニクロ」にもマーケティング戦略があり、
生活者もそのことをわかっているでしょう。

しかし、自分が心地よく納得できる“モノ”“コト”であれば、
「自分が踊らされている」というネガティブな感情は起きません。

この辺りの心の機微については、「欲望」ということになりますか。
ネットショッピングを始めたことによって、
書籍の購入量が増えたという精神分析の専門家、斎藤環氏の言説を借りますと、

「僕たちの欲望は『欲しい物』、つまり目標が存在するから生まれるんじゃない。『欲しい物を金で(ネットで)買える』という可能性こそが、僕たちの欲望を生み出しているんだ」 (『生き延びるためのラカン』102ページより)



という我々の「欲望」ですね。
所謂、「ヒット」する商品の場合、
商品そのものの価値よりも、
実は、パッケージの形状の新奇さや、
購入そのものの「快楽」というものが本質だったんだよね?
という事例は沢山あるはずです。
生活の「スタイル」ということで。

「商品」を「購入」する快楽と、「使用」する快楽は別物である、
ということを理解されていることが前提ですけど。
やはり数ヶ月前、この書籍(↓)を読んで、
改めてそのことを再確認しました。




■記号消費は消滅したのか?


ところで、佐々木俊尚氏の著作『電子書籍の衝撃』が売れているようです。
私も5月に読んで、多くものを得ました。



前半の電子書籍プットフォームの動向よりも、
中盤のセルフ・パブリッシングの方法論と、
後半の出版業界の歴史と構造のほうが、
マーケティング論として面白かったです。

ただ、経済・社会・文化の変遷によって、
「マス感性」(みんなで一つの感性を共有)が行き詰った、
という論はいいんですが (同書169ページ)、
「マス感性」と「記号消費」をイコールとされていることに対しては、
自分は違うんじゃないかな? と思います。

これは、「記号消費」の定義の違いでしかないんですが、
佐々木氏の場合、「記号消費」を、80年代後半から90年代初頭までの、
「バブル」消費のイメージに縛られているんじゃないかなと。
「顕示的消費」=「記号消費」であると。

自分の場合、もっと広義に考えます。
極端に言うと、
「消費しない」というのも消費態度であり、
「シンプル族」的な消費も、「記号消費」に違いないと思うのです。
特に「関係性」を重視する女性の場合にね。

■追記-ユニクロのソーシャルビジネス(社会事業)

本題とは異なる追記です。

一部の「マーケター」や「経済人」は、
「ユニクロ」に代表されるファストファッション業態を、
“デフレの元凶”のように眼の敵にしてますが、
ファストリさんは、ソーシャルビジネスも展開する先進的な企業です。

『日本経済新聞』7月19日朝刊9面の「経営の視点」は、
「社会事業、ユニクロの布石 貧困層40億人開拓へ一歩」。
(編集委員 井本省吾氏)

ファストリさんが、バングラディッシュで貧困層向けの融資を手掛ける
グラミン銀行と提携されたとのこと。

この提携は単なる“善意” からだけではありません。

「貧困層の人口は世界で40億人。バングラディッシュだけで1億5千万人を超す。貧困層の社会的課題が改善されて経済成長が進む時、潜在市場の開花は大きい。『服を変え、常識を変え、世界を変える』を目指すファストリにとって貧困市場の開拓は長期的に重要なテーマなのだ」(井本編集委員)

「経済の語源は世を治め、苦しみを救うという『経世済民』で、社会事業の意味合いを含んでいる。そこに視点を定めた企業が長期的に幅広い顧客を獲得する」(同)


こういうのを「企業戦略」って言うんですけど、
とにかく、資本主義とは(最高かどうかわからないものの)、
現時点では、エクセレントな“システム”ですね。
中途半端な「良心」「理想主義」や、
能天気な性善説に基づいた「共産主義」の悲喜劇とは対照的に。

かつて、貧困層の宗教を利用し、敵陣営との戦いに組織化し、
使い捨てた挙句、最大の「敵」にしてしまい、
「テロ」られて、泥沼の戦争に巻き込まれた、
(ベトナムでの教訓から学んでいない!!!)
グローバリズムとやらを、独りよがりに標榜する、
某国の「資本主義」は別ですけど。。。

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臨界期-神経の成熟と刈り込み

2010年05月29日 | カルチュラル・キーワード備忘録
■ 「ミエリン」は二十歳まで?

「研究者たちは、音楽の好みが生まれる時期を十代のころとしている。ほとんどの子供が音楽に本格的に興味をもち始めるのは十歳か十一歳のころで、それまでほとんど関心のなかった子も、何となく気を惹かれるようになる」
『音楽好きな脳』 ダニエル・J・レヴィティン著 西田美緒子訳 白揚社 293ページより)

「アルルハイマー病にかかった老人では、初期の兆候の一つとして記憶の喪失が現れる。そして病が進行するにつれ、記憶の喪失はどんどん深刻になっていく。ところがそうした老人たちも、多くは十四歳のときに聴いていた歌なら覚えていて、まだ歌えるのだ」
(同上)

“神経の成熟”だ。

音楽を処理する脳の配線が大人と同じレベルに達するのが、大体、十四歳の頃。
そして、大多数の人の音楽の好みは十八歳か二十歳までに固まる。
まだなぜだかはっきりしていないが、いくつかの研究によって実証されてきたそうだ。

十代の間に、違う考え、違う文化、違う人達の世界の存在に気づく。
⇒ 自分の人生や個性、決意を、親から教えられたことや育ってきた道に閉じ込めなくて済むよう、
  違う考え方を試す。同じようにして、新しい種類の音楽を探す。

そう言えば、2006年初頭、飯原経営研究所時代、「想い出の音楽」調査結果のプレスリリースを出した。
そのPRが、ITmediaさん経由でヤフーさんに渡って、トピックスに掲載。

「“想い出の音楽”を聴いた年齢、平均で18.8歳」

「OngakuDB.com」 のアクセス数は、1日だけの瞬間風速で最高記録。
テレビ局数社から、ニュースで使わせてほしいとの電話。
そんな対応で1日が過ぎた。
しかし、調査レポートは、いつも購入頂いていた日本能率協会MDBさんから酷評。
「マーケティング資料としての価値は低い」
当然だ。自分もそう思った(笑)。
でも、当時の部下の企画を、「面白そうだから、やってミッソーニ」 と採用したのは私だ。
もちろん、レポートは売れなかった。。。(前にも書いたかな?)
“マスコミ(世間)受け”と“マーケティング的価値”とのギャップを、身をもって学ばせて頂いた体験。

その話はいいとして。。。
神経回路が経験に沿って組織化されていく形成段階が“臨界期”の二十代を超えると、ガクンと落ちる。
その後の人生で聴いていく“新しい音楽”は、この“臨界期”に聴いていた音楽のスキーマに同化する。
スキーマとは、理解力の枠組みのこと。

シナプス伝達のスピードアップを担うという、
神経細胞の軸索を覆う脂肪質の物質「ミエリン」の形成は、
二十歳までに完了する。

“神経の刈り込み”だ。

■ じゃ、オッサン向けにはどうするの?

じゃ、オッサンやオバヤン達には、自分たちが二十歳前後に流行った邦洋楽のコンピや、
懐かしの名曲(今に生きる曲ですけど)のカバー集。
(最近のオリコンランキングで、4週連続1位だったアルバムみたいなのね)
そういうのを “あてがって” おけばいいわけ?

「それはそれで必要なんだけどさ、それだけじゃ、つまらんわけよ」
「マーケット・シュリンクの一つの要因じゃねーの? 日本の人口構成比は変わってんのに」

というのが私の持論で、前にも書いてきた

丁度、博報堂生活総合研究所さんが、『生活者発想塾』という書籍を出された。



「数字が表す人の人生」 という章(92~93ページ)では、
若者と高齢者の時間と空間が、わかりやすくビジュアル化されている。
そのビジュアルを、自分で再編集したのが下図(↓)。



このモデルは、音楽嗜好にも応用できる。

“プール”で様々な音楽(文学でもいい)を求める若者。

対して狭くて深い“井戸”で、過去に経験した音楽体験を嗜む高年齢者。

効率的な販促策は、過去のカタログの活用。
それはそれで必要なんがが・・・。

「高齢者の多い社会とは、井戸型の社会です。狭い圏内で、時間の豊かさを大切に暮らすためのインフラが求められます。昨今話題のコンパクト・シティの考え方ですね。そのとき、『懐かしい映像や音楽などを、メディアを通じて配信することで、出歩かない高齢者を幸せにしてあげよう』と考えるのも、一つのアイデア。けれども逆に、『出歩く目的をつくってあげて、活動範囲を広げる助力をすべきでは?』という発想も生まれます
(『生活者発想塾』92ページより引用。赤文字部分は井上が色づけ)

マーケティング的には難しいとはいえ、なかなかいいこと言うよね。
“安全策”だけで終わらせず、こういう先駆的な発想が必要だと思う。

臨界期に形成された「スキーマ」を、ステレオタイプに固定概念化しないで、
「スキーマ」を活かす方向性で、新鮮な“刺激”⇒ 生活の活性化を。

勿論、二十歳の人には、実際の二十歳の感性が不可欠なように、
高年齢者への“刺激”には、同年代のクリエーター、マーケターの感性が必要なんだよね。
(40代、50代のリスナーを満足させるのに、20代、30代のクリエータ、マーケターではまず無理だよ・・・)

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音楽本能と性淘汰

2010年05月23日 | カルチュラル・キーワード備忘録
「ダーウィンは、音楽は求愛の手段として言葉より先に生まれたと確信し、音楽はクジャクの尾羽と同等のものだと見なした。ダーウィンは性淘汰の理論によって、本人(とその遺伝子)を魅力的に見せるだけで、生き残りの目的には直接役に立たない特徴が現れることを肯定したのだ。」
『音楽好きな脳』 ダニエル・J・レヴィティン著 西田美緒子訳 白揚社 319ページより)

このダーウィンの説を、現代社会で音楽の果たしている役割と結びつけたのが、
認知心理学者のジェフリー・ミラー



この人(↑)は、
「追っかけの女性数百人と肉体関係をもち、少なくとも二人の女性と並行して長い間つきあい、米国、ドイツ、スウェーデンで三人の子供の父親になった。まだ避妊という観念のない大昔だったら、もっと多くの子供を作っていただろう」 (ミラー)

ミラーによれば、人間の進化の歴史には、音楽と踊りは密接に結びついているという。

「音楽は求愛行動として進化し、その役割を果たし続け、ほとんどの場合、若い男性が女性を魅了するために広まっていった」(ミラー)
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音楽ではないが、わが国では、万葉の頃より「うた」の伝統があり、
「相聞歌」というジャンルがある。

自分の個人的な好みではないが、
「そばにいるよ」 なんていう歌が流行ったりしていたが、
ネット、とりわけケータイが進化しているこのご時世、
“若者”はコミュニケーションでがんじがらめになるわな、そりゃ。。。

あと、飯原経営研究所時代に行った自社企画調査で、
「女性のほうが男性よりも、“歌詞”を重視する傾向が高い」
という結果を得たが、ミラーのこの説も、裏付けの一つとなるだろう。

で、本題に戻って。
近代のステレオタイプな男女関係の一例。

結婚の決断に迫られた女性が、
芸術の才能はあるが貧乏な恋人と別れ、経済的余裕のある男性を選ぶ。
(こういう“葛藤”は今の世の中で、そう聞く話ではないものの・・・)

これは、「創造性」と「富」の問題。

▼創造性:誰が(子供の父親として)最高の遺伝子をもたらすかを予言 ⇒ 本人の特徴と性格

▼富:誰が(子供を育てるのに)よい父親になるかを予言 ⇒ 外部要因としての経済状態

ミラーと、UCLAで同僚のマーティー・ハセルトンの仮説を裏付けた、ある独創的な実験結果によると、
受胎能力が最高の時期にある女性は、短期間の彼氏や、ごく短い性的関係の相手としては、創造的で貧しい芸術家のほうを選んだ そうだ。

つまり、「生物学的な意味で最高の父親は、子育てで最高の父親とは限らない」ということ。

(1)進化に由来する生まれ持った配偶者への好み
(2)社会的・文化的な影響のもとで生まれた性的な好み

(1)と(2)は、明瞭に(というか定量的に)区別することは難しい。

一見すると“矛盾”のようだが、
そもそも、そういう“矛盾”をはらみながら、
“無意識のバランス”をとって日常生活を生きていくのが人間ではないだろうか?
“富”を選びながらも、“創造性”への希求も捨てられない。
生活は破綻させることなく、欲求・欲望に正直でいたい。

「一夫一妻制」という社会制度に支えられた、日常生活の中、こんな視点も入れながら、
“アーティスト”の存在意義を考えていくべきだろう。
音楽もそうだが、アーティストも必要不可欠な存在なのだ。

昨年、サッカースタジアムで、私の前にいた40代らしき女性二人。
「東方神起! 東方神起!」と大はしゃぎしていた一人のご婦人、
たまたま振り返られて、私と眼が合って、「キャー、ゴメンナサイ!」

別に謝ってくれなくてもいいんですが。。。
見ず知らずの男にも、「キャー、ゴメンナサイ!」と言っちゃう躁状態、
それが彼女の快感なんでしょう。

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