玄徳道

道を語るブログです。

大いなるコメント道

2012-06-17 09:49:54 | コメント道
なんとなーくですが(へっぽこ侍)

自分が体得したもの、悟ったことを素直に文章なり表現しますと、それを読んだ人は、「ああ、なるほどなあ」と心から納得して、すーっとその内容が入っていくと思うんです。本当にわかっている人が、読むなり、聞くなり、見るなりすると、なおさら、その表現された内容の真贋、表現者の境地が見えてくる。どんなに修行が進んでいない人がやれ、神様がああいっている、内在神がこういったきれいごとを並べて騒いでみても、やっぱりその文章なりから、臭気というか嫌な雰囲気なりを感じて「ああ、この人はまだまだなのに、なぜこうもまあ。。。」と首をかしげるんです。孟子さんかだれかが言ってましたが「なぜ、こうもまあ人は、先生になりたがるんだ」です。いっそのこと、真人臥zさんも神様や先人の言ったことの引用をやめて、ご自分の言葉のみで、勝負してみたらいかがでしょうか?そちらのほうが、うまく受け入れられると思いますよ。(コメントより引用です。)

まず、不肖な私にコメントをして下さり、ありがとうございます。本当にありがたいです。
道を学び、歩む者は、先ず、自己を救い、そして、他を救済するのです。その際に自己の悟った事、得た真理は、余すことなく他人に渡します、渡化とは、無償の愛であり、宗教団体、秘教団体のように、「伝授にお金がかかる、お前は修行不足、未熟であるのでダメだ、私の事を崇めていない、私を尊敬していない、信用できない…」という理由で、閉ざしたりはしません。心に真心を感じれば、もったいぶらず、出し惜しみせずに全てを渡すのです。これは、至聖先天老祖が、人類救済の為に御身を人形に現化され、天界に於いて秘中の秘とされる、太乙北極真経を伝経された事でも分かる通り、当に無償の愛なのです。
私、個人で言えば、現、紅卍字会の会長でおられる、正備さんは、不肖の弟子である私如きに、自分が翻訳された、英訳太乙北極真経演義を無償で長い期間、送り続けて下さいました。これがどれほど私の坐を広め高めたかは、言葉には出来ません。この無償の愛に応えることをしていない私は、感謝と申し訳なさで一杯です。

このブログは、少しでも、老祖の意を広めたい。バカで未熟な私ですが自分が得たものを少しでも皆様のお役に立てればと思い書かせて頂いております。
当然に先生になろうと思いませんし、成れません。私は永遠に求道者であるからです。修道は、あくまでも自分が主役です。他人に偉そうなことは、言うべきではないのです。
自分の感じた事、自分の言葉のみで書く事は、自分に酔う危険もあるのかもしれません。伊勢白山道氏も初めは、自分が感じた事、悟った事、霊力の一端を純粋に示されたようですが、信者から称えられ、崇められると、遂には自分のブログを神示と称し、自分のコメ欄を神社、特別な結界があるように言いだしました。
私は、一人の求道者として、このブログを書いております。自分の感じた事も書かせて頂きます。ブログを書くにあたっては、いろいろと文献を調べたり、学びながら書いております。そして、学びがあるから道があるのだと思います。
先人の書や叡智は読むたび驚かされる事も多いです。荘子さんは、先人の教えに真が無い様に書かれておりますが、私は、そうとは思いません。書物に真はありませんが、真を得られる自分自神が在るからです。
へっぽこ侍さん、自分に偏らない為にも、先人の言葉は、ブログに書かせて頂きたいのです。
どうか、これからもよろしくお願い致します。

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