玄徳道

道を語るブログです。

龍神道。

2020-05-07 20:31:15 | 龍道


ここで、述べる。龍神とは、鱗あり、蛇に角が生える存在を述べるのではない。

霊能力者は、龍神とは、八百万の色とりどりの龍神が存在し、天体や自然、宇宙の数程、それが、存在すると述べる。

一方では、龍神を守護神や、守護霊に持つと運気に溢れ、幸せな人生を歩むと。

その反比例としては、龍神を守護神や守護霊として、持つと、繊細できめ細かい、真実の日本神界と距離が出来、人間として

の幸せは得られないと。


また、龍神とは、神の眷族であり、龍神信仰をする存在は、欲得のための、稲荷信仰と同様に、信仰する間はお蔭を受けるが信仰を辞めると、祟ると。




はひふへほ~。

人が如何に解釈し、理屈を述べようが、それに関せず、龍は、その働きを全うする。

確かに人は、通力を発揮し、様々な天象事象に呼応し、その機能を発揮する。

しかし、人が知るは、人とするが、人の心はヤホヨロズ。まさに人は、多義に渡る。そして、未だに、人すら纏められない、人類が、神を語り、龍をかたる。

へへへ。ほほほ。永遠の茶番なり。

私。鬼雷も、永遠の発達障害者。幼稚園時代は、無垢で仲良く出来ても、小学生になれば、主従のごとく、強い人弱い人が出来、強い人にオベッカを使い、誕生日界となれば、お金の使い方が人により、変わる。強い者には高価を。

私は永遠の発達障害者。ゆえに、強い者にも安価なプレゼント。弱い者にも安価なプレゼント。

すみませんね。此処は龍神の話し。

龍とは理屈屁理屈を離れた、純真な、エネルギーの働き。

そこには、信仰により、そのお蔭を受ける事はない。なんせ。宇宙、地球の運行そのもの。

そんな存在に人々は、知識の木の実を食べて、龍神とは、人の使役する存在であると、妄想し、今に至る。
真の龍神を悟る者は、名も要らず、地位も官位も金も名誉も要らぬ存在である。その無慾なる存在にして、初めて龍の当体なる、真龍の心に、鱗氣に触れ、友となるのである。


これを悟り是を知れ。どうか、解って
頂きたいです。

コメント (3)
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