玄徳道

道を語るブログです。

産土神道

2021-05-24 06:53:00 | 神社道
産土神とは、その土地に鎮まっておららる、元来の神である。

山神であったり、火神であったり、日神であったり、水神であったりする。

その土地の主神を産土神と申し、別名を地主神とも云う。

そして、祖先もしくは、自分の出身地、または、その土地を永住地とする、縁と意識は、産土神と繋がり、そして、その土地の産土神が出生から死ぬまで、面倒を見てくださるのです。

ちなみに私は岩手県出身で、今は大阪に住んでおります。

今回は私の住んでいる土地の産土神社へ。歩いて行ってみました。

まず、徒歩で20分ぐらいにある、姫島神社へ。









姫島神社。御祭神は、阿迦留姫命(アカルヒメノミコト)です。
この神社、やり直し神社と呼ばれているらしい。この地に住んで二十数年になりますが知らんかったです。
ちなみな5、6年前に、この社殿の軒下に潜り地盤沈下した、基礎を修理固成、工事したことがあります。

ちゃんと御神霊が一柱おられ、眷族も四体おられました。

次にここから、鼻川神社へ向かいます。







淀川の側にある、鼻川神社へ到着。御祭神は、素戔嗚尊です。

今度は、司馬遼太郎さんの小説に出てきた、野里神社へ。


野里神社本殿

野里戎神社

乙女塚

野里神社です。御祭神は住吉大神です。

私は活字中毒でして、司馬遼太郎さんの小説は殆ど読みした。たしか、「一夜官女」と題名で出て来る神社です。私が二十数年前に結婚して、近くの神社を審神して回った中で、当時唯一、実在の神霊を感得した神社です。故に毎年、初詣で神宮大麻と住吉神社のお札をいただきます。

やはり、御神霊はいらっしゃって、御神霊一柱。御眷族神一柱。眷族二体。

ここから、十三に向かいます。









阪急電車、十三駅の隣りにある神社、神津神社。御祭神は神津大神です。
御神霊が一柱。御眷族神が一柱。眷族が五体。いらっしゃいます。

ここから、一時間ぐらいかけて、田蓑神社へ。








私の家からは一番近い神社。神崎川の近く、佃にあります。
田蓑神社。御祭神は住吉大神です。

この五つの神社を巡り歩き、四時間かかりました。

産土神社を選ぶこつは、安心感と清涼感でございます。心から安らげる神社は本当に御神霊がいらっしゃいます。

その様な神社が近くにない時はどうすれば良いのでしょうか。神は人の真心、誠によく感合されます。たとえ、何も感じない神社であっても、誠心で祈れば、神に通じるのです。

そもそも神とは、金光教の教祖、金光大神が云われるように、「神様は、天や地が真の神である。」
本来、神に姿は無形無く、それをわかり易くし、顕現しやすくしたのが、神社であります。

太古の時代、人は純粋でこの地球、全てが神で在ると直覚的に悟っていました。

しかし、文明が起こり、物が中心の時代となると、それは、忘れさられてしまい、神社、お宮、祠、教会、寺院の様な形あるモノに、拝み拝する対象物となってしまいました。

それは人間の進歩発展の為に歩まねばならない事でもあります。

今、モノが豊かになった時代。御魂返しの時。

物から、心へ。心から魂への回帰。

産土神への回帰は、その基礎でございます。

ああ、近くに神社があれば、是非とも、手を合わされて下さいませ。











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濟公道

2021-05-20 20:34:00 | 神使道
遥か昔。それは、誇大妄想かも知れない。
人には前世がある。魂は肉体の脳と違い記憶力は皆無である。しかし、感合したビジョンは魂に刻まれる。
雪の降る日。私は幼き姿で、歩いて来た乞食に饅頭を与えた。乞食は鋭き、炯々爛々なるギョロ目で私をまじまじと見、ニィと笑い、礼を述べ去って行った。
その眼光が何故か私の魂に刻まれた。


遥か昔。
暴虐と破壊の魔人は多くの人民を虐殺し栄耀栄華を極め、男は地獄へ堕ちた。
そこは、無限地獄、修羅の世界。魂が擦り切れるほどの、闘争の世界。戦い闘い、狂うほど、打ち砕き頂点に上ってもサラナル勁き存在が現れ打ち砕かれる。休む事が許されない。永遠の闘争。魂が磨耗し、無くなるまで続く無限地獄。遂に魂が擦り切れる寸前に頭上に光が射した。


濟仏さんとは、中国で濟公として今でも慕われて、多くの祠で祀られている。日本では、関帝廟があり、三国志の関羽が祀られているが、中国には、濟公も関帝廟のように祀られている。

世の混濁、人類滅亡を救うべく、至聖先天老祖が現化、降臨された時、多くの神仙もまた、世の災刧、混乱から民を救うため、発願され、随い来臨された。その一柱でもある。

ちなみに三国志に登場し、神使神仙として成道された諸葛孔明、関羽、張飛、医者の華佗が道院に来臨され、祀られております。

濟仏=濟公は、中国南宋時代、西暦1148年に生まれ、六十一歳で亡くなった、実在した人物です。
俗名は、李心遠。臨済宗霊隠寺にて、出家し、仏海禅師の弟子となり、道濟と法名を賜る。

道濟、濟仏さんは常に乞食の様な格好をし、汚い姿で常時おられた。

出口日出麿さんも若き日に、修行のため、乞食の様な身なりで過ごされたが、キツかったようです。ご自分も臭いし、差別され、相当苦労されました。
汚い身なりでいると、他人様は、人を見下し本性を表し、人間独自の差別を行います。その人の精神、魂を観ることもなく、自分より劣った人間だと、愉悦し、馬鹿にするのです。
人間とは、自分より劣る人間を見ると、喜ぶ一面があります。
汚い身なりの日出麿さんは、わざわざ、その差別を受け、人間の心の汚さを悟り、それでも人間の本質は神だと信じ、行動されたのであります。

濟仏さんは、汚い姿で、尚且つ酒を飲み、肉を喰い、生臭坊主となり、高貴な身分の権力者や汚濁官吏などを痛烈に罵倒し、諧謔と風刺により、対立し、心清く貧しい者には、その神通力により、病を癒やされ救われておられた。
娼館に良く出入りされておられたようであるが、実は娼妓たちの愚痴を聞いたり、病を治したりされていたのである。

道院発足当時、神仙の濟仏さんの活躍が記されている。
「大正十年頃、中国東北の遼島半島の一角大連で中国人が経営しているもっとも大きく有名な金融機関があり、そこの総経理、専務取締役を劉瀛基と言い、かれの経営する事業は旭日昇天の勢いで発展していた。この方は老祖の弟子にして、道名を英機と賜り、また、大連道院の統掌(最高責任者)に任命されていた。彼は道を宣蘭し慈業を興し、また、道院の発展に尽くし、修人の手本となる働きをされていた。
ある時、藩陽(奉天)に道院が設立される事となり、英機は、フーチの訓により、至聖先天老祖の神位を奉じて藩陽に赴くことになった。
当時、大連から藩陽まで行くのに、超特急の汽車、アジア号があり、搭乗できるのは、政府高官や会社の役員、豪商などの金持ちが多かった。
英機は御神位と共にそのアジア号に乗りこんだ。発車して間もなく、英機は坐と同じように半眼となり、聖号を[至聖先天老祖、づうしゅうしぇんてんらおず]と黙誦していた。
すると突然、隣に誰か座ったような感じをしたので眼を開いて見ると、その人は顔中垢でよごれ、両方の目には疵があり、はだしで、足丸出しにし、衣類も、うす汚れてだらしなく、見るからに乞食のような姿であった。
英機は不快の念を出し、なるべく端の方に身を寄せて、少しでも離れようとしたが、この乞食の男は故意に身を英機に寄せて来て、どうしようもなかった。
英機はひそかに思いました。何故、最新の超特急車のアジア号に、乞食が搭乗できたのか、車掌は何故搭乗させたのか。考えれば考えるほど、腹が立ち、不快感が込み上げてきた。我慢していたら、その乞食は突然いなくなった。英機は不思議な事もあるものだとセイセイした。
藩陽道院に到着して、神位を定め、開幕し壇が開かれた。フーチにて濟仏は老祖の命を奉じて壇に臨まれ、アジア号での出来事を提起され、訓文にて次のように示された。[英機統掌よ、昨日、車中で君の側に座ったのは即ち、この老僧である。君は嫌がって腹を立てたが、君は訓によって神位を奉じ、老僧は命を奉じて神位を護衛したので、それぞれ、お役目があったのだ。たとえ、老僧の容貌がみにくく、衣類が汚れていても、そのように軽蔑してはならない。今後再び、決してこのようなことのないようにせよ。]と英機は、訓を聞いたとたん、全身ゾッとして冷や汗が流れ、心無いことをしたと深く悔い反省された。」

煌びやかな、神使の姿も成れるのに、わざわざ、乞食の姿で守護される、お茶目な御神霊。

また、フーチの壇に臨まれても堅苦しくない。
濟仏きたる。
酒を二杯献ずるのである。
ああ、前回、酒を準備するようにとの指示を記憶していて、老僧の酒を望む心が切実なので、各方はほとんど抱腹大笑し、まさに酒を沙盤の前に献上してあるのである。
ああ、いい酒である。
わたしは酒中の仙であり、また、酒中の聖でもある。
酔って吟ずること数百年、聖と称しても、どんな過分であると言えようか、沙前の二杯の酒、独り酌んで、相親しむものが無いよりは・・・と厳粛なフーチの最中に周りに酒を勧めているのである。

私は濟仏さんを知ったのはあくまでも道院による知識のみです。中国には多くの伝記もあるのでしょうが、余り知りません。濟仏さんを知りたくて、図書館で借りようと検索しましたが出て来ませんでした。

濟仏さんにそれ程、親しみもありませんが、何故か懐かしさがありました。

前世や云々を言ったところで、私には霊感や霊能力もありません。
しかし、長年培って来た坐力が少しだけあるのです。


かつて受けた、眼光。射した光。それは慈みの光。

地獄から神界まで自由自在に行き渡り救わらる、酒仙であり神仙神使。


「あんぐあみとぽいえ」

ああ、濟仏神君は、如何なる場所次元にも飛んで来て、人を能く助けるのである。



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令和三年五月 三六九神示

2021-05-19 20:47:00 | 神示道
新型コロナ終息せず、段々と変化して感染力を増し人民困窮いたしておるが、人類発生以来、もっと厳しい疫病や災害、戦争も人の生命は、乗り越えて、今日まで続きて来たのであるぞ。

すぐ元の結構は暮らしに、もどれずとも、今日までの物の栄に、うつつぬかして来た思い上がりを反省し、先々案ずるより、今なすべき事を一つ一つ果たして、時の流れに任せてゆけば、時の流れが、神の図りであるから、コロナ終息の日も来るのであるから、不安、恐怖に振り回されて、じたばたせず落ちついて、歩まねばならぬぞよ。

浮足立たず、地に足をつけて歩むのじゃぞ。


扨も天御中主の大霊界、大宇宙。この霊体の世界は、五と七の四九三(仕組み)で七りておるのであるぞ。

〇(れい、霊)といい、無と言い、空と言う隠り身の世界に、別天津神五柱の神氣渦巻き、霊なる生命の芽がふき、それより形ある目に見えた、大宇宙なる現(九)の世を困成(つく)る為、国常立尊を始め、豊雲野尊、五代の夫婦の神の次元を経て、七代目の伊邪那岐 伊邪那美の命の代となりたのであるぞ。
天之御中の別天津神五柱、国常立尊より、神代七代の神は伊邪那岐、伊邪那美の命(神言)となりて、いよいよ、島生み、国生み、神生み、万物も人の身魂も生まれて、現(九)の世の形が成りたのであるぞ。

人の知恵では判らぬ長い長い年月をかけての修理固成(つくりかため)であり、今も大宇宙には、五と七の生成化育の神業が行われているのであるぞ。

形に現れた現の世でも、人民コロナで困窮いたしておりても、花は咲き、散りては、新緑の候を迎えておるのであるぞ。


扨も、神代の昔、伊邪那岐、伊邪那美命、夫婦して、虚空の天之浮橋に立ち、天沼矛を指し下ろしかきならし、淤能碁呂島成り、その島に降り、天之御柱を見立て八尋殿を見立て、島生み、国生みをなし給いし、その天浮橋を地に写したのが、天之橋立であるぞよ。

それ故、天之橋立真名井ヶ原の磐座には、世の元の国常立尊(豊受氣神)も伊邪那岐、伊邪那美命も祀ってあるのであるぞ。

伊邪那岐、伊邪那美命、和合いたして、神も人も万物を生みなしたのであり、それが、現の世の陰陽、夫婦の道の基であるぞ。

和合いたせば、新しき生命を生み出すのであるが、世の争いの元も伊邪那岐、伊邪那美命の争いであるぞ。

縁深き者は和合いたせば、新しき生命を生み、縁深き故に争うのであり、縁無き者は荒そう事も無いのじゃぞ。

今の世界の様も、米国中国の争いも縁深き故でありて、その事に互いに気づき共に和の道を開くように、つとめれば、素晴らしき世界の開きも出来るのであるぞ。

皆、我が我がで、争い傷つけあいておる事の愚かさに氣づかねば、ならぬぞよ。

相争うのは、縁深き故である事に氣づき、足らざるをおぎない合いて、和合いたせば、飛び散る火花も闇を晴らす光を生む事となるのであるぞ。

火花を散らす者を和合させ光となすには、片寄らぬ仲立ちのはたらきがいる。

それが、白山菊理比咩の神の働きであるぞよ。

争いに明け暮れる世界の中に、この日本が相争う者等の和解の仲立ちの役を果たし、飛び散る火花や熱を光に変えてゆかねばならぬのが、これからの道であるが、まだまだその役を果たす者が出ておらぬから、日本は大国のはざまで媚びへつらいながら、神の言う事を聞くどころか、金の力で振り回されておる。

あわれな姿であるが、良く良く思いなされよ。

陰陽の電気、直接つければ、火花を散らすが、真空の中で、発光線を通せば、光となるのじゃぞ。

真空即ち、真澄の心となり、争う者の中に立ち、火花と熱を光となす大役を、この日本にさせてやりたいのが、神界の願いであるぞよ。

人類が、この地球に生まれたのは、我が身の我欲を満たす為で無く、神人和楽の世を開く使命を、それぞれの御魂に授けての事である事を少しでも覚らねば、誰もかれも、栄耀栄華の暮らしを求めるばかりでは、現の世は滅びてしまうぞよ。

人間だけで無く、万物とも共存共生の世と開かねばならぬぞよ。

終息せぬ、コロナも先に示した如く、まず焦らず、目先の今なさねばならぬことをなし、おろおろ、ドキドキしながらでも、良い。

不安共生の精神で時の流れ、神の図りに任せてゆく事であるぞ。

それぞれの御魂の親神も常に見ておるのであるぞ。

形ある物金のみに救いを求めるか、神を信じるかの大きな勝負の時であるぞ。

今日までの人類の思い上がりに少しでも、きづきてゆけば、コロナも終息いたすぞよ。

形にある、現の世を造りた、国常立の大神は、人類の思い上がり好きほうだいの今の有様、見るに見かねて、立替立直しの神氣激しくいたしておる、今の世である事を知らねばならぬのであるぞ。

我や欲の張り合い、程々にし、恵み合い、助け合い感謝の道を開いてゆくのじゃぞ。

荒れる世界であるなれど、因縁の御魂の者には、五用させ、神の四九三は進みておるぞよ。

五、七の、四九三で神界の四九三、九(こ)の世に写してまいるぞよ。

言霊神也

ン。


令和三年五月八日


天橋道士 龍華斎修聖拝写
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令和三年五月八日。小長谷修聖、三六九神示 霊視編

2021-05-18 18:46:00 | 神示道
平成二十六年秋、木曽の御嶽山の様が見え、噴煙はもくもくと大きくなり、仁王様の如き形となりました。

(注 大噴火にて、多くの犠牲者が出たが、御嶽山は、国常立尊の鎮まり給う神山であり、富士山、白山と直線でつながる日本でも重大な奇路[神線]の上にある山であり、国祖、国常立大神の世の立替立直しの神業厳しくなる警告であったのであろう。今も神の業は進められて、国常立大神御活動である。)

次に、三河一宮、砥鹿神社の神体山本宮が拝され、山頂に大きな国旗掲揚台があり、日の丸の旗が、へんぽんとひるがえり、その柱の根本に、不思議にも無数の子蟹が集まっていました。

そして本宮山にある、荒はばきの神(長髄彦)の磐座の前で、出口聖師が白衣にて、磐笛を吹き、神事(本宮山の岩戸開きか)をされていました。

(注 三河の国は蟹の形であり、その子蟹は三河湾の佐久島である。
戦後、日本[蟹]とアメリカ[猿]を示した猿蟹合戦の型を示されているのが、三河の国であり、三は、縦横高さで六面体の現の世が成るのであり、〇[霊]より体を生ずる始めの数が三であり、三次元に神仕組みを現す、型示しの国が三河であり、三河神業は、神意の実りの為、大事である。
三河の国は親蟹の型、猿を退治する、小蟹は、佐久島であり、日本の国を守らむとする、真澄人の姿である。
砥鹿神社の祭神は大己貴命とされるが、本宮山に天照国照彦火明命[ニギハヤヒ命]同族であり、部下である長髄彦が祀られている事は、大己貴命の裏の真の祭神は、彦火明命であろう。
鳳来寺山を龍宮乙姫とすれば、本宮山は天照国照日の出の神に縁の山であろう。)

(注 長髄彦=大和国津神であり、その御妹、登美夜毘売は、ニギハヤヒ命に嫁して物部氏の祖、宇摩志摩遅命を生み給う。
長髄彦は、登美毘古とも申す。亦、荒はばき命とも申す。)
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西の宮の神道

2021-05-05 13:47:00 | 神業道



兵庫県西宮市にある西宮神社。






祭神は蛭子大神。
昔、鳴尾の漁師が網にかかった神像を拾い、その神像の御告げにより、この地に祀って出来た神社てあるようです。






私にとって、西宮神社は優しくて、よく参拝しておりました。しかし、十年?ぐらい前に祈祷殿を造る工事が始まりました。池の水を全部干し、立派な祈祷殿が出来上がりましたが、御眷族の数が減った様に思えて、悲しかったのを覚えています。

エビス神 又の御名こそ 形なく 万物を利する 水となるなり。

ひるこ神 仕えまつらん 前の世に 授けし玉は いずこにあらん。

此処から妙龍寺に向かいます。



 


 



妙龍寺。

この隣りにある磐座へ参拝します。



私のルーツ。マハカーラ 大暗黒天の磐座と私が勝手に祀っております。そうです。私は変なおじさんなのです。

この辺りは女神(目神)山と言って巨石磐座が満載にして、甲山と向かい合う、小さい神の山でした。今は住宅街ですが。

すぐ近くには越木岩神社があります。





越木岩神社です。
祭神は蛭子大神とされ、北の戎と呼ばれています。

甑岩へ向かいます。









此方がメインの甑岩の磐座です。

昔、大阪城築城の為に大名が磐を割ろうとしたところ、磐の間より鳴動し、真っ白な霊気が立ち登り、石工達は倒れ臥し、どうしても運び出せなかったと言われております。

ちなみに此処に初めて参拝した頃、御眷族の怒りを感じ、その理由は、隣りにマンション建設の事業が起こっており、その土地にも巨石磐座が残っておりました。計画ではその巨石を破壊するとの事でしたが、二十年ぐらい経っていると思いますが、未だにマンション建設の計画が頓挫しております。


貴船社。


稚日女命の磐座。

瀬織津姫の織りなせし 太占奇路ぞかしこけれ 瀬織津姫の織なせる 神の奇路を括るのは 白山比売の神の業 括り結びて鳴り成らせ 色つけ形に現すは 丹生都の神と言うならむ。





此処で水業の為の御水を頂き、磐笛達を沐浴させて貰います。


此処から、鷲林寺へ。









六甲山の湧き水です。汲んでいかれる方を見かけます。





鷲林寺。本尊は十一面観世音菩薩です。
牛女の噂がたち、ホラースポットとされた事があるようですが、笑止。




この地には大鷲の姿の麁乱神と云われる土公神がおられ、弘法大師空海により、調伏された、由縁があります。

様々な伝承がありますが、麁乱神は天地自然の精霊でもあり、土地神でもあり、空海により、観音の御位を授かったとも言えます。





この荒神堂の裏手の山を登ります。



吾が友である麁乱神の磐座です。私が勝手に祀っております。そうです、変なおじさんだからです。

此処から甲山が一望できます。



そして甲山へ。



甲山は、兵庫県西宮市にあり、古い火山の跡地でもあるが、神功皇后が三韓征伐の甲冑を埋めたとも伝えられ、修験道の開祖、役の小角が弁財天を祀ったともされる。









神呪寺は、真名井御前が宮中を抜け、六角堂で修行、西宮宮神社、廣田神社からその神奈備山である甲山へ入られた。妃は、弘法大師空海を招き、我が身を写して、如意輪観音増を彫らしめ、神呪寺を開基したとされる。

甲山 神の御山よ 六甲の山 降りた神示を 受けて立たなん。

澄みわたる 六甲の山 古き道 見つけてしがな 己が魂。

私の神業の原点の山であります。

甲山へは登りません。頂上は禿げてあり、この山は眺望参拝が一番だからです。

最後に廣田神社へ。










廣田神社です。祭神は天照大神荒魂であります。向津姫とも呼ばれており、又の名を瀬織津姫大神。

私が神に依存心があった期間、この神社に来ると頭が痛くなりました。何故か参拝するけれど、ずっと嫌われていると感じていました。

私が内鳴る神を覚えてから、六甲神の道を歩んでからは、そのような事が無くなりました。

この廣田神社にある御神水は、磐笛達を沐浴させたり、水を頂いて水業に使わさせて頂いております。

あめつちに 祈りて人を 待ちつつに 永遠に眠る 仕組みの神ぞ。

心だに 誠の心を 持ちたらば 古への宝 我は授けん。

















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