玄徳道

道を語るブログです。

日の出の神の道

2020-03-30 20:28:51 | 言霊
日の出の神の神霊の出現は、太古では、天之峰火男神(アメのホホオノカミ)神と成る。大和と認識する時代では、天照太御神(アマラスオホミカミ)として、出現した。

古代、日の出の神の働きは、天皇の働きともされた。

天皇の出現とは、天なる時勢の意識を得る、国の首長を述べるのである。

蓋し、中国の天子思想とは、異なるが五十歩百歩でもある。

もし、天皇に神力の神髄を表せば、世の安寧を得られる。

しかし、時代は移り変わり、世の権限の譲渡があり、国主より、民草へと移行する。

故に、御魂返しの神法が明治から昭和にかけて降されたのである。

御魂返しとは、権力が最高の位地であったのが、神力が最高の、地位に撞くことを述べる。御魂返しの神法に、個人の思想は関わりあいが無い。即ち御魂返しとは、民草が内なる神へと目覚め、神と直接、マグワウことを述べるのである。

扨て、人が内なる神へ目覚める意識への言霊を「はるちうむちつづち。」と述べる。

この言霊は、太陽への顕現化の意霊があり、太陰との相対的意識へと繋がる。

ゆえに、太陽の精氣を月の精氣を喰らう秘法に適用される。

天地の呼吸を調整される神仙より、笹目秀和老人はそれを伝授された。

それが後年、深見青山著「強運」と呼ばれる書物にそれが、書かれていたために、笹目老人は、その著者に対して、天機なる、言霊を漏らしたと怒ったと聞いたことがあるが、真実は如何に。


はるちうむちつづち、なる言霊は、実に、出口日出麿さんによる、著書(実際には手書きのノートであり、その聖筆を大本教団が書籍化された。)信仰覚書に先に書かれている。

はるちうむちつづちの言霊と同じ働きを、もたらす文字がある。面白い。
それは、サムハラと、述べ、人類に於ける不思議な働きにを司る。

サムハラとは、地球創世記に人類を守る守護なる役目を与えられた、金龍王。

それを天の叢雲莖龍王と称される。

古代から、太古に駆ける神代文字には、神界からの勅が存在し、サムハラの文字はそれに当たる。

しかしそれは、欲望を叶える存在では、無い。

人間の欲望がサムハラに求めるは、守護。

しかしサムハラが求めるは、人類の覚明による自立。

神が人に求めるは、ナンセンスであり、文字や言葉、意識を超える世界でもあり、汝の自覚あるのみ。

さても、太陽とは地により(影と成る意)、現れ沈むなり。育み滅ぼす。陰陽ある存在でもある。
砂漠の灼熱、インドの熱帯地方では、太陽とは地獄であり、太陽神よりも、夜の月神が尊ばれることもある。

人は、太陽神とは、絶大な神と想起するが、実に日の出の神とは、苦節の連続である。

出口日出麿さんは、高見元男の時代に、純粋にそれを悟っていた。故に謳った。


日の出の神に奉る歌声。

「みこのかずにはいらずとて 太平洋の一つ島 よもつの島に流されし 那岐那美二神のご総領 あしにまかせてあし舟の 流れ流れて四方の国 世のことごとくを経めぐりて いつかはみよにいづのめの 深きしぐみの玉手箱 あけはなれたる朝ぼらけ 不二のみ山に立つけむり げに日の本の神姿なれ

竜宮の乙姫と 誓ひも深き海の底 底ひも知らぬ皇神の 誓ひも、深き海の底 底ひも知らぬ皇神の情けのむちにうたれつつ 家なき里に帰へりては 心もとぢぬ冬氷 春風吹けよ東風来よと 待ちこがれたるみろくの世 一度に開く白梅の かをり床しき朝かな。


三千歳に咲くてふ桃の今年より
開き初めけむうれしさを 何につつまむからごろも たもとゆたかに舞はむかな 袂ゆたかに舞はむかな。」


兵庫県西宮神社の御祭神は、蛭子は、日留子。即ち日の出の神である。同じ兵庫県の金鳥山中腹にある、保久良神社も祭神は、珍彦こと椎根津彦命、即ち、この神も日の出の神の一柱となるのである。

日の出の神の出現意義とは、民草を我が子の如く救う、稀な弥勒の神なのである。





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安寧道

2020-03-17 20:18:46 | 天道
やれやれだ。

道院に秘咒あり。それは、神化咒と述べられ、かつて、道院の東京統掌の笹川正謙氏より、漏れられた。

そして、全ての神を総動員するとされる秘咒は、ある宗教団体により、九頭龍秘法とし、利用されてきたが、世に平穏は訪れる事はなかった。

鎮心経も然り。

道院の秘咒秘経は、真があり、誠心ある、坐する、老祖の弟子にのみ、降下され、その伝授を以て道とされる。

ただの人が、ただ、唱えれば、災いを祓い、幸せが遣って来るだけの咒では、無いのである。

汝らは、知らない。神咒や経を勝手に唱える功罪を。

己の欲に唱えれば、それが、家族の為、会社の為、愛する、恋人の為であろうとも、その代償がはたらくが、因果律がある現代の世でもある。

鎮心経を唱えれば、コロナウイルスに罹らないのか。否。人の息により罹るなり。

もし、貴方が、コロナウイルスに懸かりたく無い、台風を収めたい、自然災害を収めたいと考え、鎮心経を唱えても、その意識は、地球の自浄である、自然の働きを阻害する動きでしかない。

人類は人至上主義ゆえに、たかだか未知のコロナウイルスにより、迷妄する。

故に、人の心と呼応し、天変地異により人々は自然の災害に呑み込まれる。

地球を愛するならば、地球意識に、触れねばならない。

当然、人の想念やその意識を超える超意識。それに触れねば、地球意識を感じる事は無い。

他人のマスクよりも、我が家族と一族のマスク。

人の糞拭く紙よりも吾がウンコの紙。


ふふふ。

文明が開かれれば拓かれるほど、弱肉強食。


これを体主霊従、獣の世とも申すなり。

何度も述べるが、老祖より発生した、経咒は、ただ、暗記し、唱えるだけの存在ではない。

坐を通じ、道に至り、真を発し、吾が道を得る。そして誠なる人へと至る道でもある。
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コロナウイルスによる人の道。

2020-03-07 18:29:02 | 人倫



人がかつての偉人の言葉を守り、自己の道を示されれば、世の災いとされる、未知なるなるウイルスも人類への寄与でしかない。

しかし、人は、おののく。


ウイルスによる、病気を得るを恐れる。


やれやれだぜ。地球が開発される以上、埋もれるウイルスは、世に蔓延る。


三千世界一度に開く梅の花。

小長谷修聖老翁は、梅とは、埋められた御魂とされたが、埋められたウイルスでもある。

人類が地球上で生息する以上、ウイルスは、日々進化し、日々人を依り代とする。

人は死ぬ。寿命あり、病あり。


そして。けだし、人は、死する存在である。

我が愛する家族が死ぬ事を認めぬが、人の愛欲。


あまねく、人を襲うが病魔。これは、永遠の疫なる氣の発生。

この疫氣の発生は、地球回転と人類の行いに依る、ハーモ二ー。即ち因果応報である。


巨大な文明、万能感のある医療世界では、必ず、それに反抗する「抗魔」が働く。

今、コロナウイルスによる被害で隔離されるは、年配者、持病のある方。肺への攻撃は確かに厄介である。自然界に淘汰がある以上、コロナウイルス限界値が衰えるまで、養生を道とすべきである。

他の健康的な方は、大いにコロナウイルスを受け入れるべきであろう。

そこで死するは天命。生きるも天命でもある。

ウイルスは、人智を越える存在。その
仕組みは、悪魔の仕組みでもあり、神の仕組みでもある。

「小人、窮すれば、乱れる。」

これは、孔子の言である。そしてこう述べる。

「君子は基より窮する。されど乱れず。」

天子より庶民に、至るまで、いっしに修身を以て道とする。その元乱れて末治まるは、未だこれあらざるなり。

やれやれだ。

日本人にある本質と強さは、大和なる調和なる道。その基は、人々にある、自然への回帰なる道、自然への感謝する道。思いやる慈愛、仁道。日本原初よりの神道。

たかだか、新型のコロナウイルス。

されど、これにより、マスコミの煽る恐怖により、自己を見失う人々たち。

さらにさらに、やれやれだぜ。聞けよ。

日本の根源なる機能とは、咀嚼力。

日本土着の民族と数多の世界の多民族の血により、日本神界が顕現される。

島国日本とは、正に、地球人類合血の民。古代ユダヤを逃れた漂流民族の落とし子なり。故に神の国と、神が称するのである。

進化したコロナウイルス。これも、十分に咀嚼し出来るのである。雛型は、地球の八百万の宗教を受け入れた、奇跡があるからである。

何度も書くが、病魔を怖れる者程、疫魔は、因るのである。

是を知れ。




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愚かなる人道

2020-03-03 19:46:55 | 人倫


コロナは、五六七。

かつて、大本神業により、世の立て替え立て直しを唱えた、出口王仁三郎、尋仁聖師は、霊界物語にて、弥勒を五六七と数霊で述べられた。


是に意義を見出だすが人。


コロナウイルスの初期はかつての昔に発見され、今でこそ、超有名となっているが、今の世の新型、コロナウイルス。

それを弥勒の数霊である五六七に、その意義を妄想する。

真に神の道を歩む者に、虚言と語呂合わせに、真義なく、ただ、世の安寧を臨むのみ。


されど、今の日本人は、流言に惑わされ、人の糞を拭う紙をマスクと混同し、
我が糞を拭う紙を優先し、他人の糞を拭う紙を思いやる事なく、他人の糞を拭う紙を、奪うなり。

これを「我良しの世(体主霊従)。」と申します。


天知る地知る、吾が知る。


人類の終焉が、近いと言う事だ。


やれやれだ。


ノアの方舟は、人を生かす、神の機関。

いっそ、死んだ方がマシの氣幹。


三千世界、一度に開く梅の花。


国祖は、嘗ての世において、幾度の機会を示された。

人類は愚かで、幾度も何万会も、失敗する。


如何に、人の智能が上がり昇ろうとも、我良しの思考により、今まで得た糧が奪われ返るのである。

はあはあはあ、やれやれだぜ。
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