玄徳道

道を語るブログです。

玉置神社道

2020-09-27 12:27:28 | 神業道


熊野を開かれたのは、神倉山に坐す彦火明命の御子、高倉下命(天香山命)である。

出口王仁三郎聖師は、熊野の神を尊崇され、それは神素盞鳴尊との神縁であろう。

王仁三郎聖師は熊野本宮までは、参拝されたが、この奥に重要な聖地があると申され、それは、玉置神社の事であったが、玉置神社へは参拝されなかった。(by三六九神示より)

かつては、秘境にあった聖地も車道が開かれ、観光地の如くなり、神に呼ばれなくても誰でも行ける神社となりました。

私が初めて玉置神社の事を知ったのは、今から二十五年前ぐらいの神戸寄修所(今は消えた道院の組織)にて、金光教主ゆかりの道院修方が来られ、その方は玉置神社の宮司をされておりました。

話を聞いたとき、同修のシタテルヒコさんが、玉置神社とは神業のメッカであることを述べられていました。

当時の玉置神社には稜威会の方が沢山来られたと言われておりました。

当時はその程度の認識でした。

観光地化が進んでいるので、日曜祝日には、玉置山の車道は混雑しております。

mixiのマイミクに玉置神社の神使がおられ、その方の機縁により、私も連れて行ってもらいました。

玉置山へ登る途中には、玉置龍水社があり、此処でお水を賜りました。
その時に磐笛を拝受。


玉置神社での極めて高い神域とは、やはり、玉石社になりますね。

玉置大神。その働きは人間には、表現出来ない、天地貫通力。

神業者や修験道にとって、この奥の院は、想像もつかない程、行を積み、果を得、徳を得て到達出来る聖域である。

当然に只、参拝するのみでその功徳を授かる訳もなし。

本人の至誠努力。社会生活に於いて、己に打ち克ち、尚且つ、貫く信仰力。
自己の魂の顕現により、始めて感合する。



自己の魂、玉置の神との感合、合一となる瞬間、惟道神貫通力が発揮される。と考えます。