goo blog サービス終了のお知らせ 

玄徳道

道を語るブログです。

お知らせです。

2025-08-08 20:42:00 | 旅行
gooブログ終了に伴い、引越しする事と致しました。

文字は文化にして、伝統であり、日本語とは、実に精霊語、自然語でもあり、日本の多くの書物は宝物でもあります。

その日本の若者には、本を読む習慣が無くなりつつあります。

私の若手の部下は、アニメは見るけれど、漫画本は読まないと。

何故って聞いたら、文字を読みたく無いと。

漫画本の文字すら読みたく無いと。

まあ、ごく一部の人かも知れませんが。

活字中毒の私としては、文字無き世界には、地獄でしかありません。

gooブログが終了するのも、利権なく、儲からないからでしょうか。

損得を求めるのは、企業ですが、健全な企業とは、利益のみを求めず、人の幸せを求めるなり。

今まで、私の拙い文章、誤字脱字ありのブログを読んでくださりまして、誠にありがとうございます。感謝でございます。

アメブロに引越しを致します。

アメブロは昔から知っていましたが、はてなブログは、全然知らないブログなので、取り敢えず、アメブロに引越すべく、チャレンジ致しました。

私は、パソコンは持っていないので、アイホン(スマホ)にて操作しました。

もともと、アナログ人間なので、dアカウントってなんやねん、と躓きながら、暑い最中に、ハイボールを飲みながら、ワケワカメ状態で作業していたら、何とか、アメブロに引越しする事出来ました。


「誠は天の道なり、これを誠にするが人の道なり。」

今まで、フォローしてくださった、希少な御方々様、ありがとうございました。

また、宜しくお願い申し上げます。





コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊界物語拝聴道2

2025-07-19 17:09:00 | 霊界物語
霊界物語を坐しながら、拝聴していると、高姫や黒姫の固執による、馬鹿話しが多いです。(現状、40巻までです。)

また、イケメンであり、多数の女性、また、妹とも関係を持っている、国依別命(宗彦)なども、改心しては大活躍され、その友にして、農家の田吾作(玉依別命)は、その国依別の妹さん(お勝)を嫁ともらい、共に大神業を為す。

悪役の高姫、黒姫にも、子供がおられ、一時の求愛による私生児あり。

その私生児こそが、弥勒神業にて活躍する。

神は、大悪を為す者にも、チャンスを与えて大善を為すが、真実なり。



鬼来述べる。
道を歩む者は政治的発言を控える、されど、日本人を貶めるやからには、ハッキリのべるなり。。。
石破れの人相は大悪。
何故なのであろうか。

神に即されていないのみ。

癩病式典に、来ないのは、人を思い遣る心無し。また、それに出ても人気を得られないから。
彼をもって、八岐大蛇と唱えても問題なし。

されど、黒姫は、渡河するときに、自分の本然を大蛇とし、愛する高山彦に自身の醜い姿を確実に現しておりますが、極まるところ、つまり、高山彦は、黒姫を愛しております。

岩場、言わば、石ば、悪く言われて良くなる仕組みなり。

人は神の神子。

好き嫌いで述べるは、罪なり。です。

ごめんなさい。
 

霊界物語とは、正に、救いの書。三十五万年前の神人が、現世と同様に悩み苦しみ、業炎を背負い、善言美詩を以て言向け和す愛と誠の精神を解かれる。

35巻では、黒姫は、ハズバンドなる、高山彦(初婚であるが、黒姫はその前に出産経験あり)に離縁を攻められ、旦那執着する黒姫は、旦那を連れ戻す旅に出る。

旅の途中、黒姫は人型の狐の出産を助ける。

様々誤解あり。

されど、高山彦と黒姫とは、実に、玉依別の父母であり、初恋同士であったとか云々あり。

黒姫は、何巻か忘れましたが、高山彦の目の前で、大蛇に変化する事は先に述べました。

そもそも、蛇は、アダムとイブをそそのかした、悪神でもある。

しかしだ、日本神界では、神様の眷属は蛇、狐、天狗とされる。

龍神、麒麟は、眷属神であるなれど、人とは関わりは、少なし。

三輪大神は、蛇神とされるが、その正体は眷族なり。龍神、黒龍とされるが、如何に。

三輪の大神とは、太陽神にして、饒速日之神にして、日の出大神。日出るところに影あり。即ち黒龍なり。

人を守る為に敢えて、蛇神とする。

扨て、三十六巻、弥勒巻では、無住居士が述べるなり。

無住居士とは、生まれたところを知らず。親も知らず、子供もいない、天下の浮浪人なり。

これは、大本神が述べる「神は万物普遍の霊にして、人は天地の経綸の司宰者なり。神人合一して、茲に無限の権威と実力を発揮する。」に繋がると考えます。

バラモン教のサガレン王は、易性革命の如く、禅譲の如くに、狂人とされ、王位を奪われ、野に降った。

その犯人は日本の皇室を奪おうとされた道鏡と似ている、ウラル教の竜雲。王妃である、ケールス姫を誑かし、自らが王となろうとした。

サガレン王の賢臣である、テーリス、エームスは、竜雲を破る為に、部下に武術を修されていた。

無住居士は、テーリス、エームスに武術訓練、戦いによる革命の愚かさを悟らせ、また、味方の中に間者あるを見抜き、サガレン王に絶対の忠義を尽くすのは、誤りであると述べる。

「いずれの道に入るも、誠の道に変わりはない。その事に別に咎めもありますまい。

さりながら、そこまで真心を尽くして王の為に努めむとするならば、至上至尊の神さまの為に、なぜ真心を尽くさないのか。

神第一と言う、教えの真諦を忘れたのか。

左様な心掛けでは、何程、千慮万苦をなすとも、到底駄目だ。

神の御力にすがり奉りて、サガレン王を助けむとする心にならば、かの竜雲ごときの曲者は、物の数でもあるまい。

誠の神力さへ、備はらば、竜雲如きは、日向に氷をさらした如く、自然の力に依りて、自滅するは、当然の帰結である。何を苦しんで、数多の同志を集め、殺伐なる武術を練習するか。

武は如何に熟練すればとて、一人を以て、一人に対するのみの働きより出来まい。

無限絶対の神の力に依り、汝が霊魂の上に真の神力備わらば、一人の霊を以て、一国の霊に対し、又は、億兆無数の霊に対しても、恐るる事はなき筈、又、霊力さへ、完全に備はらば、汝一人の力を以て、億兆無数の力に対し、また汝一人の体を以て、億兆無数の体に対抗し、よく、その目的を貫徹する事を得るであろう。

ちなみに、霊界物語では、鎮魂法をもって、人の病気、怪我を治す。

三十五万年にも鎮魂法が確立していましたね。。。

鎮魂の神懸とは、転霊の法であり、鎮魂とは、自らの魂を主神(中孚)に至らせる。

太古の鎮魂とは、古神道的、儀式に重きを置かず、先天坐法の如く、無為自然をもって行う、瞑想であるとも考えます。

聖師は、先天坐をもって、鎮魂神懸法としようとした所以に、道院の笹目秀和老人を、大本との繋ぎにしようとされた。(大本初期の鎮魂法は奇異を好む修行者により、邪神界、凶党界から絶えず関係が保たれた。ゆえに、すぐに、天眼天耳通が開かれた者多く、奇術を好むが故に、脱線し、事故を犯された。
出口聖師がゆえに、霊力により、マガゴトなる、霊能を持つ人全てを封じ、鎮魂帰神法を禁止された。その経緯は霊界物語三十八巻三十九巻にて述べられております。

また十和田龍こと、出口和明先生の「大地の母」著にて詳しく述べられております。霊界物語より、年代別に序列されておりますので、興味ある方は、読まれるが良き。

故に、無形にして、絶対に神懸が無い(自然ゆえに。)、先天坐法をもって、鎮魂帰神法と試みた。

なんせ、先天坐とは、無形。坐する形坐があるにしても、継続すれば、無となり、無益となり、無数となり、無限となり、無音となる。真なる音は、人の耳に聞こえざる。

仁尋聖師は、笹目老人に大本との繋ぎを頼まれたが、秀和老人の天帝から与えられた道名にあるが如く、「和に秀でよ」と修道の目標とされるが、常に短気にて、大本教主に直諌してしまい、大本三代教主直日氏(道名は、耀宗)を怒らせてしまったようだ。(東京道院月刊誌、大本信徒に問うにて。)もし、大本教主が柔軟であれば、神定の四代教主を直美さんを排斥し、聖子さんにしなければ、なんて事はありえないが、今の大本信徒も、もう少し幸せな、大本人生を歩まれたであろうかな。実際に、聖子さんは、大本教主拝命後に、寿命を削られた。

さて、道名とは、至聖老祖が降らせた、人へのテーマなり。王仁三郎聖師の尋仁とは、たとへ極悪人でも、どんな存在でも、愛されねばの意を含み、出口澄子氏の道名は承仁にして、どんな極悪人でも受け入れねばならない愛を、修道の目標とされる。耀宗とは、その元に陰日向を造ることなく、偏見無き太陽とならねばならぬ、目標が老祖から示されておられた。

さてさて、縄文時代にも磐笛があるが如く、音霊をもって神に繋がるが、法の一つ。そして、日本は神国、善言美詞の言霊を、以て、言向け和す、愛と誠の精神、これこそが、最大の神法なり。神術なり。

霊界物語の主題とは、「人は常に神と共に在り。」神に感謝するは、当然としても、無抵抗主義を示し、歌をもって、人を改心させる。
常に、見直し書き直し、身の過ちは宣り直す。
誰が悪いのでは、無い。ただ、神様の為にひたすら、行動する。


坐中に、霊界物語を拝聴すると、氣が、大地の集まり、いとも簡単に回転するは、不思議なり。

本当に宣伝歌は歌うと気持ちが良い。

ああ、かんながらたまちはへまして

たとへいくさが起ころうとも

たとへ人の心が乱れても

この国こそは、神の国。

誠のちからが、世を救う。

ああ、かんながら、かんながら、たまちはへませよ。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊界物語拝聴道1

2025-06-30 21:13:00 | 霊界物語
世は、ユダヤ主義か、欧米主義か、いすらむを酷く虐める。

無抵抗なる、人を殺すは、キリスト教なのか。

いやいや、テロなる聖戦を薦める、イスラム原理主義が元凶か。

馬と鹿さん、どもよ、聞け。

全ては、人の我良し(いいくらす奪らえ獲る)に依る。

それだけだ。

即ち、自己を正義とするは、悪魔。

即ち、自己を悪役とするは、中庸。

まあ、考えよ。

自分の行いは、すべからく、神の域(息)では無い。

人は、己の未熟さを悟るべきである。

人の自我とは、我が糞は臭く無い。それと同様に、自分の糞も死ぬほど臭いのに、自信を持って、自らが正しいと断言するが誤りであります。

自身の愚かさが理解出来ることを悟りとも言い、改心とは、ただ、直日(本当の自分自神)に見直し、聞き直し、身の過ちは宣り直し、する事を言う。

扨て。

先天坐は、玄胎に至る

霊界物語は、神界、霊界、人界、三界へと至る。過去未来現在の時空を超越するが故に、五六七の書なり。

死後、輪廻から羽成れ、三界にて、神様の使命を受けて、働こうとすれば、先天坐は元より、霊界物語にて、御魂の恩恵(ふゆ)、即ち、元神(魂の器)の大道を広げねばならないと考えます。

さて。私自身の信仰による、作法。霊界物語拝聴道。

普通一般の人にはどうでも良いのであろうけど、霊界物語を拝聴もしくは、音読する時、先天坐には、最大坐を1時間4分とするを以て、要領とし、過不足を鎮魂法にて当てる。

また、坐もそうだし、霊界物語を拝聴する時も、神様に拝礼する。

宣伝歌は、基本、坐中であろうとも、謡う。

あるブログ(アメブロの瑞霊に倣いて)にて、霊界物語が如何に大切であり、弥勒世界は至るかを謳っておられます。

この方はおそらく、老祖の弟子でもあり、キリスト教、神道、大本教、仏、ヨガ、あらゆる哲学者を学んでおられ、古今東西の碩学であらされます。

ただ、霊界物語ダイジェスト版(あらすじで読む霊界物語)を御神意に反するとされています。

そんなものを読んだら逆に罪となる。(宗教的思想では、その原理に違える事は過ちであり、異端者は神を穢していると思考されておられるかもです。)

まあ、神様は、そんな罰は与えません。、人の行いを全て認めておられる。罪に陥るは、自らの行いに因り、自ら地獄に堕ちるのみ。

また、霊界物語は救いの書であるから、一巻だけでも読んだら救われると言われ、そんな、ダイジェスト版読んだところで、救われないとも聞こえます。

これは、道院の北極真経も一字の語句をとって、自分勝手解釈をしてはならないと、神使の戒めがあります。それは、当然です。

されど今、人心は荒廃し、多くの殺戮が平然と行われ、大道廃れて、仁義ありの如く、一部にスピチュアル、我良しのパワースポットが、横行しております。(神様は、人の願いを叶える存在ではありません。)

人の文明により、アスファルト、コンクリート(地を封じる働き)が台頭し、工業からの汚水は全て海に流され海水は汚れ、汚れた結果により、海水温度は太陽により上昇する。海に汚物の色が付いた結果でもある。故に活きている地球は、人体のアレルギーの如く、反抗し、天候は荒れに荒れて、天気は、定まらない。(人間による弊害。)

地球全体の温度の誤差は本来一体化(地球の平均気温は14℃)の為に、寒冷と温暖化が激しくなり、地球生物環境を異常とする。

地球と人類は正に、今、滅びんとしています。

吾が師、天帝老祖は、その為に先天坐を下された。

出口王仁三郎尋仁聖師も霊界物語を降された。

ゆえに、炁楽仙女さんも、道院の秘経である「鎮心経」を開示された。

多くの民草に、霊界物語を広めるために、飯塚弘明氏等が記されたダイジェスト本も誠に神の道なり。その至誠の発揮により、多くの人が霊界物語を更に真剣に音読するであろうと考えます。

イエスキリストは、安息日に医者が病人を治療しない事に腹を立て、イエス自身は敢えて安息日に病人を癒やし、「神は律法に非ず、神は愛なり。」と活動されました。人に誠と愛あれば、例え、神(宗教、律法)に反抗しようとも、それは、天下の大道なり。

霊界物語をユウチュウブなどにより、BGM的に聞く事は、神様の御心に叶わない。これは、当たり前だのクラッカーにして、霊界物語は、真剣に聴き読み、音読しなければ、それは、道ではない。



扨、霊界物語では、病を治すのは、鎮魂、反魂などがある。

天刑病や癩病などは、神司なる宣伝使が自ら、全身の膿みなどを自らの口で啜って、吐き出し、癒やす場面もある。(霊界物語の悪党なる存在である高姫も、この行いにより、神を出現させておられる。)

狐の出産の話しもあり。

人ゴロしが、神に仕える話もある。

物語が活きているから、うましかな話しあり、笑いあり、怒りあり、悲しみあり、嬉しさがある。

また、神理あり、誠あり、神歌がある。

言霊の発揮する道法が記されておる。

霊界物語は古史古伝、古事記日本書紀、全てを網羅しているからこそ、360通りの神法が現わされておられる。

と私は考えます。

私は現在、三十五巻まで、読み、拝聴しつつあります。

坐しながら、拝聴すると、1時間はあっという間に過ぎてしまい、禅病に罹りつつあるので、鎮魂法に切り替えます。

未だに試行錯誤でありますが、全ては、神様の御心のままに。全ては神様の導きのままに。

全ては、地球の安寧の為に。

ああ、かんながらたまちはへませ。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊界物語拝聴道。

2025-06-24 18:34:00 | 霊界物語
霊界物語と先天坐。

この三の教え、五の教えを示されたのは、大国治立之大神。

霊界物語では、国祖国常立尊、また、ス神となっては、大国常立之大神となっていますが、序盤から、大国治立之大神、国治立之尊、即ち、常が治に文字にかわり、違和感がありました。

されど、神に名は無いと示された、至聖先天老祖は、各々が好きな様に唱えよと。

霊界物語とは、およそ、三十五万年前の神代の話しのみでは、なく、霊界とは、過去現在未来普遍のあらまし。

常鳴る存在は、治まる。

言わば、国祖、国常立之尊は、未来では、国治立之尊へと進化されるとも、考えます。

霊界物語を拝聴するにあたっては、神素戔嗚尊の系統の、大本信徒連合会の藤井盛師のユウチュウブの霊界物語(拝読録音)にてお世話になっております。

また、霊界物語を読むに当たっては、(鬼雷は12巻までしかもっていないので。)霊界物語大図書館の飯塚孔明(弘明)師には、大変お世話になっております。孔明師も、ユウチュウブにて、霊界物語(朗読)をされておられます。

歌が、上手いのは、藤井盛師。誤訳無きは、飯塚弘明師にして、共に素晴らしきなりけり。

さて、瞑想しながら、物事を聞くのは、瞑想に非ず。

まして、先天形坐をしながら、霊界物語を聞くも、坐に非ずして、邪道なり。

まあ、普通に、考えるなら、そうさあ。

また、大本人は、天帝老祖の北極真経なんて、鼻から、相手にしていないし、道院の修方も、霊界物語を聴きながら、坐するは、魔に魅入られていると、述べるであろう。

しかしだ、共に、大国治立之大神、即ち至聖先天老祖から出ている、神の宝である。

善きも悪しきも、自己責任なり。

私が狂えば、良き話しなり。

ああ、かむながら、たまちはへして、神の道とは、坐して読む 物語かな。


形坐の形を示す、尋仁聖師なり。

霊界物語を聴きながら、坐するとどうなるのか。

また、霊界物語を聴きながら、鎮魂もしております。

私自身を実験体として、霊界物語拝聴道として、何回か、ブログに載せていただきます。

悪しからずでございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏至道

2025-06-21 19:12:00 | 霊界物語
夏至とは、太陽の到達点にして、太陽が地球に注ぐエネルギー。

今回の夏至は、皇居に集まったとか云々あり。

天照皇大神の皇子なる、住まいに夏至点が集まった、ああ、かんながらたまちはへまして、世界が平和になりましてよ。

なんて、話は皆無。

地球は、戦火に溢れている。

地球の奥底にて、省みれば、益々盛んに、刧劫兵役なる、劫火が溢れて、来る。

その滅びへの道は自業自得なり。

扨て、日本は、神国であります。

その根拠は、かつて、地球には三つ神島あり。

ム島。アトランティス大陸、オノコロジマ(大八洲)なり。

その辺は、霊界物語を読んで貰いたいですね。

霊界物語。馬鹿話し、くどくど話し、冗談話し、ストリーを考えない、イライラさせる話し。されど、神の実在を体得させる言霊あり、現代に向けた、国祖と、カム素戔嗚尊、日の出の神(偽物も跋扈)、龍宮の乙姫、多く龍神の神化、また、稲荷なる、眷属による、神人への救い。

動物、植物、虫さんと、語らえる、エッセンスがあり、この呼吸を得たら、本当に人は、簡単に動植物虫さんと、語り合う事が可能であります。

私鬼雷は、先天坐をもって、植物と語り合いますが、霊界物語は、更に、動植物🐝とも語り和える神宝を表しております。

さてさて、多くの人は、催し物が大好き💕にして、例えば、七月五日の日に、ある場所でフェスをするとか、セミナーをするとか、云々を好みます。

多くの人が自分が助けてくださる、聖地を求めるは、恐れがあるから。

私鬼雷は、考えます。聖地が人を救わず、逆に、助かりたいと臨んでいる者は危うき。

なんせ神は、人の祈り、望みを叶える存在ではないから。

これは、災害が来ると信じる方も、こないだください。といっても、無益にして、嘘偽り。

神は予言せず。

予言のみ、好きな信者は、ともすれば、妖言な世界へ、魅入るなりける。

なんせ、神様は、救える神力を持つ者には、秘めやかに、諭されるのみ。

神はおもてに表れて、大峠を与えるは、全人類の改心を迫るなり。

その中で日本人は、強制的に、世界を救う働きを為すなり。

さて、日本人の定義とは、如何に。

日本人とは、地球を必ず愛するなり。

日本人でも、地球を愛する事が出来なければ、貴方は、日本人に在らず。

日本人でも無い、貴方をなんと言うか。

ちんかすさん。

さてさてさてさて、霊界物語。

弥勒の世界へのいざないとされるが、実際に、真実の書なり。

私は坐して、霊界物語を拝聴するを以て修道としています。

霊界物語の真実を明らかにするは、未来にて、鎮魂しながら、物語を探究されると言われている方がおられるをもってして。

大本の鎮魂帰神法は、あまりに邪神界の介在ありすぎて、出口聖師は、鎮魂キシンを禁止しました。されど、鎮魂法はある程度残されましたが、現在の大本では、鎮魂の、意義を悟れず。

その辺を踏まえて、聖師は、道院の先天坐を鎮魂の代用としようとされ、鶴に乗った仙人、笹目秀和老人に、大本と、道院の、ナカモチを頼まれたが、大本側の理解は、得られず、逆に、当時の出口直日教主をおこらしてしまった、秀和老人。

また、大本も道院も、「自己の宗教の正当性を巡って、後継云々を争った事実と、愚かさを発揮された。」

大本には後継に関する裁判あり。道院は、香港と台湾のフーチの邪神と正神の現れあり。

まあ、宗教とは、こんなもの。

まあ、人間とは、こんなもの。

名も入らず、地位も名誉も、金も官位をいらない者は、手に負えない。

しかし、この手に負えない者で無ければ、世の安寧、地球の幸せに、する事は出来ない。

ああ、かんながらたまちはへまして、神の心を悟るべし。

神心 人の心を 全からく 愛するからこそ ミオヤとなるらん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする