また、イケメンであり、多数の女性、また、妹とも関係を持っている、国依別命(宗彦)なども、改心しては大活躍され、その友にして、農家の田吾作(玉依別命)は、その国依別の妹さん(お勝)を嫁ともらい、共に大神業を為す。
霊界物語とは、正に、救いの書。三十五万年前の神人が、現世と同様に悩み苦しみ、業炎を背負い、善言美詩を以て言向け和す愛と誠の精神を解かれる。
35巻では、黒姫は、ハズバンドなる、高山彦(初婚であるが、黒姫はその前に出産経験あり)に離縁を攻められ、旦那執着する黒姫は、旦那を連れ戻す旅に出る。
旅の途中、黒姫は人型の狐の出産を助ける。
様々誤解あり。
されど、高山彦と黒姫とは、実に、玉依別の父母であり、初恋同士であったとか云々あり。
黒姫は、何巻か忘れましたが、高山彦の目の前で、大蛇に変化する事は先に述べました。
そもそも、蛇は、アダムとイブをそそのかした、悪神でもある。
しかしだ、日本神界では、神様の眷属は蛇、狐、天狗とされる。
龍神、麒麟は、眷属神であるなれど、人とは関わりは、少なし。
三輪大神は、蛇神とされるが、その正体は眷族なり。龍神、黒龍とされるが、如何に。
三輪の大神とは、太陽神にして、饒速日之神にして、日の出大神。日出るところに影あり。即ち黒龍なり。
人を守る為に敢えて、蛇神とする。
扨て、三十六巻、弥勒巻では、無住居士が述べるなり。
無住居士とは、生まれたところを知らず。親も知らず、子供もいない、天下の浮浪人なり。
これは、大本神が述べる「神は万物普遍の霊にして、人は天地の経綸の司宰者なり。神人合一して、茲に無限の権威と実力を発揮する。」に繋がると考えます。
バラモン教のサガレン王は、易性革命の如く、禅譲の如くに、狂人とされ、王位を奪われ、野に降った。
その犯人は日本の皇室を奪おうとされた道鏡と似ている、ウラル教の竜雲。王妃である、ケールス姫を誑かし、自らが王となろうとした。
サガレン王の賢臣である、テーリス、エームスは、竜雲を破る為に、部下に武術を修されていた。
無住居士は、テーリス、エームスに武術訓練、戦いによる革命の愚かさを悟らせ、また、味方の中に間者あるを見抜き、サガレン王に絶対の忠義を尽くすのは、誤りであると述べる。
「いずれの道に入るも、誠の道に変わりはない。その事に別に咎めもありますまい。
さりながら、そこまで真心を尽くして王の為に努めむとするならば、至上至尊の神さまの為に、なぜ真心を尽くさないのか。
神第一と言う、教えの真諦を忘れたのか。
左様な心掛けでは、何程、千慮万苦をなすとも、到底駄目だ。
神の御力にすがり奉りて、サガレン王を助けむとする心にならば、かの竜雲ごときの曲者は、物の数でもあるまい。
誠の神力さへ、備はらば、竜雲如きは、日向に氷をさらした如く、自然の力に依りて、自滅するは、当然の帰結である。何を苦しんで、数多の同志を集め、殺伐なる武術を練習するか。
武は如何に熟練すればとて、一人を以て、一人に対するのみの働きより出来まい。
無限絶対の神の力に依り、汝が霊魂の上に真の神力備わらば、一人の霊を以て、一国の霊に対し、又は、億兆無数の霊に対しても、恐るる事はなき筈、又、霊力さへ、完全に備はらば、汝一人の力を以て、億兆無数の力に対し、また汝一人の体を以て、億兆無数の体に対抗し、よく、その目的を貫徹する事を得るであろう。」
ちなみに、霊界物語では、鎮魂法をもって、人の病気、怪我を治す。
三十五万年にも鎮魂法が確立していましたね。。。
鎮魂の神懸とは、転霊の法であり、鎮魂とは、自らの魂を主神(中孚)に至らせる。
太古の鎮魂とは、古神道的、儀式に重きを置かず、先天坐法の如く、無為自然をもって行う、瞑想であるとも考えます。
聖師は、先天坐をもって、鎮魂神懸法としようとした所以に、道院の笹目秀和老人を、大本との繋ぎにしようとされた。(大本初期の鎮魂法は奇異を好む修行者により、邪神界、凶党界から絶えず関係が保たれた。ゆえに、すぐに、天眼天耳通が開かれた者多く、奇術を好むが故に、脱線し、事故を犯された。
出口聖師がゆえに、霊力により、マガゴトなる、霊能を持つ人全てを封じ、鎮魂帰神法を禁止された。その経緯は霊界物語三十八巻三十九巻にて述べられております。
また十和田龍こと、出口和明先生の「大地の母」著にて詳しく述べられております。霊界物語より、年代別に序列されておりますので、興味ある方は、読まれるが良き。
故に、無形にして、絶対に神懸が無い(自然ゆえに。)、先天坐法をもって、鎮魂帰神法と試みた。
なんせ、先天坐とは、無形。坐する形坐があるにしても、継続すれば、無となり、無益となり、無数となり、無限となり、無音となる。真なる音は、人の耳に聞こえざる。
仁尋聖師は、笹目老人に大本との繋ぎを頼まれたが、秀和老人の天帝から与えられた道名にあるが如く、「和に秀でよ」と修道の目標とされるが、常に短気にて、大本教主に直諌してしまい、大本三代教主直日氏(道名は、耀宗)を怒らせてしまったようだ。(東京道院月刊誌、大本信徒に問うにて。)もし、大本教主が柔軟であれば、神定の四代教主を直美さんを排斥し、聖子さんにしなければ、なんて事はありえないが、今の大本信徒も、もう少し幸せな、大本人生を歩まれたであろうかな。実際に、聖子さんは、大本教主拝命後に、寿命を削られた。
さて、道名とは、至聖老祖が降らせた、人へのテーマなり。王仁三郎聖師の尋仁とは、たとへ極悪人でも、どんな存在でも、愛されねばの意を含み、出口澄子氏の道名は承仁にして、どんな極悪人でも受け入れねばならない愛を、修道の目標とされる。耀宗とは、その元に陰日向を造ることなく、偏見無き太陽とならねばならぬ、目標が老祖から示されておられた。
さてさて、縄文時代にも磐笛があるが如く、音霊をもって神に繋がるが、法の一つ。そして、日本は神国、善言美詞の言霊を、以て、言向け和す、愛と誠の精神、これこそが、最大の神法なり。神術なり。
霊界物語の主題とは、「人は常に神と共に在り。」神に感謝するは、当然としても、無抵抗主義を示し、歌をもって、人を改心させる。
常に、見直し書き直し、身の過ちは宣り直す。
誰が悪いのでは、無い。ただ、神様の為にひたすら、行動する。
坐中に、霊界物語を拝聴すると、氣が、大地の集まり、いとも簡単に回転するは、不思議なり。
本当に宣伝歌は歌うと気持ちが良い。
ああ、かんながらたまちはへまして
たとへいくさが起ころうとも
たとへ人の心が乱れても
この国こそは、神の国。
誠のちからが、世を救う。
ああ、かんながら、かんながら、たまちはへませよ。