玄徳道

道を語るブログです。

黙真人訓、究坐道。

2023-05-29 21:24:00 | 道院
坐の真の意義は、ただ、静を凝らすことだけである。


どうして、静を凝らさなければ、ならないのであろうか。

それは、後天に生まれて來てから、すべて、一切の物質によって、誘惑されるからである。

これらの誘惑は、みな六根(目、耳、鼻、舌、身、意)によって、六塵(色、声、香、味、触、法。眼で見て色塵となり、耳で聞いて、声塵となり、鼻で嗅いで香塵となり、舌で嘗めて味塵となり、身に触れて触塵となり、意に着して法塵となる。)となる。

知らず、覚らずのうちに、心が外のものに、囚われて、常に妄念妄想をめぐらし、元気を損傷し、それによって、先天の炁は、日に日に、衰弱して、固有のエネルギーを消耗し、尽くすのである。

(鬼雷注 固有のエネルギーとは、人の魂力であります。今の人は、自己の根源なる親神を知らず、ただ、惰性に、世の習慣の中で、生きているのみであります。多くの聖人や哲人のように、何故自分が生まれたのか、何故、生かされているのか、疑問を持たれ、自己の生来の役割を知ろうとする方が非常に少ないのでございます。)

吾が道の坐功では、初歩の入門を形坐と云う。

どうして、形坐を以って入門とするのであろうか。

それは、形坐を以って入門としなければ、上乗に至ることが難しいからである。

坐椅子をもって徐々に習坐し、平々坦々として、損なうことが無いようにするのである。

坐功は悠久のものであり、その成就した者は、少なく無いのである。

坐功は先ず、形坐より始まり、心坐に入り、心坐より、息坐に進むのである。

息坐は、黙(一念不生)を悟り、これが坐の根本であり、先天の坐でもある。

それは、恰も、胎児が生まれてくる前に、氣海(母親の胎内)に平坐している状態であり、そこには、少しの雑念も意念なども、存在しないのであり、それは、なんと無為自然ではなかろうか。

息坐とは、先天の炁霊の坐である。

故に、形坐より、心坐。そして、心坐より、息坐に進むのである。

そこで、心坐の工夫には、何か守るべきところがあるのであろうか。

形坐と心坐の工夫を用いるところは、同じであろうか。

もし、心が外の物に囚われて、混乱している状態で、この心を集中して、安定させることは、非常に難しいのである。

例えば、芸術などを習練する場合に、素晴らしい演技や、スリルが多くあるが、当事者は至極平静無事であるが、観客は、これを素晴らしいと賞賛するのである。

ある者が言うには、この種の芸術は人々が
誰でも習練して体得出来るものでは無いのであると。

しかし、その実、決して人々が習練して、得られないものでは、ないのである。

ただ、その苦しみに耐えて、習練することが、出来るか否かにかかっているだけである。

この習練が成就した後には、心中に少しも苦痛が無く、ただ、快適を感じるのは、どうしてであろうか。

それは、内に充実して、定まるからである。

内に充実して、定が確立されれば、坐功において、すでに一度の功候に達したのである。

形坐は、心を練り、氣を練り、質を錬る所以である。

心坐は念を空とし、竅(穴交)を虚とし、自然の運行に任せ、以って先天の炁霊の自然の活力をのばし、適合される所以である。

息坐は、先天の炁霊の自然に坐し、ただ平黙だけである。

平黙を行う事が出来れば、息坐は自ずから、功を現すことが出来る。



形坐の工夫は、用いるには、反復くりかえし、しばらく困難があったとしても、竅を守り、また、念を清めることである。

守るということに固執することなく、また、息坐の工夫を用いてはいけない。

あまり、守ることに固執すれば、目眩がする。めまいがすれば、滞ることになる。


心坐で守る事は、心の本来の主宰(内在神)を守ることであり、端然として、位を正す(黄中通理=中和の位に居て、正を体得する事が.これ、位を正すなり。)だけで、自ずから、能(よ)く六通四闢(六通とは、陰陽風雨晦明に通じることであり、四闢とは、四方が開けること。)して、以って中和を致すが出来る。ただ、それだけである。

このようにして、和の光が充実してくれば、直晶(陽氣)は自ら昇り、曲汚は自ずから滅びてしまうのである。


坐は、必ず悟らなければならない。

坐の経訓を能く悟ることである。

悟れば必ず黙することが出来るのである。

念が無い時は、一たび感ずれば通じ、一たび通ずれば、即ち悟り、一たび悟れば、化し、一たび化せば、明らかとなる。

吾が師(老祖)は、平黙の二字を以って坐功の主旨と為しているが、それは、坐功の秘伝だけでなく、もし能く平黙を得ることが出来れば、一時の先天の炁霊の感通があり、前もって、予知することもでき、本性を見ることも出来るのである。

たとえ、それが一時的であっても、継続して、日に日にこれを発展させれば、成功することも出来るのである。

それには、必ず継続することが最も大切であり、一面では心氣を平にし、黙静を修めるのである。


静の一字は、形坐の時期においては、時間的な制約を受けるのである。

この、静は四度(一度=4分)より始まり、八度、十六度、三十二度などと、時間の制約を受けるのである。

坐らない時には、坐っている時の静には及ばないのである。


心坐の習練は、たとえ坐らない時においても、形坐の時と同じように錬るのである。

たとえ、暇で何にも無い時に、心を練ると言う事は、比較的容易である。

これは、暇で何にもないので、この心があまり、乱れていないからである。

一旦事ある時には、心坐を練ると言う事は難しい。

それは常にそのことのためにら心配するからである。

更に事が思うように行かず、意気消沈している時や、怒り心頭に発する時に、心坐を錬ることは、更に難しいのである。

されど、それを克服するには、修練することを知り、習練に志すことである。

最初は習練しても上手くいかないが、この志しを変えることなく、必ず再三再四錬るので、そこで成果があがるようになるのである。

最も心配するのは、一度習練しても上手く行かないので、中途に挫折してしまうことである。

それでは、効果を上げることは出来ないのである。

天下の事はみな、粗より、精に進み、錬ることによって得られる。

学んで時々刻々にこれを習うようにすれば、必ず最高の玄妙の境地に至るのである。

それには、必ず人知れず、苦労をして、一途に貫いて、習練に励み、これを学び、悟り、実行していけば、善いのである。

いかに高遠な理想をもっても、千里の道も一歩からであり、高い山に登るにも、低い処から、登り始めるのである。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和五年五月 三六九神示

2023-05-23 20:31:00 | 神示道
令和(霊和)五年は天垂敷(あたらし)き四九三(仕組み)の始まりの年であるぞよ。

五(ご)は元であり、神意(い)であり、生命(いのち)の元であり、語(ご)の元でもあるぞよ。

(注 五=別天津神の五柱、五色、五行、五常、五体、五官、五教、五彩、五味、五経、等等。

コロナ=五種となる。

五はいつつ、「い」である。)

この五月八日、元(五)開(八)くと示す日であるぞ。

曇り空の雨上がり登る日の出に明けそめぬ。

さても、丹後の男島女島は世の元の国常立大神が新しき世を開く大事な四九三をいたしておいたところであるぞ。

大本の筆先に「龍宮の乙姫日の出の神と現らわれる世界のとどめの事であるぞよ。」示してある〇九十(まこと)に十大な筆先の証しの地場であると幾度も示してあるぞよ。

昇る日の出に照らされて男島には、天照国照日の出の神の出現、女島には龍宮乙姫(瀬織津姫神)。

天照国照神も瀬織津姫(乙姫)も、陸の天之橋立籠宮の地に鎮まりて、時を待ちたぞよ。

国常立大神は藤の花咲く真名井ヶ原の磐座に鎮まりて、時節を待ちたぞよ。

これまで、世の元からの神々は封じられて陰からの守護でありたぞよ。

天理、金光、黒住、妙霊先走り、とどめの型と大本教を現して、世の元の神々裏に隠れて世を守護した、三千年の四九三を開く、神業の道開きの型を示したが、今は世の元の神の地場、天之橋立真名井ヶ原を世に現す実地の時となり、それは平成元年からの事であるぞよ。

四月の神示の終わりに日の出の神の神輿現ると示したが、この年の四月二十四日葵大祭に神輿の出る前の拝殿の締縄が切れて、落ちたのは、これまでの日の出の神を封じておりた、締縄が切れ、いよいよ、日の出の神、現らわれる型でありたぞよ。

世の元の神々封じられていた締縄を切り、岩戸が開き、御出ましの時となりたのであるぞよ。

日の出の神と龍宮の乙姫つれそうて、世に現らわれ、地の三六九となりて、闇の世を晴らし、神人和楽、共存共生の天垂敷き、世を開くと示す四九三は、沖縄の久高島にも、奄美大島にも、見せてありて。因縁の者等にその四九三も開かせてあるぞよ。

世の元の国常立大神の三千年の四九三を実地に実らせてまいる五用は、日の出の神と龍宮乙姫がまず、龍宮系の諸神が引きつれて為すのであるぞよ。

神々の出現となれば、人民は良き事がすぐ現われると思うのであるが、この三千年、弥生時代以来の思凝霊(しこりがみ)や人民がしたいほうだいの事をして、地球を汚し穢して来たのであるから、これまでは、闇の世で悪事の因縁が見えなんだが、日の出の光に照らされて、皆浮かび上がりてくるから、世界の事も人民の事も、思いがけぬ事が浮かび上がりて、これまでの世よりも、辛い悲しい荒事が、起こりて来るぞよ。

陰に隠れておりた因縁は、浮かび上がりて浄化されてゆくのであるが、浮かび上がりて来た時は、神も佛も無いと思える事も起こるが、我が身の背負いて来た因縁であるから、やむをえぬ事であり、大難を小難にと、祈るしか無いぞよ。

特に神の五用を為す者等には、思凝霊のさまたげも強く、辛い目に合う事もあるぞよ。

苦しくとも、辛くとも、それを受けて堪へ、あたえられた使命を果たさねばならぬぞよ。

体主霊従の世から、霊主体従の世へと変わりてゆく浄化世。

これを、こばむ思凝霊の妨げは厳しく強いものがあるぞよ。

神の御用に立つ者に、神の取次が出来ぬようにいたさむと迫れども、それに負けず、辛くとも悲しくとも、それに堪え、乗り越さねば、ならぬぞよ。

必ず神は縁ある人をもって動くぞよ。

天理や大本の教祖も、言うに言われん苦労を堪へ、辛い役目は、身内にさせ、天晴れ五用を果たしたのであるぞよ。

如何なる雨や嵐も時来れば必ず止む。

闇の世も必ず日の出の朝が来る。

厳寒の冬も必ず去り、梅の花咲く春が来る。

辛く悲しき時も、神の見守りを信じ、心明るく、御魂の親神の神言に従いてゆくのであるぞ。

必ず禍いの転じて福と為す。

苦あれば楽ある道を開くのが神の親心であるから、事が起こりた時はうろたえず、落ちつきて、歩むのじゃぞ。

神人和楽共存共生の世の開きと申せ一朝には、事ならぬ。

大きな浄めの荒事の世を越へねばならぬ、時の流れが神図り、時は神なりと申しておこう、時節が来るまで頑張らねばならぬぞよ。

時節には神もかなわなと申してあるが、奇しびなる時の流れが、万物を育て世を替えてゆく神の図りであるのじゃぞ。

焦らず、たゆまず、一歩一歩と前に進むのじゃ。

男島女島の四九三、日の出の神と龍宮乙姫連れそうて、現われ、日の出三六九世の四九三を実らせる、その地場大本の元の地場が天之橋立真名井ヶ原、籠宮である事を証したのが、三六九神示であり、八百万の神々は、世界各地に鎮まり世の浄化や守護をいたしておれども、天之橋立籠宮へ、参れば、世界各地で働く八百万の神々にも祈りは通ずるのじゃぞ。

世界は今、伸るか、反るかのまこと大事な節目となりた。

魂の親神と共に、正しき祈りを重ねて、この地球、この宇宙を守りてゆけよ。

体主霊従の経済の発展のみを願う世から、令和即ち霊和の霊主体従の道へ帰らねばならぬこの時であるぞ。

言霊神也 ン。



令和五年五月八日

天橋道士 龍華斎 修聖拝写。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和五年五月八日、小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

2023-05-22 20:22:00 | 神示道
始め丹後伊根の新井崎より見える、男島女島が拝され、両島の中程より、太陽が昇り始めると男島から美しい錦の装束の男神が両手に大小の鏡を持ち、矢を背に負い、金龍に乗り出現になり、女島からは、龍宮乙姫の姿の女神が青龍に乗り出現になり、天橋立の上空を舞った後、籠神社の境内に降り立たれました。

男神は籠神社の本殿の前に立たれ、女神は、江尻の江之姫神社に桃色の玉を納めた後、拝殿の左横の天照皇大神社の前に立たれました。

(注 男島女島より、天照国照日の出神と龍宮乙姫連れそられ御出ましの姿を見せられたのであろう。

新井崎には、秦の徐福を祀る神社があるが、新井崎は赤土の岬があり、新井は、丹生の転化であり、丹生都比売の神も坐すであろう。

龍宮乙姫は瀬織津姫の神と同体であり、天照国照神の偶神である。

男神の奉持されている鏡は、息津鏡、辺津鏡であり矢は、天羽々矢である。

江之姫神社は龍宮の乙姫の陸の宮でもある。

息津鏡、辺津鏡、天鹿児弓と天羽々矢は、現の世を治める、天祖の神から彦火明命に授けられた象徴である。

一(じつ)に云う、十種瑞の神宝(とくさのみずのかんだから)である。)

次に、亀岡市穴太にある高熊山の巌窟より、出口聖師が素戔嗚神に扮し、剣をぬき、左右に振り祓いながら出現になりました。

(注 出口聖師は明治三十一年木花咲耶姫神の神使に導かれ、巌窟で霊的肉体的の修行をされる。

出口聖師の御魂は救世神、素戔嗚尊に縁が深く、今世も清祓いに御活動である。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主観道。

2023-05-03 05:10:00 | 考察
スオアエイ

人の魂には、多くの因縁カルマが刻みつけられており、故に、善悪、正邪なる思想も、その人の歩みや修業により、主観は偏ります。

多くの魂への切磋琢磨は、磨かれる人がおり、研かれる人もおられ、また、身が枯れる人も当然におられます。

傷が練磨となる人もあり、傷が乱魔となる人もあり。

昭和の時代、神人合一された方は、昭和天皇であり、また、佐藤愛子さんの著書「私の遺言」に出て来る、神界から来たとされる相曾誠治さんも昭和の時代に神人合一された方でもありました。

相曽誠治さんは、1910年に静岡県に生まれ、1999年に亡くられておられます。

大変に皇室を大切にされ、大嘗祭を重んじておられました。

彼は謫仙(天上界より、人間界に追放された仙人とされるが、実際は、主神のより、使命を受けられた方。また、土佐の神仙たる宮地水位師が神仙界より、彼を指導されたとされる)であったようで、彼と接する人は、「無私で清らかな魂の持ち主。どんな人でも、どんな時でも、同じ表情、変わらない態度、常に自然体であり、接すると何も言われないのに、襟を正され、俗人とは次元が違うお方」と思われたようであります。

その神人、相曽誠治さんは、佐藤愛子さんが北海道の別荘を買う事により襲う、ポルターガイスト、霊動、先祖カルマ(佐藤家のカルマについては、愛子さんの著書「血脈」に詳しいです)の流れを助ける役目を負います。

「私の遺言」には、若き日の霊能者、江原啓之さんや、美輪明宏さんも出て来ます。また、多くの霊能者も、佐藤愛子さんの霊動を救おうとされますが、最終的に、相曽誠治さんが、榊の枝、一本を手に取り、北海道の多くのアイヌの怨念を鎮められました。

その祓いの神光は夜でも大変明るく眩しく感じと言われております。

此処では、佐藤愛子さんの前世がアイヌの姫様であり、アイヌ迫害の怨念が刧となり、地霊を動かし、カルマと縁により、彼女に因り、愛子さんを多く苦しめましたが、相曽誠治氏による、天津神の祓により、一時、鳴りを潜めました。

されど、因縁とカルマと刧を弭化するには、それを受けた本人の御魂の働きと輝きが必要であります。

霊動は、天津神の光だけでは、浄化出来ず、最後、佐藤愛子さんは、相曽誠治氏より指導された日拝鎮魂法の助けもあり、見事に、自神の御魂の輝きにより、自霊浄化する事が出来ました。

日拝鎮魂法とは、午前8時から10時までに、日を拝み、太陽の御神氣を頂戴し、「アマテラスオホミカミ」と唱えます。雨天でも曇り空でも然り。

午前中の太陽は生気です。生命を活かします。

午後の太陽は死気です、生命を枯れさせます。

故に、午前中の太陽の生気を頂くのだと、されております。

これは、仙鶴に乗った仙人、笹目秀和老人の太陽の精気を喰らう秘法とも繋がります。左右の人差し指、親指を合わせて、三角を作り、太陽を口に収めて、その中で太陽光を咀嚼するのも善しでございます。


他からの神の光だけではカルマは解消する事は出来ない。

自己浄力なる、自己本来の切磋琢磨による身魂磨きなる御魂の輝きが必要でございます。


佐藤愛子さんは、相曽誠治さんに、「失礼ですが先生は神界からおいでになった方ではございませんか。」と訪ねると、すると相曽誠治氏は驚きも笑いもせず極めて冷静に頷いて「わたしは、ことむけのみことと申します。」

言向之命。

ちなみに、神道霊学中興の祖であった、本田霊学の本田親徳師は、「ことだまわけのみこと」異霊別命であります。

江戸後期から平田篤胤等による復古神道は神仏習合をは排斥する働きがありました。

宮地水位師の「異境備忘録」によりますと、仏仙界なる世界が存在し、空海や親鸞などの高僧が存在しており、神界に向かう魂を騙して仏仙界へ誘っているようです。

相曽誠治さんも、仏教に対して、あまり良い感情はお持ちでないようで、空海についても、山霊に誑かされると、言い、「四国高知の室戸岬の洞窟にて断食して修行していました。真魚なる空海に、天狗は奇術を行い、[明けの明星]として、天狗霊が、空海の身体に入りました。そのため、空海は死後相応の霊界に収容されて、悲惨な苦しみを受けながら、抜け出る行(禊)を続けています。」
 
まあ、明けの明星云々の話し、その真意は、御本人しか知りませんが、弘法大師空海が、一介の留学生にして、なんの権力も無く、唐に渡り、中華にある、密教を全て会得体得し、胎蔵界金剛界全ての密を日の本の国に持ち帰り、真言密教を顕した功績は、人智を越えておられます。

天狗は確かに存在しますが、悪しき存在ではありません。山界の守護をされておられます。

しかし、天狗にも正邪あり、人の想念に感合して、惑わす事もありますが、あくまでも、その人の御魂想念、相応に感合するので、自己責任でもあります。


神仙、宮地水位師は、「天狗を信仰してはいけません。霊力を得ようと独りで山中に入って修行しようなどと料簡を起こすと、必ず、山霊に誑かされて、天狗界に引きずり込まれるのが、落ちです。」

相曽誠治さんも同様の考えであります。

「滝に打たれたり、山にこもって、過酷な肉代行を積まなくても自宅で穏やかに鎮魂を目指す事ができます。滝行や、山籠りしますと、山霊(魄=スサノオ系の分魂=天狗系)の虜になり、真の鎮魂の境地に至りません。天狗系の霊能力を得ることは出来ても、正しい神界に参入することは不可能です。古来、多くの霊能者や霊学者がこの過ちを犯しています。山、洞窟などにこもって強大な、霊能力を得たと言われる、大本教の出口王仁三郎師や、霊学者の本田親徳先生などは、その典型ではないかと囁かれています。

数多くの「立替立直し宗教」が、その大本教から派生していますが、推して知るべしです。

近代日本に誕生した、霊学者や新興宗教の教祖、言霊学者たちの殆どは、天狗界の申し子と言われています。

スサノオ系が如何に猛威を振るっているかを物語っています。欲を減らそうとか、性格を是正しようか、いうのも確かにミソギの一種なのですが、スサノオ系の霊的影響を薄めるのが、本来の禊です。

スサノオ系を脱却して、正系(アマテラス系)に復帰することが、禊の原義です。

ところがスサノオ系の中に、身を置いたまま、厳しい禊(滝行)を励行しているかたもいます。

これはミソギにはなりません。

多少身は清まるにしても、スサノオ系の中の進歩にしかすぎません。

スサノオ系の霊界は日本に外国の生まれの宗教を持ち込んだ(聖徳太子等)だけではありません。

特に幕末以降、信仰宗教という形で、日本国内でスサノオ系宗教が乱発したのです。

仏教系あり、キリスト教あり、神道系ありで、表面の形こそ異なっていても、いずれもまぎれもなく、大陸宗教(スサノオ系)の系統といえましょう。

ただし、黒住教だけは例外です。

開祖の黒住宗忠は、本当の神仙です………。」

また、中国で発祥された、道院紅卍字会が日本に無償で米と銀を老祖からフーチにより、送った当日、関東大震災が起こりました。

しかし、相曽誠治さんによると、「昭和天皇が富士山頂で執り行われた神祭の結果により、支那から米と銀が送られて来た」と。

確かに、天孫降臨側から観ると、霊眼にもそのように映るのでありましょう。


しかし、山霊や天狗等と天孫側から虐げれて来た、山禍族、土蜘蛛族、蝦夷族、アイヌ族などは、決して自ら争う(侵略者が来ない限り)事なく、彼等は縄文からの自然精神を守って来られた。

人の主観が違えば、「霊界物語」なる魂の発露と救済を示された出口王仁三郎聖師も、また、密教により、宇宙を奏でた弘法大師空海も天狗でしかないようです。

その昔、侵略して来た、天孫側に依り、創られた思想学問(古事記等)を尊重し、古史古伝等は全くの偽書とする流れ、また天津神のみを尊重し、国津神を蔑める。

確か、伊勢白山道リーマン氏も、出口王仁三郎師を天狗扱いされておりました。リーマン氏の思考は、実に相曽誠治氏からの教えによるものと、理解出来ました。

彼は金井南龍師と龍宮乙姫藤田妃見子さん、また、相曽誠治氏からの教えを宗に、伊勢白山道を造られたのであろうかと推測致します。

また、仏仙界も確かに存在し、これは、日本仏仙界と言うのが良く、日本人の僧侶しかおられません。

しかし、霊界とは人の想念ほど、存在致します。

ゆえに、好悪なる感情にも左右されやすく、人の心の数だけ、界数が増えるという事でもあります。

想念を介せず、真なる御魂の世界は、霊眼は通用致しません。

人の主観は、正を得る事は出来ません。

故に、己を正しきとする者は、たとえ、神人であっても、道を違えます。

人は決して、正を得る事は出来ません。

ならば、何が正しいのであろうか。

人が絶対に干渉出来ない、自然なる神の働きこそが、唯一、正しいのでございます。


私は、思考する。

自分が正しいと思った段階で、魔が、違える働きをなすと。


主観が違えば、神示(あくまでも、人を介する)と、言われる発信もまた、誤りもあるのかも、知れません。

いずれにしても、本当の真理を理解したいのであれば、死んでも、道理を理解して出来るように、する修行は大切です。

それは、玄胎。

玄胎には、魂魄の力が必要であります。

生きているうちに、慈善活動を行い、多く学び御魂を磨くのです。

健康体を作り、体力筋力を耕して、魄力を培うのであります。

死んだら血肉は、腐って地に帰りますが、魄は胎となり、魂と合一されます。

それを玄胎と呼び、死後、あらゆる神界霊界を探索することが可となります。

ス神なる 天照る神も 素戔嗚も 元は一つの 伊邪那岐の神。

善きを摂り 悪しきを捨てて 中庸の 誠の心ぞ 人の道なり。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和五年四月 三六九神示

2023-04-25 19:00:00 | 神示道
三千世界一同(いちど)に開く梅の花。

艮の金神の世に成りたぞよ。

梅で開いて松で治める神国の世になりたぞよ、と。

明治二十五年旧正月、丹波綾部の出口直刀自に筆を持たせ書かせた、艮金神国常立尊、三千世界の年月契、封印解けた初声であるぞよ。

厳寒の冬を堪えて花咲く梅(埋め)の花。

この地球も修理固成(つくりかため)た、国常立尊は、三千年、艮(うしとら)の方に、鬼や蛇じゃと.封じ込まれ、厳寒の冬の如き艱難辛苦を堪えながら、陰から、現の世の守護を致してまいりたぞよ。

丹後の荒海、絶海の孤島、女島に封じられ、龍宮乙姫が御仕えして、お世話を致し、陸の真名井原磐座から、御祭りを海人族がいたしてまいりたのであるぞ。

龍宮島女島へ隠棲いたしたのは、時来れば、隣の男島より、籠宮に鎮まる、天照国照日の出神、龍宮の乙姫つれそうて、お出ましの仕組みもあった故であり、女島は、大本教の神出現の神島であり、男島女島は、籠大神出現の神島でもあるのじゃぞ。

三千年前と申せば、縄文時代からやよい時代へ変わる頃でありて、石器縄文の時代は何万年も続いたのであり、縄文の世は世の元の神を祭祀り、人民はその言霊に順いて、互いに助け合い、争う事無く、恵も皆で分けあいて、貧しくとも、平穏に暮らしておりたのであるぞ。

体主霊従(からたま)の物質文明は大陸から先に始まり、段々日本へも、体主霊従の智恵学や、利己主義(われよし)の道が入り、この神国、霊主体従(ひのもと)の日本の国も次第に、強い者勝ち、利己主義の国へと変わりて来たのであるぞ。

物質文明も大事であるが、物の栄に目を奪われた、日本の人民は、次第に霊主体従の道を忘れて、しまったのであるぞ。

今や、人民は、縄文の昔とくらべれば、結構な楽な暮らしをいたしておるが、強い者勝ちの体主霊従のやり方であるから、恵の奪い合いの争いは、絶え間無く、物質文明の発展の為に、大事な地球をどうにもならぬほど、汚して穢してしまい、核兵器まで造りだした、今の世は、世界の大戦争となれば、人類滅亡にもなりかねぬところまで、まいりておるのであるぞ。

その事に気づき、和の道を開かんとする者が出れば、又、それを封じ込まんとするのであるぞ。

我が我がの国取合戦をやめようとせぬ人類であるから、これ以上人間に現の世を任せておけぬ、時となりたから、先々からの筆先の如く、艮の金神を始め、世の元からの神々が、構な行けぬから、神界は神々や龍神を使い、荒事も起こして、警告をいたし、人類の改心を迫りておるのであるぞ。

人類の災いと恐れる、地震や噴火も、世変わりの氣を起こす為であるぞよ。

昭和二年三月七日(1927年)には、丹後の大地震を起こし、三千人もの者が犠牲となりたが、今騒がれる南海の地震も世を替えてゆく為のやむなき修理固成(つくりかため)の神の業であるぞよ。

神は大難を小難に済ませてやりたいと思へども、世の氣を替える為にはやむをえぬのじゃぞ。

荒事を起こさねば形ある世の氣は替わらぬ定めであるぞ。

これまで、人類が災害(わざわい)と思う荒事の度に、世の気も姿も、替わりておるであろうがな。

火の迦具土の神が生まれる時、母なる伊邪那美命は、火傷して死んだと伝え、父なる伊邪那岐命は怒りて我が子、迦具土の神の首を切ったと申すのも、一つには、マグマが吹き上げ、山の頂きが、吹き飛んで、溶岩が山を焼いたり、形を変えた、この地球の修理固成の様でもあり、争いは、親子夫婦の近親から起こり広がる事も示してあるぞよ。

何としても、この地球の汚れ穢れ、浄め祓い、人類を元の霊主体従(ひのもと)の道へ返して、神人、天地、万物、共存共生の世を開かんとするが、神の御図りの仕組みであり、その実現がみろくの世であり、地上天国、日の出の世であるぞ。

厳寒の冬を耐えねば、梅も桜も、桃も咲かぬ。

世の元の神々の三千年、封じられ、苦渋いたした事、正しき事を説く者が消されて来た事、即ち埋めの花じゃ。

これまで埋められて来た神理が花と咲く事を、三千世界の梅の花と申してあるのじゃ。

これから、新しき世の開きに世の元からの神々、神氣をふるうのであり、人民も様々な苦しき試練の節を越え、禊れ、自我や欲の思凝の岩戸が開けて、神の授けし、御魂の光がら輝いて来るのであるぞ。

綾部大本教は、神事型を出すところと申してありたが、日本は世界が平和になる為の型をしっかりと、出さねばならぬ、神命の国であるぞよ。

外国の言いなりや、真似をいたしておるような事では、日本は神の命を果たせず、腑抜けの国となり、亡びてしまうのじゃ。

しっかりと.狂わぬ世界、平和の要の型を打ち立て始めて、日本も世界も救われる事となるのであるぞ。

国中に、蒔いてある龍宮の石の種(魂意志の種)必ず、芽吹くぞ。

各地各所に世を憂い、平和の世を願いて立ち上がる御魂の者の芽吹きを待つぞよ。

闇の世は明け日の出の御世を松の橋立、神風吹く、令和五年は神仕組みの新しき一歩の踏み出し、籠宮の日の出神の神輿出るぞよ。

言霊神也 ン。



令和五年四月八日

天橋道士、龍華斎修聖拝写。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする