玄徳道

道を語るブログです。

令和五年十月 三六九神示

2023-11-25 17:18:00 | 神示道
十(むす)びて八(ひら)く、十月八日であるぞ。

和の大事、結び絆の大事を忘れ、世界の国々も人民も、利己主義(われよし)に走りて分裂してゆく今の世であるぞ。

今のこの時、天地万物万民括り結び、共存共生の世を開く、白山菊理比咩神の働きが〇九十(まこと)に大事な時となり、その、御現れを待てども、その神霊の器となる者が未だ出ておらぬから、これからも我が我がの争いの世が続くぞよ。

八九十(はくと)の四九三(しくみ)と申してあるが、八九十の四九三とは、白山菊理比咩の神、世に現れて大和の三六九世を開く四九三の事であり、世界中に白山の霊筋が通してあり、時到れば、その霊筋の縁(ゆかり)の御魂の者が目を開きて争い絶え間なき世を治めてゆく事となるのであるぞ。

世界中の動きの型を示す、朝鮮の太白山も白頭山にも、中国大雪山やヒマラヤやアフリカのキリアンジャロにも、白雪を冠する山には、白山の霊筋通してあるぞよ。

白山菊理比咩の括りのはたらきは、天之御中の大宇宙の満天の星の均衡調和をも取りておるが、その要となる山が北陸の白山であり.白山より九州の五島に到る白山火山帯の道がハ九十の道であり、その道は一人で開けるもので無く、多くの白山縁(ゆか)りの身魂の者を使い時を重ねて、四九三を実らせて、世に現してまいるぞよ。

これを裏が表に出る仕組み、籠目の歌の後ろの正面の御現れと申しておくぞよ。

白山菊理比咩の神は、今は裏にも締め括り働きであり、龍宮界では.金勝要の神と現れ、目立たぬ扇の要であるぞよ。

表に出る時は天照国照る神(日の出神)が、海原を治(しら)す龍宮乙姫(瀬織津姫神)連れそうて、現れるのであり、その日(火)水の神の結びも菊理姫の神の働きであるぞよ。

まことに大望の八九十の四九三であり、現の世に出ておる神にも人民にも、総ては判らぬ大芝居であるぞよ。

されど、今の如く核分裂のような世が続けば、世界は滅びてしまうから、まことに万物万民融合の道を開かねばならぬのが、これからの神業であり、人の道であるぞよ。

まず、世の立て直しに働くのが龍宮神界であり、その縁の人民であるぞ。

十月七日には、陸の龍宮奥の院、但馬鉢伏山で大事な神集えがなされたぞよ。

我さえ良ければ良いの金の使いようは、金毛のなす業(わざ)であり、神代の昔から、金銀財宝を司るのは、龍宮神界があるから、龍宮神界が動き出したら、これまでのような、自由勝手の金の使いようは、出来ぬようになるぞよ。

鉢伏山のある但馬の国は昔から金の國と申してあるぞよ。

龍宮界が再び金銀財宝を司り、金勝要神がそのやりくりを司り、金銀財宝、世界中の人民の為に活かして使うようになるから、世界は段々一人じめの贅沢は、出来ぬようになるぞ。

今のような戦争ばかりいたしておると、あしたの水にも食物も、金で自由にならぬ、苦労をせねばならぬぞよ。

今日本は、何の苦労も無く、食い物も粗末にいたしておるが、ちょっと狂えば、日本も金はあっても食い物どうにもならぬ、事となるから、よほど心して食物も大事にいたし、争い起こらぬよう、世界の争いに巻き込まれぬように、いたさねばならぬぞよ。

悪神は日本を戦争させようと、迫るぞよ。

ハ九十の四九三を白山菊理比咩の神が世に現れて、神も人も万物共存共生の三六九の世を開くにつけても、万物の生命を始めに産んだ大海原を治(しら)す龍宮神界の働きは真に大事であるぞよ。

日本はぐるりと海にかこまれ、龍宮神界に守られておるから、今安穏にしておられる事、忘れてはならぬぞ。

山々に陸(あげ)の龍宮があり、それはその昔、海の底から吹き上げた山であり、陸の龍宮の要が但馬鉢伏山であり、陸の龍宮奥の院と申してあるぞよ。

海の龍宮も世界中の海や湖や河にあれど、その要の龍宮のあるのが、丹後男島女島の中ほどの海底であるぞよ。

人民は恵まれた暮らしに酔いしれて、その、道が滅びの道へ繋がっておる事知らず、今日も明日も好き勝手の事をいたしておるが、神界は人民を助けたい思いを世界人民に知らせ、皆んなで世界が平和になるようハ九十の四九三を進めてまいるぞよ。

無益な戦争で死ぬる事は、誰でもいやであろう、然し一端戦いを始めると、その事が判らぬようになり、相手を倒す事のみが、正義と思うてくるのじゃぞ。

後の後悔先に立たずじゃ。

狂っておる、その精神を改める為、ハ九十の四九三は、白兎(はくと・しろうさぎ)ともなり、辛く悲しくても、一皮むかねばならぬ、厳しき試練、浄化の節を越さねばならぬ事も起こるのじゃ。

思想や宗教の相異で争う今の世、人民の造りた思想や宗教を越えたその奥に、真の神のある事を忘れてはならぬぞ。

真の神を信じ、真実(まこと)で歩めば、禍(わざわい)の転じて福と為す道の開きとなるぞよ。

言霊神也 ン。




令和五年十一月八日 

天橋道士龍華斎修聖 拝写。

(注 出口直刀自は、但馬には、どえらい神が鎮まっておられると申された。

鉢伏山=龍宮乙姫 神鍋山=金勝要神 蘇武岳=金龍社等等。)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 令和五年十月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。(令和五年十一月八日示)

2023-11-24 17:45:00 | 神示道
始め、冠雪をした美しい富士山が拝され、次に北陸白山の御鏡池が拝され、白山火山帯にある但馬の神鍋山や伯耆の大山、島原の雲仙岳など北陸、山陰、中国地方から九州五島にかけて、山々が拝されました。

(注 富士山は日本一の山と称え、又、神界と現の世を結ぶ、真柱が立ち、そこに天降り給う神霊は、その末世界を統べ治める、スメラ尊(皇尊)となられる重大な山であり、白山菊理比咩の神とは呼応の関係である。

白山菊理比咩神は万物万民を括り結び、その末、共存共生の地上天国の要となられる神である。

神鍋山からは、昭和五十年十月五日、金勝要神の神霊石が出、金勝要神は白山比咩の神の変化であり、言霊で「ン」のはたらき、締め括りの神力であり、島原雲仙が「ン」の神力を秘めた山である。

分裂し乱れる世を治める白山菊理比咩の働きが日本海側から出る、即ち裏が表に出る仕組みであり、それが白兎(八九十)の仕組みである。)

次に出口聖師がザルを持ち手拭いで、ほうかむりし、どじょうすくいの安来節を踊っておられる様が見えました。

(注 その末、万民を救う神界の図りである。)

次に春分秋分の日、太陽は男島女島の間より昇り、出雲の日御碕の冲へしずむ様が拝されました。

(注 伊勢系は昇る日を崇め、出雲系は沈む日を崇める。

昇る日も沈む日も、同じ太陽であり、即ち伊勢も出雲も真の太陽神、天照国照神を信奉しているのであり、それがカゴメ[籠目]の歌に言う後ろの正面である。)

(注 裏に秘されている神代以来の仕組みが裏日本に通る白山火山帯の流れの中、次々に表面化してくる、これからの時代であり、表の体主霊従の様ばかり、見て来た人類が、驚かねばならぬ事が現れて来る。

裏日本の事を型にして、世界に裏が表に出て来る。)

(注 大山は、一に火神岳(日神岳)とも表現されている。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坐息道

2023-11-06 18:53:00 | 坐道
坐と言うのは、この息を運化する。

運んで化する。

この息を真坐息と呼ぶ。

しかし、この息は、非常に難しい。

我々が息といえば、それは呼吸である。

呼吸とは、肺により連動し、空気の恩恵を受け入れて、不用なものを排出する。

はあはあ、スウスウ、して、音が聞こえるのは、本当の呼吸では、ございません。

動物も植物も呼吸します。

そして、植物の呼吸とは、聞こえない。

けれども、植物が呼吸しているのは、水の中に入ればすぐ解ります。

水の中に植物を入れると泡が出ます。酸素、また、二酸化炭素を吸収して、排斥している事実が、あるからです。

人の呼吸も、坐すると、今の呼吸から離れます。

口で呼吸しない。鼻で呼吸しない。

当然に、最初は、口と鼻を使って呼吸しますが、坐に深く根ざすと、呼吸を忘れて、呼吸がだんだん細くなり、呼吸しているが、わからなくなる。

そうすると、身体全体の細胞が勝手に、自然と呼吸しだします。

これを胎息と申します。

ここで、述べる、胎息と言うのは、特別な呼吸ではありません。

なんせ胎息は、全ての人間が経験しているからです。

生まれる以前、母の胎内に存在する時に、口や鼻で呼吸せずに、身体全体で呼吸していました。

オギャと生まれ、外に出た赤子は、即座に肺による呼吸に変わり、泣き叫びますが、胎息とは、人ならば、元に還り、出来る呼吸なのでございます。

人は知識を増やし、欲が増えて!留まる所を知りません。

自己の存在が滅びるまで、その探究心は止みません。

しかし、一度でも、胎息となり、生まれる以前の自分自神をしれば、この世の価値観とは、脆く、滅びへと向かってると、感じることでございます。

多くの人は、オギャーと生まれて、腹が減った、人の世の雑音の不快感、お尻に不快感、お母さん、かまって〜よ、お父さん、ウザい、などと、欲望に目覚め、それにより、生まれる以前の価値観を忘れてしまいます。

坐とは、生まれ以前の己を知ることが出来るのでございます。。。

古の道家は、「人間は、鼻で呼吸するが、神仙は、足の裏で呼吸する」と。

それは、嘘偽りでは無いのでございます。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神仙の寵児、秀和道。

2023-11-04 18:36:00 | 考察
鶴に乗った仙人こと、笹目秀和先生。

かつて、朝鮮白頭山にて、また、チベット崑崙山において、二人の神仙(受肉された、本物の人間であり、特命を背負う神の使徒。)に出逢われた。

月の精気を喰らう秘法。太陽の精気を喰らう秘法を授かり、その二つを合わせて、「いずのめのみたま」と呼ぶらしい。

しかし、これば、先天坐における、水火の交わりでもあります。

余談ですが、太陽とは火であり、月とは、水であり、水火が交わり、自己、宇内において、初めて、「いずのめのみたま」、神人合一と申すのでございます。

秀和老師は、出口王仁三郎聖師や出口日出麿師とも、交流があったのは、事実でありますが、かつて、崑崙山行く前に、金毛九尾霊の邪魔が入ったさい、聖師と日出麿さんに会い、大本神を崑崙山へ奉じされた神事が、秀和さんの著者(神仙の寵児。モンゴル神仙邂逅記)に書かれております。

そこで、十和田湖の龍神こと、出口和明さん(出口聖師の孫)が、本人に取材されましたが、どうも話がコロコロ変わり、和明さんは、彼を信用することが出来なかったと、見聞しております。

秀和老師は、不当にシベリアに逮捕され、水牢(くるぶしまで、水を入れられる牢獄。激寒の最中、寝れず、ずっと立ったままであり、糞尿も垂れ流し。老師は糞尿に対しては、工夫されたが、人が生きていけない環境であった。)をも乗り越えたが、親切なる人から忠告を受け、共産党に全ての言われ無き、犯罪を自分がやったとされ、水牢から解放された。

秀和老師は、シベリアから奇跡的に解放され、日本に帰国。

帰国してからは、至聖先天老祖の弟子として、活躍し、笹川良一、正謙さんを道院に導いた功を受け、寿命を十二年賜った。

ここで笹目老師の道名を紹介しよう。

秀和である。

和に秀でる。

老祖の弟子には、必ず、道名を賜る。

みな、その人への修道の目標を示されておられる。

なんせ、笹目老師は、喧嘩早い。

彼は自己の正義を重んじる事百千倍。

笹川会長を道院に招き入れた功績もありましたが、かつて、碁の神様と謳われた、呉清源(道名は、弈霊)さんが、笹目さんが、独善が酷すぎると、笹川正謙会長に相談したところ、正謙さんが、そういう意見があると、笹目さんに申したら、笹目老人は、怒り狂い、それを言ったとされる、呉さんに、怒鳴りこみました。

そこで、組織としての東京紅卍字会(笹川会長)は、これを憂え、神様に判示を乞いました。

東京総院弟子正謙、奕霊は謹んでテイハン(神様にお伺いし、判断をお願いする)致します。

弟子秀和は院会に於ける和衷恭済を欠き、その障害となり、堅誠なる修方の敬遠して去る者も多く、道慈進展の妨げとなっております。
如何に処遇すべきか、謹んで判示を請います。

また、笹目老人も、自分は間違っていないが、優劣で言えば、追い出されそうなので、神様に取次を依頼しました。

弟子秀和。師の恩恵に浴し、前五年無給、後五年有給を以て、ここ十年を奉仕し、得たことを感謝し、厚恩にすがり、更に願わくば、近く離京して、塵世の俗務(鬼雷述べる。私は左官職人で有るが、それぞれの職とは尊いでものあり、全ての人々が経済(世を経し、民を済(すく))っていると考えます。秀和老師が神様に尽くすのみが、正しく、天職とされておられるニュアンスは、間違っていると考えます。)に就職するのは、已むなきに至るかも知れず、院に職宣院掌簎と坐院の指坐職を増加し、賜わらば、幸甚に存じます。(ここで笹目老人は、神様に、道院の役職を過去の功績を交えて、欲し、それにより、東京総院に居座ろうとされた。)

黙真人判示。

「秀和は、院会に服務して、十年以来、その辛労は、記録するに足るものがある。

たた中(神様に対する信仰)に秀でているが、和を失っている。

それ、和というのは、天下の達道である。

特に院会は、道慈を以て綱要となし、誠正和平を尊ぶのであり、これが東京総院の額である。

ただ、汝が誠正和平にもとづかなければ、ならないのであり、すべての修方は、みな、この四字を以て基とする。テイハンしたところは、全て判った。

別に判示を聞け。」

この後、東京総院は、更にフーチをテイハンした結果、全ての役職を休職とし、秀和老師に、退職金(慰労金)を支払い、秀和老師は、東京を去るが、多摩道院を建設する兆しとなる。

多摩道院。ここでは大いなる功績となす。

しかし、香港のフーチ(正当な老祖の霊を受けた人が行う神様、爾来。)と台湾のフーチ(半分が老祖の霊を受けた人と全く老祖から許されていない人が行った土公神の自動書記)が争うようになると、笹目老人は、権威ある道職を安く命じ、皆んなに与える、台湾フーチ重んじ、台湾フーチが正しいとされ、(香港のフーチは、台湾フーチに魔が入ったので即刻、出された訓文を焼き払うよう、言われたが、台湾の多くの人々は神様から多くの役職を貰ったと喜んだ後なので、それを未練とされ、道を違えた。)、結末、予定寿命より、早く天からお向かいが来られました。

若いうちの間違いは、正しやすい。

老人の間違いは、正す事は困難であります。


翻れば、私、鬼雷も老人の域に足しつつあります。

そこで、何時も考えるのは、「私は、何時も間違っている。私は、常に正しくない。」

正義なんて、ものは、糞食らえ。

ハマス、ウクライナに正義あり。

イスラエル、ロシアに正義あり。

人間が、どちらかに、取り憑くだけで、神様は、どちらの味方もしないと考えます。

なんせ、神様は教義や、真理にあらず。

神様は、運行。自然の運行。

そこに、喜怒哀楽善悪正邪過去未来なんて、なんくるないさあ。

ただ、日本人として、生まれ、神に仕えるものは、滅美ある中で、足掻く、地球神の為にその御心に添うのみ。

破壊と再生。

再生は美しく、人の自助努力あり。

破壊は多くの民の生命を失う。

いずれ到来する、破壊の波。

やれやれだ。

それまで、精一杯、足掻くのみ。

次代の世代の為に。

自ずから、徳(自己の神)を明らかにして、全てを調和すべし。

明和あるのみ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする