玄徳道

道を語るブログです。

令和三年十二月、三六九神示。

2021-12-29 18:28:00 | 神示道
今日のこの日は、今から八十年前、日本がアメリカハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の勃発した、日であるぞ。

この戦争により、日本人の犠牲者も三百万人を越え、アジアやアメリカ世界中で大勢の者が犠牲にになった。

忘れてはならぬ大戦でありたぞよ。

この大戦の大きな犠牲の陰に、アジアの植民地、解放の先駆が成りたとは、申せ、この一寸法師の日本が、世界相手に大戦をいたして、絶滅せず、今日のあるのは、神のお陰であり、この大戦の事を肝に命じ、今後決して戦争を起こすような、事は絶対にならぬのであるぞ。

今、戦争の辛き悲しさを忘れて、如何にも日本の守りの如く、集団的自衛権行使や、敵基地攻撃能力保有等を申し力んでおるが、先の大戦の事を思うば、再び敵を作り、攻撃するような事は出来ぬのであり、そのような事をすれば、守るどころか、日本を危なくするものでありて、日本が軍隊を持てば攻撃し、属国にしてしまうぞと、世界の大国は虎視眈々と待っておる事を決して忘れてはならぬぞよ。

不戦の誓いをつらぬき通しつつ、世界の弱き国を助けて、世界平和一筋の道を守らねばならぬのがこの日本の使命でもあり、その道に徹する為の先の大戦の辛い悲しい犠牲や体験でありたぞよ。

熱さのど越しや忘れるでは、これからの日本の存続も危うくなるぞよ。

不戦の近いのある間は、外国も日本を攻撃、出来ぬのであるぞ。

ただ、平和惚けで無く、この事をしっかり肝に命じておかねばならぬぞよ。

未だにコロナ禍終息せず、世界に耐えぬ紛争の中、再び、米中露の冷戦の如き状態。

如何にするか、その狭間に立ちた日本は、真の使命に目醒めて、これまでの虎の威を狩る狐で無く、意気地無しと言われても、力まず、中道を守り、世界に和の道を通さねばならぬぞよ。


扨も人の身は霊(魂心)体(肉体)の結びによりて、成りておる如く、この大宇宙と一体に、大霊界があるのであり、人は更なり万物は目に見え形ある体だけで無く、相応の霊がある事を知らねばならぬぞ。

霊体の結びにより、生命幸倍(いのちさきは)うのであり、霊体を括り結ぶのが白山菊理姫の神の働きであるぞ。

全てを括り結び和の道を開き、生命幸倍ふ道を開かんとする、菊理姫は、余りにも事が判らず、利己主義(われよし)の道を走る人民の様を困ったものじゃと、堪忍袋の緒を締めて、見守り、それでも陰から守護いたしてまいりたが、何時までも今の様な人間の栄華の都合勝手の利己主義を続けてゆけば、菊理姫の神も堪忍袋の緒を切る事となり、地球の壊滅ともなるのであるぞ。

各地に起こる地震や噴火もその警告(きづけ)であるぞ。

良く良く心いたさねばならぬ、この時であるぞ。

皆で慈しみ助け合えば善き世となるものを、なぜそれが出来ぬのじゃ、人の暮らしには物も金もいる。

されど物や金だけでは、真の美(うるわ)しい世と、ならぬのに、金権主義の金毛九尾や、利己主義の権化の思凝霊(しこりがみ)の自在にされ、好き勝手の事を言ったり行う事が良い事のように、慎む心も忘れ、自由を大きく取り違えをいたしておる事にあるぞよ。

神界の事は人民の目に見えぬから、様々の型を持ちて見せてあるのであり、大本教に出口直殿、出口王仁三郎殿ある内は、丹波大本教に、艮の金神国常立大神が様々の型を見せ、昭和十年の大本教の弾圧は、日本の敗戦の現れた如くであり、世の立替の型であったが。

今は天地結びの神々の通う、天橋立真名井ヶ原に神界の仕組みを型に見せ、世の立直しの道を進めてあるぞよ。

平成元年からの真名井神社境内整備は、世の元の国常立大神を御出しいたす道開きであり、平成三十年に大祭に六十年ぶりに金色に輝く大神輿を出した事は、愈々、天照国照日の出の神、世の闇を晴らす、地の五六七(ミロク)神の御現れを型に見せたものでありたが、三千年かけて、体主霊従(物主人従)の世を開きて来た思凝霊等は、早く世が霊主体従(ひのもと・みろく)の世となりては困るから、コロナや、世界の様々の紛争を起こして、日の出を覆う黒雲の如く、日の出の神の出現を抑えておるのであるぞ。

悪神(体主霊従神)の荒振りも、神界は逆手に取りて世の立直しの道を開くのであるから、これまでに無いような事が起こりても、うろたえてはならぬぞよ。

常に時の流れ神の図りにのりて、歩みゆくことだあるぞ。

何度も申すが、人はそれぞれに人生劇場があり、そして、現の世の想念相応の世界であるから、辛い事、悲しい事があっても、神を信じ、現の世で結構な暮らしをいたし偉そうにしておりても、感謝を忘れ思い上がりておれば、おもわくちがいの、霊層界へ落ちねばならぬぞよ。

それぞれの御魂の親神は、常に導き、その元の大神は、天橋立真名井ヶ原に坐して、世界に睨みをきかせておる事を忘れてはならぬぞよ。

これから、大望の世替わり「ン」の力を神界は、現す時となり、その先駆けと世界に地震噴火の頻発で神界の活動活発を証てあるぞよ。

言霊神也 ン

令和三年十二月十一日

龍華斉修聖拝写




令和三年十二月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視篇。

2021-12-27 18:59:00 | 神示道
九州島原の雲仙岳(一.四八三m)ご拝され、上空に金の玉を咥えた青龍が舞っており、そして、平成三年六月に大噴火による火砕流の様が見えました。
(注 昭和五十三年二月四日、島原錦宮の菅公義氏と、雲仙妙見宮にて神業す。

その折、神示にて、雲(ン)仙が噴火する時は、世替わりの始めと知れ。と言う言霊を給わる。

雲仙は、ンゼンであり、五十音の最後のンの言霊を秘めている。ンの言霊は、神の霊では、金勝要神(キンカツカネ)の要の働きであろう。

最近、地球上に噴火地震が頻発しているのは、大地の金神、金勝要神の活動が活発になっている証しであろう。)

次に錦出の山水の絵の大きな中国の壺が見え、上から下へ大きくヒビが入っており、中国服の人が数名で、焼き継ぎをして直そうとしておられましたが、中々難しそうでした。

(注 これは亀裂の入った、冷戦状態の世界の様であり、又、中国内部にも、亀裂が生じている暗示であろう。

その事を隠しても隠し切れぬようになって来る。)

最後、陸の龍宮の奥の院と称される、兵庫県の鉢伏山が拝され山頂の石祠の前に、出口王仁三郎聖師の大本二代教主の出口澄様が立たれ、澄様は、大きな大根を祠に御供えされました。

(注 鉢伏山は三〇〇万年前、海中より噴火で吹噴き上がった一.二二一mの山で、陸の龍宮、奥の院として、出口聖師の澄様が日本、復興の為に開かれた山である。

陸の龍宮とは、噴火や隆起で海中から吹き上った、山や地場であり、日本の守護の為、龍宮のの働きを忘れるなと、御示しであろう。)

尚、出口澄様の御魂は金勝要神より出ず。

(注 大根もダイコン、ンの力がある。昭和五十年十月五日、但馬神鍋山の噴火口より、金勝要神の神霊石を御出しした日も、始め、鉢伏山の石祠に大根を供えてら出かけた。)

(注 青龍は刷新の氣である。地震噴火も刷新の
氣の発動である。)

天橋立道。

2021-12-21 17:35:00 | 神業道
幾億万年、奏多の中の一厘の仕組み。

多く少なく、神業を道とする者は、一重に天橋立を目指すなり。









はるばる来たぜ、天橋立。

かつて、二十数年前に、道院の修方、老祖の弟子であられた、(今もです。)人生の裏側のブログを書いておられるシタテルヒコさんに連れられてやって来ました。

彼を通して三六九神示の小長谷修聖さんも知りました。

彼は老祖の弟子であり、私の兄弟子で、彼の独特の神との感合、現臨と言われる道を歩んでおられます。詳しくはブログをご覧下さいませ。


天橋立には、元伊勢籠神社があり、その奥宮には真名井神社があり、多くの神業者が寄り付く場所でありますね。

私がシタテルヒコさんに連れて行かれた、およそ、二十数年前、真名井神社は、ひっそりと神軌をエガイテおられました。磐座の隣で坐も、出来ましたし、当然に垣根などありませんでしたね。

が、近年、悪さをする輩が多く、垣根が出来てしまいました。

なんせ、多くの人は、運気や力を得たいが為に、磐座に触ったり神木に抱きついたり、おまけに磐座に登ったりと、さらに賽銭を盗んだりと、神を畏れぬ諸行により、真名井神社には垣根が出来てしまいました。

まあ、触る、セクハラ。これは男女でも今は一般常識となります。

太古の時代であれば、視ることによって、奪おうとする、眺望。

現代では、触る事に寄って奪う、感触欲。

やれやれだ。人は既に神より宝を貰っている。

分不相応であれば、因果が働き、奪った分は衰えるなり。

残念でありますが、仕方が無いですね。

多くの人は神の機能を欲するが、神の為に働く存在は、参拝される人の三厘(3%)しか居ないのでございます。

「此処の神はお陰を求める神ではないぞよ。」

さて、天橋立とは、私の神業の源点であります。謂わばルーツ。

私が水業を初めたのも此処が原点。


真名井神社の神水を各所(引き篭もりの鬼雷が出来る範囲)に神交いたしました。


私が初めて磐笛を授かったのも此処が源点です。




天橋立海岸にて、手に取った石を海で洗ったら貫通した穴がある石でした。貫通した石笛は音を鳴らすのが割と難しいのです。授音する迄に苦労致しました。



再、はるばる来たぜ天橋立ぇぇぃ。

引き篭もりの私からしたら、最大限の遠出なり。

本来は、神を満たす方と来る予定でしたが、天候の不順により、また、私の独自の神業の為、独りとなりましたが。

小長谷修聖さんも本日は地鎮祭と忙しく会えずじまいでしたが、私は人に逢いに来ている訳でもなく、ただのあかんやの左官屋が、仕事をさぼり、いや、腰痛養生の為に、いや、真名井の神と交わる、信仰(神交)の為に来たのでございます。

それだけだ。です。

今日は日本晴れ。









天橋立駅から徒歩で元伊勢籠神社へ向かいます。。。












途中に、天橋立神社があり、お参りします。

此処で水業。今回はダンノダイラの水源の水から住吉大社の大海神社の井戸水から、天橋立の磯清水と真名井神社の御水と気が移りました。












元伊勢籠神社です。

正直、私は此処では何の感化もありません。

私は三六九神示を受ける為に、籠神社の会員となっていて、今日年会費を納めました。

参拝後、真名井神社へ。











真名井への参道から途中かなり、気持ち良くなって来ます。和らかく暖かい気が充満しております。







いやはや、天罰覿面。

無意識に看板の写真を撮ってしまいました。ごめんなさい。此処は撮影禁止です。

三輪山も登れば撮影禁止となります。

人間のモラルが酷くなると、垣根が出来る結果となりますね。

本当にすみません。

ただ、敢えて載せたのは、此処は太陽の神。月の神を祭る斎庭であり、太陽の神は日の出の神。月の神は龍宮の乙姫であり、日月が交わり、生物が生誕した真実が有るという事。

国祖国常立大神。豊雲野大神。の元のニ神の降臨された地であると云う事。

此処で磐笛 祝詞 経 咒を奉唱。

平日なのに、割と参拝者が多くおられましたが、恥ずかしさを消して、年に何度も来れないので、精一杯、吹き、経を挙げました。

来られた参拝者の方々、変なおじさんが怪しい事をして申し訳ありませんでした。

最後に私が秘事をしようとした所、誰もいなくなり、神との黙契を果たして、良かったです。自己満足です。

帰りに天橋立海岸にて、天の石笛を賜りました。

貫通している磐笛でございます。

冠沓の元の宮より現れる伊吹を込めれば音霊と鳴るなり。

天と地と人と音玉交われば全てを和ます誠と成らん。

古きより待ち続けたる神の笛誠の人の共に歩まん。

鬼雷の事では無いので悪しからずでございます。







神の道 安心安楽 事外れ 厳しき道なり 吾を磨く道なり。















水源道。

2021-12-13 18:27:00 | 地道
太乙北極真經で曰く、木に根本あり。水に水源あり。

水源木本。

道院の故、根本誠乾先生は、全ての存在には、必ず根があると。

貴方の根は親であり、親を大事にしなければ、自分を汚すと。

確かに、人は祖に基づき、祖は神に元づく。

しかし、安易には、うなづかない。

親が子を殺して、子が親を殺すが人の真実の世界なり。

太乙北極真經にあるがごとく、その種を滅ぼすのは、親が子を殺し、子が親を殺し、截源、自断として、種の断絶が描かれている。

太古より、滅びた種は多くあり。

人間はどうなのか。ただ、一部の、滅びを推奨する阿頼耶識の因果により、行われている。

故に、今の人類に自断は無い。しかし、未来は不透明であり、人の因果以外に、地球に積もった劫は相当なものである。

老祖の弟子は速やかに、それを化さねばならない。

滅びの阿頼耶識とは、悪意の積算。積もり重なった結果の行いである。


親を大切にするのは、当たり前だのクラッカーであるが、親に虐待を受けた者も確実にいる。

私は大阪で暮らしたいるが、かつて西淀川区の西淀川警察署の後ろのマンションで、幼い女の子が虐待され、バルコニーで死亡した事件があった。

私は神に文句をいった。てめえは、何も出来ない神なのかと。そして、俺も何も出来なかった。

さらに、言う。馬鹿ばかりの無能の神ども、幼き子を守る事も出来ない無能な神ども、俺がいつか、神となり、子供と、女性の、守護者となると。

それほど、自分の無能さに腹が立っていましたね。

未だに無力である。情けなし。


それと、同じく、神の眷族も自然破壊の一端によって、機能を奪われている。


奈良の古代出雲族の聖地、ダンノダイラ。

巻向山の水源地。

そこに水神社があり、よこしまな(邪魔)、気を湧き上がっている。(眷族は水蛇神。)

今回は二度目の対面であります。

經や祝詞を唱えようと、すると、単語が出て来なくなる。意識をそらされ、単語を忘却される。それは、四度目。

蛇は食うものの気を呑む習性があるようだ。

しかし、今度の天の橋立神業には、ここに来なければならなかった。

なんでかは、知らん。


神は悪を為して善とする。


祟り神と畏れられていた、艮の金神。

なんだ、蓋をあけりゃあ、人を信じた愛する神であった。


多くの人間は、今でも知らないが、祟り神とは、太古崇拝された神である。

強いもの勝ちよりも、調和を重んじた神が殆どである。

神は人の崇敬により、力を増すと言われているが、それは、真実でもあるが、人の盲信により力を増す存在もいる。それは神ではなく、思凝神である。

なんせ、人は迷信する。

自己の神を知らない者には永遠に迷信するのである。

神とは、人に左右されない。

しかもだ、人の御魂と能く感合し、神を拝み奉り、崇敬されなくても神は無償で助けるのである。


神は人を無償で愛する。そこでも、人には、信仰を求めない。

自ずから内なる神を覚信した信仰であるならば、神は喜ばれる。

そこで、迷信の妄想を離れた、真実の繋がりによる信仰を神は、臨んでおられる。

神は何時迄も待っておられる。目覚めを。

真の神は求めない。与えるだけである。

それは、人も同じである。愛する家族に見返りを求めない。ただ、与えるだけである。

見返りを求めるのは、仁愛を離れた、損得の世界である。


私が水神社の水蛇に臨んで、何も欲し無い。ただ、磐笛を吹き、經や祝詞咒を挙げ何も欲し無い。

一天指。

帰りに松と榊が落ちて来ました。

眷族神のお気持ちであられようか。



松と榊は食べる分だけと神棚に捧げるだけ頂き、あとは土に刺してきました。

根が生えると良いね。




天命を明らかにする道

2021-12-09 19:30:00 | 神使道
人が天命を最初から知れば、人は神の奴隷と成る。

そして、神は、人に追従を望まない。ついでに書く、神は、人の利益の為の信仰を望まない。

なんだ、そりゃ。されど、神は、己を愛する者を好まない。

これは、永遠な真理である。

神は割と自己にタンパクで、ワンパクな人を好む癖があるようだ。

神は自己よりも、人の世話をする存在を好む癖があるようだ。

そして、神は、創造と冒険する人を確実に愛されるなり。

やれやれだ、拝み拝し、奉り、供物を捧げ、神に請い願い奉る。

私を幸せにして欲しいと。無益。されど一部の眷族が呼応する。そして、呼応した存在は虚に還される。

神は我欲を好まず。なんで、ですか。人の個別の意思は、詰まらないからである。ああ、つまんない。

神にオベッカは要らない。人に必要な価値は要らないのである。

神とは虚。そこに、心は無いが、和する心に感合される。

かつて、大量の逆殺を行った、歴史の一人。

織田信長は、ジェノサイドを為した。伝教大師、最澄が歩んだ比叡山は組織として、弱者に摂取し、貴族の如く、土地と人を蝕んだ。釈迦の心を無視して、我が桜花を喜んだ為である。。。。。。意味直も天の意思でもある。

大六天魔王である信長は、人にして、人に非る、月意識、地球の意識を保つ存在であった。

故に、比叡山を焼き討ちにした。皆殺し。

人を導くのは、自然にその立場にある。故に驕れば滅びる。

元から仏道に僧兵は皆無なり。

僧が兵と、なれば、そこには、地獄しか無いのである。

強い者勝ちの世。

それを打ち破壊した、信長は、悪を為して善とされた。

信長は天に帰られた。信長は地獄に堕ちなかった。

神に追従するなよ、人間よ。

敵対するのではない。神に媚びへつらうな。

神が在りて、吾がある。吾が神と出逢えば、自らの立場を悟るなり。

天の命とは、前世の過失を補うにあるに、非ざる。

天命とは、生きる以前の阿頼耶識を越える魂の発露なり。

天命を覚るとは、自己の本源なる神の働きを悟ることである。



私は、自分が生まれて来た理由が知りたかった。 

長い何月、蛆虫のような私に価値があるのかと。

当然に価値など無い。

ただ、悪しき存在として生まれたとしても、縁がありて済う存在が居て、地球意識に乗せてくださる。

まあ、人として生まれたならば、善悪を超えて、宇宙を解明すれば、神の隣に立てるかもだぜ。

神の隣におれれば、幸せであるが休む暇なし、結局は神の奴隷となるのかも知れない。

それもまた、良し。