玄徳道

道を語るブログです。

令和二年11月 三六九神示

2020-11-27 18:43:16 | 神示道
大きな世替わりの時と申してあれど
、その真意を見極めむとするより、今も変わらず、目先の損得、我身の都合勝手の事ばかりにはとらわれておる人民であるが、世界の様を見て見なされ、日本の国の頭も替わり、アメリカのトランプ殿も選挙に敗れ次々の世界の頭も替わりて来たであろうがな。

世界の大芝居、役割が変わりてゆくのであるぞ。

新型コロナの為、これまで通り好き勝手の出来ぬ世と替わりてまいりたが、如何なる世となるとも、親神から、御魂を授かりし神民は、その御魂によりて、それぞれの使命や職業も授けられてある、事のを忘れる事無く、様々困窮あることもそれに負けずら前向きに、清く明るく、誠を持ちて、日々勤めねばならぬぞよ。
その事が神意を現の世に実らせ、行き詰まりた世の岩戸を開き新しき世を開きてゆく事になるのであるぞ。

扨も、生成化育も神業と為せば、天之御中の宇宙の中、日月星辰、この地球を鳴り成らせたのは、艮と坤の神氣の発動であり、それを富士と鳴門の四九三と申してあるぞよ。

艮の神界には、国常立之大神が坐し、坤の神界には、豊雲野大神坐し、厳瑞の四九三にて、この地球も成り、万物も生まれ人の身もこの地球に住まわせて神意を実らす為に働かせてあるぞよ。

化育は、万物を育てはぐくみ、人の身をもって文化文明を成らせ、人民より、神民と成長させ、現の世に地上天国を成らせるのが、乾巽の道であり、世の元の艮金神、国常立大神の神意を実らせる神氣の道であり、日の出の神、龍宮乙姫連れ添うて働く道であり、三六九の神、出現の道であるぞよ。

艮坤は生成。乾巽は化育。

生成化育の神業を現の世のに成らせてゆく、四九三は、神界に成りて、日の出の神、即ち、地の三六九神、出現の地場は、日本の乾、天橋立真名井原、籠宮であり、母なる神、伊邪那美の神子なる、神素戔嗚の神、出現の要の地場は、丹後国熊野郡甲山の四九三で、それを写せしが紀州熊野である事、証してまいりたが、その事が現の世に明らかになれば、これまで世の元からの神々を封じ込め落とし入れて世を自在にしてまいりた、思凝霊は、消えてしまわねばならぬから、神事に仕える者や、真実の事を申す者等は、邪魔になるから、世の改善に働く者等の足下をすくい、様々の悩みや、身の病も、もたらして、現の世から抹殺せんとする妨害は、神が表に出る程、強くなりてまいるから、みな心して、まず、御魂の勢いを弱らせぬよう、清く明るき心を保たねばならぬ、この時であるぞよ。

まだまだ、すぐには、世の改善は成らぬから、根気よく、それぞれの御魂より出ずる職業に、励みつつ、世の為人の為に尽くす。

慈しみや、奉仕の精神を磨き、日々の勤めに勇まねばならぬぞよ。

神さま参りだけが神事でなく、神への祈り感謝と共にそれぞれの使命の果たしに努力する事が真に大事な神事であるぞよ。

祈りとは、我使命の果たしに努力する神への誓いであるぞよ。

さあ、乱れ荒ぐ、今の世。

思凝霊は、正しき事を言い、行わむとする者の妨げを一段と増してまいるから、それぞれに悩みや身の病いや、これまでの和の崩れたり、困った事が起こりて、段々神の道から離れ、利己主義の道へ走るような者も出て来るが、そのような事に振る回されてはらならぬぞよ。

どんな苦しい事や、悩みがあるとも、人をうらまず我が身の因縁の浄化、人民から真の神民と成る為の磨きであると受け取り、心を明るくすれば、思凝霊も歯がたたず、退散してまいるぞよ。

祓戸の神の筆頭、瀬織津姫の神、ハ臂弁財天と変化して、真の神民を守るぞよ。

国常立之大神の御魂を受けし、役行者も現れて、誠の者を守るぞよ。

辛く悲しき事あるとても、決してそれに負けず、時の流れに舟を浮かべて進むのじゃ。

時の流れの中に神の意、四九三は現れて導くのであるぞ。

時の流れに身を任せ、決して焦りてはならぬぞよ。

腹を据え、息を調へ、どんな時も神と共にある事を忘れる事なく、歩むのじゃ。

さあ、水晶の世の開きじゃぞ。

表は綺麗言を申しておる、お偉い方であるなれど、裏では、思凝霊にあやつられ、善からぬ、恐ろしき企みをいたし、人民を惑わして居る事も、段々明らかになりてまいるぞ。

くれぐれも申しておくぞ。

いろいろ騙される事ありても、それでも誠で道を歩む者は、必ず、神が守るぞよ。

神は様々の人の縁に現れて助けてまいるのじゃ。

さあ、艮坤の仕組みは生成、乾巽の四九三は化育と申してあるぞよ。

人はそれぞれ、御魂の縁によりて、生成化育の神業に参ずのじゃ。

艮金神国常立大神、坤金神豊雲野大神、乾巽の道に坐す、日の出の大神、龍宮姫の神に仕えて奉るのじゃ。

仕え奉る誠もて、それぞれの職業使命の果たしに励む時、人足霊止(人)の道が開け、その御魂は、御魂の親神と共に、永遠に栄ゆる事となるのじゃ。

さあ、行き詰まりは、無いぞ。

清く明るくそして、楽しく歩めば、思凝霊も去りてゆくぞよ。

利己主義の悩みは思凝霊を呼ぶ事を忘れるのではないぞ。

言霊神也。

ン。

令和二年十一月十五日

天橋道士龍華斎修聖拝写。






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蒙昧道。

2020-11-21 19:57:02 | 日記
私は、生まれる前に、父が蒸発し、親戚は、堕ろせと述べ、祖母と母が反対ともう、堕ろせない、状況もあり、逆子にもなり、ようやく戻り生まれた。
自然分娩に近いが、破水し、鉗子に頭を挟まれ、無理やり引っ張られた。
故に頭が変形し、頭蓋骨が少し歪んだ。

私は発達障害者として幼年期を過ごした。当然にその記憶は、今だから、解る記憶。
幼年期は文字を憶えず、数字を憶えず、全ての勉強を嫌った。二年上の姉は賢かったが、私には学習の意味が理解できなかった。当然にして、小学生一年のテストは全てゼロ点。私はひたすら、無邪気に生きていたのである。

私の蒸発した、父は、母が曰く、「アパレルに勤務し、出世が早く、優しく、頭も良く、男前で、恋愛結婚で本当に好きだったと齢七十に近いのに今でも述べる。」
私からしたら、賭け事競馬好き、借金し、会社の金を使い込み、嫁も子も捨てた、愚者でしかない。尚且つ、蒸発し、自殺する死ぬ間際には、コンクリート打設のポンプ屋に働いていたらしい。左官屋の私と近しい仕事に就いておられたのには、驚いた。

東京の大手町のビルから飛び降り、両足で、その衝撃を受け、内臓は破壊され、即死。その衝撃は、私が受け継いでいる。魂は神に還り、霊は私が受け止めているから。私は今も、夢でその衝撃を覚るのみ。

私は発達障害者であるのに、幼少よりそのプライドの高さに辟易する。馬鹿は馬鹿なりに過ごせれば幸せなのに。

頭も悪い、運動音痴。小柄。故に他人に馬鹿にされる。

私は幼少期より、怨みの王の如く、全てを呪っていた。

世界の破滅を呪い、同学者を呪い、他人の不幸を悦んだ。

しかし、自己愛と同様に、家族の幸せは祈っていた。


深見青山。出口王仁三郎聖師よりも、最も、青年期に感銘を受けた、恩人である。深見青山先生を大変、尊敬し、著書も読み漁っていた。

神界からの神通力により、神が人と同じくなる、神人合一の道を始めて知った。


しかし、彼が、深見東州と名乗る頃には、彼のへの憧れは消えつつある。その頃には、半田晴久さんの道院の師である、根本宏老翁から、彼の若き時代の話を聞いて目から鱗が堕ちたから。
聖人君子も、故郷に叶わず。

深見青山。根本宏。黒川謙介。出口王仁三郎。出口日出麿。ダンテスダイジ。尊敬する偉人。

伊勢白山道リーマンさんは、あくまでも同格として見ていました。なんせ、同じく、内在神を唱える同士。まあ、瞑想へのお互いの想念で反発しあいましたが。

しかし、彼らも人。私も人。同じ木の実。

実は、落ち、新たな種とし、その果を夢、愛、覇道を歩む。

私は、左官職人とし、弟子を養成し、懸命に生きている。

常に限界を超えるべく、弟子や職人には、休憩をさせても、私は、昼休み謙譲で、休みを取らず、蠢く。

しかし、全ては、命数である。

私が懸命に働いたあとに、いきなり、ぶつかりもせずに、肩が脱臼したこともある。病院を二転三転して、ようやく直してもらえる。

痛みは因果でもある。かつての、カルマ、前の世の責め殺しが未だに訪れる。

蒙昧とは、愚かであると言うこと。

吾が師、至聖先天老祖しての邂逅。先天坐を二十年、日々行うが、まだまだ、愚かなる蒙昧は、止まず。毎日の反省の日々。

ああ、ヤレヤレだ。




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裏神業道

2020-11-11 17:54:00 | 神業道
人は神にすがり、救済をネガウ。なんせ、人の道とは、苦難、病気、悩み、人付き合いに於ける、錬磨がある、故に。

神業とは、神の意思を代行する行いである。

出口聖師よりの裏神業とは、任運自然に、その神業を輔佐し、尚且つ、その働きを人々には、知らしめてはならないのである。

大本裏神業では、四十八人がその、任命を承けた。

されど、多くの人は、真の神業を悟らず。

裏神業の一厘でさえ、世に公言した。

裏神業とは、見ざる言わざる聞かざる。ただ、黙然と行うのみ。

四知あり。

天知る地知る我が知る。そして(他)人も知る。

天網恢々疎にして漏らさず。

大本裏神業。漏れて遅れる弥勒の世。

さらに、今はネット社会。自分の手絡を騙りたい、時代。

あなたは、何者でもない、只の人。私も左官職人である、ただの人、しかも発達障害を持つ。。。

自己を救済する、心は持てても、真に他人を救済することは叶わない存在。

なんせ、自らを救い悟っても、他人にはその感化を伝える事しか出来ない。

さて、裏神業とは、文字で表せば、「神業は吾が存する。毀誉褒貶は他人の主張。」

そして、既に表れた裏神業と唱えるものへは、一厘の仕組みは、廃れ、風前の灯。








三千世界、一度に開く梅の花。

龍宮の乙姫、日の出の神と表れる。世界の止めの事であるぞよ。



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