玄徳道

道を語るブログです。

令和四年八月 三六九神示。

2022-08-20 21:34:00 | 神示道
今日、八月八日は、天開け(八)地開き(八)、龍宮に深い縁の日であるぞ。

返り見れば、昭和四十八年八月八日、富士山頂剣が峰にて、修聖を始め有志の者、天地の清浄祈願祭に仕えさせた大事な記念日であるぞ。

これまでの世に、思凝霊(しこりがみ)にあやつられた人類が積み重ねてきた、体主霊従の世の罪科や、汚れ穢れを浄め給へ祓い給い、神人和楽の地上天国、開きを祈念したのであるぞ。

体主霊従の世は、世の元からの生命の海(もと)の神々は思凝霊に封じ込まれ、陰からの守護であり、金力を恵み武力権力に力を貸し、人間を思い上がらせる思凝霊の自在の世でありたが、昭和四十八年(よは)は世開根(よはね 音)の年とも申してありたが、封じられていた神々の岩戸開きの時節となり、世の元からの神々が次々現れ、罪科や汚れ穢れを浄め祓う大浄化の世となったのであるぞ。

神と言えば、人間の都合勝手の事を何でも適えてくれると思って来た三千年でありたが、世の元からの神々が、現れて浄めや世の改めが始まったら、これまで夜の世で暗闇に悪事因縁隠せたが、善きにつけ悪しきにつけ因縁皆浮かび上がりてまいるから、これまでより、世の中悪くなったように見えるのであるぞ。

人民には困った事と思ってる、雨風嵐地震雷も、現の世の浄めであり、修理固成(つかりかため)であるが、五風十雨の狂い無き世を開くには、余りにも身勝手な人民の利己主義(われよし)の心を改めねばならんのであるぞ。

中々終息せぬコロナも、これまで好きほうだい何でも自在になると思って来た、そののぼせ上がった思いを改め心を鎮め様々の苦労に耐えてゆける精神を鍛えるためであるぞよ。

人類も段々増えて食い物も足らぬようになると申しておるが、そうしておるのは贅沢と無駄であるぞ。

余りたる物を足らざる者に恵みてゆく精神となれば、神はこの地球に生きる者の食い物用意しておるから、餓死する者も無くなるぞよ。

強い者勝ち利己主義の世を根本から改めてまいらぬと益々困窮する者が出来るぞよ。

金力で権力を求め、それでも敵わぬと武力を使うやり方では何時になりても世界の争いは止まず、見えて来るのは核にしがみついて滅びの道を歩む姿であるぞよ。

この度、安倍元首相のいたましき銃殺が起こりたが、それによって伏せられて来た統一教会の政治家の癒着が露見して騒いでおるが、これまでの世は闇の世でありたから、金の力で権力を自在にする事は常になされて来た事であり、それで金力のある者が権力を得て、強い者勝ちの世となりておりたのであるが、今は日の出の昼の世であるから、闇にかくれた悪事は皆、露見してまいるのであるぞ。

令和の元年から、天照国照日の出の神の御現れとなりておるのであるぞ。

(注 夜の世は体主霊従の世であり、物的成長の世。日の出の世は霊主体従の世で、霊性を磨き、至誠通天の世の中。)

思凝霊の大将の実入りた統一教会は人民をだまし、金を巻き上げ、その金で政治家をあやつり権力を得て世界を自在にせんといたしたのであるが、信教の自由と申せ、人をだまし金力で権力を得る悪事は許されぬぞよ。

神の四九三は、善も悪も使う大芝居であるから、何程悪事を伏せておこうといたしても、あんな者を使って、こんな事も明らかにする奇しき図りが、あるぞよ。

政治と宗教の関わりは当然であるが、人民をだまし金をまき上げ、政治家を金力であやつり権力を得んとするような事は、宗教には許されぬ事であるぞよ。

政治でも宗教でも必ず悪事は露見し強い者勝ちの土台は段々崩れてゆくから、政治家宗教家も、利己主義の心を改め真言誠(まこと)の道を開くよう本来の道に帰らねばならぬぞよ。

我が我がと金力武力で天下を取っても、露と消えてゆく人の身じゃ。

夢まぼろし如き現の世であれど、形ある現実の世でもあるのじゃぞ。

現の世の始めから神人和楽の世を開かんとする神界の願いは、如何に世の浄化激しく荒れ狂うとも変わらぬから、様々苦境の中にある人民もこの事、忘れる事無く、苦渋に負けぬよう希望をもって歩まねばならぬぞよ。

世の元の国常立大神が神々龍神を使いて現の世を修理固成(つかりかた)めてから一度は体主霊従の闇の世となりたが、愈々日の出の神、龍宮乙姫(瀬織津姫)つれそうて、力合わせて世を構う時代となりたのであるぞ。

新しき神の世の要の地場、男島女島や天橋立真名井原籠宮へ集う者も段々と増えてまいるぞ。

(注 籠神社の神島、男島女島は日出の神、龍宮の神、出現の地場である。)

それぞれの御魂の岩戸を開く鍵を授け新しき世を開く五用に、使ってまいるぞ。

まず、我が職業に精を出し、特技特性の発揮に努力して御魂の使命を果たしに尽くすべし。

寄せては 返す波の音 天の橋立 松吹く風に 心和ませ 歩みゆけ。

言霊神也 ン

令和四年八月八日拝写 龍華斎修聖。


富士山頂天地清浄祈願の経路。昭和四十八年八月八日斎行。

昭和四十七年七月七日、加佐郡元伊勢日室ヶ岳、下の二瀬川の産盥の水を汲む。

同年八月十八日、但馬気比の浜より産盥の水、世界を巡るよう海へそそぐ。

昭和四十八年七月七日、世界を巡りし水を但馬気比の浜で汲み富士へ鎮める用意。

昭和四十八年八月四日、熊野玉置神社にて、新海史津江氏の神示にて、玉置の石と水と火を富士へ結ぶよう依頼される。

昭和四十八年八月七日、琵琶湖長命寺沖の水を汲む。

同夜、富士宮浅間神社へ泊り湧玉池で禊ぎ。

昭和四十八年八月八日、富士山頂の剣ヶ峰にて、鎮物を献じ神業登拝の者七十五名、山下を巡りし者、七十五名、計百五十名奉仕。

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令和四年八月八日 小長谷修聖 三六九神示霊視篇。

2022-08-18 21:03:00 | 神示道
龍華館、神前に七月七日七夕より旧七月七日(八月四日)迄、平成八年三月八日、月山行者、城山郁子氏から龍華館に納められた、福島県から出た、八臂の弁財天女の御軸を御祭りしていたが、そのハ臂の弁財天が、岩手県早池峰山上の磐座の前に立たれ、次には十和田湖の岩の島の上に御出ましになり、富士の宮、浅間神社、湧玉の池の上に姿を現されました。

(注 弁財天女の本体は瀬織津姫の神であり、十和田湖も善女龍王の名で祀られている。
浅間神社湧玉池は富士の伏流水の湧き出る神地で、その水は瀬織津姫の働きである。
昭和四十八年八月八日、富士山頂、天地清浄祈願祭に奉仕の方は、特別に湧玉の池にて禊を許され登拝する。
福島弁財天は縁ある地を巡られているのだと思う。)

次に世界を型に示された、大本綾部神苑の金龍海に多勢の白衣の方々が入り、池の底の泥を上げて掃除されており、その様を大八洲より鍬を持った出口王仁三郎聖師が、眺めておられました。

(注 金龍は国祖国常立大神の活動の姿であり。大神の修理固成(つくりかため)された現の世の根底からの大掃除が始まっている御示しであろう。
大八洲は金龍海の中心となる島である。)
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ダイエット道。

2022-08-16 21:00:00 | ダイエット道
去年、右肩の脱臼を二度してしまい、心が折れてしまいました。

筋トレから遠ざかってしまいました。

仕事は肉体労働なのと、現場責任者である為にストレスから飲酒が止められませんでした。

お酒は焼酎とワイン、アテはポテトチップス、チーズ、ピーナッツ、せんべいなど。

お酒自体は強くないのですが、日常化しておりました。

二週間ぐらい前に自分の身体の醜さ(特に下腹)に呆れてしまい、心機一転、ダイエットする事に決めました。

お酒は腹がへっこむまでやめます。

最初は、夜にウォーキングしたり、筋トレしたり、休みの日には、自分の好きな神社まで走ろうと三時間かけて歩いたり走ったりしましたら、足を痛めてしまいました。

それから、自転車に替えましたが、辛さがなく、効果に疑問を感じた為に、ランニングに替えました。

ランニングを始めるにあたって、左足の甲に変で気持ち悪い、痛みがあり、どうしようかと悩みましたが、「この痛みは、自分の弱さが出ている。弱い自分に打ち勝たねばならない。己を愛する事は良からぬ事のはじめなり。また、聖書でも、狭き門より入れ、滅びに至る門は広くその道は短い、天国に至る門は狭く、その道は長い。」などと訳のわからんアホな奴となり、痛みは無視して、走る事にしました。
走る先にあるのは、当然に神社。

お盆休みはひたすら走りました。



朝の5時に出発。

私の家から、神津神社まで、走ります。
今では、早く走れるようななったので、30分ぐらいで到着します。





大阪市淀川区十三東、神津神社です。

参拝後磐笛を吹きます。磐笛は一つずつ順番でポケットに入れて持ってきて、その役割を与えた磐笛の咒や祝詞、経を唱えます。

神様と交わり元気をもらい、次の神社へ向かいます。




大阪市北区中津にある富島神社。

ここまで走って20分かかります。

神社では心坐を行い、交流致します。

次へ向かいます。


淀川の河川敷を走って、野里神社へ。


この道路は昔、アーケードのあった野里商店街でしたが、月日の流れは無惨でありまして、今はただの道路です。


大阪市西淀川区野里、野里住吉神社に到着です。

冨山神社からここまで、走って40分ぐらいかかります。

そして、ラストの神社へ。



走って20分ぐらいで着きます。


大阪市西淀川区姫島にある姫島神社に到着です。
神社では、参拝後、磐笛を吹き経咒祝詞を唱え神様と交わるのが楽しみでございます。
人も、少ないので恥ずかしさもありません。



帰りに、自宅近くの遊歩道を通って家に帰宅です。
休みの日は、朝5時に出発して家に7時ぐらいに到着します。

最初は3時間ぐらい、走ったり歩いたり、かかりましたが、慣れてくると、スピードが上がって来ました。

家に着いたら、代謝が上がっている内に筋トレを行います。

腹筋ローラー膝を着かず10回。(昔、やり過ぎて腹筋が攣ったことがあるのでこれだけです。)

膝をついて、腹筋ローラー30回。

爪先立ちスクワット50回。

10キロ、スクワット30回。

20キロ、スクワット20回。

腹筋50回。

脱臼防止用のインナーマッスルもゴムを使って鍛えます。左右共。

腕と握力の筋トレは適当にします。

そして、お酒の代わりに水、牛乳や飲むヨーグルトを飲みます。

最近は牛乳は身体に悪いと言われておりますが、何でも感謝して飲んだり食べたりすれば、ナンクルナイサあ。

坐して、息を整え、気を養います。

午後3時から夕方にかけては、近くの遊歩道で走ります。




この遊歩道は自宅から15分ぐらいの所にあります。
全周で5.6キロメートルあるらしいです。

最初は一周に1時間ぐらいかけて、走ったり歩いたりしましたが、慣れて来ると、走って40分ぐらいで周ります。
その内、もう一周行けるのではないかと、二周頑張って走りました。

人は頑張ったら、本当に進歩します。2周目で色んな処の足が痛くなりましたが、次の日にも2周走ったら、楽に走れる自分に驚きました。

左足の甲は、走れば走るほど痛みが減って来ました。

仕事の日は、バイク通勤をやめて、自転車にしました。現場二つあり、40分と1時間ぐらいで着きますので、代謝が上がります。肉体労働して、自転車で家に帰ったら、代謝がある内に筋トレをします。

筋トレが終わったら、坐して心気を養います。

体重は61キロ、体脂肪率は19%ありましたが、現在は57キロ.体脂肪率は17%ぐらいです。お腹の浮き輪も大分取れて来ましたが、なかなか、下腹の内臓脂肪が取れません。

食事制限はしていませんので、仕事から帰ると体重が56.5キロ、体脂肪率は16%ぐらいに減っていますが飯を食べると58.3キロぐらいになります。

目標は体脂肪率15%体重は55キロです。

ようやく腹筋の残影が見えて来ましたが、下腹がまだまだです。

腹筋が割れている男になりたいのです。

ちなみに、お酒を止めてからは、体調は絶好調となり、まだまだ、私も若いのかも知れないと思うこの頃でございます。












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神社参拝道5

2022-08-15 17:08:00 | 神社道
自転車道中、神社参拝、兵庫県尼崎市の続きです。










兵庫県尼崎市富松町、富松神社。






御祭神は須佐男命、応神天皇。

千二百年前に僧の行基上人が富松の里の守り神として、神仏を祀ったのが始まりとされておられるようです。

御神霊一柱、御眷族神一柱、眷族六体。

次へ。










兵庫県尼崎市栗山町、生島神社。








御祭神は生島神、足島神、天照大神、須佐男神、伊邪那岐神、伊邪那美神。

御神霊は一柱。眷族三体。

次へ。









兵庫県尼崎市下坂部、伊居太神社。
尼崎市最大の前方後円墳の上に建立されたようです。




御祭神は武甕槌神、天児屋根命。

御神霊は一柱、眷族は二体。

次へ。









兵庫県尼崎市潮江、潮江素戔嗚神社。




御祭神は素戔嗚尊、玉依姫命。

御神霊は一柱。


神社に来たらば、神と交わります。

何を以て交わるのか。

吾が身命によりて交わるのです。

この天地間に於いて、人の役割は天(陽、火)と地(陰、水)を交わらせることでもあるです。

先ず、今の人は、自己の内にて、火水(神)の交わりをせねばなりません。

その方法は、縁により、神に与えられます。

キリストへの祈りに於いては、神の為人の為と祈り行動すると、欲心が無くなり、内なるキリストが身体の宇宙を回天させます。

それは、儒教の仁も然り。仏教の慈愛も禅も然りです。

そして、吾が先天坐法とは、老祖が人を済う為に上天の秘法を降ろされ最も神人合一の道に叶う方法でもあるのです。

坐により、身体に於いて心臓(心火)より火が降ると、腎臓(腎水)にある水が上昇し、水火が交わる状態となります。
これを易では「水火既済」と言い、全ての物事が成就する生成化育の象となります。

此処に於いて、霊的な七つの丹田が回転します。そうすると、奇経八脈が流れ出し、人体は宇宙や天地の働きである周天を行います。

神人合一の要とは小周天でもあります。

反対に心火が欲望により、頭に上がり、腎水が下がれば、火と水が交わることが無く、心火はやがて燃え尽き、腎水も枯れ、心身の病の始めとなります。

小周天の状態で御神霊が坐す、神社に参れば、神様もお喜びになられ、神と人共に元気となるのでございます。

坐も祈りの道も瞑想も、誠心が大切でございます。

神人合一の状態とは、神様と合体すると考えておられる方もいらっしゃるかも知れませんが、人の至誠が常に発揮されておられ、自己の内なる神と自然の元神と交流し、調和状態を現している事であると考えます。






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神社参拝道4

2022-08-07 17:25:00 | 神社道
もはや、生きて半世紀。

私は元来、華奢で運痴で身体も弱く、人混みに入れば、頭痛が起き、体力はありませんでした。

サラリーマンを経て左官職人になってから、体力が付きました。

しかし、毎晩の晩酌とつまみにより、腹がかなり、出て来ました。体力も落ちて来た事を痛感するこの頃。

酒はやはり、あまり身体に宜しく無い。晩酌が習慣化している現状もまた、堕落への道。

一念奮起して、取り敢えず、腹を引っ込める事に決めました。

酒を抑え、ウォーキングとランニングへの道。

会社の専属の整体の先生言わく、脂肪を燃焼させるには、最低20分運動しなければならないと言われたので、休みの日に三時間走ったり歩いたりしたら、足を痛めてしまったので、代替で自転車で三時間ぐらい、神社を周る事に決めました。

私の隣の町、兵庫県尼崎市の神社へ。

神社の神威は常に、誠ある信仰者の敬によりてその威力を発揮します。




兵庫県尼崎市大物町、大物神社。







御祭神は大物主神。

御祭神は明治以降に大物主とされたようですが、それ以前は市杵島姫命だったようです。

御神霊は一柱。磐笛を奏上して来臨されました。常に坐しておられる感じはありませんでした。

次へ。





兵庫県尼崎市西本町、貴布禰神社。





御祭神は高龗神。

御眷族神が一柱。

地場のせいなのか、あまり発揚力を感じられませんでした。

磐笛と天津祝詞を奏上。後日、京都貴船川の磐笛と大祓祝詞、神化咒を奏上。

次へ。





兵庫県尼崎市西難波町、熊野神社。




御祭神は伊弉冊尊。

御神霊一柱。眷族二体。

難波熊野神社はたまたま、看板を見かけたたので寄りました。ちょうど、大雨が降ってきたので雨宿りも兼ねて、磐笛と大祓い祝詞を奏上しました。

神は人の敬によりて威増し、人は神の徳によりて運を添う。

昔、修道の師は、「敬とは、相手を尊敬する意味もありますが、道を修める意味では敬とは敬止であり、妄念を起こさない事であり、主一無適であり、その独りを慎む事である」と教わりました。

故に大学では、「穆穆たる文王、ああ緝熙にして敬して止まる」と。

人は、神社では、素朴で素直に、親にすがるつもりで、真心を込めるのであれば、神はその御徳を発揮し易いと考えます。

ただ、我儘に、己の欲望の意念をぶつけたら、自らの意念の黒雲により、神の御徳の光を閉ざしてしまう。即ち、自業自得となってしまうと考えます。








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