玄徳道

道を語るブログです。

神の真通力道

2024-04-24 17:26:00 | 大道
梅で開いて、松で治めるのが、神の御心。


人には、魔法が存在します。

黒魔術、白魔術などは、悪魔と天使から授かったとされる方もおられるかも知れませんが過去の妄想(呪い、嫉み、破壊、自己幸福、利己主義)として、生まれた類のもののような、感じが致します。

全ては、想像。妄想なのかも知れません。

人の起源より、億年の産物。

人を魔法で呪い殺すには、生霊を憑けても、神社にて、藁人形に五寸釘を打ち付けても、人は決して、殺せません。

されど、暗示を与えれば、人は自らを殺める。

人の生死とは、言わば、天命、自然によります。。。天災地災人災すべては、自業自得に因るのかも知れません。

天命を得る者は、「生とは天が我を労するなり。死とは、即ち天が、汝を安んずるなり。」と感じるでありましょうか。

天命を知らぬ、存じぬ者は、災害により、病で死に、人により、戦により、人間関係によりて、死ぬもまた、自死するも、全ては、「私は悪く無い」と念を残されます。

それが、現存される、幽霊なのかも知れません。

また、呪術とは、多くが妄想であるので、人を殺したいのであれば、物理法則の中で、動けば、確実でございます。

なんせ、人間は脆く、小指一本、えぐれば、出血と痛みで、朦朧とする。

人とは、人の心とは、また、肉体も実に脆い。

故に、護る為の行いは、実に堅実となる。

堅実とは、真の、誠の神に通じる事でございます。

何をもって、堅実と言うのでありましょうか。

生きるなかで、大切な事は、生かされている存在への感謝、また、魂と心のままに、嘘をつかない、正直さ、そして、生きる為に必要な食べ物へのあり方。

扨て、余談。

戦後、花粉症が興ったのは、牛乳と小麦粉の弊害による。

それに、伴う、癌化。

私の妻が乳癌となった所以は、パンを好み、乳製品(バター、チーズ)好む癖に依る。

戦後、白砂糖により、人の鬱化が始まった。

甘いお菓子は、その場限り、脳に幸せを与えます。その後は、それを過剰に欲しがり、糖は、血液を濁し、神経の判断を狂わせる。

自然界の甘いものは、全て、酸っぱいが有る由縁でございます。

堅実な人は、ひたすら、米を愛し、納豆を好み、味噌汁に親しむなり。

さて、人の世に、魔法があり、神通力がある。

魔法とは、先に述べた通り、人の私欲が本であります。

されど、通力とは、神による、奇跡。

それは、神が人を信じて、人を通して行う。

ゆえに、それを扱う者は、自らをお取り付ぎとされ、自らの能力(ちから)では、無いと称されます。

神様から得た通力とは、けっして、その方の能力ではありません。

ゆえに、神様が人を信じる所以は、一重に、誠心あるのみ。

例えば、ぎっくり腰を指、1本、据えるだけで、ぎっくり腰を治療する人が、現実に存在します。

過去には、イエスキリスト、空海、出口王仁三郎聖師なども、有名ですが、原因不明な病人を多く治した実績を持つ者は、熊野の神人、松下松蔵さんでございます。

おおくの難病を通力にて、治療されました。

松下松蔵。

彼は、医者ではありません。農業を営まれた方でございます。

松蔵さんは、何時までも(年齢では、四十五歳)父親に何時も、何処でも、殴られて、おりました。

かれは、無学。育った環境では、農作業をする為に、育てられました。

田舎の君子は、教育、しつけとして、殴り、殴り、殴り、拳骨を落とすのは、当たり前でありました。

まっぽうさん、こと、松蔵さんは、逆らわず、ひたすら、恭順し、父親に従い、母を大切にされ、嫁を慈しみ、五人の子供を愛し、ただ、農作業をされておりました。

彼が、四十五歳の時に、何時も暴力をフルウ、父に「父上、私も本年は、四十五歳になりました。子供も既に五人あります。私を殴られるのは、私の至らぬからで、致し方ありませんが、ただ、子供の手前がありますから、子供の前では、殴らないでください。」と申されました。

父親は「うんそうか。」といって、打つ手を納められました。

松蔵さんは、父からの暴力を、全て受け止めておりましたが、それが、父の罪となると、悟ったが故に、父親に、衷心いたしました。

もともと、この父親は、唯我独尊にして、村人には、善人ぶり、家庭では、頑固にして、全て気に入らなければ、荒ぶり、子や妻を殴り、痛ぶるをもって、世間の不満を発散される癖があったようです。

されど、松蔵さんの、言霊により、父は、松蔵さんの示す、親慈(おやじ)のなんたるかを悟りました。

扨て。
かれの修行とは、瞑想せず、鎮魂せず、霊能者に仕えず、ひたすら、ひたすら、親に孝行を尽くされた。

松蔵師の神通力の秘儀とは、「親孝行。」あるのみ。

今の世には、霊能者開発セミナーや、セッション、セミナーなどがあり、自分が、神様に通じている、自分は霊能者と、勝手に思っている方が多いのであります。

かれら、かのじょ等は、それを(霊能力)金銭に変えておられる。(金銭によって得て、金銭の為に使う。)

また、霊能力開発セミナー、神法御得会、セッションにより、多額の金銭を払い、その金銭の恩恵にて、超能力を得られたと、幻覚している。(想念の扱いにより、それを超能力と錯覚。)

松蔵師と彼ら彼女らとの違いは、「松蔵師は、どんな、難病ですら、癒した、真実があります。」

霊能者自称は、自然の治癒を自己が為したと誇張するのみ。今の医者と、同じ、むじなにて、自己回復の自然力をされる人へ、「私が医者として、治した。」と述べる。

病とは、治るも治らぬも八卦なり。

人には、自然治癒力あり。

松蔵師は、自ら、農業を為して、親に孝行され、妻を愛し、子を慈しみ、神に敬虔であるが故に、奇跡を起こされた。

人間は、霊能を求める。それは、ひたすら、自己顕示欲の為に。

他人より、尊き自己でありたいと、願う欲望。

他人に、尊敬されたい、愛されたい、親しんでもらいたい。

松蔵師は、暴力をフルウ親ですら、尊敬し、食欲に左右されず、他人への施しは、当たり前にして、誰も妬まず、望まず、ただひたすら、生真面目に、しんどい農業に従事し、生きて来られました。

神通力を神から、通され、開示された、後も人柄も変わらず、ただ、ひたすら、難病を得られた、人々を救われた。

松蔵師の神通力の正体とは。

「私は、親孝行の為に力を得た。私は、決して顔(祈願)をしたのでもなく、行(修験)をつんだものではない。

唯、生まれつき、親孝行をする事が好きである。

一度も親に口答えせずに、そむいた事も無かった。

元来人間は、親あってこそ、自分の体がある。

生まれたのも、育ったのも、皆、親の恩である。

親あっての自分で、我が身を大切なら、親はなおさら大切で、ことに、親の子に対する愛情は、無限である。

それを思うなら、どうして、親を大切に思わずいられよう。

親孝行が人間の根本だ。

今日、私が神通自在の力を、神様から授かったのは、親孝行の一事からである。

如何に利口な人でも、偉い人でも、親孝行をする事を忘れたら、その人は無価値である。

私は何神様を信ぜよとか、仏様は何様を信ぜよとか、決してそんな事をすすめるのでない。

世の中は、親孝行が第一で、親孝行さえするなら、成功もでき、出世と出来る。

親孝行の心無い人は、病気もするし、運も悪い。

これは.現実のことだ。

孝の功徳は、広大無辺だ。

俺には、学問がある、親は無学だ」と、親を親とも思えぬ不心得者や、親は親、子は子だと、西洋流の個人主義的思想にかぶれ、孝道の大徳を忘れている人が多いのは、実に嘆かわしい。

私の教えは、孝行せよ、その功徳は偉大であると言う事にある。」

(鬼雷述べる。北極真経にも、源水木本として、自己の源(親や先祖、また、祖は神に基づくゆえに、神様。)を大切にしなければ、道無く、修道から、外れるとされております。

神通力とは、神様が通される人を選び、選ばれた方が、それを取り継ぐのみ。

奇跡により、難病を治癒するのは、神の機能でありますが、それを通せる人とは、素朴に、素直に、親を大切にし、人を大切にされる方。そこには、高額セッション、霊能開発にもなく、金銭も発生しません。)








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令和六年三月 三六九神示

2024-04-17 19:52:00 | 神示道
田ニ八(丹波 米+⬜︎)なる、男島女島の中程の、天と海との堺に、浮かぶ中津神の岩の上に、塩土翁が立ち、世界の行く末の事説いてて、ゆくぞよ。

(注 塩土神=海之御中主大綿津見神の変化。亦名を、全ての情勢を知れる故、知識大都知神(しりおおづち)とも称す。

鬼雷が述べる。かの神は、又の御名を住吉老人、又、南極老人とも、称されておられます。要所を悟る神でございます。)

今の世は、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。

八つも頭(かしら)があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする、国々の頭が、いがみ合い戦争をいたし、多くの人民が犠牲になっておるのが、当に、八頭八尾の八岐大蛇が荒れ狂いておるぞよ。

八つ頭があると言う事は、地球の上には、この世界を自在にせんとする国々の頭が、いがみ会い、戦争をいたし、多くの人民が犠牲になっておるのが、当に、八頭八尾の八岐大蛇が荒ぶる様であるぞ。

そこに、素戔嗚尊、八岐大蛇の退治なし、大蛇の尻尾より、一本の剣が出て、是を、叢雲の剣、後に草薙の剣と申し、国の祭政の要として、熱田神宮に祀りてあるぞよ。

大本の筆先に、七王八王あっては、世は治らぬ故、末は、一王で治めると申してあるが、国々の頭が.国取り合戦で争う時代が済みて、世界は一皇(すめらみこと)を中心に共存共生、世界一家(八紘一宇)の世となるのであるぞ。

もうそろそろ、国々の頭も、戦争の虚しさに氣ずき、諸刃の剣に示す、正しき、祭政、霊主体従(ひのもと)の道に帰らねばならぬぞよ。

日本は世界の型を示す国。

八岐大蛇退治も、日本に見せてあるが、世界の事であるぞよ。

我が我がで、頭達が争う体主霊従(からたま)の今のやり方を続けておれば、世界も行き詰まり、地球も滅びてしまうぞよ。

この年の元旦、能登の地震を世替わりの烽火(のろし)と上げて、警告いたしたが、金権主義の金毛九尾の悪狐に自在にされておる世界の人類は、今のままでは、滅びの道を歩まねばならるぞよ。

現の世の宗教は.一神教、多数教ありて、我宗教が、一番と宗教戦争も起こしておるが、真は、一神にして、多神、多神にして、一神が神理であり、これから、世界を治めるにつけても、総ての宗教を潰して、一色にするのでは無く、万(よろず)の宗教も、他を害する悪しきところは、改め、善き所は残し、それぞれの特性を活かしつつ、和して、宇宙は一つの如く、総ての宗教も、源元(もと)は一つのである事を覚り、主神教祖の世界の一つの宗教の道を開きてゆくのであり、宇宙大元主神の元へ、万教を結び、もどすのが、白山菊理比咩神である事を忘れてはならぬぞよ。

主神教祖の道を開き、万教も世界平和の為に、共存共生の道を開くのじゃ。

亦、世界の国々も大国小国あれど、それを認め会い、各国々も国魂の神より出る、特技特性を守り残しつつ、国取り合戦をやめて、世界一家の道を開く為、各国の頭も努力せれば、ならぬぞよ。

その末に世界のスメラミコト(皇)を御迎えして、七王八王あって、治らぬ世を一つの皇(おう)を中心と立て、万国万民共存共生の世を開くのじゃ。

経済も世界の御宝を我が一人じめし、自分等だけの栄耀栄華の為に使い、地球の恵みを貪りて、汚れ穢れのみを残す金毛のやり方は、止めにするぞよ。

この地球の資源、即ち神々の恵みを世界人類皆の為に活かしまつるのじゃ。

金よりも、人々の幸せを産み出す、龍宮の経済と変えるのじゃ。

龍宮が、御宝を集め、金勝要神が活用致すのじゃ。

金そのものに善悪は、無いが使い方により、善とも悪ともなる事を心得て、人々の倖せの為に活かして使わねばならぬぞよ。

さあ、天照国照日の出の神の御現れの世となり、夜の暗闇の帷が、上がると、これまでの人類が、思凝霊(しこりがみ)にあやつられ、強い者勝ち、利己主義(われよし)のやり方で、積み重ねて来た、様々の悪事が明るみに出て、ありやかに見えて来るから、これまで世を構いて来た、お偉方も弁解ばかり、いたさねばならぬ、恥ずかしい、今の世であるぞよ。

(注 これまでは、世の元からの神々、押し込める夜の世であり、闇に隠れて悪事も出来たが、日の出の神出現の世となり、悪事のツツミ隠しは出来ぬようになった。大本系の宗教は、夜から昼の世の転換にはたらいた。)

元旦に能登の地震で明け染めた令和六年の甲辰の年、真に大事な世替わりの節目の年と、なりたから、起こり来る事、おだやかにには、ならぬ事ばかりであるぞよ。

是まで、神界は、明治二十五年から、大本教に新しき世の様々、その型を出して見せ、又、様々の神示で大方の事は申して来たが、実地の現れる世は、これからであるから、世に出ておる神々も人民も、心して歩まねばならぬ、これからの時代であるぞよ。

お宝を一人じめにせんとして来た、者等も世間に顔向け出来ぬ事となるぞよ。

この日本も世界の国々も、政治経済、根底から、立直さねばならぬ時となりたのであるぞよ。

強い者勝ち、利己主義(われよし)のやり方で通れるのは、今しばらくであるぞよ。

恥ずかしい目にあう前に、改心が一等と先々、申してあるぞよ。

世界平和、万民至福の道の開きと申せども、それが為には、まず、隣人を愛し、隣人の喜ぶ事をする事であるぞよ。

小を積みて、大となるのじゃ。

千里の道も一歩からじゃ。


扨も世界人類共存共生の道を開くのじゃぞ。

そして、地球を大事にいたすのじゃぞ。


梅は先駆け桜散れど、西王母が桃花、実りの時を松の風、木花は総てに花咲き、実をつけさせる美しさ、磐長姫のはたらきに、巌の如く永遠に、栄を願う神心、盥(たらい)の水は、引けば去る、押せば返る理を知れよ、求めるばかりの思い捨て、慈しむ恵む心を忘るなよ、助けられたり助けたり、括り結びの道開き、ンの力で五六七(三六九)の世を開こうぞ。

言霊神也 ン。

令和六年三月三十日 修聖拝写。

(注 ン=四十八文字の締め括りのン=金勝要神の働き、雲仙はンにあたる。

磐長姫命と木花咲耶姫命は、姉妹。)

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平成二十八年 七月三十一日、白百合の華。

2024-04-15 20:10:00 | 神示道
善も悪も、使いて、現の世の四九三を進めてある、大芝居であるぞよ。

悪事を為す者もありて、舞台も変わり、次の四九三が起こるのじゃぞ。

この度の東京都知事、〇〇殿当選、それで良いのじゃ。

〇〇は、六甲の神に縁りの御魂であるぞよ。

白山菊理比咩の神、白百合の花を持ちて、出現と申してあるぞよ。

清浄明白でありたいぞ。

菊理比咩の本神霊の出現は未だ先であれど、今は龍宮系の女性の御魂が、段々と仕切るようになるぞ。

母の愛で無いと、荒びた世は治らぬ。

良い子は育たぬぞ。

香ぐわしき、白百合の花、咲く世を願うぞよ。

(注 西宮の甲山は、廣田神社の神体山であり、真名井御前の開いた神呪寺がある。

又、弁財天(瀬織津比売)や、役行者の伝承もあり、甲山と六甲山は、相通じる神氣で結ばれている。)

(注 鬼雷が述べる。それから、開いて修める、八年後、白百合の花は、如何にようなるのであろうか。

六甲山の主神は、瀬織津比売神。その眷属は、麁乱荒神。この眷属神(自然神)は、六甲山の霊気から生まれた、自然の霊神にして、人の正直を好むなり。自然に無き、あくた、悪意を嫌う癖あり。虚言をもって、自然を乱す(気を乱す)ものには、天罰を与えるなり。

人が、自らの行いで不幸になるのは、因果応報なり。人が自ら、悪意を振り撒くは、天が自ずから、咎めるのである。)
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令和六年三月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(三月八日示し)

2024-04-15 18:10:00 | 神示道
始め、和歌山県の熊野灘の波が寄せる、七里浜や、熊野川の河口が見え、新宮速玉大社の神谷体山中に坐す、神倉神社のコトブキ岩が拝され、次に那智の滝、そして、熊野本宮の故地、大斎原と熊野三山の聖地が次々に拝されました。

そして、大斎原には、朱塗りの大きな舞台が設けられ、その上で素戔嗚尊が八岐大蛇退治の大神楽が舞われており、その様を出口聖師が眺めておられました。

(注 熊野と地名は、丹後、出雲、紀伊と各地にあるが、熊野とは、隈野であり、遠く奥まった聖き地で、神や祖霊を祀る隠り国の音が変化したものであろう。

神倉神社には、彦火明命の御子、高倉下命(天香語山命)が祀られ、熊野を開いた、神とされている。大斎原は、熊野本宮の故地であり、本宮主祭神は、家都御子神(素戔嗚尊)である。

八岐大蛇は、大本教のお筆先に、「現の世は、七王八王あっては治らぬ、末は一つの王で治める。」ような意で示されている。

いまの世は、八岐の大蛇のごとくら世界を自在にせんとする、国々の頭が何人も相争っている。

それを、言向け和し、末は、世界を一王で、治める世となる事が、示され、それを為す救世神が素戔嗚尊であり、その霊統にあるが、出口聖師であり、日本の使命である。)

最後、白山の加賀(三馬場)、越前、美濃の三社が拝されました。

(注 白山の菊理姫により、八岐の大蛇の荒ぶる如き今の世を、頭を括り、結び、世界一家と治る日が来るのであろう。

されど、それは、未だ未だ先の事であり、この地球が世界一家と治るまでには、人類の試練浄化が未だ未だ続くであろう。)


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