玄徳道

道を語るブログです。

龍宮水火土伝授日之出世開きΘ三六九神示25

2017-12-30 22:25:45 | 神示道
神の授けた人の御魂の道は、親子兄弟と言えども、それぞれ一道と申してあるが、肉の身は一人では生きられぬのじゃぞ…。人間には誰にも自我や欲があり、我一人で生きておるが如く錯覚いたして居る者もあるが、神に生命を授かり、多勢の人々の縁をもって恵まれ助けられて生きてゆける事を決して忘れてはならぬぞよ。

自我や欲の為、怨念を生じ諍いを起こして居る人の世であるが、真は、それぞれの人民も国と国も時計の歯車の如く、役目を持ち、かみあいて歴史の流れをきざみて居るのであるぞ…。

世界万民、現の世に生きておるからは、皆役目を持って生かされて居るのであり、善人と言われる者、悪人と言われる者、大芝居の役者の如しであるぞ。

それぞれ、役目や思いの異なる人民を括り結びて世の流れを司るのが、白山菊理比咩の神であり、万物万民に生命の氣を授ける神が、大元豊宇氣大神であるぞ。[注 大元豊宇氣大神=天之御中主神、亦、国常立尊、天照坐豊宇氣大神とも称す。天日月星辰方物万民を生り成らせ給い、その生命の本源の神。]

万民、皆役目があると申せ、心せよ。
現の世は、原因結果の法則で治めてあり、悪事を為した者には、蒔いた種を自ら、刈り、犯した罪は、自ら始末をつけねばならぬのであるぞ。


扨て、この酉の年も後わずかとなり、日本にも世界にも思いかけぬ事が起こりて居るが、それも皆、今日迄、積み重ね来た、原因結果の浄化の様であり、隠れていた因縁は浮かび上がりて浄められてゆくのであるぞ。

瀬織津比売神、速開都比売神、氣吹戸主神、速佐須良比売神、四柱の祓戸の神の神業によりて罪科は浄化されておるのであり、最後、罪科を持ち、さすらい失いてんと申してある、速佐須良比売の神は白山菊理比咩の神の事であるぞよ。[注 祓戸の四柱の神は今は祓戸の神とされているが、世の元からの神である。]


さてもこの日は、先の大戦の開戦の日であり、世界の大国の制裁を受けた故とは申せ、この日本から戦争の火蓋を切りた事は、日本人民、大いに悔悟せねばならぬ事であり、あの悲惨な、辛く悲しい世界の大戦は世界人類も末代、忘れてはならぬ神の警告教訓であるぞよ。

あの大戦により、亜細亜の植民地解放の道が開け、日本も軍国主義の終焉となり、農地改革による、地主小作差別の廃止、言論の自由等など、新しい平和日本への岩戸開きでありたぞよ。

岩戸開きであったと申せ、日本人だけで無く、アメリカ、中国、朝鮮、多くの国々の人民の犠牲あっての事である事を決して忘れてはならぬぞよ。

今、世界の国々は核兵器で威嚇し合う時代となり、再び世界の大戦が起これば、人類の滅亡にもかかわる恐ろしき時代になって居る事を忘れてはならぬぞ。

戦争を起こし、三百万人に余りある犠牲者を出し、その上、世界で始めて、広島長崎と二発も原爆を落とされたこの日本の国であるぞ。

戦後、日本は経済の発展のみに走り、経済大国となりたが、それだけでは、日本の神命の果たしとはならぬぞ。

先の大戦の犠牲、教訓を無駄とせぬよう、この日本の国が世界平和の要の国となり、不戦の道を貫き通して、未だ諍い、争う世界に和の道を開かずして何とするのじゃ…。
それが出来て始めて神国日本と申せるのであるぞ…世界の国々と同じように軍隊を持つ国となさむとする如き考えでは、世界の大国から思う壺とねらわれる事となり、先の大戦の犠牲者も浮かばれず、虚しき事となりてしまうぞよ。

世の元からの神々を始め…人民に神の授けた御魂も、常に清く明るき平和な世の到来を願いて居るのであるぞ。

その神々や御魂の清き思いを押し込めておるのが、我を守り、我が意地を通さんとする、自我や欲の思凝りであるぞ。
その事に、皆が氣づかねば、真の地上天国、和楽の世は開けぬぞよ。

御魂の親神は、親子兄弟とてそれぞれ異なり、使命も異なると申してあるが、肉の身は、一人では生きられぬと言う事、しっかりと覚った上で、我魂の一道を通さねばならぬのであるぞ。[注 人間の関係は人類発生以来、親から子へと血脈によってつながり、今の自分もあるが肉体霊は、自己保存の為、自我や欲がありて、そこ凝りの因縁、遺伝が血の流れの中に伝わっている。肉体は神の分霊魂の器であり、生宮である事を忘れては、道を外れる。][注 親神=人それぞれ、八百万の神のいずれかより、授けられた魂が入っている。御魂は清浄明白であり、それぞれの使命の源であり、御魂による、使命を命持ちと言い、使命を達成した者を命(みこと)と言う。魂の元の神を親神と言う。]

清き御魂の器の人の身である事を忘れ、我が思いのみにとらわれ、荒振るから今の世は、狂人、巷に満つと申してあるぞよ。

我が心を鎮め、神の意(こころ)は如何にあるか、常に思わねばならず、それが神祭りや、祈りの大事であるぞ。

美しく着飾り、盛大な祭りをいたしても、心が我欲、邪曲の方を向いておれば、神に通じず、逆に穢す事ともなるぞよ。
鬼となり、蛇となり、その悪態は、皆、我が身の因縁の思凝りであり、神界とはかかわりは無いぞよ。

如何に強烈な太陽の光とて、一辺の雲に遮らる如く、人間の邪悪なる念の凝りは、神の光とて、遮るのであるぞ。

神は改心の時を待てども最後は我が身で始末をつけねばならぬ事となるのであるぞ。

神界は万民、仲良く和して倖せの道を開いてやりたいと常に願えども、人民の自我や欲が諍いを生じ末に戦争をも起こす如き事となり、固い念の凝りが太陽の光を閉ざす如き事となりておるのであるぞ。

それぞれの人民が、我一人、我が一国だけでは、生きてゆけぬ事をしっかりと覚り、素直な心となり、足らざるはおぎない助け合いてゆく精神となりてこそ、神意が地上に実る、地上の天国も成るのであるぞ。

世界の事だけでは無い身近なところから、因縁が浮かび上がり困った事が起きるのも、それぞれ固く閉ざした心の岩戸を開く為であるぞ。

どんな事があろうとも、我一人では無く、親神は常に見ておる。誠あれば縁の人をもって助けるぞ。その事を思えば心安らぐ。
しっかりと神と共に歩むのじゃぞ。

原因結果。

言霊神也 ン。


平成二十九年十二月十一日

天橋道士龍華斎 修聖拝写