玄徳道

道を語るブログです。

台風弭道

2018-08-31 19:50:57 | 私的考察
地球は環境汚染により、温暖化にあると言う。

草木が二酸化炭素を排出し、酸素をも産む。人と生物は、緑化、光合成による酸素を持って血潮の循環とする。

科学は、自然を失わせ、尚且つ膨大なエネルギーを消費する。ここに、必ず対抗する、抗魔が働く。

相対的世界には、陽極まれば陰滅び、陰極まれば、陽は沈むのである。

台風とは、何から産まれるのであろうか。海からである。

海の氣と温度により育まれる。

台風とは、天地の呼吸の調整でもある。

天地の呼吸の調整であるのに、何故災害が生まれるのであろうか。人から見る台風は、脅威であるが、地球は、台風により全ての循環機能を発揮する。

多少は環境汚染と破壊によりて、人類に因するがゆえに、人類を沈めるのである。

すべからく、因果応報でもある。

かつて、道院にて、太乙北極真経を奉唱すれば、台風の軌道を変え、災いを先天のうちに弭化すると言われる証しがあったとされる。その道院の理事会の時にそれを、ある理事が、道院に多額の献金をされる、宗教教祖に述べたら、「私だったら、指一本で、台風の進路を変えられる」と言われたと、根本先生に聞いた事がございます。私が「本当ですか。」と伺うと、根本誠乾先生は、「私も彼がそんな事を言うので驚いたよ。その理事も目を丸くされていたよ」と。

この宗教教祖は、道院の咒を書籍にて載せ、道院の黙真人より、フーチにより、戒めを受けておられた方なので、誇大妄想癖と自己顕示欲が旺盛であったのかも知れないです。

そして、指一本で台風の進路を変えられると自称しても、台風は進路を変えず、世界人類が住まう大地に悠然と浄化の為に産まれるのである。

その結果により、人類にとって悲しき現象が生じるのである。


我々老祖の弟子は、地球刧による天変地異から、先天の内に、その因なるカルマと刧を弭化し、災いの現象を現さない役目がある。

しかし、それは、人類の汚染する思想カルマ刧に限るのである。地球の環境汚染の汚濁の清掃は自助能力に於ける働きがあるを悟らねばならない。台風にその働きがある。

台風が来たら、台風へ弭刧の経を唱する老祖の弟子もいるかも知れない。されど、経によるカルマの消刧は、台風に巻き込まれる、人々のカルマへ向けねばならない。

そして、それらは、陰徳でなければならない。

台風が通り過ぎた後に、私の弭化業のお陰で、災害が少なかったと、お役にたった等と述べる老祖の弟子もいるが、見当違いである。

我々老祖の弟子は、弭刧の秘言を授けられていますが、「収穫せず」。

功を誇っては、弭刧の用を成さないのである。

 
地球には、未だ、天地の呼吸を調整される実体をもたれた神仙が存在する。

神仙らは、功を誇らず、主神の命を授印し、無償で奉仕されるのみ。
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瞑想苦道

2018-08-29 19:37:08 | 坐道
坐、瞑想とは、純然たる真心で、無心にスワるだけの努力が必要なだけで、お金はかからない。

貧乏暇なしの感覚を持つと同意語であります。

何せ、せわしない人生の中で、毎日、時間を取り坐する。そして、生活し、働き、家事、仕事、育児など、様々な人なる行いをします。

さらにカルマの要因があり、病魔、看護、介護、借金や家庭問題、離婚、人間関係等、人の生活をする者には必ずあり、それでも、真なる瞑想者は、毎日、坐るのを怠らないからであります。


故に貧乏暇なし。


瞑想とは、救済である。これは、自らの救済であり、民への済度であり、地球への弭済でもある。

修身済下治国平天下の教えの如き。

まあ、綺麗事を言えばそうなる。

しかし、瞑想者は、純粋に人の果報を幸せを手に入れることが、出来るのであろうか。

否。不可。一文字、二文字あるのみ。

瞑想し解脱回光すれば、苦しみの脱却があるというは、妄想なり。

坐とは、自己が受ける苦しみの容量をさらに進化させる。受け入れられる苦しみの容量を純然に増やすにある。

これがあるからこそ、自己を救い、他人に慈愛を与え、さらには、普遍性意識と地球意識から、地球の苦痛を覚るのであります。

坐れば、当然悟りもあります。しかし、悟りとは、億万回の無限ループ。永遠の回路。永遠の階段。ゆえに、当たり前だのクラッカー。悟りなんて、糞くらえ。でございます。それがどうした。

悟りなんて、人生生きていれば、寝た数だけ、目覚めは、有るが如し。

瞑想すれば、人より高く成らず。

瞑想すれば、人より幸せに成らず。

瞑想すれば、人より楽しく成らずや。


瞑想とは、自己と他と地球の救済であり、そこを取り違えては、鳴らない。

自己の安楽のために瞑想する。そこからの救済は無し。病を得るのみ。


志は、氣の師なり。


瞑想し、病を得、療病するも自殺するも、因果なり。


世の瞑想者は、大いなる地球意識の救済者で有ることを志し、自覚すべきであると、私は考えます。

コメント (7)
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平成三十年八月八日Θ三六九神示

2018-08-26 11:15:33 | 神示道
天開け(八)地開(八)くと示す目出炊き日であるぞ。

世の元の国常立大神、時節参りて表に出、龍宮乙姫連れ添うて三千年、封じられて来た、体主霊従の世の結界の艮の門を、金勝要の鍵々もちて打開き神人和楽の世を開くのであるぞ。

体主霊従(からたま)の世を解く型は、逆走台風十二号で見せたぞよ。

これまで通りまいらぬ事が天候の異変にも、世界の様にも見せてあるのは、皆、三千年の体主霊従の世の封印の結界を解く為であるぞ。

これまで、世の常識では判断出来ぬ事がつぎつぎ起こりて、嘘偽りで塗り固めたメッキをはがしてまいるのじゃ…大雨の後は近年に無い厳しき日照り、水と火(日)の浄めの荒事、人民には氣の毒であれど、これまで通り神ぬきの金力武力で、人民が自在に出来る世が続きたら、人間の為に、自然も破壊され世が滅びてしまうから、やむえず荒事起こして、神の厳しさも見せ、人民の思い上がりの改心を迫りてあるのであるぞ。

大水や山崩れで被災した者には氣の毒であれど、それぞれ御魂の特性を発揮して、苦しき中でも、共に助けあい、他所より参りて奉仕活動(ボランティア)、これこそ、義と情の日本魂(霊主体従)の発動であるぞ。

長い歴史の流れの中、大きな災害や疫病や戦争に明け暮れる世もありた。

その中で今日まで世が続きて参りたのは、皆で力を合わせ助けあいて来た義や情の日本魂の力であり、縄文以来の日本人の和の霊血(たまち)によるものであるぞ。

人民が苦しんでおりても、我が身は雲の上、栄耀栄華の暮らしをいたして来た、御偉型だけの力で世が続いて来たので無いぞ。

天皇に忠誠を尽くす事だけが日本魂ではないぞよ。

皇国史観と申す事が世の元からの神々や、人民の真の御魂の力を封じて来た一つの結界でありたぞよ。

これまでの世の常識とは、逆様の事が、次々と起こり来て血統や、物金の力で、何不自由無く、暮らして来た者等にも見当のとれぬ世となり、何が何やら判らぬ世ともなるなれど、その中で、人民の真の自由を封じて居りた手枷、足枷を外してゆくのであるぞ…。

御上の自在にされておりた人民はとまどうが…逆風の吹く中で、自ら活きてゆく、生命の勢いを増し、御魂の特技特性を発揮して、被災地の奉仕活動の如く、皆で助け合いてゆく生命幸倍う世を開くのであるぞ。

天地を我が物の如く思い、恵みを奪いあい、争いて来た事の愚かさに氣ずかねばならぬのであるぞ。

その事が、大方の人民に判りたら、神界は五風十雨の狂い無き世といたすぞよ。

雨や日照りの片寄りておるのは天地の神々の感謝を忘れ、思い上がりた人民の精神の片寄りが天象地象に写るのであるぞ。


扨ても…如何に物金大事と申せ、生命あっての物種と昔より申してあるぞ。

命の字は、命(みこと)と読むぞ…亦、命は神言(みこと)であるぞ。

人の現の世に生まれる時、身体を生宮として、それぞれ神界から、御魂(直霊)を授けてあるぞ。

その御魂には、それぞれ特技特性が授けてあり、それは職業の異(ちが)いとも現れるのであるぞ。

八百万の神、神霊(みたま)を分かち…血筋で続きて来た肉体に鎮める折り、親神は、「そなたは現の世でこう言う役目をせよ」と神言を授かりて生まれ、それを使命と申すのであるが、形ある現の世に生まれたとたん、肉体の霊の自我や欲(自己保存本能)の思凝で御魂の思いは封じられ、切格親神から授けられた使命も果たさぬままにあるのが、大方の人民であるぞ。
時くれば土となり、水とかえらねばならぬ肉体の自我や欲にとらわれて、我が我がの争いの日々を送りておる人民であるが、心鎮めて、良く良く御魂の事を思えよ。

我が御魂の親神や、御魂の真の使命を知る者は、極わずかであるが、まず、御魂の親神の総親神、天地大元の神(天之御中主神、亦国常立尊、亦天照坐豊受大神と称う。道教仏教では、北辰妙見菩薩と現れ給う。白山菊理比売の神も大元の神に通ず。)を信じつつ、我が職業に誠を尽くし努力を重ねてゆく事であるぞ。

その事が自ら我が御魂の使命を知る道へとつながりてゆくぞよ。

様々な職業を持つ者、職業を持たぬ主婦も家事が大事な使命である事を忘れてはならぬぞよ。

むずかしい理屈は判らずとも、真面目に目前の道を歩んでゆけば、次第に自我や欲も磨かれ思凝りの岩戸が開かれ、御魂の光が行く道を照らし、迷いの淵からはい上がる事が出来るのじゃ…どんな時も親神は見守りて改心して心明るむ日を待ちておるぞよ。

平成の世も終わりに近づき、天に地に異象厳しき様も、新しき御世を迎える為の禊ぎであり、それを切りぬけて、彼方の岸へ渡るのも、親神の導きであり、御魂の力であり、御魂より出る生命の勢いであることを忘れず、日々天地大元の神への祈りを重ねつつ、前向きに我が行く道を生き通せと示すぞよ。

祈りとは、神の意に乗る事であり、我が活きゆく道の神への誓約(うけひ)であるぞ。

誠あれば、神は守り導くぞよ。

言霊神也

ン。

回光返照


平成三十年八月八日 

天橋道士龍華斎 修聖拝写。
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