玄徳道

道を語るブログです。

龍宮水火土伝授日の出世開きΘ三六九神示29

2018-04-22 20:02:09 | 神示道
春なれば草木芽をふく花も咲く、春は万物生命張り出す、大自然の晴舞台であるぞ…。

人の世は、内に外に様々乱れ荒げども、生成化育の神業は、狂う事無く進みゆく現の世であるぞ。

草木花咲き芽ぶくだけで無く、春は神々も御魂幸倍い御現れの時、日の神は、大年の神と現れ、瀬織津比売神は、天知迦流実豆比売(あめのしるかるみずひめ)の神と現れ、日の恵み水の恵みに万物の生命はぐくみ、人の身も季節の氣を受け、農耕を始めるこの時であるぞ。

人知人学弥益して、神も佛も下敷きの如き今の世であれど、天地大自然の運行や営みは、人知を越えて、神々の御現れ、活動の姿である事を決して忘れてはならぬぞよ。この事を忘れ、天地自然を我が物の如く、人間が思い上がる時、人類は、自ら首をしめる如く滅びてしまわねばならぬであるぞ。

神あっての人の身であり現の世であり、神を認め感謝の心で、天地自然の恵みを活かし、真理を探求し、より良き世界となす事につとめるのは結構であるが、むやみに天地の恵みをむさぼり、人間の都合勝手の為に自然の破壊をいたす事は、今すぐとは申さぬが、先には世を滅ぼす、元となる事は明らかであるぞよ。

禽獣虫魚、草木石ころ、人は更なり万物の御魂、響き合いて生命幸倍う現の世であるぞ。

産霊(むすび)と言う事響き合いと言う事忘れては、生命の勢いも弱りて来るぞよ。


扨ても…世界がこれから続きしてゆくよう立て直してゆく為には、まずこの日本の内から立て直さねばならぬのであるぞ。

政界や行政の中に様々の不正や不祥事が次々と露見してくるのもその為であるぞ。
つつみ隠しの出来ぬ水晶の世となると申してありたぞよ。

水晶の眼(まなこ)を持つのは、妙見菩薩であり常に変わらず北をさす、北極星が、妙見の神界であるぞよ。

妙見の神界の戸も時節到りて開け、北斗妙見の水晶の眼も光り出したから、何かの事、真相が明らかになりてまいるぞよ。

七つの星を順えて、満天に輝く星の神界を統率いたすのが妙見の神界であるぞよ。

妙見の神界も、これまで、人民の御蔭信心の思凝りの為に真の神力が封じられていたのであるが、これからは、妙見の神理、神徳を明らかにする神徳があらわれて…世の立て直しに大きな力添えをいたすぞよ。

これまでは、妙見菩薩と申してありたが、これからは妙見の神と申すぞよ。

佛の名の裏に隠されて居りた世の元からの神々の神力が表に現れ、世の浄め激しくなるから、思凝霊(しこりがみ)や人民の都合勝手でまいりた世の中から、悪事や不正が皆浮かび上がりてくるから、一端は、これまでの世の常識も崩れ何が何やら判らぬ、泥海のような、混沌とした世となるのであるぞ…その中に妙見の神の神理を見る眼が輝き、人間の都合勝手のこれまでの利己主義(われよし)の道で無く、神理布斗麻邇(しんりふとまに)に従う道が定まり、常に変わらぬ北極星の如く世の中の要(かなめ)の柱が段々と定まりて来るのであるぞ。

是まで世に現れた神道、佛事、ユダヤ、キリスト、イスラム等のあらゆる宗教は、真の神の道に到るまでの幼稚園であり、我が信ずる宗教のみ最高と思い、宗派の違いで、神の心に全く反した戦争をいたしたりするのであるぞ。

一宗教を信ずる者のみ救われると言う事は無いのであり、万物を越えて宇宙大元の神を世界人類が信望する、世界神道を開かねばならぬこれからの道であるぞ。

総ての宗教を無くすると言うので無く、縁をもって関わりた宗教を信じる事はそれで良いのじゃ…それをつき進めば万の宗教思想の異なる者の、ながめる日も月も同じであり、厳として北極星は輝き、そこに真の神の世界がある事に氣づくのじゃ。

別々の宗教の如くあっても、無始無終、広大無辺な宇宙の中の一つの地球の出来事であり、それぞれの宗教に別々の宇宙などありはせんぞよ。

昼天に日は輝き、夜となれば月は照り、満天の星の中、北天に妙見北極星は光り…万教をつつみ込む大宇宙、そこに真の神界はあるぞよ。

宗教思想は異なりても、世界万民の生命は響き合い一連である神理を証すのが妙見の神であるぞよ。

皆、一連の生命である事を知りて、和となり助け合えば、すぐでも善き世となるものを……自我の意地を張り合い争う事の愚かさをしっかりと肝に命じねばならぬぞよ。

意地を張りても背に腹は変えられぬ人の身であるぞ。

素直に和せば、恵みは益すぞよ。

大宇宙に充ち満つ生命の氣を豊宇氣の神と称え奉り、神理を明らかにする妙見の神……さあどうじゃ……荒れる世界のその中に、禽獣虫魚草木石ころ、人も皆、生命は一連響き合い和となりてこそ弥益に、生命幸倍う世と開こうぞ。是弥勒(五六七・三六九)の世と申すぞよ。

今は荒れて荒れて、枯れて腐りて新しき世の生命の種の肥やしとなる四九三(しぐみ)であるぞ。

小さな了見打ち捨てて、大地に足をふまえて、大空を見上げ、天地と共にある、真の神の道歩もうぞ。

明浄清白

言霊神也

ン。

平成三十年四月九日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
コメント
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