玄徳道

道を語るブログです。

松の神道

2021-06-21 20:36:00 | 神業道
mixiのマイミクに、あなないさんと言われる方がおり、日月神示を実践されておられる方でして、その方の記事に、松のスラミンについて、書かれており、それと、日月神示が書いてありました。

「火と水と組み組みて地ができたのであるぞ、土の饅頭の上に初めに生えたのは松であったぞ。
松は元の木ざぞ、松植えよ松供えよ、松神籬とせよ、松玉串せよ、松食せよ、松からいろいろな物生み出されたのぞ、松の国と申してあろがな」

「松食せよ、松食せねばわからん病治るぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松翠の松心、松の御国の御民幸あれ。」
と記事があり、軽く目を通しました。

その時は、何も思わなかったのですが、ある方のブログのコメントで何故か、松を食べに六甲山へ行くなどと書きました。
それから松が食べたくなり、日曜日の休みに六甲山へ取りに行こうとしましたが、あいにくの雨にて、行かず、近くのスーパーで三宝荒神の松入り榊を買い、松だけ出して榊は、神棚に上げ、松の葉を水ですすぎ、ハサミで短くし、食べました。お馬さんのようにむしゃむしゃ。食べられない事はないと思い、それから、三食に松を入れて食べました。昔からの軟便が固くなりました。

「松なんて仙人の食べ物なんて言われているけど、何で食わねばならない。

知らんけど食わなきゃあかん。」

故に、次の週の日曜日、六甲山へ松を取りにいきました。

なんで、六甲山かは、我が友である、麁乱神の磐座に松が生えているのも知っていたし、以前に私が感合し松ヶ姫と名付けた神霊が坐す、磐座があり、そこにも松が生えていましたので。






鷲林寺から六甲、観音山を登ります。途中、麁乱神の磐座があります。ここの松は帰りに賜りました。





急な山道を登ります。






六甲 観音山頂上です。ここにも多くの松が生えております。




山道の案内板を見ると安心します。


遠くに松ヶ姫の磐座が、見えてきました。






松ヶ姫命の磐座でございます。



此処に椅子の磐座があります。
 
磐笛を吹き、祝詞 経 咒を誦します。

そして、松を頂くことを断ると、


この松の部分をとっていけと。

太古の時代、人は草や木と意識を交わしていた。言葉では無いが、会話していたのである。
近年では、無垢な幼な子が草や木と意識をやりとりするのみ。

ここから、ゴロゴロ岳は近く、そこに剣座の磐座があるので行きます。








ゴロゴロ岳に到着。








現在の剣座は、草木で覆われていて見つけずらいです。この岩石を越え左に曲り、さらに左に曲がると、




剣座の磐座でございます。
此処の六甲山大神は強烈な神氣を発しております。

鎮魂にて、合氣回天。

磐笛、経、祝詞、咒を奉唱。

帰りに感合あり。

「磐から出た松を食せよ。」




丁度、松ヶ姫命の磐座で賜った松も岩から生えていました。
頂上付近でも岩から生えている松葉を賜り、麁乱神の磐座の松は殆ど岩から生えていたので、断り賜りました。

神を松(待つ) 人の心は 千早振る 誠の道を 神と歩まん。



松を水洗いし、みじん切りにして、タッパーに入れ冷蔵庫に保管し、三食頂きます。


私は、食べ物に、好き嫌いはありませんが、唯一の例外があり、納豆を心から愛しており、毎朝、食べております。松を入れるとさらに美味なりです。

納豆の ネバネは身魂を 健やかに 松と合わせば まっとうな道なり。

すみません。ごめんなさい。


扨て、松を食べるには、キチンと消化させねばなりません。故に、良く神ます。いえ、噛みます。
噛むとは、醸むであり、嚼むなり。咀嚼であり、神であります。人の身体は口から食べ物を噛み咀嚼し、初めて身魂へエネルギーが行き渡ります。

故に噛むことは神事でもあります。

そして、咀嚼力。日本神界は、様々な外国の神や宗教すら取り入れて、日本式と為し、普く仲良く、和をもって、咀嚼するなり。

その果があり、その宗教の真髄、奥義の多くが大和なる日本に遺ったのである。

そして、光が東方より、テラスのでございます。





かむながら たまちはへませ 日の本の 神と幸合う 松の心ぞ。
























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令和三年六月 三六九神示

2021-06-21 04:51:00 | 神示道
六月六日、三六九大祭、今年も事無く終えたな。

去(いた)し、昭和六十年六月六日、三六九の祭りを始めて三十六年目でありたぞよ。

天地の神の神氣を結ぶ、天橋立磯清水(五十清水)の水で墨をすらせて、天照皇大神の神号を書かせ、その軸を御神体として、祀らせたのであるぞ。

この天照皇大神の意は、伊勢内宮の皇祖の天照大御神では無く、それより元の、大宇宙天照大御神の意であり、その御現れが天照国照日の出の神であるぞよ。

自ら輝けるもの即ち、弥勒であり、天照皇大神を大弥勒大神と称えて祀らせたのであるぞよ。


扨も、形ある三次元の現(九)の世は縦緯高さより形成の六面体で成りておるぞよ。

六の数は無(〇)より有を生じ萌え拡がり、その末滅してゆく、万象崩壊、建設と破壊を繰り返すのであり、立替立直しの数であるぞ。

萌ぶき形に現れた物は必ず滅し、又、その中から、新しき生命の萌え来る様を繰り返す現(九)の世であるぞ。

〇(霊)なる神界の図り事を現(九)の世の形に現すのが三六九のはたらきであるぞ。


扨も、新型コロナウイルスの感染、それを押さえるワクチンの事、世界の中に流言蜚語が飛びかい、人民は迷い恐れておるが、この度のコロナやワクチンで人類が滅びてしまうような事は無いぞよ。

この度の新型コロナは、人知弥益し、科学万能と思い上がり、遺伝子の組み替え等、神の生成化育の領域まで、入り込みておるが、コロナ一つで世界中大騒動せねばならぬのが、未熟な今の人類の実態である事の警告であるぞよ。

良く良く心いたさねば、科学や医学の力で、どんな病でも治るなどと申しており、動植物の遺伝子組み替えで、食物の量産や金儲けになり、人類の病争貧絶無の世を開く如く申しておるが、良い氣になっておれば、それこそ、人類滅亡ともなりかねぬのが今の科学の発達であるぞ。

身近には、科学合成で石油から作りた、ナイロン、ビニール、プラスチック、発泡スチロール等、人間の作り出した物は、完全に自然に返る事は無く、微粒子になっても残り、魚や動物を通じ知らず知らずの間に人間も犯され、段々と子孫を残す種が弱りてゆくのであるぞ。

それと合わせてどうにもならぬのが、放射能であり、たまりたまって是も子孫を残す力を失わせ、その末、人類の滅亡ともつながるのであるぞよ。

人類が今のような便利な楽な暮らしをいたすためには、科学の発達、物質文明の隆盛も大事であるが、人間は肉体のみで、生きておるので無く、霊力体あっての人間であり、体のみに走り、魂を忘れては、霊止(人)とは申せぬ事を忘れてならぬぞ。

人類はこれまでにコロナどころで無い、疫病や様々の災害又戦争を乗り越えて、今日まで、生き延びてまいりたのは、神の守護と人知人学による科学医学の発達である事はまちがい無いが…親心、子知らずの如く人類が思い上がりの大宇宙大自然の中に坐す、世の元からの神を忘れ、生命の源の神を足蹴にいたすような事をいたしておりては、真に取り返しのつかぬ事になるのであるぞ。

今の世の人民は、神とは人間の都合勝手の事をかなえてくれる、ものぐらいに思い、神意に同化し、順う事が正しい道である事を忘れておるぞよ。

霊主体従の道を選ぶか、体主霊従の道をこのまま走るか、今後十年のあいだに、しかとしかと考えて、伸るか反るかの今の道を正してまいらねばならぬ、大筋に入りた、この令和(霊和)の御世であるぞよ。

神界は何としても人類を残してまいらねばならぬから、あの手この手で荒神を使い、災害や疫病や様々警告いたして改心を迫りておるのであり、一人一人が科学万能の思い上がりは、人類や動物の子孫の種を絶やす事につながる事を考えねばならぬぞよ。

神を中心に自然と共に共存共生いたしておりた、縄文の時代に、そのまま帰る事は出来ぬが、神意に同化、自然万物との共存共生の精神を取りもどさねばならぬ今のこの時であるぞよ。

何度も申すが遺伝子の組み替えは出来ても、始めから髪の毛一本作る事は出来ず、コロナで大騒ぎせねばならぬのが今の人類じゃ。

神に造られた人の身魂である事を忘れてはならぬぞよ。

何程、科学が進歩しても、生老病死の四苦は避けられぬ現の世であり、総ての病を治す物を作り出してもそれは、人類の生命の種を絶やす事につながる事を忘れてはならぬぞよ。

今や世界の人類、伸るか、反るかの改めての人類創世記に入りてあるのであるぞ。

今より尚、あまりにも楽な便利な物質文明を求めては、人間が機械に使われるロボットの如くなる、取り返しのつかぬ世となるぞよ。

今のコロナやワクチンどころで無い、恐ろしき未来をまねく事となるぞよ。

未だ未だ困窮せねば目が醒めぬか人類よ。

遺伝子を組み替え、これまでに無い動物や植物や、その末、人間まで造りて、よろこんで居る場合では無いぞよ。

これだけ便利な豊かな世となりても、こころのゆとり無く、物金や時間に追い回されて何の仕合わせじゃ。

神人和楽、自然万物との共生忘れるなよ。

一国個人が世界を自在にせんとしても無理なことじゃ、最後は、皆、和となり、助け合わねば人類存続の道は開かぬのじゃ。

神意に同化すれば、もっともっとこころ豊かな世界を開く事が出来るのであるぞ。

程という事、足るという事知らねばならぬこの時であるぞよ。

言霊神也 ン

令和三年六月九日

天橋道士龍華斎 修聖拝写
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令和三年六月八日 小長谷修聖 三六九神示 霊視編

2021-06-20 16:38:00 | 神示道
始め、丹後の男島女島の間から太陽が登り(春分秋分の日)、その光が黄金の橋の如く海に映えていました。

次に和歌山の熊野灘の水平線から太陽が昇る様が見え、次に熊野三山の奥の院と称される玉置神社が拝され、丸く顔を出した白い玉石の上に、金色の王冠をかむられ真澄の鏡(奥津鏡)を持たれた男神がりりしく立たれ、その前で出口王仁三郎聖師が紋付き袴の礼装で礼拝されていました。
(注 丹後半島と紀伊半島は、形は大小に異なれど🌪🌪ウズウズの神氣が渦を巻き、金剛界(男陽)、胎蔵界(女陰)、霊体の関係にある。
神代、饒速日命(彦火明命)が熊野川から玉石を上げ、その石の下に、十種神宝を秘した故に、玉置神社と言う伝承があり、本殿には国常立尊が祀られ、玉石は、天照国照の神の神氣が鎮められている。
その昔、出口聖師は、熊野本宮までは詣でられ、この奥に熊野の元があると申されたのが玉置神社である。
男島女島の日の出、熊野灘の日の出は、天照国照日の出神出現の時代になった事を証され、丹後の熊野、紀伊の熊野に、乾巽の神氣のウズウズが巻き、世の氣が替わって来ることを示されたのであろう。

修聖、言霊の神歌を発する法を導師から伝授されたのは、昭和四十八年八月四日(旧七月七日)、深夜玉置神社本殿の中であった。
玉置神社の玉石に天照国照日の出の神、坐せば、その偶神、瀬織津姫神は、吉野の天河神社に坐す事となるのであり、丹後の男島を日の出神とすれば、女島は、瀬織津姫神、亦市杵島姫命となり、陸の真名井神社には、国常立尊(豊受大神)が祀られ、籠神社には、天照国照彦火明命やその偶神、瀬織津姫神は、摂社天照皇大神宮に祀られ、丹後と紀伊の深い関わりを見せられているのである。
玉石の上に立たれた男神は、天照国照彦火明命(ニギハヤヒ)である。

出口聖師は、生前、我が饒速日じゃと申された事があるそうである。)

注 昭和四十八年八月八日、百五十人にて、富士山で、天地清浄祈願斉行、玉置の白と黒の石、火と水、琵琶湖の水も山頂に結ぶ。
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玄天の龍と魔王への道

2021-06-06 20:34:00 | 神業道
この記事は昔書いた、「貴船への道」の記事が勝手に消えておりましたので、もう一度、貴船へ赴き書きました。

京都の出町柳から叡山鉄道で、貴船や鞍馬へ行けたのですが、台風大雨のせいで山が崩れ、復旧が今年の秋ごろ(令和三年)になるそうです。実は前のゴールデンウィークに行こうと思っていたのですが、その時諦めました。

しかし、唐突に貴船山へ行きたくなり、バスを使えばなんとか、行けるなので向かいました。

出町柳から京都バスで貴船口へ。

そこから徒歩で貴船神社へ。






貴船山と鞍馬山の間には、貴船川が流れております。此処は磐笛の宝庫であります。穴の空いた石が割と見つけやすいです。貴船山へ入っても、同様に穴の空いた石が多く存在し、岩質がそのような性質なのかも知れません。

私は実は、磐笛普及委員会の委員長をしておりまして、多くの方に磐笛を吹いて頂きたいので、此処はお薦めのスポットでございます。

貴船口から20分歩けば貴船神社へ到着。







貴船神社の御祭神は、高龗神。

結社に向かいます。







貴船神社中宮 結社の御祭神は磐長姫命。
私の嫁さんの御魂の系統の大神でございます。私の嫁さんは、興味も無いし、知らないでしょうが。
ちなみに妻の前世は、アイヌ民族でありました。蔑称を以って愛する子を可愛いがります。息子を、小さい時から、「うんこちゃん」と呼び、息子も普通に返事をしておりました。高校生、今、大学生の時は「ジジイ」と呼んでおります。

奥宮へ。






奥宮の手前に湧水の御手水があり、此処で磐笛達を沐浴させます。






貴船神社奥宮。御祭神は高龗神。

此処から、貴船山へ。


滝谷峠へ。

しばらく歩くと。





道は崩れ、木が倒れております。
避けたりしながら登ります。





貴船の滝。

更に登ると。






倒木の嵐があり、道なき登山道。若い時はワクワクしたかもですが、もはや、オッサンなので、しんどいです。
一応、貴船山は初心者向けの登山道なのですが、年々ハードルが上がっていくようです。

そして、やれやれだ。書くつもりは、無かったのですが、書けと、面倒臭い聖霊か、いや悪霊、悪魔が言う。今日は日曜日。そして、私は、金曜日に右肩を脱臼している。全治三週間。腕肩を固定して安静にするようにと、医者が言われる。
私は、常に自己の限界を越えようと仕事で無茶をする。朝、七時から、昼飯を十分で食べ、5時まで休憩せずに仕事することがある。当然に、若手と職人には、必ず休憩させる。責任者ならではの世界。全て、工程を守るために。

私の精神は、アドレナリンを出し、全快で夕方まで、持たせる。
されど、肉体が着いて来れない。当然に筋トレもするが。
そもそも、私は、幼少期から貧弱で、華奢で、骨が細く。オマケに霊媒体質。

私が強くなったのは左官職人になった為。

良く、華奢やのに、芯が強いなと、言われるが、常に限界を超えるために。

痛みは常に友であり、現在も三週間前に、五十キロの材料を一人で運搬した為に、右背筋の筋肉が損傷し、右背中から右肘への痛みが伴う。

ああ、五十を目前のおっさん。

無理をし過ぎた結果、ただ、手摺りを触っただけで、肩が外れる。腕の良くない整骨院、整形外科の先生では、筋肉料があり過ぎて、直せない。大きな病院で、全身麻酔されて、脱臼を治す。
ああ、私は、蟇目の神法により、右肩を繋ぎたい。

誰か、蟇目神宝の口伝を教えておくれ。
そしたら、私は、最強になれる。なんてね。

ごちゃごちゃ書きましたが、脱臼して、次の日から仕事している私は、新入社員の研修があるから休めない。

そして、あまり、無理な姿勢をして、肩が脱臼すれば、私は戦闘不能となる。

たかが登山されど登山。貴船山のように、崖崩れ、倒木、全身を使わねば、進めない。しかし、右肩がもし、脱臼への臨界点を超えたら、私は生きる屍と化す。

さて、今日は、日曜日。私は現場仕事なので、殆ど、日曜日しか休みがない。

本当は、私は、引き篭もりであり、ゆっくり、家でゴロゴロし、本を読み、酒を飲み、酒を飲みながら、本を読む至福を受ける日であったのだが。

なんで、貴船山みたいな、凶悪な山に登らなあかんちゅうの。

余談でお見苦しい所を見せて、ごめんなさい。

貴船山を迷い、ながら、玄天龍に逢いに行く。今日は本当に迷った。やばし。登山の大原則とは、迷ったら、即座に引き返す、勇気が必要であるのです。迷い戻り、また、目指すなり。


土砂崩れで現れた磐座。眷族さんがおられます。


行き止まりがあれば迂回します。



この看板がある所まで来ると。






普通の登山道になり、歩きやすくなります。

ホットしたら。


小さな子供の蛇がいました。可愛いです。


今度は蛇が道を塞いでおります。蛇さんに、「傍を通るから驚かないでね」と声をかけ通ります。蛇は、何か食べておなかが苦しいのか、ピクリとも動きませんでした。



この10番の近くに、お目当ての磐座があります。



貴船大神、玄天の龍の磐座です。
私のみが祀っている磐座でございます。
磐笛、経、祝詞、咒を誦する。

下山は元気になりました。

貴船山が水だとすらば、鞍馬山は火であります。陰と陽の関係があるようです。

そして、貴船が天だとしたら、鞍馬は大地なり。

故に、貴船山から、鞍馬山へ向かいます。





鞍馬山への道は整備されていて、とても登りやすいです。


石灰岩の磐質の山のようです。




鞍馬寺、奥の院。魔王殿。魔王尊を祀っております。

魔王尊は蒼き閃光の神であり、私の御魂とは懐かしき友では無いが、知己に中ります。
磐笛、経、祝詞、咒を奏上。
此処の御手水の水を水業のため、頂きました。

魔王尊が金星云々の話しが、ある。それは、ルシフェール。かつて、ルシファーを守護した者。魔王尊は、神素戔嗚尊と同体異名。
まあ、真実とは、人の趣向。

そして、知識とは参考までに。おのれが覚らねば何も見えて来んぜよ。

もし、あなたが、高次の自身に目覚めたならば、三次四次元の意識を離し、心の世界、見える世界、その立場、名誉、すら、放棄し、真の自分自身としての、行動が出来るのであろう。

奥の院を登って行けば、不動の堂。




そして、さらに、登れば、大杉権現社。

なんと、破壊されていた。自然の台風に。



大杉僧正とは、大天狗である。

あなたは、知らないかも知れないが、天狗は実在する。

自然界の精霊を寄り添い、山界を護るのが、天狗の使命なり。

瞑想が好きなのも、天狗。師と弟子と階段がキツいのも天狗。欠点もあるが、天狗の使命もまた、大事なのである。 



本殿金堂。

本尊は、千手観音さま。毘沙門天さま。魔王尊さま。総称して、尊天。

本殿の前のパワースポットの地絵で相変わらず、撮影が行われていた。しかも、ドローンで。

その地に着けば、パワーを得られる。正に、シコリ神の世界。そうさねばならない。

人間って、そんな事で元気百倍となる。

しかし、人には因果応報の因果律を宿している。

あなたが、楽に得た力は、必ず、返さねばならない。

更に下山する。










由岐神社、御祭神は、火の神、由岐大神。いまは、魔王尊の眷族神である。


何故、人の身が、貴船と鞍馬を同時に参るのが良いのか。

人の身体とは、小天地であり、小宇宙でもある。
 
今の多くの人が、心火を客火を燃やし、頭頂を焦し、水輪は、下方へ流れて、放逐されている。

もし、あなたが鞍馬に参れば、貴方の火は、尊天の御徳により、頭上より、燃え尽きる前に、腹の丹田に帰る。火が下方へ、自ら下がるのである。

もし、あなたが貴船に参れば、貴方の水は、龍の如く、下方から上方へ上昇する。
そして、水が、頭頂の欲火を鎮め、火を下方へ、真火とし、丹田へ下がらせる。

天地の運転とは、簡単に言えば、火と水との相互互助により、運行する。

これを天地の周天と呼ぶのである。



ああ、貴船に、参れば鞍馬に参り。

鞍馬に参れば貴船に参る。

これは、回天に、繋がるのでございます。
















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