玄徳道

道を語るブログです。

先天坐道雑記3

2016-11-15 19:33:46 | 私的考察
三十歳を過ぎてから、毎朝、間断なく、坐して、十年以上。飲み会で飲み過ぎて、二日酔いでも、風邪や、熱がある体調が悪い日でも、仕事の現場が遠く、朝五時に出発する日でも、台風の日も、貫き通して、坐しました。
何せ、私は、無能なり。頭も悪く、人付き合いも下手、何の取り柄もなく、人嫌い。そんな、私が生きて行く上で、何が出来るのか。坐あるのみです。私には、先天坐しかなかった。


根本誠乾師は、満州国の生まれだったっけかな。少年時代に、満州にて、日本人の村が中国共産軍の侵略にあい、多くの日本人が殺され、その死体の後片付けを、殺されなかった、根本少年がさせられたようで。根本少年少年は、同胞を、殺された報復をわすれずに、なんとか、日本に帰国し、成人後、右翼に傾斜、中国共産党を倒そうと、台湾軍に紛れ混み、共産軍を攻撃した。しかし、共産党の捕虜となり、数年牢屋に閉じ込めれた。かれは、独房にて、日々、処刑され、殺される恐怖の葛藤の中で過ごされました。
日々の恐怖の中、彼は、ある物語を思い出した。それは、鎌倉幕府の北条時宗の物語。時宗は、執権と成る前は、自分の心が弱く、凄く悩んでおりました。とにかく、自分に自信を持てない。あるとき、禅の高僧にそのことを相談しました。禅僧は、簡単なことと請負、「喝。弱い時宗を捨てるのじゃ。」「弱い私を無くすにはどうすれば•••」「黙って座れ。座禅せよ。」時宗は、禅に打ち込みました。 時は、元寇のころ、時宗は、元の侵攻による、脅迫に、屈せず、果断に使者を切り捨て、国難に立ち向かいました。

根本宏は、この物語を思い出し、「私は、まだ、殺されてもないのに、日々、いつ処刑されるかと、心は既に殺されている。もし、時宗のように、弱い自分を無くせば、恐怖に立ち向かえるのではないか。」と彼は心を無心にすべく、毎日、毎時毎分毎秒、自分の吐く息を数え、恐怖を忘れようとされた。即ち、数息観。根本誠乾師は、これにより、恐怖に打ち勝ち、日本へと、奇跡的に送還されました。後、禅の大森曹玄老師に弟子入りされたが、禅の公案が難しく挫折された。
根本師を道院に誘ったのは、笹目秀和老人です。当時、笹目氏の悩みは、フウチ。フウチは、神霊による自動書記。しかも、中国語では、なく、漢文の古語の文字が表され、中国人でも、フウチの漢文を訳すには、知性の、教養が必要であり、まして、日本人である笹目老人には、理解と訳がなかなか出来ませんでした。根本師は、中国語と漢学の教養があり、ここに目をつけたのです。
笹目老人と根本師は、当初は、仲が良かった。根本師曰わく、「笹目さんは、釣る前の魚は、だいぶ可愛がり、私も可愛いがられたよ。だけど、釣った魚には餌をやらない人でね。」
当時からのフウチの翻訳は、呉清源氏の名前で出されていましたが、ゴーストライターのように影の翻訳は根本師がされておりました。

根本師は、宗教団体の教主、深見青山氏の師としては、割と有名でもありますね。

道や、誠、中庸、易の話しは、ぶっ通しで八時間位は、平気で言葉が、止まらないぐらい、講義される方でありましたよ。

私は直接、根本師の自宅を訪れ、五経の「大学」を修身済家治国平天下を教えて頂きました。

私が根本師より、よく賜った言葉「人欲を捨て、天理に還れ。」「この世に生まれた以上、天下にあってはならない存在となるか、なくてはならない存在となれ。」と。

 
坐の効用は、なんであろうか。

幸せも、不幸も、運も不運も、ありのまま受け入れることが出来るよう成ったかなあ。決して、他のせいにしない。
パチパチなる、ラップ音が減少したこと。
仕事では、少しは男らしく、責任感があり、決して逃げなくなったこと。
家族がインフルエンザでも、私には一切移らないこと。
風邪を殆どひかなくなり、ひいても、短時間で治癒すること。
神社好きだけど、それより奥宮の磐座が大好きになったこと。


私は坐の時間は、三十二分の八度。毎日やるからねえ、こんなもんでいいのさ。
私が六十歳を過ぎたら、十六度に変えるつもりなり。
毎朝、坐して、三十二分。時折、タイマーのセットを忘れると、気が付けば、一時間は、余裕で過ぎている、「ヤバい遅刻すると」あわてて、出勤する日もあるので、なるべくタイマーには十分気を付けております。


神社好きの私です。特に住吉大社の大神は、私の厳父の如き。住吉大社の地にて、氣の矯正をされることもしばしば。

ある時、自宅にて坐していると、私の内の中に、住吉大神がおられる事に気づいた。

老祖は、「外に神を求めるのでは、なく、中(内)に、道を見出すのである。」
  
そして、私の内には老祖も、八百万の神々がおられることを。それは、大いなる、流れ、普遍的意識であることを。

内なる神、内在する神への気づきなり。  
まあ、伊勢白山道へと走ったのも、同じ仲間がいるハズと、嬉しかったからでしたが。ハズレ。


つづく。            
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先天坐道雑記2

2016-11-13 03:28:30 | 私的考察
二十代は、先天坐をしたり、しなかったりと。本気で先天坐を間断なく行ったのは三十歳を過ぎてからでした。

道院の教えは、易経からの例えが多く、坐の境地も、水と火が交わる「水火既済の卦」により発展します。水と火が交わらない「火水未済の卦」では、先天坐とはいえません。

南雲暉芝さんは、「禅は臍下丹田に意識を向け、瞑想は、自己の潜在意識に意識を向ける。笹目先生の先天坐は、宇宙からエネルギーが額から入るをイメージする。根本先生は数息観から入る。人に拠ってやり方は、様々だが、私が一番良いと感じたのは、台湾道院の誰某(名前を憶えていません)で、全てを解放するイメージで、最も自然であり、この坐法が先天坐に相応しいと。」
現在の東京総院の統掌、黒川正備さんも、「坐すれば、妄想や妄念は、自然と出ます。無理して止めようとせずに、出る任せたら良いのです。任運自然体で。」
 
坐するにおいて、チャクラや身体の部位に意識を乗せる方法もあります。身体の中心である、心臓部に軽く意識を乗せるのが正しいと言われる方もおられます。しかし、部位に意識を乗せれば、「着相」しやすく、部位に執着し、そこが暗黒化してしまいます。
先天坐は、あくまでも自然坐なので、形坐に於いて、氣の流れを自然と感じ、竅を感じ得たら、初めて意識を添わせ「守竅」。守れば良いとも考えます。

南雲さんは、瞑想をダンテスダイジさんに付いて行った方ですので、初めて先天坐を笹目先生より、教えられた時、その時間の短さに驚いたようです。
「わずか十六分だよ、長くて三十二分、最長で六十四分。それ以上、霊的におかしくなるから、したらダメだって言うんだよ。瞑想は、短くて、一時間。普通で二時間ぐらいは、平気でするからね。」

瞑想者は、自己の潜在意識に入るためか、「瞑想部屋」と呼ばれる、意識の中に部屋があるそうで、ダイジさんも南雲さんもその部屋行った事があるらしいです。

瞑想者は、自己のグンダリーニに、体内の蛇に魅入られるとも言われます。人は社会に出て、労働しなければなりません。瞑想者は長時間に渡り瞑想をするために、働く意欲を忘れます。
自己の潜在意識の蛇に魅入られ、囚われ、その世界のみが正しい世界であるように錯覚してしまいます。これが瞑想に於ける弊害であるとも言えます。
弊害ついでに、瞑想には導師が必ずいなければなりません。そして、導師に絶対の帰依をしなければなりません。人は必ず過ちを冒す存在です。師も人なり。かつてのオウム真理教に於けるグルへの帰依は、信者自己の神性を深き地獄へ堕としました。

先天坐には、導師は、いません。何せ、師は、至聖先天老祖のみです。神が師であり、大乙北極真経がその教えでもあります。フウチによる神々の経訓による、助言と、先輩修方による、助けにより、先天坐は教えられております。後は自分の堅固な意志と誠心、継続する力により成り立つのです。

二十代の時、坐していると、手と膝が一体の感覚となり、そのうち、手足の感覚がなくなり、私自身が球体となり、また、球の身体が数倍に広がって行くのを感じました。物凄く気持ちがよく、宇宙との一体感を初めて感じました。しかし、一度この感覚を得ると、また、この感覚を得ようとするのが、人のサガであり、欲でもあります。
黒川さんも、坐して、素晴らしい感覚を得て、坐が完了した後、感動しすぎて、その場にて、九拝されたことがあるそうですが、「次の坐でその感覚を追ったらダメ。それは、唐突に訪れるもので、此方からは追わず求めず。また初心に戻りその感覚を忘れて坐をしなければと。」

つづく。
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先天坐道雑記1

2016-11-12 14:13:34 | 私的考察


私は、至聖先天老祖の不肖の弟子である。

先天坐を覚えたのは、今から、二十数年前であります。
私が、二十二歳の時です。

当時は、東京総院と多摩主院と分裂しておりました。

道院紅卍字会は、フウチと云われる、神からの自動書記がありました。
中国が赤化の劫により、共産化し、中国の共産主義の劫火に太刀打ち出来ずに中国道院紅卍字会の本部は、香港に退き、世界の紅卍字会の総本部は香港に移行されました。ゆえに香港宗母総と言われます。

人は、神奇なる、霊妙な奇跡を好みます。

フウチからは、既に、壇によるフウチは神側から停止し、人による努力による働きで、道院を運営せよと、再三に訓文にて諭され旨を示されておりました。しかし、道院の修方は、神からの意を頂戴したいと、神側の意向を無視されておりました。

「人は神の奇瑞を好むが故に魔が躍るのである。」

ここに、香港宗母総と台湾主院による、道院分裂の歩みを始めたのであります。

中の道院、和の大本と言われた、出口王仁師が率いた大本でも、神の意志よりも、人情と、権威、思想に重きを為した結果、大本は、二派、三派と分裂しました。

しかし、宗教により、絶望し、自分が、直接、神に取り次ぐと謂われる、「御魂返しの秘」が覚醒と覚神された人に授けられましたが。


香港と台湾の分裂には、理由があります。フウチを取り次ぐ者を道院では、纂方と呼びます。T定木にて正纂方と副纂方が砂の盤、沙盤にて文字を受け取ります。この纂方は、厳格の資格が要り、あくまでも、老祖の真霊を授霊された者のみにその資格があり、かつては、碁聖と言われた呉清源氏もその道を志しましたが、適わなかったとされます。

いち、道院であった台湾道院は、フウチを希望して、やまなかった。ようやくにして、香港宗母総のフウチにより、授霊された正と副の纂方が揃い、フウチの許可を得られました。
ここにて、台湾により、フウチの開催となりましたが、当時の台湾道院の統掌により、フウチの副纂方がフウチの練習方へ、変更されました。

正纂方と練習方纂方により、フウチは、開沙され、そのフウチにより、台湾道院の役割は、飛躍され、また、人事にても、神命により役職は、人に沢山、与えられ、一大行事となりました。

しかし、すぐに、香港宗母総によるフウチにて、「台湾の道院による、フウチには、魔が入った。即刻、壇を停止せよ。記録した紙は焼き捨てよ」と指示、師命されましたが、多くの修方の人々は、名誉と役職が壇により下されており、神(魔)による名誉と役割を与えられた人達は、収まりません。「台湾のフウチは本物だ」と譲りません。ここに香港と台湾の道院が分裂した結果があります。

私が、道院の存在を知ったのは、鶴仙に乗った仙人こと、笹目秀和老人の著書、「モンゴル神仙邂逅記」「神仙の寵児」によります。

笹目老人は、仙人などとうたわれておりましたが、実際には、フウチにて「我に出口王仁三郎聖師と等しき超能力を与え賜え、それにより道院を広めます。」とお願いされ、神より、「不可思議なるモノで広まった道は、真実とならない、秀和は、何を勘違いされておるのか」と戒められておられ方であり、故に、彼は、香港宗母総、東京総院より離れ、自分に好ましい役職を下さる、台湾道院のフウチ、台湾主院に付き従いました。
ゆえに、日本でも東京総院派と多摩主院派が出る結末となりました。
道院にとっては、多大な偉大な貢献をされた、方であったのに、晩年は老いて焦られたか。

二十一歳の日、私は、ようやく、笹目老人の居場所を突き止めた。東京総院をタウンページにて知り、東京総院に聞いた結果である。著書による住所は、既に移転されてあり、行き先不明であったから。

親切な東京総院の事務局により、多摩道院の事務局は、東京都福生市にあり、電話する。「笹目先生に会いたいのですが。」「会うにはお金がかかりますよ。」なんでお金?と思いながらも、「いくらですか。」「三万円です。」私は、それでも、会いたくて、福生まで行きました。当時は自分が何の為に生まれて来たか、とても知りたい時期でもあったから。

期待を掲げ、神仙の弟子でもある笹目仙人と会える喜びを抑えながら、対面しました。

対面時間は五分なり。

片目が潰れ、独眼を開き、九十二歳の仙人は、私の職業を聴く。「衣料品の販売を~」仙人はノートに「医療」と書いておられ、また、耳も遠く、言葉が通じない。そして、笹目老人いわく「私は、今、非常に忙しい。用がなければ帰ってくれと。」私は、当時から、人見知りで寡黙でありおとなしい。声も小さかったかもしれない。しかし、この爺さん。人から、会うだけで三万円、ふんだくっておりながら、この態度。何が仙人だと幻滅。(その当時の私の個人的な感情です。)

しかし、天は、まだ、私を見捨てておられなかった。偉大なる瞑想家である、ダンテス ダイジの高弟の南雲暉芝氏との出会いである。

南雲さんは当時、多摩主院の事務局をされており、福生近辺に住まれておられた。電話して、でられた方でおり、私に三万円を要求された人でもある。

偉大なる仙人との対面後、福生事務局に顔を出すと、南雲さんは、「笹目先生は、どうだった、こんなに若い人であるなら、お金取るんじゃなかった」とかいっていた。返してくれなかったけど。

多摩主院にて、求修し、老祖の弟子となった。

老祖の弟子は、百日間坐の練習をし、それから、老祖の御神体、当体でもある、「大乙北極真経」を賜る。

私は、坐して、三日目くらいで、天地が逆さまになる錯覚を覚えた。天地が逆さまではなくて、私が、逆立ちしている感でもあります。目を空けると、逆立ちは、していない。しかし、瞑目すると、逆立ちしている不思議な感覚。それは、暫く続きましたが、いつの間にかその感覚は、なくなりました。

人の性質、と氣は、簡略すれば、火の性と水の性の流れがあります。火は、上昇し、水は、下降する。この二つの性質を交合わせ、小周天させ、氣を回し、宇宙と吾が小宇宙を同調し、神人合一を為し、初めて天意と、天命を得た行動を顕すことが出来るのです。

しかし、氣を周すには、坐や、瞑想より他に道はあまり、ありません。

瞑目し、坐する。ここに先天的働きが自然と加わり、頭頂にある、真火は、降ります。火が下方に降りれば、腹部にある真水は、登ります。水が上昇し、頭頂に至ればまた、下降します。水が降れば、火は腹部から上昇します。この働きを小周天と呼び、天地の働きを行うことが出来ます。ここに人は、小天地であるとも言えるのです。

今の多くの人は、頭頂の火は、燃えて上がり、腹部の水は、下がり、決して交わることなく、あべこべの氣の流れをしており、病や、心の病気となりやすく、天地の中の人の働きとしては、本末転倒であります。

私が坐したときに、逆さまに感じたのは、今まで火は、登り、水は、降り、決して交わることがなかった氣が、交わることにより、今までの天地の立場と自己の身体の小天地が逆転し、正常化されたとも考えます。

南雲さんからは、ダンテスダイジさんの事を教えられ、ダイジさんは出口王仁三郎聖師の霊から、直接、神霊学の奥義を授けられたとも。南雲さんも出口王仁三郎なんて知らなかったけど、道院に来て初めて偉大な方であることを知ったとも。

瞑想と坐禅による気の流れの違い。意識の違い。先天坐の気の流れについて等、大略を実践を踏まえて教えてくださいました。短い期間でもありましたが、今でも坐の助けとなります。

坐をしていく上で、私は、常に頭頂に渦が巻き、氣が流れてくる感覚を自然と覚えました。それは、形坐から、離れても、日常生活の中でも感じておりました。この感覚を心の坐、日常生活の中でも出来る坐、心坐に応用すれば、良いと教えてくださったのは、道院のブログを書いておられる修方(教藏)さんです。

道院の坐をしていく上で、やはり、東京と多摩の分裂は、好ましくありません。私は、坐を通じて、東京の方にこそ、正があると、確信し、多摩道院と南雲さんからは、離れ、東京総院の根本誠乾師を師事するようになりました。

そして、東京総院より、大乙北極真経を賜りました。



つづく。
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