令和五六七(みろく)の年も、節分を過ぎ、世界も日本も開門し、新しく生まれ替わらねばならぬ時とめぐりたぞよ。
神界は人類、早く改心いたし、時の流れに乗りて新しき世へ、渡れよと九十〇(ことたま)を宣り、天象地象に世替わりの様を見せ、人類の改心を迫れども、何時迄も、我が世の春が続くと思いておる人類であるぞ。
風水火地震雷噴火、皆災いと思いておるが、神が人類の改心を迫る警告まであれど、その事に気づかず、好き勝手の事ばかり、いたすから神界も苦労するところであるぞ。
先の大戦で連合国に負けた日本は、もう二度と世界に頭を上げるなと、連合国に押さえつけられており、大国から見れば、一寸法師のような小さな国が世界に大戦争をしかけ、身の程知らずの国じゃと、今も世界の敵国と決めつけられておるのじゃぞ。
そして、日本の人民は愚かな人民じゃと、自ら思わせる自虐と教育を受けさせられており、金の力でどちらでも、向く人民になりつつあるのじゃぞ。
小さな国が世界相手に大戦争をいたして、負け、その上原爆ニ発も落とされ、それでも亡びもせず、今日ある事は、この日本の国は、地の三六九の神、天照国照日の出の神が国魂であり、世界の闇を晴らし、世界恒久平和の三六九の世を開きてゆかねばならぬ使命があるのであるぞよ。
その意に於いて、戦後一番の大難でありた、阪神淡路の震災を乗り越えて、今日に致りし事を思い返さねならぬ時であり、国生み島生みの物型理(ものがたり)の自凝島(おのころじま)が最初に成りた淡路より、新しき神の世の戸を開く動きに致り、如何なる艱難にも負けない自信を取り戻せよと、向津峰、六甲の山に坐す、撞賢厳之御魂天疏向津媛命の叫びであるぞ。
向津媛の神とは即ち瀬織津媛神であり、日本の国魂天照国照日の出の神の偶神であるぞ。
連れ添いて真名井ヶ原に現れて、国常立大神の神命を果たすのであるぞ。
扨て、六甲とは元は、向津峰、それが向峰(むこのみね)となり、六甲の字を当てたのであるぞ。
日本で一番速く日の出の光差す、岩手県の早池峰の山と共に六甲の山は、瀬織津媛の神の真に大事な山なのであるぞ。
神国日本の汚れ穢れ人民の精神の体主霊従化した、歪みを正し、真実誠(まこと)の正義の道を伝へ守る真の神國の民に立直らせて、まいるのじゃ。
それは、戦前の如く、上から命令で押さえつけられて、自由も無く統制される国体でなく、神人和楽にして、天地万物調和為し、世界人類、それぞれ身魂の特技特性を発揮し、人類理想を目指し、大和なる世界恒久平和の道、即ち日の出 五六七 三六九の世をこの地上に実現する道であるぞよ。
その先導は日本とアメリカが、天照国照日の出の神と龍宮乙姫の国魂の神位に順いてなってゆくのであるぞ。
それが出来ねば世界、救われぬであるぞよ。
これまで日本とアメリカは大戦争を致し、戦後はアメリカに日本は、服従した、歪みた関係であったが、それをお互いに、国魂の特技特性を発揮し、世界平和の為に活かしてゆく姿に是正してゆかねばならぬのが、この令和七年、巳の年からの道の始まりであるぞよ。
すでに大きな赤鬼の腹に呑み込まれている、一寸法師の日本の國よ、言霊の針の剣をぬきて、言向け和わし、神理想の道に如何なる赤鬼も、改心させてまいるのじゃぞ。
アメリカの言うなりに従う世は、済みたのじゃ。
共に力を合わせ世界平和の道を開くのじゃ。
有田(九州)なる五六七の歌碑に秘めたる瑞霊の神力の導きにまず、日本の水晶の魂の神民達の集い結びて、新しき世の神の戸を世界に向けて開いてゆくのじゃ。
六甲の山には、瀬織津媛神、その元の白山菊理比咩の神ありて、真の神民の働きに力添えをいたすぞよ。
行き詰まり、潰れかけた世界を括り結びて真の水晶の世を開いてゆくのじゃ。
これからの世界の動きは、一国だけの自在にならず、和をもって尊しとなす、大望の世となったのであるぞ。
それぞれの人民国々、神世開きの大芝居の皆、役者であるぞ。
日本は愚民どころで無い、大事な使命が授けてあり、それぞれしかと果たすのじゃ。
まずは、神の授けた職業(なりわい)に誠を尽くしゆくなれば、自から、世界の為に役立つ道が見えて来るのじゃ。
厳寒の冬を耐えてこそ、梅(埋)の花咲、そして桃(百)の花咲き、実る時が来るのじゃ。
巳は御現れ、長年の神の仕組みが実りの始めの年であるぞよ。
言霊神也 ン。
令和七年四月十五日
天橋道士龍華斎修聖 拝写。