定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

探険家・関野吉晴さんの日本国内での外国人との関わり

2018-12-07 19:28:22 | 新聞記事・テレビ


1993年に探検家の関野吉晴さんにインタビューしている。関野さんは、8年かけて南米の南端から南北アメリカを縦断して、ユーラシア大陸を横断、そしてアフリカへと人力で旅する。人類の発祥と拡散の足跡を巡る旅を、人力で遡る行動を通して、旅を巡ることをめざした。「グレート・ジャーニー」と名付けた長い旅だった。同じ年に「ツール・ド・シルクロード20年計画」というサイクリングをスタートした私に、早稲田大学探検部のOBから関野さんへの雑誌記事のインタビューの依頼があった。取り組みが似ているから、細かい点を聞きだせるだろうとの狙いで依頼されたのだった。

当時、調布にあった関野さんの自宅へ、編集者と一緒にインタビューに行った。

今朝の新聞記事(2018年12月7日、朝日新聞朝刊)をみたら、関野さんは日本国内の外国人労働者に関心をもっているという。インタビューではなく、南アジアやアフリカから日本へ来て働いている人と一緒に、皮なめし工場で1年も一緒に働いて、今でも時々一緒に働いているらしい。すごいパワーと好奇心だ。

わたしは、20年かけて仲間と一緒に自転車でシルクロードを走破する「ツール・ド・シルクロード20年計画」。この途中で関心を持った中央アジアの日本人抑留者へのインタビューを続けている。だが、インタビューを受けてくれた方は高齢で毎年少なくなっており、今後は抑留者の子供たちに取材の軸を移動しようと考えているところだ。時間の変化とともに、新しい課題を受け止めている。

お互いに、旅の途中で出会ったテーマを追い続けているという点では似ている。ただ、関野さんは未来に向かい、わたしは過去に向かっているという点、時間軸が違う。関野さんの今の取り組みも聞いてみたいと思った。



こちらも朝日新聞の記事。コラムだ。

1993年、「ツール・ド・シルクロード20年計画」をスタートした時は、旧ユーゴは紛争中であった。あのエリアをどのように通過するか問題だった。時間が解決するだろうと、甘い考えでペダルを踏み始めたのだった。

2007年頃だっただろうか、旧ユーゴに差し掛かる時、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、コソボなどへとそれぞれの国が独立していた。幸いにも自転車で巡ることができた。ただ、今朝のコラムを読んで、歴史的な背景とともに、各国が独立したその後の様子や取り組みも知りたいと思った。
それぞれの国の住民や子供たちが、歴史を乗り越えてスポーツや音楽や美術などを通して一緒に取り組んでいる「何か」。そこに興味を持った。子供たちが未来に向かっている取り組みだ。子どもたちには、夢も時間もたっぷりとある。初めの部分だけでも取材してみたいものだ。

旧ユーゴは、まだまだ自転車で仲間と一緒に旅したいエリアだ。同時に、子どもたちが、歴史や過去や感情をどんな風に乗り越えていくの、追いかけてもみたい。

わたし自身は、テレビは持っていない。新聞も時々駅で買うくらい。最近は新聞もつまらないのだが、面白がる気持ちとテーマの持ち方も大事だと反省した。

関野さんの日本国内での取り組み、旧ユーゴの子供たちが世界各地の子どもたちと取り組むことがら。今後を楽しみにしている。もちろん私と仲間たちとの自転車旅行も楽しみだ。