定年後は旅に出よう/シルクロード雑学大学(シルクロードを楽しむ会)長澤法隆

定年後もライフワークのある人生を楽しみたい。シルクロード等の「歴史の道」を調べて学び、旅して記録する楽しみ方を伝えます。

自転車による自損事故の友人を見舞いに、自転車で青梅へ

2018-12-02 21:32:13 | 国内サイクリング
  

雨は降らないとの天気予報。自転車による自損事故の友人が、青梅にある老人ホームに移ったと知ったのでお見舞いに行くことにした。何かと重なった作業を終えて出発したのは、11時30分だった。

多摩川のサイクリングロードを利用して、青梅には何回か行っている。地図を調べて、大体の位置を確認したのちに多摩川のサイクリングロードを利用して自転車で行くことにした。

「鬼の洗濯岩」といわれる形態の河床が多摩大橋の近くにある。河口から43㎞の表示が近くにある。約1300万年前、海底に積もったものが岩になったという。貝や魚の化石を見付けることができると聞くが、わたしの場合は何時も貝ばかりだった。一回くらいは魚の化石を見付けたいと思っていたが、人生の時間は残り少なく方向転換、化石探しは他の人に楽しんでもらいたい。

 

羽村の堰では、看板の前で年配の夫婦が話をしていた。ご主人は看板を作った人の様だ。「一人ではできないので、二人で作った」などと話していた。制作にかける時間が少なかったのか、絵のタッチなどの問題だったのか。

 

「まさかぁ」なんて言うことがある。60歳になった時、中学校の同窓会で住職を務めている友人が講演をして「人生には『まさか』という坂もある‥‥」と話していた。ネタ本をもとに多くの人が話している題材だと思う、しかし、ほんとうに「まさか」という坂があるとは思わなかった。「間坂(まざか)」と濁るのだが‥。中国で「馬鹿中学校」という学校があった。校門を見て、シルクロードを一緒に走った仲間は「教師として、これは見逃すわけにはいかない」といって写真を撮っていた。国語を教えていたのだが、授業で写真も生徒に見せたんだろうなあ。ちなみに、中国ではただの「ウマとシカ」の意味しかないという。日本とは異なる。日本の「馬鹿」という文字の並びは、日本では何時から今のような意味を表すようになったのだろうか。
また、これまでは青梅までのサイクリングで、風景を見楽しんでいたのだろうか。「間坂」に気が付いたのは、今回が初めてだ。10年以上、自転車で通っている。何故気が付かなかったのか。通るルートを楽しむ、歴史やストーリーを楽しむ心が貧弱だったと反省した。

 

老人ホームに到着したのは、14時30分、団地からは約30キロだった。驚いたのは、いつも1月3日に行っている青梅七福神巡りのコースの直ぐ近くだった。また、いつも利用しているコンビニが閉店していた。トイレを使わせてもらい、おにぎりを買っていた。コンビニは増えるばかりと思っていたが、地方では減っているのだろうか。人口が減っていること、一極集中を実感させられた。

友人は、自転車による自損事故で首から下の部分の自由を失い、治療とリハビリに取り組んでいた。もうすぐ2年になる。事故は飲酒運転だった。また、日の短い1月下旬、夕方。老眼のために段差に気づかずに転倒したという。シルクロード雑学大学では、飲酒運転は危険だし人をケガさせてもいけないので、やめるように何度も話していた。「飲酒運転は危ない。長澤さんが何度も言っていたことがようやく判った」と友人が言ったのは、入院した病院のベッドの上だった。そんな風にならないために、定例会で話していたのだが。残念だ。

とはいえ、寝たきりだった友人は、歩くことができるようになった。腕も指も動かなかったのだが、パソコンを使えるようになった。
私は、来年から青梅七福神巡りはひとりで行うことにした。その時に立ち寄る、甘酒を持参すると伝えた。ノンアルコールのビールくらいは準備しておくよ、との返事が返ってきた。
施設を出たのは、16時。自宅に着いたのは19時。走行距離は約30キロ。帰りは一般道を走ったが、交通量の少ない道を選んだせいなのか、地図で道を確認する機会が多かった。

  

友人の入っている老人ホームへ行く途中に、趣のあるお寺の門があった。500年程の歴史を重ねている様だ。日没が気になり、門前で引き返した。のんびりと散歩したい雰囲気を持っていた寺院だった。