わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第185回 ―黒崎立体― 黒岩 徳将

2016-11-03 22:13:47 | 詩客

 経済学の本か何かで、著者がこのようなことを書いていた。この世で最も不思議なものは「お金」ではないかと思います、同じくらい不思議なのが「言語」だと思いますが。うろ覚えだが、「お金」と「言語」の二つが等しい価値に位置づけられているのが面白く、本の深い内容よりも印象に残った。言語、つまり言葉の不思議さに惹かれないと詩歌なんて書けないだろう、と思っていたがどうやら黒崎立体という詩人は少し違うらしい。

 おもわなくても、火はつねにたえず
 夜は水面を、鎧のようにこおらせて
 月をおしえる、
                                                                 (「あじさい」里・2016年6月号より一部引用)

 思もわない、つまり自己に関する営為がなくても、「」(=自然)世界は動き続ける。言葉を媒介にして自己と世界との距離感を図っているが、まなざしはクールである。焚火でもしているのかと思った。鎧という比喩の使い方が作者の内面と対応しているように感じられるが、手がかりは多くない。「月をおしえる」の後に付いた読点も散文ではあり得ない。「おしえる」という擬人化を用いることで、自分が世界から逃れられないというメッセージが暗に込められている。
 同号のミニエッセイで黒崎は「私は『言葉を愛している』というタイプの書き手ではありません」と綴る。言葉への愛とはなんだろう。「言葉への思いは薄いというか、うまく抱くことができずにいます。」ともある。「あじさい」という詩は、ポジティブな印象が皆無だし、死のイメージも見え隠れする。うまく抱けないからこそ、悩みつつ言葉を並べて少しでも迫ろうとする。それを「愛」とか「好き」と言ってしまっていいのでは、と思った。世界のことは簡単に知ることはできないし、答えを簡単に与えてくれないからこそ、私たちはコミュニケーションによって世界に漸近する。「俳句」10月号(角川文芸)で髙橋睦郎が「表現ということは自己主張ではない、自己解放だよ」と言ったことに繋がっている