わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第180回 二篇の夏の詩 ―陳東東― 岡野 絵里子

2016-08-06 00:56:44 | 詩客

       夏の光 (夏日之光)

  光だって成長する一種の植物だ
  雨を濯がれ夜に入ると開く
  ぼくらの夢の場所

  光はそれぞれに香る樹のようでもある
  風を集めて
  ぼくらをその蔭に眠らせる

  今夜 ぼくが話すのは夏の光のこと
  雨はもう静かになって
  窓辺には一鉢の新鮮な石竹

  低い話し声がする
  サッカー見物がおわった娘たちだ 軒したで
  彼女たちは両手をさしのべている

  彼女たちは騒ぐ光を撫でる 木の葉を
  撫でるように あるいは花を
  枕辺におくように

  そして彼女たちの身体も光のようである
  潤って浅黒く 真夏の静寂のなか
  ぼくらを引き寄せる

財部鳥子訳 詩集「雨の中の馬」アートランド1996年


 ここにあるのは、遠く失われてしまったものたちだ。或る特別な夏の、或る特別な日に、それらは生まれた。詩人が一篇の詩の中にとどめてしまったために、もう詩の外では生きられなくなってしまったものたち。詩人はそれらを、人間の仮の名で「」と書きつける。「夏日之光」と。

 その日、光は本当に成長する植物だったのだ。夜にひらく花であり、それぞれの香りを持つ樹木でもあった。娘たちも美しい。両手をさしのべ、光を撫で鎮める。光は夏に興奮して、ざわめきたっているらしいから。そして彼女たちこそが光なのだった。夜にひらく夢の場所であり、花を置く優しい手、日焼けしたしなやかな身体で恋人を引き寄せる光。

 1980年代にこの詩は書かれた。詩人が出発する時は、こういう詩が書かれるのだ。失われて、人間の手を離れたものについて。
 そして10年後、1994年に、再び夏の詩は書かれた。


       二つめの夏 (第二個夏天)

  一つめの夏は稲妻が中止した
  雨の山なみ 雨の封鎖線

  梅雨と呼ばれる広びろとした急坂が
  七月をさえぎっていた

  六月のトンネルは密かに時をつないで
  盗みだしてきた 五月の黄金の火薬

  この陽光印の雷管は
  詩の旧い倉庫に入った新しい武器だ

  それで私の二つめの夏を起爆させよう
  破片は粉々とガラスの羽毛のごとく

  そしてガラスの翼の鋭利な折れ刃は
  雨糸を断ちきり八月のドアをひらいた

  ——烈しい詩語と目を奪うイメージ
  鏡のうえに稲妻の裂いた痕がまたあらわれる

財部鳥子訳 連詩集「一年の翼」アートランド1996年

 
 詩人は夢想している。五月の陽光でできた黄金の火薬で、詩の旧い倉庫と夏を爆破することを。この新しい武器が自由な季節をひらいてくれることを。だが実際は、彼は雨に降り込められて暗い室内で鏡を見つめているばかりなのだ。止まらない稲妻が、無情に鏡の中を横切っていく。
 
 上海師範大学を卒業後、1988年、彼は詩誌「傾向」を創刊する。が、公安の調査が入り、1991年に3号をもって停刊させられる。その後も度々公安の調査を受け、彼はすでに有名詩人ではあったが、詩集はタイプ・コピーで少数部数印刷されたもののみであった。美しい夏を「中止」させる雨と稲妻が何の隠喩か推測することはたやすい。ここでは書かないけれども。(2011年6月30日の詩客・日めくり詩歌「陳東東 雨の中の馬(雨中的馬)」で書いたので)

 2005年3月、日本現代詩人会の招聘で、陳東東氏は来日、講演する。43歳になっていたが、初々しい青年のように見え、思索する哲学者のようにも見えた。どのようにお呼びしたらよいのか?という質問に、恥ずかしそうに「トントン(東東)〜って・・・」と答えたところは、何だか、みんなのお友だちのようだった。
 260ページの自選詩集「明浄的部分」を1冊だけ大事そうに持っていたが、懇親会の会場の、人混みをかき分けるようにして、その本を渡してくれた。目次の「雨中的馬」に、鉛筆で印がついていた。