わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

ことば、ことば、ことば。第12回 日記2 相沢正一郎

2014-02-09 11:09:48 | 詩客

 第11回で、吉野弘氏の「夕焼け」のことを書いて原稿をメールで送った後、新聞で氏の訃報を知った。ご冥福をお祈りする意味もあって、氏の詩集をたくさん再読。この日、UBSメモリが壊れ、三年分の(わたしにとってはとても大切な)記録が一瞬にして失われ、ショックが重なる。そのほかにもいろいろな出来事があって、普段より電話がたくさん鳴ったような、そんな一日だった。
 ほかのひとに話すと、「UBSメモリは、壊れることを前もって考え、記録は分散しておくのが常識」と言う。業者にデータの復元を頼んだが、これもダメ。12回目の「ことば、ことば、ことば」の「日記」も、前回にまとめて書いていたが、たくさんの文章といっしょに消えてしまった。
 そこで、新たに今回は昨年出版された「日記」とひびきあう散文詩集を。UBSメモリの「記憶」の抹消ということで、すぐに思い出したのが山本博道さんの『雑草と時計と廃墟』。アルツハイマーで壊れていく母との生活を綴った「日記」のような詩集。そういえば、昨年、キネマ旬報ベストテンの一位が日本映画では森崎東監督の認知症の母と息子の日常を、監督自身アルツハイマーと闘いながら撮影した『ペコロスの母に会いに行く』。外国映画では、ミヒャエル・ハネケ監督の老夫婦(心身ともに衰弱していく妻と妻を支える夫)に忍び寄る終末『愛、アムール』と、いまの時代が「老い」や「廃墟」、「死」という問題と深くかかわっている気がする。そのほかにもアニメーションで、イグナシオ・フェレーラス監督の傑作『しわ』があった。
 さて、『雑草と時計と廃墟』の文体、ドイツのハネケ監督の厳しく削り取った緊張感のある「沈黙」とはまるで反対の饒舌(句読点のない文章は、ジョイスの『ユリシーズ』の最後、浮気妻モリーの独白を思わせる。こうした文体、ねじめ正一氏など何人かの現代詩人の作品で見かけたが)。《おもぉいだぁしておくれとにかく飽きない煩い歌いづめ耳の奥まで知床旅情ふいにぼくまで口をつきしれぇとこぉの》(『知床旅情』)といった語りというかユーモラスなお喋りは、先ほどのキネマ旬報のベストテンにもどると、二位のアルフォンソ・キュアン監督『ゼロ・グラビティ』の宇宙ゴミに衝突し破壊されたスペースシャトルから宇宙に投げ出されたふたり――ライアン(サンドラ・ブロック)にジョークまじりに切りもなくお喋りするマット(ジョージ・クルーニー)のことを思い出した。死ぬか生きるかの極限状況、だからこその笑い。
 かつて路上派で活躍してきた山本さん、上質の抒情あふれるすぐれた外国の旅を描いてきた。その旅人の眼が「廃墟」の生活にもユーモアとなって生きている。(ユーモアは対象を客観的に見つめるための距離でもある)。また、これまでの行わけ詩とは違い、ことばが雑草のように余白を埋めつくすといった作業を選んだのは、《部屋中ティッシュの箱にトイレットペーパーの山冷蔵庫にはいくつものパンと納豆期限切れべつの部屋には崩れたビデオテープにカセットテープ洗濯物はソファーの上に洗ったものか洗うのか床にも錯乱》(「母のこと*」)といった、「なにもない舞台」(宇宙)ではない、まるで屑物入れのように饐えた臭いのただよう古い生活用品が散乱する舞台と照応させるため。そしてそんな廃墟で、母は宇宙に近づいている――お喋りだって、やめてしまえば宇宙の沈黙に呑み込まれてしまうし、屑物入れみたいな部屋の後は空っぽの宇宙。饒舌の後は沈黙。
 《木々の葉はみずみずしい新緑に生まれ変わり花は咲き羽化した蝶も飛びまわり空の雲もまぶしい光を吸ってゆったりと流れ何も壊れたものなどなかったようにどんなにむごいさいげつだろうとそれらを覆い隠してまた新しいいのちの春はやって来た》(「春 *」)は、日記によくみられる些末な出来事とおおきな循環(季節)にとてもよく似ていて、悲劇にみられるドラマチックな情熱もカタルシスもまったく欠如している。たとえば、シェイクスピアの『マクベス』。《明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく》。(《消えろ、消えろ、つかの間の燈火! 人生は歩きまわる影法師》なんて叫んだら、どんなに気持ちがいいだろう)。
 日記は悲劇とは違い、ただ少しずつバーベルの鉄球を増やしていくような日々がゆっくりと続いていく。結末がない。そのうえ、この詩集、その日記よりも悲劇的なのは自然のおおきな循環といった救いすらないことだ。 
 《時計とはじつに複雑怪奇な無生物だそして母には針そのものがわからない病状が進むにつれて形が認識できなくなるというが時計の針も形なのだろうか》(「時計 **」)。詩集を閉じたからといって、読者は安心してはいられない。すぐ近くのドアをあけると、目の前にブラックホールが……。