『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(1)

2024-02-15 20:56:23 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.40(通算第90回)(1)


◎序章B『資本論』の著述プランと利子・信用論(5)(大谷禎之介著『マルクスの利子生み資本論』全4巻の紹介 №9)

  第1巻の〈序章B 『資本論』の著述プランと利子・信用論〉の第5回目です。〈B 『1861-1863年草稿』における利子と信用〉の〈(1)「資本一般」への「多数資本」の導入〉という小項目のなかで、大谷氏は〈この『1861-1863年草稿』の執筆中に,マルクスは平均利潤率の形成と価値の生産価格への転化の問題を基本的に解決したが,これを「資本一般」のなかで取り扱うことにした結果,プランに重大な変更を加えることになった。〉(93頁)と述べています。
  ここで簡単にいわゆる「プラン問題」について触れておきましょう。マルクスは『経済学批判』(1859年)の「序文」の冒頭〈私はブルジョア経済の体制をこういう順序で、すなわち、資本土地所有賃労働、そして国家対外商業世界市場という順序で考察する。〉(草稿集③203頁)と述べています。これがいわゆる「6部構成」と言われるものです。そのあとマルクスは「資本一般」をまず論じていますが、これは上記の6部構成の最初のものでしょう。しかし現行の『資本論』には地代や賃労働についても考察の対象になっており、何よりも「資本一般」では、多数の資本が捨象されていますが、現行版では当然のことながら、入っています。だから『資本論』は当初のマルクスのプランからどのような変遷を経て現在の構成になったのか、というのが、いわゆる「プラン問題」なわけです。
  大谷氏は、そのマルクスのプランが大きく変更されたのは『資本論』の草稿である『61-63草稿』においてだと論じているわけです。
 もちろんマルクスが『61-63草稿』のなかでプランを大きく変更したことは事実ですが、しかし『61-63草稿』のなかで〈マルクスは平均利潤率の形成と価値の生産価格への転化の問題を基本的に解決した〉というのにはやや疑問があります。というのは前回見ましたように、マルクスはすでに『要綱』の段階でも一般利潤率と形成と価値の生産価格への転化を論じているからです。すでに前回紹介しましたが、もう一度、そのさわりの部分だけ紹介しておきましょう。

  〈市場価格としての価格,または一般的価格。それから,一つの一般的利潤率の措定。そのさい,市場価格によって諸資本はさまざまの部門に配分される。生産費用の引き下げ,等々。要するに,ここではいっさいの規定が,資本一般〔CapitahmAllgemeinen〕におけるのとは逆となって現われる。さきには価格が労働によって規定されたが,ここでは労働が価格によって規定される,等々,等々。〉(『経済学批判要綱』。MEGAII/1.2,S.541.)〉(117頁)

  大谷氏は『61-63草稿』のなかでマルクスがプランを変更していく過程を詳細に跡づけ、その第一歩として次のように述べています。

  〈「第3章 資本と利潤」は,「批判」体系プランの「両過程の統一,資本と利潤・利子」にあたるものであるが,利潤率低下法則までで中断している。ここで注目されるのは,剰余価値の利潤への転化には,剰余価値が前貸総資本との関連で利潤という形態を受けとる「形態的転化」と,平均利潤率が成立して諸資本が生む剰余価値とそれらに帰属する利潤とが量的に異なるようになる「実体的転化」との二段階があり,後者は前者の「必然的帰結」だとされていることである〔25〕〔26〕〔27〕。そこで,「 資本一般」は 「多数資本」を捨象したものであったから,ここでは本来,「多数資本」を前提する「実体的転化」は論じえないはずであったにもかかわらず,マルクスは次のように書く。
 「この点の詳細な考察は競争の章に属する。しかしながら,明らかに一般的であること〔das entscheidend Allgemeine〕はここでもやはり説明されなければならない。」〔28〕
 すなわち,「実体的転化」に関する「明らかに一般的であること」は「資本一般」のなかでも論じる,というのである。これは,「多数資本」捨象という,「資本一般」の対象限定を放棄する第一歩であった。しかしここでもまだ,「標準価格」(=生産価格)を「詳しく研究することは競争の章に属する」〔29〕として,この点をほとんど論じていないし,超過利潤は「まったくこの考察には属さない」〔30〕としていた。〉(93-94頁)

  次はその第二歩ですが、次のように論じています。

  〈ところが,このあと「諸学説」にはいって,ロートベルトゥスの地代論とリカードウの地代論との検討のなかで平均利潤率および生産価格をめぐる諸問題に基本的に決着をつけると,さらに第二歩を進めることになった。マルクスは,「諸学説」も終わりに近いノートXVIIIに『資本論』の第1部と第3部とのプランを三つ記したが,その最初のものがまさに,「資本と利潤」のうちの「一般的利潤率の形成が取り扱われる第2章」のプラン〔31〕であって,ここではすでに有機的構成を異にする諸部門の諸資本が考察のなかに完全に取り入れられており,その4では「一般的利潤率の形成(競争)」が論じられることになっている。そのあとに書かれた「資本と利潤」のプラン〔32〕(以下,「資本と利潤」プランと呼ぶ)では,その2が「利潤の平均利潤への転化。一般的利潤率の形成。価値の生産価格への転化」であり,4には,「価値と生産価格との相違の例証」として「地代」を予定している。ここにいたって,「多数資本」捨象という対象の限定は取り払われ,かつては「競争」のなかではじめて論じられるはずであった市場価格,市場価値,生産価格などの諸範疇とそれらを成立させる競争とが,「資本一般」のなかですでに論じられることになったのである18)。〉(94頁)

  大谷氏がここで紹介しているマルクスのプランを章末注から抜粋しておきます。ただしマルクス自身は入れていない改行を入れて、分かりやすくしたものです。
  まず〈「資本と利潤」のうちの「一般的利潤率の形成が取り扱われる第2章」のプラン〔31〕〉についてです。(なお第2章というのは、現行版の第2篇に該当します。)

  〈〔31〕「{「資本と利潤」に関する第3部のうち,一般的利潤率の形成が取り扱われる第2章では,次の諸点を考察するべきである。
  1.諸資本の有機的構城の相違。これは,一部には,生産段階から生じるかぎりでの可変資本と不変資本との区別によって,機械や原料とそれらを動かす労働量との絶対的な量的比率によって制約されている。このような区別は,労働過程に関連がある。また,流通過程から生じる固定資本と流動資本との区別も考察するべきである。それは,一定の期間における価値増殖を,部面の異なるにつれて相違させる。
  2.違った資本の諸部分の価値比率の相違で,それらの資本の有機的構成から生じるのではないところの相違。こうしたことが生じるのは,価値,とくに原料の価値の相違からである。たとえ原料が二つの違った部面で等量の労働を吸収すると仮定しても,そうである。
  3.これらのいろいろな相違の結果として生じる,資本主義的生産のいろいろに違った部面における利潤率の多様性。利潤率が同じで利潤量が充用資本の大きさに比例するということは,構成などを同じくする諸資本についてのみ正しい。
  4.しかし総資本については,第1章で展開したことがあてはまる。資本主義的生産においては各資本は,総資本の断片,可除部分として措定される。一般的利潤率の形成。(競争。)
  5.価値の生産価格への転化。価値と費用価格と生産価格との相違。}
  {6.リカードウの理論をさらに取り上げるために。労賃の一般的変動が一般的利潤率に,したがって生産価格に及ぼす影響。}」(『1861-1863年草稿』。MEGAII/3.5,S.1816-1817.)〉(125頁)

  次は〈そのあとに書かれた「資本と利潤」のプラン〔32〕(以下,「資本と利潤」プランと呼ぶ)〉についてです。

  〈〔32〕「第3篇「資本と利潤」は次のように分けること。1.剰余価値の利潤への転化。
剰余価値率と区別しての利潤率。2.利潤の平均利潤への転化。一般的利潤率の形成。価値の生産価格への転化。3.利潤および生産価格に関するA.スミスおよびリカードウの学説。4.地代。(価値と生産価格との相違の例証。)5.いわゆるリカードウ地代法則の歴史。6.利潤率低下の法則。A.スミス,リカードウ,ケアリ。7.利潤に関する諸学説。シスモンディやマルサスをも「剰余価値に関する諸学説」のうちに入れるべきかどうかの問題。8.産業利潤と利子とへの利潤の分裂。商業資本。貨幣資本。9.収入とその諸源泉。生産過程と分配過程との関係に関する問題もここで取り上げること。10.資本主義的生産の総過程における貨幣の還流運動。11.俗流経済学。12.むすび。「資本と賃労働」。」(『1861-1863年草稿』。MEGAII/3.5,S.1861.)〉〉(125-126頁)

  この段階では、現行の『資本論』の構成に近づいたとはいえ、まだまだ開きがあります。今回は、とりあえず、マルクスが『61-63草稿』の段階で如何にして自身の経済学批判のプランを変更して『資本論』の叙述に近づいていったかを紹介するだけにします。

  それでは本来の問題に移りましょう。今回は「第8章 労働日」「第7節 標準労働日のための闘争  イギリスの工場立法が諸外国に起こした反応」です。これは第8章の締めくくりの節です。


第7節 標準労働日のための闘争  イギリスの工場立法が諸外国に起こした反応



◎第1パラグラフ(われわれの歴史的素描のなかで、一方では近代的産業が、他方では肉体的にも法律的にも未成年な人々の労働が主役を演じているとすれば、その場合われわれにとっては、前者はただ労働搾取の特殊な部面として、後者はただその特に適切な実例として、認められていただけである。)

【1】〈(イ)読者の記憶にあるように、労働が資本に従属することによって生産様式そのものの姿が変えられるということは/まったく別としても、剰余価値の生産または剰余労働の搾取は、資本主義的生産の独自な内容と目的とをなしている。(ロ)やはり読者の記憶するように、これまでに展開された立場では、ただ独立な、したがって法定の成年に達した労働者だけが、商品の売り手として、資本家と契約を結ぶのである。(ハ)だから、われわれの歴史的素描のなかで、一方では近代的産業が、他方では肉体的にも法律的にも未成年な人々の労働が主役を演じているとすれば、その場合われわれにとっては、前者はただ労働搾取の特殊な部面として、後者はただその特に適切な実例として、認められていただけである。(ニ)しかし、これからの叙述の展開を先回りして考えなくても、単に歴史的諸事実の関連だけからでも、次のようなことが出てくる。〉(全集第23a巻391-392頁)

  (イ) 読者の記憶にありますように、労働が資本に従属することによって生産様式そのものの姿が変えられるということはまったく別としましても、剰余価値の生産または剰余労働の搾取は、資本主義的生産の独自な内容と目的とをなしています。

  第7節には「イギリスの工場立法が諸外国に起こした反応」という副題が付いていますが、この節は第8章の締めくくりであり、まとめの性格も持っています。最初と(第3パラグラフまでは)、最後の部分(第6,7パラグラフ)ではそれが問題にされています(だから「諸外国に起こした反応」が問題になっているのは第4,5パラグラフになります)。
  まずここでは労働が資本に従属するということは、最初は形態的な包摂によって絶対的な剰余価値の生産が問題になりましたが、しかし資本主義的生産の本質は労働の実質的包摂、つまり生産様式そのものが資本主義的なものに変質させられることなのです。しかしそれらはまだ私たちは問題にしていません(それは相対的剰余価値の生産が問題になるときに問題にされます)。
  しかしこれまでの絶対的剰余価値の生産の範囲内でも十分に資本主義的生産の独自な性格として、剰余価値の生産あるいは剰余労働の搾取が資本に固有のものであることが明確になったと思います。

  (ロ) やはり読者が記憶していますように、これまでに展開された立場では、ただ独立な、したがって法定の成年に達した労働者だけが、商品の売り手として、資本家と契約を結ぶのです。

  また第2篇の「貨幣の資本への転化」や第3篇の「絶対的剰余価値の生産」のうち第5章から第7章までにおいて前提していた労働者や労働力というのは、ただ独立した法定の年齢に達した成年労働者だけを暗黙の了解事項としており、彼らが自らの労働力商品の売り手として、資本家と契約を結ぶと考えられてきました。

  (ハ) だから、これまでの私たちの歴史的素描のなかで、一方では近代的産業が、他方では肉体的にも法律的にもまだ未成年な人々の労働が主役を演じているとしますと、その場合私たちにとっては、前者はただ労働搾取の特殊な部面として、後者はただその特に適切な実例として、認められていただけです。

  だから第8章において取り上げた労働日をめぐる資本家階級と労働者階級との闘争において、一方は近代的産業のもっとも典型的な部門であった繊維産業が取り上げられ、他方では肉体的にも法律的にも未成年の労働者が主演を演じてきたのでした。
  だからこれらの歴史的素描では、労働搾取の特殊な部面と、その搾取のもっとも適切な実例として取り上げられたものといえます。

  (ニ) しかし、これからの叙述の展開を先回りして考えなくても、単に歴史的諸事実の関連だけからでも、次のようなことが出てきます。

  しかしこうした限られた歴史的素描とはいえ、こうした歴史的諸事実の関連からだけでも、次のような結論が出てきます。


◎第2パラグラフ(第一に。変化した物質的生産様式と、これに対応して変化した生産者たちの社会的諸関係とは、まず無限度な行き過ぎを生みだし、次には反対に社会的な取締りを呼び起こし、この取締りは、中休みを含めての労働日を法律によって制限し規制し一様化した。)

【2】〈(イ)第一に。(ロ)水や蒸気や機械によってまっさきに革命された諸産業で、すなわち近代的生産様式のこの最初の創造物である木綿、羊毛、亜麻、絹の紡績業と織物業とで、まず最初に、限度も容赦もない労働日の延長への資本の衝動が満たされる。(ハ)変化した物質的生産様式と、これに対応して変化した生産者たちの社会的諸関係(186)とは、まず無限度な行き過ぎを生みだし、次には反対に社会的な取締りを呼び起こし、この取締りは、中休みを含めての労働日を法律によって制限し規制し一様化する。(ニ)それゆえ、19世紀の前半にはこの取締りはただ例外立法として現われるだけである(187)。(ホ)それが新しい生産様式の最初の領域を征服し終わったときには、その間に他の多くの生産部門が本来の工場体制をとるようになっていただけではなく、製陶業やガラス工業などのような多かれ少なかれ古臭い経営様式をもつマニュファクチュアも、製パン業のような古風な手工業も、そして最後に釘製造業などのような分散的ないわゆる家内労働(188)でさえも、もうとっくに工場工業とまったく同じに資本主義的搾取のもとに陥っていたということが見いだされた。(ヘ)それゆえ、立法は、その例外法的性格をしだいに捨て去るか、または、イギリスのように立法がローマ的な決疑法的なやり方をするところでは労働が行なわれていればどんな家でも任意に工場(factory)だと宣言するか、どちらかを余儀なくされたのである(189)。〉(全集第23a巻392頁)

  (イ)(ロ) 第一に。水や蒸気や機械によってまっさきに革命された諸産業で、すなわち近代的生産様式のこの最初の創造物である木綿、羊毛、亜麻、絹の紡績業と織物業とで、まず最初に、限度も容赦もない労働日の延長への資本の衝動が満たされのです。

  ここではこれまで素描された歴史的諸事実の連関から見いだされる結論の第一が問題にされています。すなわち、まず確認できることは、イギリスの産業資本が勃興した最初の産業部門、すなわち紡績業や織物業において、もっとも容赦のない労働日の延長が行われたということです。

  (ハ)(ニ) 変化した物質的生産様式と、これに対応して変化した生産者たちの社会的諸関係とは、まず無限度な行き過ぎを生みだし、次には反対に社会的な取締りを呼び起こし、この取締りは、中休みを含めての労働日を法律によって制限し規制し一様化しました。だから、19世紀の前半にはこの取締りはただ例外立法として現われるだけでした。

  機械制大工業という物質的な生産様式の発展とともに、それに対応し規定された生産者の社会的諸関係が、そうした無限度な行き過ぎを生みだし、ついでそれに反対する労働者階級の闘いや社会的取り締まりを呼び起こしたのです。そしてその取り締まりというのが、労働日を法律によって規制することであり、標準労働日の制定だったということです。しかしこれまで19世紀の前半において歴史的に取り上げてきたものは、特定の産業部門や児童や少年等に限られており、その限りではそれらの法律も例外的な立法という性格も持っていたのでした。

  (ホ)(ヘ) それが新しい生産様式の最初の領域を征服し終わったときには、その間に他の多くの生産部門も本来の工場体制をとるようになっていただけではなくて、製陶業やガラス工業などのような多かれ少なかれ古臭い経営様式をもつマニュファクチュアも、製パン業のような古風な手工業も、そして最後に釘製造業などのような分散的ないわゆる家内労働でさえも、もうとっくに工場工業とまったく同じに資本主義的搾取のもとに陥っていたということが見いだされたのです。だから、立法は、その例外法的性格をしだいに捨て去るか、または、イギリスのように立法がローマ的な決疑法的なやり方をするところでは労働が行なわれていればどんな家でも任意に工場(factory)だと宣言するか、どちらかを余儀なくされたのです。

  しかしそうした社会的な取り締まりは、新しい生産様式がそれらの産業部門の領域を征服し終わったときには、他の多くの生産部門においても本来的な工場制度が導入されていただけではなくて、製陶業やガラス工業のような多かれ少なかれ古くさい経営様式をもつマニュファクチュアもすでに資本主義的搾取に陥っており、さらには製パン業のような古風な手工業においても、あるいは釘製造業のような分散した家内工業でさえも、やはり資本主義的搾取のもとに陥っていたのです。
  だから立法は、その例外的性格をしだいに捨て去るか、イギリスのように立法が事細かに決めなければ始まらないところでは、どんな家でも任意に工場(factory)だと宣言することによって、工場法の適用を広げる措置を取ったりしたのです。

  ここで〈ローマ的な決疑法〉という部分には、初版とフランス語版には〈〔法律問題を細かい法解釈によって決定すること〕〉という訳者注が挿入されています。また親日本新書版には、次のよう訳者注が付いています。

  〈決疑論とは、疑わしい個々の場合を規範に従って解決する方法で、とくにローマ・カトリックのイエズス会派がこれを用いた。一般には詭弁を意味する。法律では、細かい解釈または同種の場合をもとに個々の問題を解決するやり方〉(519頁)


◎原注186

【原注186】〈186 「これらの階級」(資本家と労働者)「のそれぞれの態度は、それらが置かれていた相対的な立場の結果だった。」(『工場監督官報告書。1848年10月31日』、113ページ。)〉(全集第23a巻393頁)

  これは〈変化した物質的生産様式と、これに対応して変化した生産者たちの社会的諸関係(186)〉という本文に付けられた原注です。これは監督官報告書の一文ですが、資本家と労働者のそれぞれの態度は、それらが置かれていた立場の結果だったと述べていることから、マルクスは物質的生産様式の変化が、彼らの社会的諸関係を規制し変化させるという考えを素朴に言い表していると考えたのではないでしょうか。


◎原注187

【原注187】〈187 「制限を加えられた諸業種は、蒸気力または水力による繊維製品の製造に関連するものだった。ある事業に工場監督を受けさせるためには、その事業が満たさなければならない二つの条件があった。すなわち、蒸気力または水力の使用と、特に定められた繊維の加工とである。」(『工場監督官報告書。1864年10月31日』、8ページ。)〉(全集第23a巻393頁)

  これは〈それゆえ、19世紀の前半にはこの取締りはただ例外立法として現われるだけである(187)。〉という本文に付けられた原注です。
  19世紀前半の工場法は、特定の産業部門(紡績業と織物業)に限定されたものだったということが、監督官報告書のなかでも工場監督を受け入れさせる二つの条件として、一つは蒸気力または水力の使用と、繊維の加工がそれであると述べています。つまり例外的な部門に限定されていたことが述べられています。、


◎原注188

【原注188】〈188 このいわゆる家内的工業の状態については、「児童労働調査委員会」の最近の諸報告のなかに非常に豊富な材料がある。〉(全集第23a巻393頁)

 これは〈そして最後に釘製造業などのような分散的ないわゆる家内労働(188)〉という本文に付けられた原注です。
  家内的工業の状態については、「児童労働調査委員会」の最近の報告に非常に豊富な材料があるということです。
  そこで『資本論』のそれ以外ところで見ることができないか調べてみますと、「第18章 時間賃金」の原注41に次のようなものを見つけることができました。

  〈41 たとえばイギリスの手打ち釘製造工は、労働の価格が低いために、みじめきわまる週賃金を打ち出すためにも1日に15時間労働しなければならない。「それは1日のうちの非常に多くの時間を占めていて、その時間中彼は11ペンスか1シリングを打ち出すためにひどい苦役をしなければならない。しかも、そのなかから2[1/2]ペンスないし3ペンスは道具の損耗や燃料や鉄屑の代価として引き去られるのである。」(『児童労働調査委員会。第三次報告書』、136べージ、第671号。)女は同じ労働時間でたった5シリングの週賃金しかかせげない。(同前、137ページ、第674号。)〉(全集第23b巻711頁)


◎原注189

【原注189】〈189 「前議会」(1864年)「の諸法律は……いろいろに違った習慣の行なわれている種々雑多な職業を包括していて、機械を動かすための機械力の使用は、もはや、以前のように法律用語での工場を構成するために必要な諸要素の一つではなくなっている。」(『工場監督官報告書。1864年10月31日』、8ページ。)〉(全集第23a巻393頁)

  これは〈それゆえ、立法は、その例外法的性格をしだいに捨て去るか、または、イギリスのように立法がローマ的な決疑法的なやり方をするところでは労働が行なわれていればどんな家でも任意に工場(factory)だと宣言するか、どちらかを余儀なくされたのである(189)。〉という本文に付けられた原注です。
  つまり原注187では工場監督官を受け入れさせるためは、蒸気力または水力の利用、特に定められた繊維の加工という二つの条件を必要としたが、今では諸法律は、ざったな職種を包括していて、機械を動かすための機械力の利用は必要な諸要素ではなくなっているということです。つまり工場法はそれだけ多くの職種に適用され、例外的なものではなくなったということのようです。


◎第3パラグラフ(第二に。標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである。)

【3】〈(イ)第二に。(ロ)いくつかの生産様式では労働日の規制の歴史が、また他の生産様式ではこの規制をめぐって今なお続いている闘争が、明白に示していることは、資本主義的生産のある程度の成熟段階では、個別的な労働者、自分の労働力の「自由な」売り手としての労働者は無抵抗に屈服するということである。(ハ)それゆえ、標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである。(ニ)この闘争は近代的産業の領域で開始されるのだから、それはまず近代的産業の祖国、イギリスで演ぜられる(190)。(ホ)イギリスの工場労働者は、ただ単にイギリスの労働者階級だけのではなく、近代的労働者階級一般の選手だったが、彼らの理論家もまた資本の理論にたいする最初の挑戦者だった(191)。(ヘ)それだからこそ、工場哲学者ユアも、「労働の完全な自由」のために男らしく戦った資本に向かってイギリスの労働者階級が「工場法という奴隷制度」を自分の旗じるしにしたということを、労働者階級のぬぐい去ることのできない汚辱として非難するのである(192)。〉(全集第23a巻393頁)

  (イ)(ロ) 第二に。いくつかの生産部門では労働日の規制の歴史が、また他の生産部門ではこの規制をめぐって今なお続いている闘争が、明白に示していますことは、資本主義的生産のある程度の成熟段階では、個別的な労働者、自分の労働力の「自由な」売り手としての労働者は無抵抗に屈服するということです。

  まずフランス語版を紹介しておきます。

  〈第二には、幾つかの生産部門では労働日の規制の歴史が、また、ほかの部門ではこの規制についていまなお続いている闘争が、明白に証明するところによると、孤立した労働者、自分の労働力の「自由な」売り手としての労働者は、資本主義的生産がある段階に達するやいなや、できるだけ抵抗するということもなしに屈服するのである。〉(江夏・上杉訳308頁)

  初版や全集版で〈生産様式〉とあるものは、フランス語版では〈生産部門〉に訂正されており、これの方が適切であることは確かです。
  要するにこれまでの歴史的素描からも分かりますが、いくつかの生産部門やいまなお闘争が続いている生産部門では、資本主義的生産の発展がある程度の成熟段階になると、孤立した労働者は、労働力の「自由な」売り手としてはまったく無力のままに資本に屈伏するということです。

  (ハ) だから、標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのです。

  フランス語版です。

  〈したがって、標準労働日の設定は、資本家階級と労働者階級とのあいだの長期で執拗な、また多かれ少なかれ隠蔽された内乱の結果である。〉(同上)

  だから労働日を制限するための標準労働日の設定は、孤立した労働者ではなく団結した労働者階級の、資本家階級とのあいだにおける長期で粘り強い闘い、また多かれ少なかれ隠された内乱の結果なのです。

  (ニ) この闘争は近代的産業の領域で開始されるのですから、それはまず近代的産業の祖国、イギリスで演ぜられました。

  フランス語版です。

  〈この闘争は、近代的産業の領域で開始されたのであるから、それは、この産業の祖国にほかならないイギリスで、まず宣言されざるをえなかった(158)。〉(同上) 

  この労働者階級と資本家階級との闘争は、近代産業の発展とともに開始されたのですから、この産業が始まったイギリスにおいて、まず宣戦布告されたのです。

  (ホ)(ヘ) イギリスの工場労働者は、ただ単にイギリスの労働者階級だけのではなく、近代的労働者階級一般の選手だったのですが、彼らの理論家もまた資本の理論にたいする最初の挑戦者だったのです。だからこそ、工場哲学者ユアも、「労働の完全な自由」のために男らしく戦った資本に向かってイギリスの労働者階級が「工場法という奴隷制度」を自分の旗じるしにしたということを、労働者階級のぬぐい去ることのできない汚辱として非難するのです。

  フランス語版です。

  〈イギリスの工場労働者は近代的労働者階級の最初の選手であったし、彼らの理論家は資本の理論を攻撃した最初の選手であった(159)。したがって、工場哲学者のドクター・ユアは、資本が「労働の完全な/自由(150)」のために男らしく闘ったのに反し、「工場法という奴隷制度」を自分たちの旗に書き記したのは、イギリスの労働者階級にとってぬぐいがたい恥辱である、と言明している。〉(江夏・上杉訳308-309頁)

  このようにイギリスの工場労働者は、近代的労働者階級の最初の階級闘争を担った選手でした。彼らの理論家も資本の理論を攻撃した最初の選手だったのです。
  こういうわけで、資本の肩を持つ工場哲学者のユアは、資本は労働を自由に搾取するために男らしく闘ったのに、労働者は「工場法」という法律に依存して闘ったのはぬぐいがたい恥辱だなどと言明しているのです。

  マルクスはユアについて〈工場制度の破廉恥な弁護者としてイギリスにおいてすら悪名の高いあのユア〉(全集⑨208頁)などと述べています。また次のようにも述べています。

  ユアのような工場制度の弁護者にかぎって、つまり労働のこうした徹底的な没個性化、兵営化、軍隊的紀律、機械への隷属、打鐘による統制、酷使者による監督、精神的および肉体的活動のあらゆる発達の〔可能性の〕徹底的破壊などの弁護者にかぎって、ほんのわずかでも国家が干渉すると、個人の自由の侵害だ、労働の自由な活動の侵害だ、とわめくのである!「過度労働および強制労働。」(エンゲルス、151ページ〔『全集』、第2巻、347ページ〕。)「もしも自由意思による生産的活動が、われわれの知っている最高の喜びであるとすれば、強制労働こそ、最も残酷で、最も屈辱的な苦痛である。」(同上書、149ページ〔「全集』、第2巻、346ページ〕。)〉(草稿集⑨211頁)

  ((2)に続く。)

 

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