Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ヨコハマヒザクラ開花寸前

2024年03月24日 18時14分57秒 | 山行・旅行・散策

 腰の痛みはずいぶん軽減した。しかし室内では起居に支障はなくなった。せっかく雨が上がっているので、フラワー緑道のヨコハマヒザクラの情況を見るために、家から最短距離のバス停まで、そしてフラワー緑道まで最短のバス停で下車。

 ヨコハマヒザクラは今にも全体が一斉に開花しそうな状態になっていた。一輪だけ半分ほど開いていたが、他は多分明日一斉にほころぶことは間違いなさそうであった。蕾の状態なので、その赤さが目立つ。

 昔はヒザクラはあまりに艶っぽく、派手な雰囲気に圧倒されて、好みではなかった。しかしある年に、私の職場の近くの街路樹としてたまたま選定されたヨコハマヒザクラを巡って会議を経て、いつの間にか頭から離れなくなっていた。
 咲き始めると嬉しくなる。

   

 隣に植わっていたコブシも咲き始めていた。このコブシ、だいぶ弱っているようで、一本の木で10数輪だけが咲いている。

 15時半ころになって雨が降り出した。降り出すのが残念ながら予報よりも早かった。横浜駅構内まで歩き、バスにて帰宅。往復3500歩程の外出であった。しかし充分外の空気を吸い、腰の痛みも再発しなかったので。大いに満足である。
 今晩も明日も明後日までは自重して痛みが再発しないよう用心したい。


腰痛でも家に籠るのが苦手

2024年03月24日 11時29分25秒 | 病い

 起床時には腰の痛みはかなり軽減していた。杖や手の支えも必要なくベッドから立ち上がることが出来た。しかし室内を歩いている途中、背筋を伸ばした時に腰に軽い痛みと違和感が出た。
 リビングルームの椅子に腰かけるときは用心して、テーブルと椅子に手を掛け、ゆっくりと着席。食後に湿布薬を腰と背中に塗ってもらった。
 痛み止めを服用する程ではないが、本日はまだ用心しないといけない。まだまだ体の姿勢を変える時や、動作を始めるときは、慎重さが必要。

 昼食後、腰の様子がよければ、軽い散歩をしてみたい。多分バスに乗るのは問題はない。痛み止めは今は服用せずに、用心のために財布に入れて持参。
 外の空気を吸いたい。歩きなれた道を歩きたい。広い空間の中に身を置きたい。チェーン店の安いコーヒーであっても、人間観察をしながら飲みたくなる。ただし、美味しい煎茶・紅茶・中国茶は気に入った茶碗で家で喫するほうがいい。

 本日は曇り空でも少し暖かい。カラスが盛んに鳴き交わしている。営巣のための縄張り争いなのだろうか。

 


寒かった一日

2024年03月23日 20時24分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 腰の痛みは楽になってきた。ただし8時半、14時半に痛み止めを服用したので、そのためかもしれない。まだ要注意である。
 朝に必要だった杖は昼前から使わなくとも椅子から立ち上がることができるようになった。
 ただし読書の気力は萎えている。

 本日は雨が夕方まで降りつづき、とても寒かった。横浜の最高気温も19時の段階での7.7℃と表示されている。それほど強くはなかったが、終日北風であった。ストーブの傍を離れたくなかった。この寒い中、妻は所用があり、2度も横浜駅まで出向いていた。
 昨日私が受診しなかった眼科にも寄ってくれて、薬の処方をしてもらい、点眼薬も手に入れてくれた。助かった。

 一日中家に籠っていたが、せめて団地まわりでも歩きたかった。しかしぎっくり腰は無理は禁物。ただし明日は気温も上がり、ときどき太陽も顔を出すらしい。調子がよければ、短時間でもいいので、杖を突きながら外を歩いてみたい。


「永瀬清子詩集」から 2

2024年03月23日 18時29分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 「永瀬清子詩集」(岩波文庫)から、詩集「グレンデルの母親」(1930年)、「諸国の天女」(1940年)、「大いなる樹木」(1947年)、「美しい国」(1948年)、ならびに短章集「諸国の天女」(1940年)、「女詩人の手帖」(1952年)に目をとおした。
 

 大いなる樹木

我は大いなる樹木とならん
そのみどり濃き円錐の静もりて
宿れるものを窺い得ざるまで。
素足を水に垂るるごと
人知れぬ地下の流れを
わが根の汲めるよろこびにまで。
 以下略

 どの詩もリズムがよく、私の身体リズムと合致して好感が持てる。意味から入る詩や、言葉の持つリズム感から頭に入ってくる詩もあるが、私は後者のほうが好みである。意味は自然とあとから付いてきて頭にすんなりと入ってくるような気分になる。少なくとも本日までに読んだ詩も、「短章」も言葉のリズムが気に入っている。

 


ぎっくり腰、かなり重症

2024年03月23日 10時59分36秒 | 病い

 今朝は腰が痛くてすぐには起き上がれなかった。腰の周りの筋肉が凝り固まったよう。これが和室で布団ならば立ち上がれなかったと思われる。ベッドから足を床について何とか立ち上がったものの、壁と反対向きだったために歩き出すことができなかった。前かがみになるのにも時間がかかり、時間をかけてなんとか歩き出すことができた。
 やっとのことで着替え、玄関で杖を久しぶりに取り出し、洗面所経由でリビングルームまで杖を使って伝い歩き。
 テーブルに座ったら、立ち上がるのも苦労した。同じ姿勢を5分も続けると動けなくなる。かなり重症のようである。毎朝の降圧剤や抗血栓薬に加えて、痛み止めを服用。30分ほどテレビを見ているうちに痛みがやわらいだ。
 これでは本日眼科まで行くのは断念。緑内障の点眼薬は予備の分がまだ1本あるので、何とかなりそう。

 本日は湿布薬をたっぷりと塗って、おとなしく在宅することにした。ぎっくり腰ではなく、坐骨神経痛の再発かもしれないと思うと、気が重くなる。整形外科に行くこともできない。


ぎっくり腰

2024年03月22日 22時46分20秒 | 病い

 朝からの腰痛、ぎっくり腰のような症状はだんだんつらくなってきた。本日は病院、薬局、いつもの喫茶店にて読書タイム。バスにて帰宅。ゆっくりと歩いて歩数計は5千歩未満。
 しかしだんだん腰の痛みがひどくなり、夕食時にはとうとう痛み止めを服用し、腰を曲げて壁に手をついて食卓に辿り着いた。
 パソコンを前にして作業をしていても、お茶を飲みに立つことも時間がかかった。

 これより入浴。浴槽の中に入ることができるか、心もとない。

 


「永瀬清子詩集」から

2024年03月22日 21時09分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午後眼科で親の点眼薬の処方をしてもらった。私は受診をして薬の処方箋をもらおうと思っていたが、本日は代診の医師ということで、受診は遠慮した。明日の午前中に再訪してみたい。どうもこの代診の医師とは私は反りが合わない。
 薬局で目薬を処方してもらっている間にバスが2本も出て行った。会計が終わってからバスにていつもの喫茶店へ。昨晩の予定通り「永瀬清子詩集」の「自筆年譜」を読み終わった。さらに「短章」からまず読み終わろうということで「短章」の「諸国の天女」から読み始めた。

所謂純粋な「詩」以外のものを取り入れ」ることで、無限による「詩の題材」を書き続けていくこを願い、そのように書き続ける短章を「私の詩精神と切り離すべきではない」と、詩作において重要な位置にあることを述べている。永瀬清子は、詩・短章・散文の書き分けを「内面のリズムに従って書く時、「詩」「短編」と考え、「散文」というのはその事よりも、伝えたい事、聞いてほしい事実、にウェートがかか、つまりはリズムの力をアテにしていません。」と意識している。」(《研究ノート》(白根直子))

 ということで、短章集「諸国の天女」(1940年刊)をまず読み終えた。そのなかから、1編。

 あたらしいと云うこと

あたらしいと云うことは
それも一つの値打ちである。
が、人が思うほどやさしてことではない。
すぐふるくなるようなあたらしさはなまぐさい。
そんなあたらしさはよい作品の理想にならない。
あたらしいと云うことは
読者の予想のとても不可能なくらいのものが
その詩のなかにつまっていることだ。
雨が霽(は)れて樹木がキラキラと金の葉うらをみせるように。


ぎっくり腰の気配

2024年03月22日 13時40分02秒 | 読書



 最近少し歩きすぎたかと反省していたら、本日は朝から腰痛。この1週間、歩数計は1日平均9千歩を越えていた。ひと月で28万歩を越える。今月の目標を25万歩としていた。調子がいいので、気持ちよくウォーキングをやり過ぎた感がある。
 本日は休息日ならぬ休足日としないと、ぎっくり腰が再発しそうな気配である。起床してから、クシャミや咳をするときは、手を頑丈なものを握って腰に負担がかからないようにしている。
 午前中から「永瀬清子詩集」(岩波文庫)を読んでいる。永瀬清子の詩を読む前に「はしがき」(谷川俊太郎)、《研究ノート》(白根直子)、「永瀬清子自筆年譜」を再度読み直している。
 「詩」というものを読む前に、永瀬清子という詩人のことを知らないので、まずはどんな人生とどんな作品を作り上げたかの下調べをしたかった。
 この文庫本を購入したときにすでに一度目をとおしているが、忘れていることも忘れていることもたくさんあると思い、読み直した。

 これより親のかかりつけ医で薬の処方箋をもらい、私のかかりつけの眼科で点眼薬の商法戦を貰いに行く。腰の状態が悪くないようならば、歩く距離が最短の近くの喫茶店で「永瀬清子詩集」でも読んでみたい。
 フラワー緑道のヨコハマヒザクラの状態を知りたいのだが、本日は我慢である。

 


震度3は風呂場で

2024年03月21日 22時29分07秒 | 天気と自然災害

 今朝の地震には驚いた。ちょうどシャワーを浴び終え、風呂場で体を拭いているときにテレビの緊急地震速報が聞こえた。直後、2~3秒ほどで揺れがきた。千葉県の東部沖地震にしては、揺れが小刻みで、震源が近いように思えた。
 急いで体を拭き終えたのは、揺れがおさまってから。それからさらに服を着替え終わったのは、津波は来ないと発表された直後。これが震度5を越えるような地震であったならば、体を拭く時間も、服を着るゆとりもなかったと思う。
 裸のまま立ち往生してしまいかねない。これはもうお手上げである。妻はリビングルームにいたがガスファンヒーターをOFFにしていた。しかしそれ以外のことは何もできなかったという。能登半島地震のときのように震度7や震度6などでは何もできずにオロオロするばかりのような気がする。
 地震情報によれば、震源は茨城県南部で深さ50km。横浜市で私の住んでいるところは震度3であった。市域の南部はほぼ震度が2に収まった。

 


ゲーム機に子守を任せる

2024年03月21日 20時31分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 神奈川大学の美術鑑賞講座終了後、再開した横浜美術館に寄ってみたが、本日は休館日であった。しかしシモクレンが美しい花で出迎えてくれた。3本も木があることには気づかなかった。
 連休の翌日、食事を提供する店は混雑していたものの、勤め人以外の人通りは少なく、美術館の広い通りもランドマークタワーのなかの道も静かであった。
 陽はさしているが、風が冷たかったこともあり、家族連れや休みに入った若い学生などは私には見えなかった。

 桜木町駅前のチェーン店でスパゲティとコーヒーの昼食。朝はほとんど食べておらず、お腹が空いていた。

 「都市空間の怪異」(宮田登)の第2章「妖怪と幽霊」を途中まで読書。残念ながら隣の席に賑やかな親子が座ったので、早々に退散。子供を静かにさせるために音を消さずにゲーム機を与えるという子育ては、けっしていいことだとは思えないが、今の時代、そういうものなのかもしれない。

 


泡盛で盛り上がる

2024年03月21日 19時11分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は代々木公園の集会で、とても懐かしい方と半世紀ぶりの再会。とてもうれしかった。
 予報通り12時から13時にかけて雨と強風。立ったまま、おにぎりを口に放り込み、お茶も飲まずに昼食とした。
 集会終了後デモに参加。退職者会の面々と道玄坂にある沖縄料理の店で沖縄のビールと泡盛と沖縄料理を堪能。原宿方面のデモに参加したメンバーもお店に途中から合流した。
 気持ちよくなって帰宅して、そのまま風呂にも入らず、ベッドに直行。
 朝念入りにシャワーを浴びてから、神奈川大学で開催している美術鑑賞講座に30分遅刻して参加。恥ずかしい思いをして、一番前の空いている席に着席させてもらった。

 帰宅後、夕方にもベッドにもぐりこんで再度寝てしまった。現役の頃は二日酔いには必ず頭痛がつきものであったが、定年後は頭痛に悩まされることは無くなった。お酒に強くなったわけではなく、そこまでは呑んでいないということだと思う。
 


春の嵐の予感

2024年03月20日 10時33分35秒 | 天気と自然災害

 春分の日。風が無ければ朝から穏やかに見える好天気である。しかし強風・雷・波浪・乾燥注意報が出ている。明け方までは霜注意報も出ていた。現在は最大瞬間風速で17mを越える南西の風が吹いており、樹々が大きく揺れている。
 気温はすでに15℃を越えた。正午までに16℃の気温となり、その後北よりの冷たい風に変わり、3時間で10℃まで下がり、深夜には6℃まで下がるらしい。本日の明け方よりも低くなるとのこと。

 11時には家を出て、代々木公園で食べる昼食用の軽食を購入し、横浜駅で参加予定者を待つことになっている。
 人通りが多い場所で20名を越える人間の集合、とても気をつかう。本当はもう少し人通りの少ない場所を集合地点にしたいのだが、いったん決めるとなかなか変えられない。決して若くはない参加者の集団行動は難しい。
 春の嵐が予想される。天候次第では集会後のデモへの参加も取りやめるなどの判断も必要になってくる。


「都市空間の怪異」 その3

2024年03月19日 22時10分43秒 | 読書

 

 とりあえず本日読んだ部分からの引用を2個所。引用は要約やポイントというところではなく、気になった個所ということである。

現在の日本も無宗教の時代と言われるが、(柳田の妖怪、お化け研究の中心テーマは)1910年代という時期は、日本が明治以来の大きな変革の中でだんだん精神的なものを見失いつつある、そういう時代にさしかかっていた。その時点で、日本の宗教が勢力を失いつつある、そういうことを指摘して、改正させるために、天狗の研究を行い、幽冥教のデータを発掘しなければならないという主張である。」(第二章「妖怪と幽霊」 第一節「妖怪と幽霊」)

私たちが日常生活の中で何気なく過ごしていても、何だかよく分からないけれども、突然日常的なものではない、異質なものに遭遇したり、体験したりする。それは無意識の慣習といわれたりする。それを柳田は、フォークロアの口で伝えられるている伝承として記憶に止めている。『遠野物語』はは柳田の手で「物語」となった。全国各地で明治二十~三十年代の、近代化が農村部に浸透していく時期に起こっている曖昧とした不安な精神状態がその規定にある。『遠野物語』の階段のような不思議な話にそうした精神状況が反映しているとみていくと、不思議を語りたがる私たちの心の奥に隠れた何ものかに出会うことができ、それを突き詰めていくと霊魂観やあの世に対する日本文化の根っこの部分に触れることが可能になる。」(同上)

   

 


明日の天気が心配

2024年03月19日 20時45分20秒 | 天気と自然災害

 午後からは冷たい風が吹き太陽が顔を隠してしまった。薄いウィンドブレーカーと薄い化繊のセーターで出かけたら、寒さが身に沁みた。

 いつもの喫茶店で読書を始めた。「都市空間の怪異」(宮田登)の第二章「妖怪と幽霊」の第一節「幽冥界」を読み始めた。しかし予想通り10頁程でうつらうつら。眠気を追い払おうとスマホでメールチェックなどをしているうちにとうとう寝てしまった。1時間ほどで店を出て、有隣堂で立ち読みをしてから帰宅。

 帰宅後は、明日の代々木公園の反原発集会のための荷造り。退職者会の小旗、参加者名簿のほか、天気が午後からは急変する可能性があるとのことなので、傘やザックカバーもリュックの中へ。
  しかし着るものが悩みである。正午には16℃、16時には10℃以下になるらしい。渋谷駅近くで打ち上げをする予定にしている。店を出るときはさらに低くなっていると思われる。

 


体のストレスと休肝日

2024年03月19日 13時52分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中から昨日の退職者会の役員会・幹事会の書類の整理、ならびに決まった日程のスケジュール帳への転載、ならびに代々木公園での集会の参加者名簿の作成。ようやく業務は完了。
 本日は最高気温が12℃の予報で曇り空。
 ひと段落したので、これよりいつもの喫茶店まで出かけて、読書タイム。春は天気が変わりやすい。気温も乱高下で、昨日のお酒も少し残っている。読書よりもボーッとしていたい時間が欲しい。体のストレスがたまっているのかもしれない。本日は休肝日としよう。

 明日は春分の日、予報は16℃で晴れだが、午後からは雨模様ととなっている。もっとも降水量は1ミリ未満らしい。できれば降らないでもらいたいものである。