昨日は退職者会のニュースのための資料づくりを始めた。とりあえずは画像として取り込む資料や写真を揃え、引用する文章の確定をしておけば、ニュースの記事作成と版下作成は半日で終わる。仕上げは印刷作業でこれは1時間で終了する。
このブログはツィッター連携をしている。ブログでのコメントのほか、ツィッターでもリツィートをしてもらったり、ツィートを送ってもらったり、ツィッターを見てメールをくれたりと繋がりがある。いづれも嬉しいものばかりである。感謝している。
しかしツィッターというのは、以前にも書いたとおり140字以内という極めて限られた発信なので、文章にこなれていないと誤解を招く文章がいたるところに溢れている。それだけではなくて、その誤解に基づく棘のようなやり取り、罵り合いが続いている。会話の世界と文章の世界の区別、会話の延長上には文章の世界は無いということの理解がないととても恐ろしい世界である。
ツィッターが新しい文化を醸し出す、と単純に思わない方がいい。ただしこのことを理解してキチンとした発信をしている方もまた多数おられる。たぶんこの方たちの振舞いから新しいものの可能性は出てくるのだろう。
もうひとつ不安なのは、ツィッターというもの自体が持つ不安定性に危惧を持っている。機能に対する信頼性が今ひとつ。昨日もリツィートとお気に入り登録をいくつかしたが、反映されないものが各2件あった。そして過去に遡ってその反映されなかったツィートを探したが、14時間以前のものが出てこなかった。誰のツィートだったか失念してしまったので、探すのにはフォロワーをひとつづつ検索しなくてはいけない。それほどの時間を費やすことはできないので探すのは断念せざるを得なかった。
ツィッターのバージョンアップは頻繁だが、今ひとつ機能に対する信頼性が向上しない。プライバシー防御の観点からも今ひとつ信頼出来ないものがある。自己の防御を幾重にもしておいた方が良さそうである。
ツイッター上では、気に入らないコメントや管理人に対する攻撃として、その人のプライバシーをどういう方法でかはわからないが、探し出してオープンにして「晒す」という行為が公然と行われる。当初はネトウヨだけかと思っていたら、それと反対側に位置する人間もそのようなことをしている人もあるようだ。
モラルの崩壊が地方議員に波及して、金で醜態をさらした兵庫県議、自身の辞職を求める請願者の連絡先を晒した札幌市議、野次で批判を浴びた都議がやり玉に挙げられているが、それを批判する側が同じことをしてしまっていては誰もついていかない。政治に対する幻滅と不信を拡大するだけである。
このブログはツィッター連携をしている。ブログでのコメントのほか、ツィッターでもリツィートをしてもらったり、ツィートを送ってもらったり、ツィッターを見てメールをくれたりと繋がりがある。いづれも嬉しいものばかりである。感謝している。
しかしツィッターというのは、以前にも書いたとおり140字以内という極めて限られた発信なので、文章にこなれていないと誤解を招く文章がいたるところに溢れている。それだけではなくて、その誤解に基づく棘のようなやり取り、罵り合いが続いている。会話の世界と文章の世界の区別、会話の延長上には文章の世界は無いということの理解がないととても恐ろしい世界である。
ツィッターが新しい文化を醸し出す、と単純に思わない方がいい。ただしこのことを理解してキチンとした発信をしている方もまた多数おられる。たぶんこの方たちの振舞いから新しいものの可能性は出てくるのだろう。
もうひとつ不安なのは、ツィッターというもの自体が持つ不安定性に危惧を持っている。機能に対する信頼性が今ひとつ。昨日もリツィートとお気に入り登録をいくつかしたが、反映されないものが各2件あった。そして過去に遡ってその反映されなかったツィートを探したが、14時間以前のものが出てこなかった。誰のツィートだったか失念してしまったので、探すのにはフォロワーをひとつづつ検索しなくてはいけない。それほどの時間を費やすことはできないので探すのは断念せざるを得なかった。
ツィッターのバージョンアップは頻繁だが、今ひとつ機能に対する信頼性が向上しない。プライバシー防御の観点からも今ひとつ信頼出来ないものがある。自己の防御を幾重にもしておいた方が良さそうである。
ツイッター上では、気に入らないコメントや管理人に対する攻撃として、その人のプライバシーをどういう方法でかはわからないが、探し出してオープンにして「晒す」という行為が公然と行われる。当初はネトウヨだけかと思っていたら、それと反対側に位置する人間もそのようなことをしている人もあるようだ。
モラルの崩壊が地方議員に波及して、金で醜態をさらした兵庫県議、自身の辞職を求める請願者の連絡先を晒した札幌市議、野次で批判を浴びた都議がやり玉に挙げられているが、それを批判する側が同じことをしてしまっていては誰もついていかない。政治に対する幻滅と不信を拡大するだけである。