Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

情報掲載

2012年11月14日 23時59分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「11/17(土)は開館記念の日ということで、神奈川県立近代美術館(鎌倉・鎌倉別館・葉山)の全ての展覧会が無料になるそうですね」
 さらに「12/1(土)は、同様の趣旨で、竹橋の東京近代美術館(工芸館・フィルムセンターを含む)が入館無料になるそうです」
との情報が、葦原の山姥様から寄せられた。

 神奈川県立近代美術館、鎌倉館では「シャガールとマティス、そしてテリアード 20世紀フランス版画と出版」展、鎌倉別館では「夭折の画家 小野元衞 1919-1947 」展、葉山館では「桑山忠明」展。
 東京近代美術館、工芸館では「現代の座標-工芸をめぐる11の思考-」展、フィルムセンターでは「日活映画の100年日本映画の100年」、美術館では「東京国立近代美術館 60周年記念特別展、美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」を開催している。
 私は17日は所用があるが、12月1日は今のところ予定は入っていないものの、いろいろ立て込んでいる。はっきりしない。無料と聞くと行ってみたくはなるのだが‥。
 本当は鎌倉別館の夭折の画家 小野元衞 1919-1947 」展には惹かれている。本日は見にいけなかったが、17日以外で時間の都合がつけば出かけてみたい。

「古都鎌倉と武家文化」展

2012年11月14日 18時03分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日の予告どおり本日は鎌倉まで足を伸ばし、鎌倉国宝館で「古都鎌倉と武家文化-武士(もののふ)たちの信仰(こころ)と美術(かたち)」を見てきた。
 東京都内というと特に「足を伸ばし」という表現にはならないのだが、もっと横浜から近い鎌倉となると「足を伸ばし」と思ってしまう。心理的な距離は都内の方が近いのだと思う。物価が高い、横須賀線しかなくて時間的に少々不便、鎌倉の駅の狭さと混雑、こんな条件が私の気持ちの中で鎌倉行きを敬遠してしまうのだと思う。本当は蕎麦もしらす丼も居酒屋も定食も、心惹かれるお店が多いとの情報はふんだんにあるのだが‥。
お昼直後に鎌倉駅に到着し、以前に食べたことのある「井上蒲鉾店」の2階の「茶寮いの上」で昼食をとることにした。以前は12時少し前に入ったら人がいなくてとてもいい雰囲気であった。本日は12時も大分過ぎていたためか待つこと15分ほどでようやく座れた。ここのお勧めは650円の「井上セット」。5種類ほどの蒲鉾に、はんぺん入りのお澄ましと茶飯。他のセットが1200円くらいであるのに較べてとてもお得。そうはいってもお昼に650円はいつもに較べると贅沢である。交通費の往復660円を加えると、当面はお昼の外食は控えなければならない。少なくとも今週中はおにぎり持参の外出になりそう。

 昼食を済ましてから鎌倉八幡宮への参道を歩いた。11月中旬とは思えないほどの暖かな陽射しがあった。古都鎌倉には秋の紅葉がとてもよく似合う。四季折々の中でももっともいい季節ではないだろうか。人によっては、桜の季節の若宮大路を初め背後の山の桜がもっともふさわしいという人もいる。また夏の強い陽射しの中で古いお寺の木陰で休む時間もいいという人がいる。さらには冬の枯れ木に囲まれた細い道が印象的だという話も聞く。しかし私には晩秋の日当たりのいい鎌倉が一番好きだ。本日も街路樹の下に咲いていた石蕗の花がとてもよかった。そして若宮大路を歩いているとき、背後からの陽射しが私の影を鎌倉八幡宮の方へまっすぐに伸ばしてくれた、気持ちがとてもよかった。

 鎌倉国宝館、恥ずかしながら以前に訪れたのは高校生の頃だから、もう45年近く来ていない。その時何を見たかもさっぱり覚えていない。その時は一人で来た。今回は妻と来た。妻の記憶では子供がまだ小学校に上がる前の正月に私の両親とこの八幡宮を訪れて、国宝館のすぐ傍を通ったとのこと。私はまったく記憶にない。



 さて、本日の目的である3館連携特別展、昨日県立歴史博物館で膨大な展示を見たあとでは、ここの展示の品数は少ない印象は避けてとおれない。しかし慶派を中心とした仏像・高僧像・武士像28体はなかなかの見ごたえである。観覧している人も平日と言うことで少なく、ゆったりと見ることができた。
 私が気に入ったのは、釈迦如来坐像(淨妙寺、13世紀)と十二神将巳神(曹源寺、13世紀)、観音菩薩遊戯坐像(14世紀、東慶寺)、そして韋駄天立像(14世紀、淨智寺)の4体。
 韋駄天立像を見ているとき、後ろにいた中年の女性二人連れが「かわいい」と大きな奇声を上げびっくりしたが、確かに今の言葉で言えば「かわいい」ということなのかもしれない。現代の人にも受け入れられる造形であることは確かだ。表情も生き生きとしているし、今にも動き出しそうな身のこなし、筋肉のあり様が印象的だ。
 また釈迦如来坐像は顔の大きさと少し猫背のように前かがみの姿がとても印象的というか、親しみのある造形である。観音菩薩遊戯坐像は片足を立てた、いかにも前に動き出しそうな菩薩像である。弥勒菩薩半跏思惟像程の優美さや流れるような美しさはではないが、動きのある仏像は新鮮である。

 詳しい説明板が全展示物にあり、とてもありがたく読ませてもらったが、残念ながら図録は3館共通の図録しかない。写真撮影も禁止なので、記録はこの図録を購入するしかないのだろう。これについては少々不満。3館共通の図録1200円を購入したほうがいいのかな、と思うものの幾度も見返すこともないのではないかと、二の足を踏んで決断力の減退を実感している。












 本日はお昼に散在したので、夕食はつつましいものになる予定。今月は少々出費がかさんだかもしれない。年末年始の生活に影響が出ないよう節制に心がけよう。

鴨南蛮のネギ

2012年11月13日 20時26分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日の夕食は近くのお蕎麦屋さんに出向くことにした。私はお酒、妻は生ビールのグラスでアルコールはおしまい。そして鴨南蛮蕎麦にハーフサイズのミニの天丼を注文した。二人分の食事ではないが、私どもには量的にちょうど良い。
 久しぶりの鴨南蕎麦だが、とてもうれしかった。というのは入っているネギが焼いてある。焦げ目がついているのだ。私の記憶ではこの焼いてあるネギが入っている南蛮蕎麦はほとんど記憶がない。どこだったか旅行した先で注文した際に焼いてあるネギが入っていて、こんなにもおいしいものなのか、と感心したことがある。それ以来だ。都会ではまったく記憶がない。いつも焼かずに煮込んで出されるネギが、このように下拵えされるととても新鮮に感じられた。
 実はこの蕎麦屋さん、これまでにもずいぶん何回も来ているが、南蛮蕎麦を食べたことがない。今回はじめて注文したのだが、焼加減がとてもよく、ぐちゃぐちゃにならず、歯ごたえもしっかりしている。そして焦げたネギの甘味が何ともいえずうれしかった。これは蕎麦の汁や蕎麦の味に隠れてしまうネギの味ではなく、蕎麦の味を引き立てる役割を果たしている。そしてネギだけを食べても十分においしい。とてもうれしかった。

「再発見!鎌倉の中世」展

2012年11月13日 16時49分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日、晴れの予報にもかかわらず、雲の多い日となった。




 午後から関内の馬車道にある神奈川県立歴史博物館へ「再発見!鎌倉の中世-掘り出された中世都市鎌倉-」展を見に出かけた。これは「武家の古都・鎌倉世界遺産登録推進3館連携特別展」の一環として12月2日まで開催されている。3館とはこの県立歴史博物館のほかは、鎌倉国宝館での「古都鎌倉と武家文化-武士たちの信仰と美術-」及び神奈川県立金沢文庫での「鎌倉興隆-金沢文庫とその時代-」の2つの会場でやはり12月2日まで開催している。







 歴史博物館での展示はいつもながら私などには解説がとても少なくて、ただながめるだけのものが多いのだが、今回も変わらない。ただし図録(1200円という良心的な値段)を購入すると詳細な説明がなされているので、これを購入するのが歴史にのめりこみたい方はお勧めだろう。
 今回の展示では以前から聞いてはいたが、当時の鎌倉での中国製や朝鮮半島製の青磁・白磁が大量に使われ、そして貴重なものは武士階級のステータスシンボルとして重宝されていたということが、大量の発掘遺物の存在から浮かび上がっていた。
 私は陶器に関しては素人だし、その美的な鑑賞眼も持ち合わせていないが、それでも遊行寺などに残されている青磁の壷などの輝きに目を奪われる。形も釉薬の色も、引き込まれるような感じがする。あのような落ち着いた色合いの壷を鑑賞する当時の支配階級のセンスというか、鎌倉という都市の持つ文化水準に脱帽の思いだ。
 同時に私が目を奪われたものに、漆器のすばらしい紋様と形がある。青磁・白磁が渡来物とすれば漆器は列島の産物と思われる。この繊細な紋様、特に紅葉や植物などの紋様に示された美的な感覚にも脱帽である。器は小さいものであるが、紋様が繊細、そして色は地の濃い赤のほか、木の葉などがとてもあかるい色で表されている。色が現在まで褪せずに輝いていることにも驚いた。あのような美しい器物に盛られた食の文化、あるいは生活全般の文化の水準は実に高度なのではないだろうか。あらためて実感した。
 それらの発掘・保存に携わった研究者の努力についても展示されていた。展示としては心配りが感じられた。

 3館連携特別展ということだが、私の興味としては鎌倉国宝館での「古都鎌倉と武家文化-武士たちの信仰と美術-」なのかも知れない。鎌倉武士たちの発願した慶派仏師の仏像などが多く展示されているようだ。さらに宋・元の影響を受けた絵画や工芸作品の展示もあるとのこと。これは是非行きたいと感じた。明日訪れることが出来ればいいのだが。
 金沢文庫も見たい気はするが、古文書が中心らしいので理解がおよばず、ということになりそうだ。
 ただし12月8日から横浜市歴史博物館で開催予定の「武家の古都・鎌倉」世界遺産登録推進事業関連「称名寺を掘る」(仮称)は近くでもあり、是非見に行ってみたいと思う。

とりとめもなく‥

2012年11月12日 20時17分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日は出身組合の退職者会の幹事会、お昼から石川町まで久しぶりに出向いた。会議と袋詰め作業のあと、帰りは歩いて自宅まで歩いてみた。途中で安い立ち飲みやに寄って〆鯖で軽く1杯。

 副鼻腔炎による頭の重いのは本日はなくなった。まだ少し鼻は詰まるが、喉の痛みも無くなった。ということで、本日の夜からウォーキングを再開してみようかと考えている。
 月曜日なので銭湯&サウナも惹かれるのだが、いっぺんに何でも挑戦しようとすると無理がたたって元の木阿弥にならないとも限らない。ここは少々自重せねばならない。

 そろそろ忘年会の予定や、早いものでは新年会・新春のつどいの案内やら企画が飛び込んでくる。現役の頃は、「退職したら忘年会・新年会などは極端に減る」と考えていたが、ところが結構いろんなところから案内が届く。すべて応えるわけにはいかないが、そこそこには出席して旧交を温めておきたいと思う。体がもてばの話だが‥。
 体がもつうちは、顔をあわせる機会があるうちは、それを欠かさないほうがいいと思うようになった。


風邪の後遺症

2012年11月11日 16時55分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から頭が重苦しい。まだ鼻が詰まる。副鼻腔炎の影響だろうか。午前中かけてようやく「川村清雄」展をアップして肩の荷が降りた感じがするが、頭が重苦しいのは治らない。ウォーキングにも出かけられなかった。
 家に閉じこもっていては余計気が滅入るので、天候は寒々しく暗いが、先ほど妻と出かけてきた。家から歩いて20分ほどの苗などの専門店まで。ベランダで植えるチューリップやユリの球根、パンジーやガーベラの苗などを購入した。
 ついでというか、妻に付き合った見返りと勝手に称して、日本酒の4合瓶を1本購入。帰りは苗などを少々買いすぎて二人では持てなくなった上に、雨が降り始めてしまったのでタクシーに乗ってしまった。
 雨はその後本降りとなっている。

 18時から団地の管理組合の諮問機関の会議がある。このままの頭の重苦しさに耐えたままで参加するのは気が進まないが、さぼるわけにもいかない。


「維新の洋画家 川村清雄」展

2012年11月11日 12時12分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 もう1ヵ月もたってしまったが、10月9日に江戸東京博物館で開催されている「維新の洋画家 川村清雄」展の特別鑑賞会に参加した。
 なかなか記事をアップできなくて本日ようやく宿題を提出したような気分である。
 展覧会は12月2日まで開催なのでとりあえず期間内にアップすることが出来た。

 まず私は「川村清雄」という名前は初めて目にした。たまたまブロガーを対象とした特別鑑賞会に応募、抽選に当たったのでその画業を汁粉とが出来、幸運だったと感じた。
 幕臣というこだわりがあり、またイタリアで油絵を学ぶという、明治の洋画壇では当初から傍流であることを強いられた画家ということになるが、そうはいっても作品はなかなか魅力がある。

 解説では、川村清雄はペリー来航の1852年江戸城のお庭番という家筋に生まれ、幕府の洋学機関で西洋画を学び、17歳で維新を迎えた後、徳川宗家の家達に仕え、1871年徳川家派遣留学生としてアメリカ後ヴェネツィアで油彩画を学んだとある。帰国後特に勝海舟の庇護を受け、徳川家や海軍省の注文を受け、「歴代将軍像」などを描いたとのことである。
 当時の洋画壇は薩摩藩士出身の政治家でもあった黒田清輝などフランス洋画壇-印象派の影響を受けた流れが主流となっていた。幕臣という出自へのこだわりがあったようだがこれに加え、江戸の伝統的絵画様式とイタリア美術との融合という指向が強かったらしい川村清雄は明治期の洋画壇とは相容れずに傍流として洋画の歴史からは忘れられたということのようだ。
 しかしなかなか魅力的な作品が並ぶ。今回の展示は画家の画業を主体とした回顧展という側面もあるが、同時に川村家の歴史資料の展示という側面もあり、いかにも歴史博物館らしい展示である。


 私が最初に惹かれた「形見の直垂」は庇護者であった勝海舟の葬儀を経て、描かれた絵画である。私は最初この作品を江戸東京博物館のホームページの小さな画面で見たとき、とても幻想的な絵画かと誤解した。葬儀の模様を写実的に描いた絵ではなく、勝海舟という人物の遺品や葬儀のときに使われたもので、勝海舟という人物を象徴しようとする絵画である。これは確かに明治期の洋画のおもむきとはずいぶんと違うである。日本画のようなおもむきがある。


 もうひとつ惹かれた作品である「貴賎図(御所車)」も洋画といえば洋画であるが、日本画の手法も大いに感じる。左の御所車を描いた部分はそれこそ古代に公家の一行にも通じる古風な風景であり、右側には江戸・明治当時の庶民の姿をした人物がその公家の一行を眺めている。両者共に同時代の風俗とも言えるし、時空の違った風景を同じ画面に貼り付けた画面とも受け取れる。右上の緑色の樹木の葉が両者の距離だけでなく時間の差を演出しているように感ずるのは、現代の私だけだろうか。なかなか複雑な作者の意図を感じるのは、私の誤解なのだろうか。


 さらに私が惹かれた作品は波をなどを描いた作品である。波の動きや力強さに私は惹かれた。現代風な絵を感じさせてくれた。

 川村清雄は、板に油彩画を描いたり、決められた寸法の画布ではなくイタリアの宗教画のように縦長などの寸法の絵を描いたり、かなり自由奔放の描き方をしているようである。
 黒田清輝は政治家でもあり、画壇という組織を、薩摩出身という出自へのこだわり、人脈から明治政府との強いつながりを最大限生かして作り上げた。川村清雄は政治家、あるいは行政マンとしては振舞ってはいない。画壇をつくるという当時としては極めて権力的な、そしてそれを受け入れない他者に対する排他的な組織作りなど、まったく興味というか指向がなかった人と思われる。

 今回の展示を見て、日本にもさまざまな洋画の流れが存在していたこと、混沌とした明治期の絵画界にはさまざまな可能性が渦巻いていたことなどが想像できた。
 とても刺激に充ちた展示であり、画家の存在を知ることが出来たと思っている。お勧めの展示である。

横浜での吟行・句会

2012年11月10日 23時19分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は、関内から大桟橋・日本大通り近辺を吟行してから、関内に戻り句会を開催。

句会での提出句
★秋天にイマジンの調べ古着市
→秋天へイマジン流れ古着市
★紅葉踏む足のためらい猫の道
→ためらいて紅葉は踏まず港町
★せめぎ合うビルと紅葉や波止場まで
→桟橋へ空と紅葉のせめぎ合い

3句目は捨てたほうが良いようだ。


俳句大会投句18句
昔の句を今の感覚で手直しをしてみた。
★病棟の視線の視線を集め夏の蝶
★雷一閃輸液の管の青白し
★筒抜けの無辺の空や長崎忌
★稲妻に艫綱青き水垂らす
★田一枚ほどの雲あり揚雲雀
★どこよりも青き梅雨晴れ骨納む
★炎天や墓石鋭く手を焦がす
★大寺のきざはし白し炎暑かな
★朴落葉ばさといちまい空の青
★冬怒涛藍濃きところ高々と
★五月闇水のにおいのその先に
★友の忌の音もなく踏む桜蘂
★風鈴の音の行方や将棋さす
★空っぽの缶を蹴る音秋落暉
★薔薇絡むレリーフの目の深き彫り
★出羽なれば薊はまして色の濃き
★黄落や大仏の目の笑みひかる
★救急の受付ひそと初時雨


講座「ヨーロッパの芸術を旅する」

2012年11月09日 23時34分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨日の夜、一週間ぶりにウォーキングに出かけた。風邪気味なのでジョギングもウォーキングも控えていたので、再開は無理せずにウォーキングからと思い、1時間ほど歩いた。再開といっても咳も出ないし、鼻水もでないので、かなり早く歩いた。
 ところが家についてみると、咳でむせるし、痰がかなり出た。その上、昨日の明け方は肺が息をするたびにゼイゼイとなりあわてた。以前にも風邪の治りかけに副鼻腔炎といわれたり、かるい喘息様の症状が出ていると医者から脅かされて治療したことがあるので、いつもの医者を訪れた。
 肺は特に心配はない、副鼻腔炎の初期症状といわれひとまず安心。吸入と4日分の薬を処方してくれた。薬は毎食後で一日3回服用となっていたが、一日2回の服用で様子を見ることにした。
 しかし昨日は、医師のいうとおり運動は行わず、無理をせずに東京国立博物館のブロガー招待会に出席。
 本日は調子が良さそうなので、昼前に軽いジョギングを6キロほどを1時間ほどやってみたが、多少痰が出たものの特に問題はなかったのでホッとした。

 さて本日は、神奈川大学の公開講座の「ヨーロッパの芸術を旅する」の第1回目。講師は伊坂青司神奈川大学教授。専門は哲学・文化比較論、ヘーゲル研究とのこと。「絵画や彫刻、建築物などのさまざまな芸術作品を鑑賞し、それを通して多彩なヨーロッパ文化を理解する」とのこと。50人の募集で本日の参加者は16人とさびしいが、少人数の講義はなかなか好ましい。
 講師は私より3歳上だが、何と1973年東北大学卒業、1976年同大学院卒ということで、私の在学の頃と重なっている。不思議な縁ではある。
 講義内容はフランドル、オランダとイタリアのルネサンス期の絵画の解説。第1回目の今日はフランドル地方の画家、ファン・エイクやブリューゲルの絵の解説。なかなか面白かった。キリスト教的な素養が求められるヨーロッパの絵画の鑑賞に当たっての基本知識の取得にはなる。フランドルの絵画は、湿潤な気候のもとで、油絵の具を使用することで細密で写実的な描写力を獲得したこと、商業資本の担い手がパトロンとなって支えていたこと、このことが宗教絵画の世俗化への水路となったことなどが印象に残った。
 次回はフィレンツェのボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロとのこと。

「中国王朝の至宝」展

2012年11月09日 14時38分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日は東京国立博物館平成館で開催中の特別展「中国王朝の至宝」のブロガー特別招待会にさいわいにも参加することができた。
 実は、すでに10月の26日に「出雲-聖地の至宝-」を見たときに同時にこの特別展を見てきた。同じ日に丸の内で「シャルダン展」も見に行ったので、最後までじっくりと見る体力はなかった。特に後半の唐の時代以降についてはほぼ通り過ぎただけの感じであった。
 今回は19時から約45分間、東京国立博物館の学芸企画部長松本伸之氏によるギャラリートークがあった。説明時間はオーバーしたようだが、私にはとてもありがたい説明であった。
 遺物を見るということは、細かな観察力だけでなく、時代背景やその遺物の背後にある文化についての知識が不可欠だ。やはりそれは専門家でないとわからない。私たちがただ見てもそれは「眺めた」だけで、感動も少ないし、知識の蓄積にもならない。そして説明文だけでは通り過ぎてしまうことが多いし、全体の流れがつかめない場合がほとんどだ。
 短時間だが丁寧な説明を受けて今回の展示の手法、特に南北をはじめとした中国ではなく、地域ごとの特色や、王朝の成り立ちの違いによる遺物の違いなどの概略の説明があり、展示物の見方を教わった気がした。

 蜀の遺物については以前、三星堆遺跡の展示があったときに興味深く見たものが再度展示されていた。この金を大きくあしらった異様な人面を作った文化についても私はとても興味がある。
 また二里頭遺跡の動物文飾板も以前に展示があったと思う。あるいは類似のものがいくつか出土しているらしいから今回は別のものかもしれないが、しかし幾度見てもこれは美しい。

「羽人」


 さて、私の目を惹いたものは、戦国時代の楚の「羽人」という名の不思議な遺物。台座はガマのようなカエルのような、でも鋭い歯を持つ不思議な生きもの。その上に鳳凰を連想させるような鳥があり、その上に人のような、しかし口は鳥の嘴を思わせ、下半身は鳥ような姿をした造形が乗っている。この不思議な、そして印象深い異物が、殷や周の多くの遺物に共通の青銅製ではなく、木製で漆を濃く塗っているということがとても興味深かった。楚の遺物は多くこのような木製・漆塗りのものが展示されてあったが、日本の漆文化の原点がこの長江流域の文化の影響なのかとも短絡的だが思った。しかしこの造形の背景をなす文化の解明が待ち遠しいと感じた。
 同様に楚の「鎮墓獣」「虎座鳳凰架鼓」の二つの木製・鹿角製の造形美にも惹かれた。
 

 次に私の目を惹いたものが秦の始皇帝陵の兵馬俑だ。これは写真では幾度も見ているが、実物を目にするのは初めてだ。靴の紋、着物の襞、髪の線、顔の表情、着衣の膨らみなどそのリアルさにあらためて驚くと共に、秦の始皇帝という人物の大きさ、権力の使い方にとても不思議な魅力というものを感じた。
 また弩と矢の二分の一の大きさの遺物が展示されており、当時の武器を具体的に想像できたのは収穫であった。
 秦の直後に中国の統一王朝となった漢という国、皇帝陵の俑も始皇帝陵とは違い小さくそして類型的となるが、そのような国の性格も秦という国の在り様をそれなりに批判的に継承したようである。

 次に北魏などの北朝を中心とした石と青銅の文化、南朝の青磁や金を中心とした遺物の展示も、興味を惹かれた。この時代以降仏教の影響がどんどん大きくなるのだが、南北の仏教の需要の差が遺物にも反映しているようで、これにも興味を覚えた。

 また最後に「近世の胎動」としして遼、宋の説明・展示に到ったが、この北方の遼については私もほとんど理解できていなかった時代だ。宋については仏教を通したさまざまな影響が日本にもたらされたので、日本史の中で大きな比重を示しているので一定の理解はあったのだが。自分の不明をあらためて思い知った。特にガラス・水晶の遺物に目を惹かれた。

 私などが持つ中国の歴史については、どうしても中原域を中心とした、そして漢字に記された歴史を主体として植えつけられている。しかし文字を持たなかった原初の中国の各地の文化などの豊かな社会が広がっていたことは、三星堆遺跡の展示のときに十分想像が出来た。今回も蜀と言われた地域、楚といわれた地域の独自の文化の在り様を十分推察できたし、またこの長江南部の地域が次第に北方民族との関係から変遷していく様子も感じたが、この感想は当を得ているのだろうか。
 私は中国の古代の歴史をキチンとたどるには漢字に書かれたことの歴史の呪縛から解き放たれない限り進展はないように昔から感じていた。白川静という漢字学者はその漢字を中心とした思考も、「説文解字」という古い書物から解き放たれなくてはならないことを生涯かけて訴えていた。
 私は中国の歴史が、特に古代の歴史、そして地域ごとの文化の違いがもっともっとおおらかに当然のように語られなければ、中国の近代化はとても望めないと今でも思っている。だんだんそのようになってきていることが、考古学の流れから窺い知れるようになって、目が離せなくなってきていると感じた。

 
 さてこの特別展、12月24日までなので、もう一度上野にまで出かけて見に行こうと考えている。なかなか刺激ある展示である。

「はじまりは国芳」展

2012年11月08日 10時50分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 「はじまりは国芳-江戸スピリットのゆくえ」展を横浜美術館で見てきた。平日ということもあり、ゆっくりと見学させてもらった。横浜美術館協力会会員(年会費5000円)なので入場料は無料。
 私は、歌川国芳という名は知っていたが、江戸末期の浮世絵師ということと、猫が好きで猫の絵があること、この程度の知識しかなかった。
 この展覧会、国芳一門の展覧会というような感じで、一門としての弟子たちが明治以降にどのような展開を見せたか、が大きな軸となった構成であった。
 展示場入ってすぐに目に飛び込んでくるのは、「相馬の古内裏」という題の極めてリアルで大きな骸骨が小さな人間を覗き込んでいる不思議な絵。山東京伝の読本に基づき描かれた勇士大宅太郎光国と滝夜叉姫の二人の対決を覗き込む骸骨、この骸骨がどのようなもののシンボルなのかはわからないが、物語にたぶんに通低する死のイメージがシンボライズされていると私は理解したが、どうだろうか。
 この骸骨、極めてリアルである。多分当時の人々は日常に死を見てきたであろうから、骸骨についてはかなりリアルでしかも身近なイメージを持っていたと思う。それを踏まえてこの絵を見ると、現代の私たちとは比べ物にならないくらい近い認識を持っていた、物語を演ずるものと見るものとが共通に抱いていた死のイメージが、ぐっと迫ってくるようである。現代の私たちからは想像も出来ないくらい死はもっともっと身近なものであったのであろう。物語自体も死のイメージが横溢したものだったような気がする。
 江戸の絵画、特に浮世絵の世界から私はとてつもない死のイメージが迫ってくるように感じる。国芳の絵の世界はこの私のイメージをさらに強固にしてくれた。
 さて国芳の一門の系図を見ると、月岡芳年、川鍋暁斎の名が出てくる。月岡芳年は金太郎が鯉にしがみついている絵が有名だし、国芳の弟子であったことは承知をしていた。しかし川鍋暁斎が最晩年の弟子であったことはまったく知らなかった。今回は暁斎の絵もいくつか展示されていて楽しかった。
 また五姓田義松と鏑木清方が共に孫弟子であることも初めて頭の中で関係付けられた。
 私が気に入った特に心を惹かれた作品は、川瀬巴水という鏑木清方門下の「東京十二題こま形河岸」という版画。これは葉書になっていたので購入した。竹の束の間から少しだけ覗ける川の景色と空の雲、手前の馬車の配置がとてもユニークである。配色の妙も楽しい。



 今回の展示、私のように浮世絵に知識もなく、それほど興味のない人間にも面白い企画だったと思う。無料なのでもう一度足を運んで見たいと思う。

早くも来年の暦「招福猫暦」

2012年11月07日 17時31分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 このブログできり絵を紹介した、福島市在住のさとうてるえさんが毎年作っている「招福猫暦」の来年版が出来て、送ってもらった。
 なかなかユニークで楽しい猫の暦だ。さとうてるえさんの個性がふんだんに込められた6枚組みの猫暦だ。
 毎年送ってもらっているがとても楽しくなる暦で、我が家では2箇所にかけさせてもらっている。
 ほんのりとした言葉に癒される。ちょっと気分がとんがっているときに、ふと我に変えるきっかけになる。この言葉と描かれた猫の表情がうまくマッチしている。

 少しでも売れると私もとてもうれしい。たくさん売れることを願っている。大きさはB5版。購入希望者には、私からさとうさんに取り次ぎ可能。価格は700円(送料込み)。こんなこじんまりしたカレンダーが部屋にあるとホッとする。

これは今年の11-12月分の絵


 

4日ぶりのしあわせ

2012年11月06日 22時27分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の雨、本降りとなった。しかしながらひさしぶりに濃霧注意報も出て、情緒ある港町の雰囲気となった。みなとみらい地区の高層ビル街はビルが途中から雲の中、霧の中に隠れて、ライトが滲んで趣のある光景となった。

 身体の具合はずいぶんと好くなり、ひさしぶり(4日ぶり)にお酒を少しいただいた。
小さなおちょこ1杯の日本酒がお腹にしみわたるような感じで食道を落ちていった。うれしかった。
 このささやかな感激を記して、本日のブログは終了。
 しあわせな睡眠となりそう。

写真の修整

2012年11月05日 21時36分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の白いサザンカの写真、白い部分が飛んでいたので大納言様に修正してもらった。難しかったようだが、それでも真ん中の白い花の花びらの部分がよく見えるようになった。また背景の暗い葉の部分が少し明るくなった。感謝申し上げます。

 さて今晩は、昨晩に引き続き昔の俳句の作り直しを継続してみる。約18句ほどに絞り込んで言葉を変えたり、季語を変えてみたりして、今の自分ならこうするという風に治してみた。どのような評価を得られるか楽しみである。手直しよりもまったく新しい句を作ったほうが良いのかもしれないが、以前の自分と向き合うのもいいことかと思いやっている。

 明日は天気が悪そうだが、それでもみなとみらい地区にちょっと酔ってみようと思う。ついでといってはいけないが、横浜美術館に足をのばし、「國芳展」を見てみたいと思う。私の気持ちに沿うものなのかどうかもわからないが、ちょっと惹かれる。
 感想・報告もアップしたいと考えているが、どうなることやら。

ずいぶんと楽になるが、まだ完治せず

2012年11月05日 17時41分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から寒々しい天気であった。
 まず4日ぶりに髭を剃ってから、薄いセーターを上着の下に着て病院に出かけた。土曜日が休診日だったためか、医師一人の病院だが待合室は満員で、7~8人ほど待たされた。
 金曜日の夜からの症状について医師は特に病名をいわなかったが、鼻水を押さえる抗アレルギー薬と痛みを抑える薬4日分をもらった。そしていつものとおり尿酸値を下げる薬を4週間分。更に血圧を測定したら145-80という値が出たため、降圧剤(αブロック剤)を一日一錠28日分処方された。この血圧、何が原因で高くなったのかは不明だ。
 病院でもらった薬を早速飲んで、横浜駅に歩いていった。途中で喫茶店で200円のコーヒーと150円のメロンパンの昼食。薬を飲んだものの鼻水とクシャミが間歇的にまとまって出てくる。なかなかしつこい症状だ。1時間くらいたって症状がおさまったので、喫茶店を出て、関内にJRで向かい、馬車道駅まで歩いた。そこからみなとみらい線で横浜に戻り、買い物を済ませて帰宅。
 歩数13000歩。歩数はいつもの半分くらいだが、運動量としては四分の一くらいだろうか。ゆっくり、といっても大半の人の歩くスピードよりは早い、呼吸を深めにとって歩いた。
 帰宅したときちょっとだけ咳が出た。クシャミと鼻水は1回だけ思い出したように出てきたが、すぐにおさまった。
 やはり歩いて足の筋肉を使うと気持ちがいい。しかし今日の夕方からお酒を飲もうと思ったが、これは今日・明日はまだひかえたほうがよさそうだ。
 明日も外には出るつもりだが、本日程度の散歩としよう。あせらずに回復を待つことにした。腹も悪くならず、熱も出なかったものの結構しつこい症状だ。「しつこい風邪」ということにしておこう。