Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

講座「ヨーロッパの芸術を旅する」

2012年11月09日 23時34分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨日の夜、一週間ぶりにウォーキングに出かけた。風邪気味なのでジョギングもウォーキングも控えていたので、再開は無理せずにウォーキングからと思い、1時間ほど歩いた。再開といっても咳も出ないし、鼻水もでないので、かなり早く歩いた。
 ところが家についてみると、咳でむせるし、痰がかなり出た。その上、昨日の明け方は肺が息をするたびにゼイゼイとなりあわてた。以前にも風邪の治りかけに副鼻腔炎といわれたり、かるい喘息様の症状が出ていると医者から脅かされて治療したことがあるので、いつもの医者を訪れた。
 肺は特に心配はない、副鼻腔炎の初期症状といわれひとまず安心。吸入と4日分の薬を処方してくれた。薬は毎食後で一日3回服用となっていたが、一日2回の服用で様子を見ることにした。
 しかし昨日は、医師のいうとおり運動は行わず、無理をせずに東京国立博物館のブロガー招待会に出席。
 本日は調子が良さそうなので、昼前に軽いジョギングを6キロほどを1時間ほどやってみたが、多少痰が出たものの特に問題はなかったのでホッとした。

 さて本日は、神奈川大学の公開講座の「ヨーロッパの芸術を旅する」の第1回目。講師は伊坂青司神奈川大学教授。専門は哲学・文化比較論、ヘーゲル研究とのこと。「絵画や彫刻、建築物などのさまざまな芸術作品を鑑賞し、それを通して多彩なヨーロッパ文化を理解する」とのこと。50人の募集で本日の参加者は16人とさびしいが、少人数の講義はなかなか好ましい。
 講師は私より3歳上だが、何と1973年東北大学卒業、1976年同大学院卒ということで、私の在学の頃と重なっている。不思議な縁ではある。
 講義内容はフランドル、オランダとイタリアのルネサンス期の絵画の解説。第1回目の今日はフランドル地方の画家、ファン・エイクやブリューゲルの絵の解説。なかなか面白かった。キリスト教的な素養が求められるヨーロッパの絵画の鑑賞に当たっての基本知識の取得にはなる。フランドルの絵画は、湿潤な気候のもとで、油絵の具を使用することで細密で写実的な描写力を獲得したこと、商業資本の担い手がパトロンとなって支えていたこと、このことが宗教絵画の世俗化への水路となったことなどが印象に残った。
 次回はフィレンツェのボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロとのこと。

「中国王朝の至宝」展

2012年11月09日 14時38分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日は東京国立博物館平成館で開催中の特別展「中国王朝の至宝」のブロガー特別招待会にさいわいにも参加することができた。
 実は、すでに10月の26日に「出雲-聖地の至宝-」を見たときに同時にこの特別展を見てきた。同じ日に丸の内で「シャルダン展」も見に行ったので、最後までじっくりと見る体力はなかった。特に後半の唐の時代以降についてはほぼ通り過ぎただけの感じであった。
 今回は19時から約45分間、東京国立博物館の学芸企画部長松本伸之氏によるギャラリートークがあった。説明時間はオーバーしたようだが、私にはとてもありがたい説明であった。
 遺物を見るということは、細かな観察力だけでなく、時代背景やその遺物の背後にある文化についての知識が不可欠だ。やはりそれは専門家でないとわからない。私たちがただ見てもそれは「眺めた」だけで、感動も少ないし、知識の蓄積にもならない。そして説明文だけでは通り過ぎてしまうことが多いし、全体の流れがつかめない場合がほとんどだ。
 短時間だが丁寧な説明を受けて今回の展示の手法、特に南北をはじめとした中国ではなく、地域ごとの特色や、王朝の成り立ちの違いによる遺物の違いなどの概略の説明があり、展示物の見方を教わった気がした。

 蜀の遺物については以前、三星堆遺跡の展示があったときに興味深く見たものが再度展示されていた。この金を大きくあしらった異様な人面を作った文化についても私はとても興味がある。
 また二里頭遺跡の動物文飾板も以前に展示があったと思う。あるいは類似のものがいくつか出土しているらしいから今回は別のものかもしれないが、しかし幾度見てもこれは美しい。

「羽人」


 さて、私の目を惹いたものは、戦国時代の楚の「羽人」という名の不思議な遺物。台座はガマのようなカエルのような、でも鋭い歯を持つ不思議な生きもの。その上に鳳凰を連想させるような鳥があり、その上に人のような、しかし口は鳥の嘴を思わせ、下半身は鳥ような姿をした造形が乗っている。この不思議な、そして印象深い異物が、殷や周の多くの遺物に共通の青銅製ではなく、木製で漆を濃く塗っているということがとても興味深かった。楚の遺物は多くこのような木製・漆塗りのものが展示されてあったが、日本の漆文化の原点がこの長江流域の文化の影響なのかとも短絡的だが思った。しかしこの造形の背景をなす文化の解明が待ち遠しいと感じた。
 同様に楚の「鎮墓獣」「虎座鳳凰架鼓」の二つの木製・鹿角製の造形美にも惹かれた。
 

 次に私の目を惹いたものが秦の始皇帝陵の兵馬俑だ。これは写真では幾度も見ているが、実物を目にするのは初めてだ。靴の紋、着物の襞、髪の線、顔の表情、着衣の膨らみなどそのリアルさにあらためて驚くと共に、秦の始皇帝という人物の大きさ、権力の使い方にとても不思議な魅力というものを感じた。
 また弩と矢の二分の一の大きさの遺物が展示されており、当時の武器を具体的に想像できたのは収穫であった。
 秦の直後に中国の統一王朝となった漢という国、皇帝陵の俑も始皇帝陵とは違い小さくそして類型的となるが、そのような国の性格も秦という国の在り様をそれなりに批判的に継承したようである。

 次に北魏などの北朝を中心とした石と青銅の文化、南朝の青磁や金を中心とした遺物の展示も、興味を惹かれた。この時代以降仏教の影響がどんどん大きくなるのだが、南北の仏教の需要の差が遺物にも反映しているようで、これにも興味を覚えた。

 また最後に「近世の胎動」としして遼、宋の説明・展示に到ったが、この北方の遼については私もほとんど理解できていなかった時代だ。宋については仏教を通したさまざまな影響が日本にもたらされたので、日本史の中で大きな比重を示しているので一定の理解はあったのだが。自分の不明をあらためて思い知った。特にガラス・水晶の遺物に目を惹かれた。

 私などが持つ中国の歴史については、どうしても中原域を中心とした、そして漢字に記された歴史を主体として植えつけられている。しかし文字を持たなかった原初の中国の各地の文化などの豊かな社会が広がっていたことは、三星堆遺跡の展示のときに十分想像が出来た。今回も蜀と言われた地域、楚といわれた地域の独自の文化の在り様を十分推察できたし、またこの長江南部の地域が次第に北方民族との関係から変遷していく様子も感じたが、この感想は当を得ているのだろうか。
 私は中国の古代の歴史をキチンとたどるには漢字に書かれたことの歴史の呪縛から解き放たれない限り進展はないように昔から感じていた。白川静という漢字学者はその漢字を中心とした思考も、「説文解字」という古い書物から解き放たれなくてはならないことを生涯かけて訴えていた。
 私は中国の歴史が、特に古代の歴史、そして地域ごとの文化の違いがもっともっとおおらかに当然のように語られなければ、中国の近代化はとても望めないと今でも思っている。だんだんそのようになってきていることが、考古学の流れから窺い知れるようになって、目が離せなくなってきていると感じた。

 
 さてこの特別展、12月24日までなので、もう一度上野にまで出かけて見に行こうと考えている。なかなか刺激ある展示である。