Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜での句会投稿句

2012年11月24日 22時19分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日はとても寒く感じられた。昨日の夜、中学高校の同期会があり、高校を卒業後42年ぶりに再会した方、同じ大学に進学したのに卒業後37年ぶりに再会した方などと懐かしい話が出来た。当時の先生二人も参加され本当に懐かしかった。
 当時あまり付き合いのなかった方でも、今話をするととても話が通じ合ったりと不思議な体験もある。同じ横浜市に就職した仲間とも6ヶ月ぶりに話が出来た。お酒も料理も、そして話も満腹の夜となった。

 帰途はぶらぶらと多少の距離を歩いてきたが、桜は種類によってさまざまな紅葉の仕方、落葉の仕方があることに気づいた。ソメイヨシノの紅葉と落葉が桜の標準的なものかと勝手に思っていたことになる。帰途に見かけたものは団地の傍の街路樹として植わっている緋寒桜だったが、まず木の全体の紅葉が遅く、しかも上の方はまだ緑が多かった。葉全体が大降りな種類であるが、落葉もまだ少ない。ソメイヨシノは早めに紅葉して、早めに落葉する種類と言い切っていいのだろうか。あるいは天候の不順でこのようになっているのか、もうこれは専門家に聞かないと何ともいえない。しかし少なくとも桜の種類によって紅葉の遅速、落葉の遅速があることは確かなようだ。

 先ほど18頃横浜で震度4の地震があった。この時私は家電量販店の2階にいたが、居合わせた人も私もまったく気づかなかった。地震情報と某新聞社からの号外のメールを5本も立て続けに受診して初めて知った。大きな窓がすっかり覆われている店内は密閉空間である。これは恐ろしいことである。
 そしてJRは若干遅れがでたようだが、市営地下鉄はなにごとも無かったように運行していた。これはこれで恐ろしい。家に電話をしてみると結構揺れたようだ。さいわい各地でも被害は無かったようで良かった。地震は嫌なものである。そうそうに横浜駅を離れ、帰宅した。横浜駅の地下街でも何事もなかったような人の流れ、だれも自信があったことの認識はないようであった。

 さて夕食後、先ほどまでテレビで「隠し剣 鬼の爪」を見た。二度目だが、後半しか記憶にない。映画は本当にたまにしか見ないが、このような映画を見ると映画もいいな、と思う。先日「天地明察」で感想を書いたが、こちらのほうが数段格が上だ。もっともドキュメンタリー的なものと、あくまでも作り話のドラマとを同一に論ずるのはおかしいのだが。
 ただし原作の限界もある。藤沢周平は嫌いではないが、この作品に出てくる主人公が何となくいくら幕末の武士とはいえ、現代に通じすぎている。身分の違う家老を暗殺し、身分を捨てて恋を成就し、蝦夷で生きていこうとする。これはちょっと‥、必殺仕事人シリーズの文芸の仮面を被った二番煎じといわれかねない。それはきっと藩の近代化に目覚め謀反の烙印を押され殺され役の弥一郎や、イギリス式調練という狂言回しといった「近代化」とは違った、それを飛び越えてしまっている現代性である。舞台は幕末の時代と、新しい時代の模索の葛藤のはずなのに、こんな現代性を背負った主人公が出てくるというのは、時代設定が少々無理があるのではないか。ひょっとして明治・大正時代の設定のほうが主人公の現代性を浮き彫りに出来たのではないか、それが必殺仕事人的な映画になる根拠なのではないか、と思った。
 この感想は、映画に対する感想ではなく、藤沢周平という人の作品に対する感想なのだが‥。文句を言っているのではない。小説としては十分に楽しめる作品である。あえてする、無理な批評ということで勘弁願おう。

 「おくりびと」は鳥海山だったが、この映画の雪を被った山はあのなだらかな稜線から見て月山と思う。妻と二人で登った。いい山だ。東北の山は本当に美しい。森が深く水が豊かで懐が広い。


横浜での句会投稿句
★鉄路錆び故郷の味の干菜汁
→鉄路絶えしふるさと遥か干菜汁
★戦世に布団を干して我を干す
→いくさ世や布団を干して我を干す
★白き雲冬三日月の穂の揺らぎ
→遠汽笛冬三日月の穂をかすめ