goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

酔うと昼夜逆転

2016年02月11日 23時00分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人との「新年会」の行き帰り、特に帰りは遠回りをして帰宅。汗をかくほどの速さではなかったものの、薄いダウンのジャケットの下の着たセーターは暑いので脱いでリュックにしまった。それなりの速さであったとは思う。合わせて2万3千歩ほど歩いた。
 軽く夕食を食べた後は、うつらうつらと再度寝てしまった。お酒を飲むと寝貯めをするように、あるいは冬眠中のクマのように寝てしまうのが、私の酔った姿である。
 そうして夜中にごそごそと起きてくる。いつの間にか昼夜逆転してしまう。昔から変わらない困った癖である。
 明日・明後日は予定が入っていない。さて、何をしようか。4月から受講する講座の数を減らすことにした。そうなるとこのように出かけ無ければいけない日が増える。「さて、何をしようか」というつぶやきが増えるのは困ったものである。


横浜駅傍でもう早咲きの桜

2016年02月11日 19時31分02秒 | 山行・旅行・散策
   

 友人と二人で蕎麦屋さんで新年会をした後、のんびりと自宅まで歩いて帰ってきた。横浜駅近くの旧東海道と接するあたりで、早咲きの桜がすでに花を咲かせていた。例年この桜を見に来ている。今年ももう少ししたら見に来るつもりでいたが、思ったより早かった。毎年正月に干支の置物を贖っている大綱金刀比羅神社のすぐ傍である。
 この桜の傍に喫茶店があり、240円のコーヒーを飲みながら1時間ほど酔いを醒ましてから再び歩いて自宅にたどり着いた。



 東側から団地の敷地に入ったが、西側の富士山にはすでに夕日がすっかり沈んだ後だった。あと30分早く目が覚めていたら、夕日が富士山の近くに沈むところを見ることができたはずである。取りあえず月と富士を携帯で撮影したが、見事にブレていた。富士山は下の方、電線の下に辛うじて写っている。
 明日もしも日没のことを覚えていたら写真撮影に挑戦していみたいものである。


「恩地孝四郎展」(その3)

2016年02月11日 11時26分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 解説によれば、1915年姉に子が生まれ、1917年には妻との間に長女が誕生する。母性、母子像が恩地孝四郎のテーマとなるとのことである。この2点の母子像を出発点としているようだ。
 特に後者の丸く赤子を抱く作品は、その後の抽象作品の勾玉のイメージに通じていくようである。
 1951年の「イマージュNo.6 母性」に結実していくイメージだと私には思われた。
 比較してみると抽象的な後期の作品の方が見るもののイメージが膨らむように思う。勾玉様の薄い茶色の形体は胎児のようでもあり、子宮のイメージでもある。勾玉様の形体が女性であるならば真ん中の楕円形が胎児のようでもある。そのような具象との対比による見方もまたできる。
 同時にそのような具象との対比によらずとも、浮遊する海の中のように羊水に囲まれた原初の生命の温もりを感じることも出来る。
 あるいは表題にとらわれることなく、色と形体の構成の面白さ、奥行きのある形体配置の妙や、形体の浮遊感を感じるのも楽しい。作品としての鑑賞の幅が広がっているとおもえる。
 具象と抽象の不思議な行き来が私にはとても好ましいと感じられる。具象から完全に切り離された作品の面白味も感じることも出来る。
 それが私の恩地孝四郎の作品に惹かれるところである。