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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ショパン「24の前奏曲、即興曲外」

2016年02月22日 22時37分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 同じくアシュケナージの演奏で「24の前奏曲」(作品28)、前奏曲第25番(作品45)、前奏曲第26番(作品番号なし)、即興曲(作品29、36、51、66)とあわせて30曲の小品か収録されている。録音年代が記されていない。
 「24の前奏曲」では第5番32秒、第10番29秒、第15番36秒、第22番47秒、有名な第7番も55秒しかない。一方長いのは第15番「雨だれ」で5分14秒もある。
 最初は戸惑ったが、24の主題をもつ1つの曲と考えると楽しめるかもしれない。前奏曲というと何かと決まった様式があるのか、と聞きたくなるが実際は即興曲のような具合である。
 そして即興曲の方は大体4分~5分ほどの長さである。長いといっても他の作曲家の曲から見れば断片のようでもある。
 私は前奏曲24曲を聴くのは少し落ち着かない。短すぎでどこか慌ただしい。聴くときは即興曲の4曲をひとつの曲としてまとめて聴く。合わせて20分ほどの4つの部分からなる曲だと思うことにしている。
 第1番の明るい明確なリズムは第1楽章にふさわしい。早いパッセージを有する第2番はスケルツォ風の楽章でもある。第3番は少し内省的で終止形とならないメロディが漂っているような楽章である。第4番は最後を締めくくる堂々とした風格がある。後半へと上り詰めていくフィナーレにふさわしい。

      

風邪をうつしてしまった

2016年02月22日 15時11分30秒 | 読書
 昨日は16時半頃からお魚を食べさせてくれる居酒屋に入ってずいぶんと飲んだようだ。店を出た時は19時近かったのだろうか。あまりよく覚えていないが、お腹もいっぱいになっていた。
 横浜駅でちゃんと降りたのだが、携帯電話がいつも入っているズボンの右ポケットにないことに気がついた。あわてて電車内に戻って座っていたところを見たが、落ちていない。ホームに戻ってきている服のポケットを散々探したが出てこない。電車は発車してしまった。
 頭が混乱したまま、リュックの外ポケットを探したり、ホームを探したがない。諦めてベンチに座り、何の気なしにリュックのチャックをあけて中を見たら、ちゃんと携帯電話が一番上に鎮座していた。ホッとすると同時に、いつそこに入れたか考えたが記憶にない。
 しかし出てきたことはありがたかった。お店まで戻らなくてはいけないかと考えたり、駅に忘れ物の届をしなくてはいけないかと決意をしたり、いろいろ頭の中が混乱し疲れてしまった。
 気を取り直してバスにて帰宅。
 どっと疲れ彼が出て、そのまま寝てしまった。

 本日は昨日よりもさらに寒い。厚い雲に遮られて日もまったく射さない。休養日として引きこもっている。

 私の風邪が妻に移った。正月始めからひいた2回の風邪は移らなかったが、今回はとうとう移してしまった。山姥様からは「奥様にだけには移さないように」ときつくコメントをいただいたものの、言いつけを守れなかった。
 私は同じ症状で咳と鼻水としゃがれた声、その上に頭痛がするとのこと。医者に行くかどうがさんざん悩んだようだが、我慢できなくなったらしく歯医者をキャンセルして内科に行って薬を貰ってきた。私はその薬を先ほど1回分だけもらった、というよりくすねた。
 私は水っ洟は直ったが、まだ痰が絡む。

「体感する地球儀・天球義展と講演会」(DNPミュージアムラボ)

2016年02月22日 13時32分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 2月19日に初めてDNPミュージアムラボに出かけた。通常の博物館や美術館とは違って事前の申込みがないと観覧できない施設である。初めての施設ということでいろいろ戸惑ったことやわからないことなどもあったが、とりあえずチラシやホームページでの案内・解説を掲載して報告にする。

 残念ながら展示目録や解説目録が備えていないので、現地で理解できないことも多く、またビデオを見ても記憶に残らないという私には致命的な問題点があるように感じている。施設の性格上やむを得ないものなのか、わからないが。
 帰宅後にチラシを見ていて疑問点が出てきた。チラシの裏面の中段、前期展示の3点の写真の下に「前期はフェルメールの《地理学者》、《天文学者》に描かれた対作品《ホンディウスの地球儀・天球義》」という表現がある。写真の解説では大きな写真の地球儀は「ヨドウス・ホンディウス(父)」作となっているのでこれが《地球儀》と思われるが、《天球義》については前期・後期のどこにも「ホンディウス」作というものが掲載されていない。3D展示室にあったのか、展示目録が無いので記憶をたどることも出来ない。
  同時に後期展示の《ヴェルザーの地球儀》についてもチラシ裏面の中段左側の3点の後期展示の写真には表示がない。

 この点については帰宅後わかったので、確かめようがないので、後日電話でもして確認するしかないのだが、私がこれまで体験した展示に比べるともう少し改善の工夫があってほしい。

 さて、17世紀中葉はオランダが海洋進出でヨーロッパ世界の世界観を大きく変え、地球の認識を書き換えていた時代である。キリスト教的世界観が大きく書き換えられていた。その拡大していく世界を背景として当のネーデルランドの市民社会がどのような波をかぶっていたか、絵画の世界にどのような影響をもたらしていたか、これは興味を惹かれるものがある。
 フェルメールの描く絵画にはそのような世界を匂わせる仕掛けがいくつもある。今回は天球義・地球儀が描かれている作品が取り上げられたが、世界地図や海外からと思われる手紙を読む女性など、拡大する世界とそれが日常生活にもたらす「波」が主題となっている。
 描かれたもの静かな家屋の一室に、左から差す陽射しに乗って「世界」がもたらす波紋は鑑賞する者に、さまざまなドラマを予感させる。

 その予感に今回の展示がどのような幅をもたらしてくれるだろうか。繰り返すが、ごく限られた記憶だけしか残っていないのは悲しい。微かな記憶を引き出してくれる目録すらないのは残念だが、多少は幅が広がることがあるかもしれないということを楽しみにしておこう。