Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は横浜市歴史博物館

2016年02月27日 23時13分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日に続き暖かい陽気につられて、啖・鼻水は完全には止まっていないが、午後からまた出かけた。神奈川大学の図書館で30分ほど読書タイムの後、東横線-みなとみらい線で日本大通りにある横浜ユーラシア文化館と横浜開港資料館の2か所を訪れた。両者は5分と離れていないので、特にたくさん歩いたわけではない。約1万歩ほど。
 明日は横浜市歴史博物館の企画展「少名子貝塚-土器とイルカと縄文人」ならびに、私の住んでいる区にある市立図書館による予定でいる。本日は13時から企画展に関する講座が開かれていたが、チラシを見なかったのでわからなかった。しかし明日はフロアレクチャーがあるようなのでそれを期待している。
 本日見に行った開港資料館の展示の報告は明日の朝にアップ予定。

「貿易都市マニラの栄光展」(横浜ユーラシア文化館)

2016年02月27日 21時05分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜ユーラシア文化館で「横浜マニラ姉妹都市締結50周年記念事業『貿易都市マニラの栄光-考古学が語る太平洋航路の成立と発展(フィリピン国立博物館収蔵資料)」を見てきた。
 主にスペインの支配を受けて以降のメキシコを経由した太平洋航路によるスペインとマニラ間物資の流れを、沈没船サン・ディエゴ号からの引き上げ遺物の展示を中心に展示してある。
 中国の明、戦国時代の日本の陶磁器・武具・絹製品などと中南米産の銀の交易ルートなどが示されている。

 私が興味を惹かれたのは、当時マニラ近郊で古くから使われていたという土器と土器製の竈。土器を小さな竈の上に載せて煮炊きをしていたらしいのだが、土器の底面には煤の痕跡を見ることができなかった。むろん貯蔵の用途のものも多数あったとは思うが、調理につかったものもあるはずである。沈船からの引き上げ品なので海水に現われたという見方も出来るが、そこらへんは聞いてみたいと思っている。

 展示だけでははやり理解できる範囲は限られてしまうので、講演会やギャラリートークが終わってから「申し込めばよかった」と反省ばかりしている。次回の展示からは事前に申し込みをした方が良さそうである。とりあえず3月中のギャラリートークに参加してみたいものである。
 次の企画展は4月以降のようなので講演会の申込みについては残念ながら覚えている自信がない。
 同時に開催している「横浜マニラ姉妹都市締結50周年」の展示はバス。しかし写真展「フィリピンの教会建築」は興味深く見た。世界遺産登録されたマニラ大聖堂などの写真は是非もう一度じっくりと見に行きたい。イタリアなどの教会建築とは違う感じがする。本日はその感想にとどまった。どこがとう違うのか自分なりにもう一度確認したい。

   

伊藤若冲「出山釈迦図」(彩色画と水墨画)

2016年02月27日 11時55分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「出山釈迦図」は29歳で出家し、雪山にこもった釈迦が6年間の断食などの苦行後、苦行を否定し山から下りてきたところの図で、古来画題として描かれている。こののち菩提樹の舌で瞑想を繰り返し悟りを得た、ということになっている。
 仏像などではやせ細って骨が浮き出た姿態で表現されているが、この絵では彩色画も水墨画もそれほどやつれては見えない。
 最初は水墨画は下絵なのかと思ったが、解説を見ると落款からは彩色画の方が先に描かれたらしい。ともに同じ寺に伝来し、彩色画は特別な儀式のときに掲げられ、水墨画は日常的にかけられていたという。
 見比べてみると、彩色画の方が表情は柔和である。微笑みが表情の眼目のように見える。確かに大勢の人には「ありがたみ」「柔和」などが伝わるかもしれない。苦行の後を偲ばせるのは柔和な眼の割には鋭い視線かもしれない。着衣が赤く、炎のようでもあり、暖色特有の効果でエネルギッシュな内面が燃え立つように見える。
 それに比べると水墨画の方が顔の彫りが深く見え、やつれてい見える。苦行の山から下りてきた感じが出ている。眼光は鋭いものの気力が失せかけているようにも、懐疑の渦中のような苦悩に苛まれているようにも見える。着衣が赤くない分、ほっそりとした身体には寒さに耐えているようにも見える。そして足先が白く描写されていて、さらに弱々しく思える。
 「出山」という事態の表現としてみると水墨画の方がより人間らしい描写である。私には人間としての悩める釈迦らしく見えるので、水墨画の方が好みである。
 大胆に言えば、彩色画は光背もあるので大勢の人の信仰を得るための宗教画、水墨画は個人の内面を表現しようとした芸術としての絵画に見える。