
この作品「赤い木の風景」は1953年、画家が77歳の時の作品である。戦後ヴラマンクは精力的に小説やエッセイを出版している。かなりのエネルギーがそちらに割かれていると思われる。1958年に82歳でなくなるまでに1952年以降毎年1冊は出版している。
それにも関わらずこのような激しい情念を作品にぶつけている。
ブラマンクはピカソとは交流はしつつもそのキュビズムとは一線を画しており、抽象画にも否定的であった。具象というもの、風景というものにとても執着している。そしてこの77歳とは思えない激しいタッチは私にはとても印象的である。

色彩の荒々しい表現は、赤い色の乱舞と濃く塗りつぶした黒との対比が印象的な「火事」(1945)があるが、「火事」では形態はまだはっきりとした輪郭を持っている。激しい舵にもかかわらず人間は静かに眺めるように立っている。慌てて逃げる様子ではなく、冷静に火事を見つめている。
しかしこの「赤い木の風景」では冷静なる観察者はどこにも存在しない。作品を描く画家もまた何かの激しい情念に駆り立てられているようである。燃えているような赤い樹木が生命を吹き出しているように感じる。だが、樹木の生えている地面と樹木の向こう側の白い雲のある空は何事もないように鎮まっている。世界全体は何か統一感を喪失してアンバランスである。チグハグな世界である。あるいは画家が激しい情念で風景の中のここに火をつけて回っているだけなのかもしれない。しかし燃えるのは一部だけでしかない。
画家の心象風景というよりも、現代の世界そのものが統御を喪ってそれぞれの構成要素が相互に関連なく崩壊しているような画家の世界観を映し出している。燃えるような情念も、それは世界をなめ尽くすことの不可能な不思議な無力感をともなっている。
1950年代、私は生まれたてで記憶にはない時代である。しかし私が現時点で味わっているような喪失感、社会の統一的な像を手繰り寄せようとしても手繰り寄せられない無力感というものが、激しいことこの上ないこの作品から感じてしまう。
現在の時分というものを過去の地点から照射してくれる作品、それは私にとっては大切な作品のひとつである。