Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「柿」の俳句

2015年11月10日 22時00分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 私は柿を食べるのも、成っている木を見るのも好きである。好んで食べるのは柔らかく熟した柿、柔らかめの干し柿。妻は硬めの柿が好みでなかなか意見が合わない。自分で柔らかい柿を買ってきてもいいのだが、熟した柿は日持ちがしないので一山で4つも5つもあると食べきれそうもなく買うのを逸してしまう。毎年寂しい思いをする。

 「柿が赤くなると医者が青くなる」とは柿を食べると病気にならないという意味だけではなく、猛暑から過ごしやすい秋を迎えると、柿・蜜柑・柚などが実をつけて食べ物が豊富になり、健康に良い季節となるということらしい。
 柿を季語とする俳句、なかなか見つけられなかった。
★里古りて柿の木持たぬ家もなし   松尾芭蕉
★山柿や五六顆おもき枝の先     飯田蛇笏
★日当たりや熟柿のごとき心地あり  夏目漱石
★柿赤し美濃も奥なる仏たち     畠山譲二
★朝の柿潮の如く朱が満ち来     加藤楸邨
★塾柿啜る目鼻埋めんばかりなり   石田波郷
★子の嫁してのちの歳月木守柿    矢島久栄
★人の世の朽ちゆく速さ木守柿    菅原 涼

6句目、病身の波郷にとっては柿は好物であったようだ。貪るように食す姿が目に浮かぶ。
8句目、政治や社会の劣化は目を覆うばかり。


加藤楸邨「まぼろしの鹿」前半より

2015年11月10日 17時46分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日取り上げた加藤楸邨の9番目の句集「まぼろしの鹿」(1953~1966)の前半、1953年~58年までの中から、私が惹かれたものをいくつか。
★黒マント枯野一点にて緊る
★落葉地にとどくや時間ゆるみけり
★柿を剥く若き無骨をみとれをり
★遠き時間一顆の柿と我とに過ぐ
★秋の風鶏の見るもの我に見えぬ
★おそき稲妻あはくひそかに胸を染む
★雲に鳥わが生いまだ静かならず
★我を軸としいま吾妻嶺は青嵐
★滅びゆくもの生まれゆくものいま蜩
★山椒魚詩に逃げられし顔でのぞく
★秋刀魚啖ふ口ステンカラージンをうたふ口

1句目、このようにきりっとした句に私はたまらなくあこがれる。
2句目、そしてこの細やかな観察力も魅力である。落葉が静かに舞い降りた一瞬、着地を見届けた作者の気持ちにもホッとした弛緩が訪れたのだと思う。時間が緩やかに停止した気分。
3句目、若い人との距離ばかりに意識が向くとき、些細な共通の動作に癒される瞬間というのがある。私もそんなことを考える歳になっている。
4句目、柿が実っている木を含む風景はとても懐かしい。過去が蘇ってくる。
5句目、雄鶏が頸を延ばして周囲を睥睨する一瞬、その毅然とした姿におどろき、畏怖すら感じる。
6句目、雷雨を窓辺で見ている光景と理解した。一閃の光は怖い反面、過去の恥じらうような時間、体験が悔恨とともに胸の内に蘇える。
7句目、春に北に飛び立つ渡り鳥の厳しい渡りに自分の生き様を見る、50代後半の充実した生に羨望。
8句目、初夏のころの吾妻山の大きな景を前に、「我を軸とし」と言い切る不遜ともいえる強い意志を感じる。なかなか言い切れるものではない。
9句目、7句目・8句目とは一転、喧しい蜩の短い最後の生の輝きから生と死に思いをはせる静かな思惟に私は惹かれた。
10句目、時々見せる加藤楸邨という俳人のユーモア。うまく作句できない時の鬱陶しい気分からふと転換する時の契機はいろいろある。
11句目、秋刀魚という生活感溢れる時間と、そこを離れた場所での共通の世代と共有する時間、この乖離が日本の社会の不幸でもある。