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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「野尻抱影生誕130年」

2015年11月08日 23時44分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 終日雨。最高気温は16.7℃と平年よりも1.4℃低かったとのこと。部屋の中でも毛糸のカーディガンをずっと着用していた。



 本日はもう来年の講演会を申し込んだ。
 1月16日(土)に開かれる「日本人の星と宇宙 野尻抱影生誕130年」という講演会。講師は海部宣男国立天文台名誉教授。会場は横浜人形の家で、費用は500円。海部教授の名は知っているが、話を聞くのは初めて。天文関係の講演、あるいは野尻抱影の生涯については知っているようでいて知らないで来てしまった。中学生の頃は星座にまつわる本を読んだ記憶があるのだが、内容は忘れてしまっている。
 天文関係の本や知識ははっきり言って、大学在学中に封印をするように忘れようとしてきた。その甲斐あって、あるいはそれが災いして必要以上に頭から追い出してしまった。あるいは記憶が蘇らないようになってしまっている。何か触れてはならない傷のようなものである。40年かかって、ようやくその古傷に触るような嫌な気分が少しずつ解けかかっている。本当はこのままずっと触れずに忘却の彼方に追いやってしまった方が、落ち着いたかもしれない。
 そんな愚痴はいってもしょうがないと思いつつ、いつかどこかで気持ちの整理はしなくてはいけないと思っている。触れたくないものに触れる、というのは神経が露出している生傷に直接触れるような嫌な感じなのである。いつになったらこんな思いから完全に自由になれるだろうか。
 講演会の前に大仏次郎記念館での展示を覗いてみたいという気分が多少ある。嫌だという自分と葛藤中ということにしておこう。

映画「光のノスタルジア」

2015年11月08日 18時20分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

   

 先日、神保町の岩波ホールにてパトリシオ・グスマン監督の「光のノスタルジア」(2010)と「真珠のボタン」(2015)を見てきた。
 壮大で美しい宇宙の映像からこのつふたつの映画は始まる。
 今回は「光のノスタルジア」から。
 人類の最先端の英知が生み出した、乾燥した砂漠にある天文台の群れ、そこではさらに人類の最先端の英知が宇宙の誕生と生命の誕生のなぞに迫ろうとしている。
 そして画面は次第に地球、それも南米の太平洋岸のチリにあるアタカマ砂漠へと焦点が当たる。若い天文学者が「現実に経験することのすべてはこの会話でさえも過去です。」「天文学者は過去を見つめ、そこから多くを学ぶ。過去を考えるのになれている。それが天文学者の人生」と語り物語が始まる。
 天文台の下に眠る先史時代の遺跡が存在し、その中には営々と現代まで続く人々の生きた証、死んでいった証が眠っているという。
 ビッグバンという宇宙創造の端緒から、現代までがそのまま接続し、交差しているアタカマ砂漠。そこに衝撃的な過去、現代の人々が忘れようとすらしている過去が埋まっていることが次第に明らかとなる。 約40年前からはじまったピノチェト独裁政権下の収容所で死んだ者、他の収容所で死んでこの砂漠に埋められた者まで、多くの死者が埋められているという。とてつもなく遠い過去と現在をそのまま接続するというのは、ドキュメンタリーの手法のひとつでもある。美しい映像がそのようなありふれた手法をカバーしてあまりあると感じた。同時に無理に過去を復元することにこだわらず、「過去にこだわり続ける《現在》」(それすら過去となっているのだが)を写し出そうとすることに好感が持てる。
 1970年のアジェンデ政権の成立やその推移、ピノチェトの登場と弾圧、暗黒政治については当時を同時代的に過ごした私などには強い思いがある。しかしどんな事実も復元も、時間というフィルターを透過しなければならない。そこにはどんなに善意を持続していても、また書かれた資料を漁ろうとしても、おのずと作為と誤解と誤謬が綯交ぜとなる。残された者、現在に生きるものの在り様と、意志と思い出、そして遺物の中にしか、残念であるがそれらは蘇ることはない。
 悲しいかな、歴史とは、他者の生を踏みにじることで勝ち残った者、あるいは忘却しようとする者が語るものである。死んだもの、敗者の思いはそれぞれの胸の内にしか存在できない。語るものがあるとしたらそれは遺物という無機的ものに昇華してしまった「物」しかないのが、人類というものの歴史的現在の姿である。
 おそらく監督はそのことを充分理解しているのであろう。決して無理な復元、あるいは映像による告発に表現の迫真力を求めようとはしていない。砂漠の乾燥した風と強い太陽の光の中を足を曳きづるように遺骨を探す人びと、そののろく重い足取りの人の動きに事件から40年という時間の重みを象徴させている。そして遺族とその営みをたたえる考古学者、一見無関係な若い天文学者、収容所の体験者、そして若い遺族に現在と過去を語らせている。ことばはたとえ記録されたとしても、砂漠の乾燥した空気に拡散して消えていく。このことの繰り返しに死者の思いは拡散していく。
 登場人物たちは過去とどう向き合うのか、また向き合うことで遺族はどのように死者との交信を成立させ、現在の自分とどう折り合いをつけるのか、現在と過去から未来をどのように構想するのか暗示しようとしている。何度でも云おう、抑圧されたものの過去は復元出来たとしても、一瞬の復活の後またすぐに砂漠の風の中に消えていく。だからこそ遺骨、あるいは遺物に遺族はこだわるのだろう。
 私たちは過去の歴史を踏まえて前に進めようとしたアジェンデという政治的試みも、未来も見つめないことで歴史を後ろに遡らせようとしたピノチェトの蛮行も、相対的にとらえる視点を要請される時代に立っている。敗北した根拠をあぶりださなくてはいけない。過去を見つめ直すことはできない。そんなことも示唆してくれる映画であったと思う。少なくともその可能性を秘めた作品だったと思う。
 最後の場面が、正しいがどうかは不明であるが、この映画の救いである。まずは遺族に若い天文学者が望遠鏡をのぞかせる場面。40年前ではなく百数十億年前、宇宙が誕生して間もないころに発せられた光をのぞいて遺族が見せる屈託のない笑顔、これは遺族が40年前の過去と折り合いをつける可能性の示唆となりうるのか、監督からの問いかけである。それは次のシーンにつながる。
 ビー玉がいくつも並ぶテーブル。監督は次のように述べる。「宇宙の壮大さに比べたら、チリの人々が抱える問題はちっぽけに見えるだろう。でもテーブルの上に並べれば、銀河と同じくらい大きい。‥思い出を持つ者ははかない現在を生き抜くことができる。思い出のない者は生きてさえいない」。
 ひょっとしたら「勝者」ピノチェトには過去に向き合わないことで、思い出も、自らの過去もそして未来のすべてを獲得できなかったといえる。敗北し殺されたものにこそ思い出も過去もそして歴史も寄り添ってくることもある。それは誠実に過去と向き合って未来をみつめようとしたからである。敗者と勝者の逆転、それが40年が経過した遺族にっての折り合いである。
 勝者が独占するか、忘却したいものがなげうつことで語り継がれてきた人類の過去と歴史が、敗者であり死者となった者につながる者の手で、「思い出」として語り継がれることの可能性は、常に繰り返し試みられることで未来を明るくする。勝者と敗者の逆転は可能となる。さらに過去の対立を止揚する「和解」はどこに想定されるのか。問いかけは続けられなくてはならない。

 監督は、この「思い出」の掘り起しと継続の先に和解をも見据える希望を見ているのであろうか。私もまたわからない。

 もうひとつだけ私が断言したいことがある。よりよく過去と向き合うものだけが、記憶も思い出も、そしていつか未来も、歴史も獲得する。このように若い人には生きてほしい。


   

 なお、アジェンデ政権とピノチェト政権について知らない方も多いようなので、取りあえずの参考として、
★「ベンセレーモスの歌」 【http://nviewer.mobi/player?video_id=sm15503390
★「サンチャゴに雨が降る」【https://www.youtube.com/watch?v=RJdpM772SYI
★年表
を掲げておきたい。

   

朝から雨、そしてベンセレーモスの歌声

2015年11月08日 13時03分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 天気予報どおりに朝から雨が降り続いている。降り始めの頃よりも少しずつだが強くなってきている。そして日が当たらない分、少々寒い。
 午後から団地の管理組合の諮問機関の会議がある。何時に終わるかわからないので、出かける予定は立てられない。
 朝から先日神保町の岩波ホールで見た「光のノスタルジア」「真珠のボタン」のチラシのスキャン作業を行い、感想を書いている。あまり映画を見る機会もないのでなかなか考えはまとまらない。
 特にドキュメンタリーというのは苦手に近いものがある。過去の「現実」の復元と、過去にこだわり続ける「現在」の対比、現実と演技、こられの境界があいまいのまま、見るものにつき付けられる。特に現実と演技の境をさまよううちに私の頭はいつも迷宮に迷い込んでしまう。現実の事態に深くかかわっている登場人物は俳優ではない。登場人物がプロの俳優のようにカメラをキチンと見据えれば見据えるほど、カメラの前では素人とは云え演技者でもある。監督ないし製作者は彼ら、彼女らに何を期待し、どのように振る舞うことを求めたのか、これが映像の向こうに隠れている。そんな思考回路から抜け出せないまま、いつも作品の上映が終わってしまう。
 1970年代のアジェンデ政権の成立と、アメリカの介入による長期ピノチェト政権の強権支配は私には記憶に新しい。しかし、ベンセレーモスの歌【http://nviewer.mobi/player?video_id=sm15503390】と「サンチャゴに雨が降る」【https://www.youtube.com/watch?v=RJdpM772SYI】と、ふたつながら記憶の片隅に残っているだけである。

 このこととどう結びつけることができるのか、出来上がりには時間がかかりそうである。

髭の煩わしさ

2015年11月08日 01時24分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 髭を延ばし始めて11日目となった。だいたい皮膚から4ミリ位伸びている。だんだん煩わしくなってきた。朝髭全体を剃らなくて済むのは楽であるが、唇の周囲の髭は1ミリほどに伸びれば、食事の時に邪魔になる。特に私の場合、唇の赤い部分に入り込んだところからも髭が生えてくるので、食事の時にとても邪魔である。また目の下の頬の一番高いところにある髭は視界を遮る。そこのあたりは2日に一度は剃ったりハサミで刈りこまないといけない。手が震えて必要以上に剃ってしまった場合は全体のバランスが悪くなってしまう。もともとバランスの悪い顔がいっそう崩れてしまう。
 さらに伸びた髭が付近の皮膚を刺激することがある。これもまた煩わしい。
 伸ばしてみてそのわずらわしさを思い出す髭である。

 ここまで伸ばしたのだから、ということでちょうど二週間目になる火曜の夜か水曜の朝に沿ってしまうことに決めた。あと3日したら記念に自分の顔の写真でも撮っておこうかと思う。やはり私には髭は性に合わないようだ。