先日、神保町の岩波ホールにてパトリシオ・グスマン監督の「光のノスタルジア」(2010)と「真珠のボタン」(2015)を見てきた。
壮大で美しい宇宙の映像からこのつふたつの映画は始まる。
今回は「光のノスタルジア」から。
人類の最先端の英知が生み出した、乾燥した砂漠にある天文台の群れ、そこではさらに人類の最先端の英知が宇宙の誕生と生命の誕生のなぞに迫ろうとしている。
そして画面は次第に地球、それも南米の太平洋岸のチリにあるアタカマ砂漠へと焦点が当たる。若い天文学者が「現実に経験することのすべてはこの会話でさえも過去です。」「天文学者は過去を見つめ、そこから多くを学ぶ。過去を考えるのになれている。それが天文学者の人生」と語り物語が始まる。
天文台の下に眠る先史時代の遺跡が存在し、その中には営々と現代まで続く人々の生きた証、死んでいった証が眠っているという。
ビッグバンという宇宙創造の端緒から、現代までがそのまま接続し、交差しているアタカマ砂漠。そこに衝撃的な過去、現代の人々が忘れようとすらしている過去が埋まっていることが次第に明らかとなる。 約40年前からはじまったピノチェト独裁政権下の収容所で死んだ者、他の収容所で死んでこの砂漠に埋められた者まで、多くの死者が埋められているという。とてつもなく遠い過去と現在をそのまま接続するというのは、ドキュメンタリーの手法のひとつでもある。美しい映像がそのようなありふれた手法をカバーしてあまりあると感じた。同時に無理に過去を復元することにこだわらず、「過去にこだわり続ける《現在》」(それすら過去となっているのだが)を写し出そうとすることに好感が持てる。
1970年のアジェンデ政権の成立やその推移、ピノチェトの登場と弾圧、暗黒政治については当時を同時代的に過ごした私などには強い思いがある。しかしどんな事実も復元も、時間というフィルターを透過しなければならない。そこにはどんなに善意を持続していても、また書かれた資料を漁ろうとしても、おのずと作為と誤解と誤謬が綯交ぜとなる。残された者、現在に生きるものの在り様と、意志と思い出、そして遺物の中にしか、残念であるがそれらは蘇ることはない。
悲しいかな、歴史とは、他者の生を踏みにじることで勝ち残った者、あるいは忘却しようとする者が語るものである。死んだもの、敗者の思いはそれぞれの胸の内にしか存在できない。語るものがあるとしたらそれは遺物という無機的ものに昇華してしまった「物」しかないのが、人類というものの歴史的現在の姿である。
おそらく監督はそのことを充分理解しているのであろう。決して無理な復元、あるいは映像による告発に表現の迫真力を求めようとはしていない。砂漠の乾燥した風と強い太陽の光の中を足を曳きづるように遺骨を探す人びと、そののろく重い足取りの人の動きに事件から40年という時間の重みを象徴させている。そして遺族とその営みをたたえる考古学者、一見無関係な若い天文学者、収容所の体験者、そして若い遺族に現在と過去を語らせている。ことばはたとえ記録されたとしても、砂漠の乾燥した空気に拡散して消えていく。このことの繰り返しに死者の思いは拡散していく。
登場人物たちは過去とどう向き合うのか、また向き合うことで遺族はどのように死者との交信を成立させ、現在の自分とどう折り合いをつけるのか、現在と過去から未来をどのように構想するのか暗示しようとしている。何度でも云おう、抑圧されたものの過去は復元出来たとしても、一瞬の復活の後またすぐに砂漠の風の中に消えていく。だからこそ遺骨、あるいは遺物に遺族はこだわるのだろう。
私たちは過去の歴史を踏まえて前に進めようとしたアジェンデという政治的試みも、未来も見つめないことで歴史を後ろに遡らせようとしたピノチェトの蛮行も、相対的にとらえる視点を要請される時代に立っている。敗北した根拠をあぶりださなくてはいけない。過去を見つめ直すことはできない。そんなことも示唆してくれる映画であったと思う。少なくともその可能性を秘めた作品だったと思う。
最後の場面が、正しいがどうかは不明であるが、この映画の救いである。まずは遺族に若い天文学者が望遠鏡をのぞかせる場面。40年前ではなく百数十億年前、宇宙が誕生して間もないころに発せられた光をのぞいて遺族が見せる屈託のない笑顔、これは遺族が40年前の過去と折り合いをつける可能性の示唆となりうるのか、監督からの問いかけである。それは次のシーンにつながる。
ビー玉がいくつも並ぶテーブル。監督は次のように述べる。「宇宙の壮大さに比べたら、チリの人々が抱える問題はちっぽけに見えるだろう。でもテーブルの上に並べれば、銀河と同じくらい大きい。‥思い出を持つ者ははかない現在を生き抜くことができる。思い出のない者は生きてさえいない」。
ひょっとしたら「勝者」ピノチェトには過去に向き合わないことで、思い出も、自らの過去もそして未来のすべてを獲得できなかったといえる。敗北し殺されたものにこそ思い出も過去もそして歴史も寄り添ってくることもある。それは誠実に過去と向き合って未来をみつめようとしたからである。敗者と勝者の逆転、それが40年が経過した遺族にっての折り合いである。
勝者が独占するか、忘却したいものがなげうつことで語り継がれてきた人類の過去と歴史が、敗者であり死者となった者につながる者の手で、「思い出」として語り継がれることの可能性は、常に繰り返し試みられることで未来を明るくする。勝者と敗者の逆転は可能となる。さらに過去の対立を止揚する「和解」はどこに想定されるのか。問いかけは続けられなくてはならない。
監督は、この「思い出」の掘り起しと継続の先に和解をも見据える希望を見ているのであろうか。私もまたわからない。
もうひとつだけ私が断言したいことがある。よりよく過去と向き合うものだけが、記憶も思い出も、そしていつか未来も、歴史も獲得する。このように若い人には生きてほしい。
なお、アジェンデ政権とピノチェト政権について知らない方も多いようなので、取りあえずの参考として、
★「ベンセレーモスの歌」 【
http://nviewer.mobi/player?video_id=sm15503390】
★「サンチャゴに雨が降る」【
https://www.youtube.com/watch?v=RJdpM772SYI】
★年表
を掲げておきたい。