Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

古代史セミナー9月講座

2015年09月29日 21時12分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は古代史セミナー9月講座の全6回の連続講座の2回目。第1回目がどうしても参加できず、本日からの参加とさせてもらった。
 第2回目は「入唐僧恵萼から見た激動の東アジア・日本と唐と新羅をつないだ謎の日本僧」と題して、田中史生関東学院大学教授の講演であった。
 9世紀半ばから10世紀にかけての唐の揚子江河口・山東半島から新羅、そして平安朝初期の日本を行き来した恵萼という傑出した僧と新羅商人の活動の解明、そこから見える普陀山観音信仰と商業活動、そして文化交流についての講演であったと思う。
 新しい知見もあり、とても刺激的で示唆に富む講演であったと思う。平安初期の平城・嵯峨・淳和の兄弟皇位継承にともなう皇統の混乱と橘嘉智子の役割、唐政権の動揺、新羅の混乱などと活発な商業活動、海の交易と観音信仰、敦煌遺跡とのつながり等々興味は尽きなかった。

 今回はあと2回ほどしか出られない可能性が高くなってしまった。残念である。


高村薫「いつもの夏ではない」(図書10月号より)

2015年09月29日 07時40分30秒 | 読書


 今月号の図書(2015.10月号)、作家の高村薫氏が連載している「作家的覚書」に「いつもの夏ではない」という一文が掲載されている。
 そこには「60年以上生きてきて、これほほど不快な思いが募る8月15日はほかに知らない」、「こんな戦後70年談話は、無用の長物である以上に、実に日本人と日本語の尊厳を傷つけるものだと言うほかはない」と記されている。
 その反面として「若者たちに近現代史を教えず、立憲主義も教えず、漫然と歴史修正主義やヘイトスピーチを生み出し、はびこらせているこの社会にあって、路上で声を上げる若者たちがひたすら眩しく映る戦後70年目の夏である。」と締めくくっている。
 私もまったく同感である。いつもこの欄は真っ先に目をとおす。時々このブログにも登場させてもらっている。
 日本語の尊厳が傷つけられた、ということについてヘイトスピーチやいわゆるネトウヨと称される人々のことば、それとほとんど変わらない保守系の国会議員のネット上の言動、はては首相や大臣の頓珍漢で無責任で空虚な答弁を聞いていると、本当に彼らによって日本語が破壊されていることをひしひしと感じる。日本語の使い方を知らないばかりか、言葉の持つ歴史的な背景や重みが失せている。ことばの意味が違ったベクトルを持たされてもいる。
 国会中継はとうとう聞くに堪えないので聞くのをやめてしまった。マスコミに記事にされた文章だけに目をとおすようにした。そのマスコミもまったく信用ならないばかりか、鼻持ちならない体たらくである。
 戦後70年目経って、保守の陣営や「右翼」という側から日本語が破壊されているという背理が、これからの70年をとてつもなく暗くしていないか。