Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳「薬師寺金堂薬師如来坐像」

2015年09月19日 23時17分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 土門拳「薬師寺金堂薬師如来坐像」(1961頃)が掲載されている小学館文庫から第2巻から選んでみた。
 文庫本では見開きの左側の頁に薬師如来の全体を写した作品があり、左側の頁にこの作品がならんている。これがこの頭部ばかりの大写しならばすぐに仏の顔であると認識するのはなかなか難しい。
 これは右側の作品の頭部を拡大したものでもない。現に照明の反射の白い部分の位置が違っている。頭部だけ別に撮影したことがわかる。
 黒光りする飴のような艶を持つ顔をじっくりと見ていると、両方の頬の白い照明の反射が涙にも見えてくる。単に慈愛の表情だけではなく、我々を見る眼が憐れみの表情にも見えないだろうか。
 さらに彫りの滑らかな顔の凹凸が消えて、黒地に白い線だけが浮かぶ凹凸の無い作品にも見えてくる。顔が、顔という制約から抜け出て、左右対称の模様に見えてくる。
 凹凸をキチンを捉えて3次元的に見えるようにするのが、この手の作品の眼目からするとそれを否定しているようにも見える。あくまでも2次元の世界に拘るように見える。
 こんな鑑賞の方法はひょっとしたら土門拳という作家の意図を無視した、頓珍漢なのかもしれない。

新聞から2題

2015年09月19日 11時37分07秒 | 読書
敢えて引用のみ。これからひとりで外出。


★余録:秋の季語に「稲負鳥」がある…  毎日新聞 9月19日 朝刊

 秋の季語に「稲(いな)負(おおせ)鳥」がある。和歌の秘伝「古今伝授」が挙げる鳥の一つだが、正体は諸説があって分からない。藤原定家はセキレイ説、江戸時代の歌人・香川景樹はカワラヒワ説、同じく国学者の本居宣長はニュウナイスズメ説という(夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」)▲秘伝がらみで、正体は謎というのが、俳人の遊び心を刺激してきたのだろうか。そうそうたる歌人らが諸説をくり広げてきたのもおもしろい。なかには稲の種を背負って日本にもたらした鳥だという言い伝えもあるようだ▲さてこちらの「正体」については衆参両院の特別委員会で216時間の審議を経てきたという。聞けばこの安全保障関連法案、安保関係の法案審議で過去最長らしい。だから採決したと与党はいうが、審議すればするほどいよいよ謎が深まったのが実のところである▲審議では安倍晋三首相が日本人母子の乗船する図を掲げて説明した米艦防護は、邦人乗船の有無とかかわりないのが分かった。喧伝していたホルムズ海峡の機雷掃海は「想定していない」に変じた。説明していた「正体」が次々に消えてなくなって審議終了となった▲はなからまともな国民の理解や合意を求めていたとも思えない首尾である。安全保障は一部政治家と役人の「秘伝」でいいというのか。審議終盤になって政府の説明が次々にほころび、さすがに世論も気色ばんだところで首相から出た言葉が「今に分かる」であった▲平和が失われて「分かる」のではたまらないから、法案の成立がもたらす安保政策の変化は厳しく見守らねばならない。民主国家の統治機構に「秘伝」は無用だ。


★答弁で日本語壊された  高村薫    東京新聞 9月18日 朝刊

 安倍首相ら政府側の国会答弁によって、私たちの日本語が破壊されていった、という感じがする。政治家が言う「丁寧な説明」という言葉に、虫ずが走るようになった。「丁寧」が丁寧ではなくて、「説明」も説明になっていない。中身のない呪文になってしまった。
 一連の国会答弁は、一から十まで中身がなければ誠実性も欠いたもので、二種類の欺瞞でできていたと思う。
 一つ目の欺瞞は、事実ではないうその説明。日本人を乗せて避難してくるアメリカの艦船を防護できなくていいのか、という説明、これはうそ。ホルムズ海峡での戦時の機雷掃海の話も、当の駐日イラン大使がそんなことはあり得ない、と言った。あり得ないうそに基づいた説明を、堂々と国会の場で繰り返すことによって、集団的自衛権そのものへの不信を募らせた。
 もうひとつは、事実を隠すための不正確、不透明な文言。何とも結局説明がつかない、「存立危機事態」とか「後方支援」とか。事実をごまかす、隠すために不正確、不透明な文言でそれを説明するから、当然支離滅裂、意味不明なことになる。もともと不正確な文章というのは、いくら言葉を補っても正確な、明快な文章にはならない。説明すればするほど、ぼろぼろになっていくだけ。そういうものを私たちは聞かされ続けてきた。
 ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会答弁の場で言ってはおしまい。学問とか知識とか歴史に対する尊敬がなさ過ぎる。だからめちゃくちゃな日本語を使うんでしょう。
 揚げ句の果てに国民の理解が進まない、と。東アジア、中国の危機を国民は理解しないので、丁寧な説明をしてきたけれども、政治の責任で決める時は決める、というわけだから。ここまで言葉の論理や物事の筋道を軽んじる政治を私はちょっと想像できなかった。こんな政治があるんだとは。
 国会答弁というのは、やじも含めてすべて記録に残る。自分たちの一言一句が公式の記録として半永久的に残る、ということすらもう念頭にない。だからやじを飛ばせるんでしょう。そこまで国会をなめているし、政治をなめている、としか思えない。もちろん、国会をなめている、ということは国民をなめている。