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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳「瑞巌寺廊下内部」

2015年09月20日 13時02分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この「瑞巌寺廊下内部」は土門拳が1975年に瑞巌寺を撮影に訪れた時の一枚である。本当は土門拳の作品よりも右側のほんの少しを切らせてもらった。本の折り目でどうしてもスキャナーでボケてしまったからである。左右対象から文庫本の大きさで5ミリほど割愛させてもらった。横の広がりが詰まって見えるのはそのためである。勘弁してもらうしかない。
 さて土門拳はその「撮影記」でつぎのように記している。
 「30年来という大雪にすっぽりと包まれた瑞巌寺は、想像を超えるすばらしい景色であった。杉並木の、そして庫裏の屋根の、真綿のような雪がやわらかく光を照り返すさまは、ほのぼのと温かく、手足は凍えているのに、かぜか心が和むのであった。この温かい光が雪をすぐに溶かしてしまうのではないかと気がせき、光を追いかけ追いかけ、シャッターを切ったのである。」
 庫裏の内部も同じようなことが言えるのではないだろうか。雪に反射し光と、直射日光が障子越しに柔らかく感じられる。廊下も雪の季節の寒さとは思えないように柔らかい陽射しを反射して柔らかそうな波を打っている。
 実際はさすがに冬だからきりっとした空気が張り詰めているのだろうが、それを感じさせない。
 雪というものは土地土地によってイメージも働きも少しずつ違う。大まかな私のイメージでも南東北と北東北、北海道で違いがある。日本海側と太平洋側でも微妙な差がある。北東北の太平洋岸の雪のイメージは私にとっては、身を切るような乾燥した寒風に混じって厳しく顔を切りつけるような雪である。家の中も温まることなどなく吹き抜ける。春が近くなってもやさしさからは程遠い。
 だが、南東北の雪はどこか柔らかく暖かい所がある。雪が降った翌日の陽射しは暖かい。やわらかく雪を溶かしていく。家の中でも陽射しがやわらかい。
 あくまでもイメージだから実際は厳しく低い気温と強い風に苛まれることの方が多いのだが、それでも雪に対してどこかそっとやさしく受け入れる姿勢が地元にはどこかある。それを感じる。
 この写真作品、人々が歩いて、磨いて黒光りする廊下と、上部の屋根を支えている太い横木の光を反射しない黒々とした塊の対比にまず目がいく。規則的なようでいて不規則な繰り返しを見せる波のような廊下、と幾何学的な天上の横木は特に特徴的だ。その次に左右と奥の白い壁、障子をとおして入ってくる雪の日の朝の柔らかそうな光。
 左右対称のがっちりした構図、教書のような遠近法の消失点にある白い壁、どれをとってもあまりに安定した構図で面白味がないと直感するが、微妙な光を見つめていると見飽きることがない。きっと波のような廊下の揺らぎがそうさせているとおもう。
 これがおなじように寺の内部でも、北陸の永平寺や、北海道の日本海側、あるいは北海道の東側、下北方面などで抱く感想は違ってくると思う。

シルバーウィーク

2015年09月20日 00時37分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世の中、シルバーウィークということで5月の連休と同じく最低5連休ということなのだそうである。2回目の大型連休ということで旅行会社や温泉・宿泊施設など大きな需要が目論稀ているとのことである。世はどこもが観光資源に飛びつく。大きな経済効果を見込んでいるという。しかも暦の関係からは外国からの観光客ではなく、国内で働く人の需要増を期待している。
 だが果たしてそれだけの効果を生むであろうか。世の中、暦通りの勤務の人の割合はとても低下している。労基法の適用の「緩和」が進んだのが原因と云っては即断過ぎるかもしれないが、かなりの職場が交代・変則勤務になっている。工場のラインも24時間の稼働が当たり前になっている。商店も長時間営業でほとんどが交代勤務である。
 長時間勤務が蔓延している時代、そう簡単には皆は長期のまとまった休みを取得して旅行に行くことはないのではないか。

 もっとも遠出をしたり、贅沢な旅行が幸せの実感かというと一概にはそうはならない。近場の公園で時間的なゆとりをもった家族団欒がもっとも好ましいと思う風潮も大切にしたい。
 本当は暦の上で強制的に休みを取らせるという施策よりも、有給休暇をもっと自由に取得できる労働環境の整備、国民的コンセンサスの方がもっと大切なのではないか。働く人が、時間のより自由な処分権を手にする方が、満足感はあるはずだ。
 観光地や遊園施設の混雑もより平準化するのではないだろうか。