南京からみんなで仲良く揚州へ日帰り旅行。
南京からバスで約2時間ってところかな。
揚州と言えば、日本にもゆかりの深い土地。
特に、盲目になりながら日本にやってきた鑑真さんとの関係が深い。
というわけで、まずは鑑真も身を寄せていた大明寺から見学。
ここには今、鑑真記念堂なんてものもあって、外見は全くもって唐招提寺講堂。
ただし、ここはそれほど感動はしなかったのも事実。
ふ~ん、って感じだった。
続いて、天山漢墓博物館へ。
ここには前漢中期の地宮が目玉。
非常に興味深かったけど、展示品が模刻品が多く、しかも暗かったのが残念。
木簡なんかもあったし、「如律令」の文字もみられただけに。
そして、揚州唐城遺跡博物館へ移動。
さすがに唐代のものが盛りだくさんで、面白いことは面白かった。
でもね、石碑なんかも雨ざらしで文字がほとんど見えなくなってきていたりする。
そうそう、ここは新羅の崔致遠ゆかりの場所。
現在、記念館を建造中なので、興味のある方はどうぞ。
昼食は、揚州の名店、富春茶社。
なかなかおいしかったです。
にしても、量多すぎ。
もういい加減お腹一杯と思った頃に、
まんじゅうが二種類に野菜に魚がでてきたりして。
昼食後は、新しくできた揚州双博館。
名称の由来は、印刷博物館と博物館新館の二つがつながっているから。
ちょっと街の中心地からは離れた場所にあるため、あまり期待はしていなかった。
ところがどっこい。(久しぶりに使った、このフレーズ)
なかなかどうして。(あ、これも久しぶりだ)
良品揃い。
個人的には呉王夫差が使用していたという銅剣(本物)に大興奮。
あの、「臥薪嘗胆」という用語に関係する人です。
それ以外にも実際にその場で版木を作成していたり、
紙漉を行っていたり、
金字写経を行っていたりと、
見所が盛りだくさん。
目一杯、見学しまくったわけです。
帰りのバスの中は、みなさんお疲れモードで静か~でした。
*写真の謎の物体は、揚州唐城遺跡博物館の中の崔致遠記念館建造中の横に放置されていたもの。
一緒にいた日本人と検討した結果、これの口の中に子供が入って、「おきあがりこぼし」みたいにゆらゆらと揺らして遊ぶ遊具である、という結論に。
でも、なんでこんなところにあるのかは、全くもって不明。
南京からバスで約2時間ってところかな。
揚州と言えば、日本にもゆかりの深い土地。
特に、盲目になりながら日本にやってきた鑑真さんとの関係が深い。
というわけで、まずは鑑真も身を寄せていた大明寺から見学。
ここには今、鑑真記念堂なんてものもあって、外見は全くもって唐招提寺講堂。
ただし、ここはそれほど感動はしなかったのも事実。
ふ~ん、って感じだった。
続いて、天山漢墓博物館へ。
ここには前漢中期の地宮が目玉。
非常に興味深かったけど、展示品が模刻品が多く、しかも暗かったのが残念。
木簡なんかもあったし、「如律令」の文字もみられただけに。
そして、揚州唐城遺跡博物館へ移動。
さすがに唐代のものが盛りだくさんで、面白いことは面白かった。
でもね、石碑なんかも雨ざらしで文字がほとんど見えなくなってきていたりする。
そうそう、ここは新羅の崔致遠ゆかりの場所。
現在、記念館を建造中なので、興味のある方はどうぞ。
昼食は、揚州の名店、富春茶社。
なかなかおいしかったです。
にしても、量多すぎ。
もういい加減お腹一杯と思った頃に、
まんじゅうが二種類に野菜に魚がでてきたりして。
昼食後は、新しくできた揚州双博館。
名称の由来は、印刷博物館と博物館新館の二つがつながっているから。
ちょっと街の中心地からは離れた場所にあるため、あまり期待はしていなかった。
ところがどっこい。(久しぶりに使った、このフレーズ)
なかなかどうして。(あ、これも久しぶりだ)
良品揃い。
個人的には呉王夫差が使用していたという銅剣(本物)に大興奮。
あの、「臥薪嘗胆」という用語に関係する人です。
それ以外にも実際にその場で版木を作成していたり、
紙漉を行っていたり、
金字写経を行っていたりと、
見所が盛りだくさん。
目一杯、見学しまくったわけです。
帰りのバスの中は、みなさんお疲れモードで静か~でした。
*写真の謎の物体は、揚州唐城遺跡博物館の中の崔致遠記念館建造中の横に放置されていたもの。
一緒にいた日本人と検討した結果、これの口の中に子供が入って、「おきあがりこぼし」みたいにゆらゆらと揺らして遊ぶ遊具である、という結論に。
でも、なんでこんなところにあるのかは、全くもって不明。