少太 BLOG

考える日々

酸っぱー

2015-07-29 18:22:53 | 日記

相方がこの間まで塩に漬けておいた梅をベランダと呼べない狭い場所にせっせと干している。

散歩しながら「ほら、このお宅の梅、日光を浴びて真っ赤になっておいしそう。小さい頃干してある梅を見つけてはその家の人に話しかけて一粒貰って食べて回ったんだよね。今の場所だと日が当たらないから陰干しなのよね、どうしよう、向いの家の敷地に知らないふりしておいてしまおうかしら、でも気が引けるな。」「この廃材の積んである上にならいいんじゃないの」「そうね、そうさせてもらおうかしら、でも一応尋ねてみる・・あら、留守みたい」

自分のお大好物なだけに、まるでわが子の様によその梅の状態と家の梅とを比較している。微笑ましい。

散歩から帰り、干していた梅を部屋に入れてざるに並んだそれを上からジーッと眺めている。「ちょっと一粒食べてみて」


ぐわー酸っぱいー!。

まだだよ

2015-07-26 17:43:34 | 日記
すこぶる休日。ビールを飲みながら、見下ろす町並み、のずっと向こうに聳える山、波のように連なっている。

この一方だけの情報で全体の地形、背景が浮かび上がってくるのは、やはり何処かでとらえた地形図なり視覚でいきた記憶が開かれるためであろうか。

しかし、それ以外にもある。話によってうまれる景色、「やまがだは山さかごまれてっからよー」それだけで盆地特有のイメージがわいてくる。

「かっぐらすけてやれー」「こんな年寄に昔の話むしかえすな!」「あら、ようこそいらっしゃいました」「このババ元気だべーじぶんでもこまるんだはー」「なにしたっけの、け、けーず、くぁねとすぐなぐなっから」「ほら、うじの嫁、なんもていれしねんだず」「いづもぶづだんさ手あわせてげっでありがどさまー」「ちょっとこっさごい」

「ふだりなかよぐなー」

ばあちゃん。まだだよ。

ところで

2015-07-25 03:11:48 | 日記
もう少し意識を伸ばしてみよう。あと少しだよ。

「いやーとにかく今を一生懸命やっているので」・。

それではその、一生懸命にやる事柄に背中を向けてみようか。一度でも背をむけたことが、皆が一つに向かう音楽への、その中の遊びなり、それが面白くやっている枠の中で、それがつまらなくなったことがあるかい。

いろんな教育をうけてきたね、その教えのまま自分が伸びようとしているね。

一曲終わるたびの観客の反応に音楽のよろこびを感じると話してくれたね、そうか。君が切り裂いた音楽への時間の結果、その頑張りがそれを通して知れたのだね。それで、また、頑張ろうと思えるわけだ。とても理にかなっているよ。

ところで君は誰だい・・。

カラスがなくころに

2015-07-21 19:30:37 | 日記
結婚された友人夫婦と飲みあかす。

翌日きが遠くなる様な二日酔いが襲ってきた。

汗をかくためひたすら歩く。向こうの空に浮かぶ夕日・。

小一時間歩き帰るころに頭上でカラスの群れ。

そうカラスがなくころに。

ただやるだけに身を預けてみる

2015-07-20 15:29:54 | 日記
二日間のライブ。imabooとの。その前にイベントに誘われて二人でやった時の音についてをできるだけ感覚を云える言葉と音をもって、リハをやってみる。

その日別荘でやったリハの音の変化を感じながら、ライブに挑む。

以前二人でやった時のライブとはあきらかに違う。日々変化してしまう僕の音に何かしら感じてくれたと思っているし、思ったのならば、それでいい。

自分がどうのこうのなど何もない、ただやるだけの事だから。

国を守るための法案、国って?そこに暮らすのは誰?

むちうつ夜

2015-07-20 05:09:25 | 日記
今宵Tarji Night,良き音をきく、春弟のじいちゃんは何処かに居てただろうなと。トシちゃんも、タシロウさんもまそれはTarji Nightであった。

僕の歌仲間が言っていたのだけれども、離婚の前に常日頃奥様が言った言葉「お願いだから歌い歩くのをやめて、歌うのはやめて」と。

僕もそれは無理です。それをいっちゃー終いです。

飛び越えてやってくる言葉

2015-07-16 22:36:15 | 日記
最近ギターに対する考えというか、向き合い方が変わりつつある。何かに気付いた様な気もする。歌ではなくギターに対して。

しかし、それはギター弾きの話や教えでもなく、誰かのライブや動画でもなく、音楽には直接関係がない文章によっての働きかけであった。

時に文章の中のその言葉というのは、技術的なことや手法、聴こえる音、を飛び越えてやってくる事がある。

かぐや姫の物語

2015-07-14 18:52:10 | 日記


「かぐや姫の物語」を観る。一度目は筆の走りそのものだけを意識して観る。そのものが作り出す部分的流れの様なもの。

二度目は部分によって生まれる全体を観る。残像はまだここにある、「凄い描写だ」という部分がいくつかあった、が、感想はまだここにない。感性の曇りかもしれない。

以前、テレビだったか、ネットだったか、かぐや姫の物語を観た感想で宮崎駿が「最初に高く伸びた竹を刈っていたけれど、筍というのは地面から伸びてくるか、そうでない場合は掘り出すものなんじゃないかとドキドキした」というような発言に対して、

「孟宗竹ならばそうなんですけど、あれは真竹だからいいんですよ。その時代日本にはまだ孟宗竹ははいってきていないんですよ」という高畑勲のやり取りを思い出している。

この長い二人の関係性が、無意識的に互いの作品の何かの手がかりを生み出すという事はないのだろうか。と想うとぞくぞくしてくる。

少し時がたって思い出した頃に、もう一度観ることにする。

鼻炎

2015-07-13 19:19:44 | 日記


昨夜からまた鼻炎だ。なんだろうか、何に反応しているのだろうか。東北ではスギもブタクサはまだ早い。とすると、イネ科であろうか。ハウスダスト・・。ライブが近いというのに。

 ■7/17(金)仙台 HEAVEN
 Open 19:00 Start 20:00 Charge ¥2000(1ドリンク付き) with imaboo(Ds)
 Act ・ ざ べっがーず
 仙台市青葉区国分町3-1-12 山下ビルB1 TEL 022-268-2771

 ■7/18(土) 新庄 A SMILE ANGEL BAR
 Open 19:30 Start 20:00 Charge ¥2000(1ドリンク付き) with imaboo(Ds)
 新庄市若葉町15-18 NLB3F TEL 023-323-6744

暑さが増してくると聞きたくなる「MARC RIBOT キューバとの絆」

猫問題

2015-07-13 18:31:57 | 日記


霞城公園内の猫愛護団体と住人達のうまらない隙間が続いている様だ。

こういう問題について賛否両論あるのもそもそもの目線が違うのだから当然だ。

「私たちボランティア団体などがほぼ毎日、捨てられたネコたちにエサをやったり、毛繕いをしてあげたりしている」という前者の目線。

「自分の家の周り、又は公共の場に住む猫達に飼いもしないのに無責任に餌を与えて増えた猫の糞や尿、それに伴い子猫狙いのカラスまでやってくるのは迷惑極まりない」という目線。

このような不特定多数の人が関係する問題は、双方が納得できるルール、条例に基づいた行政の関与という部分にならざるおえないのであろう。

そういえば、以前遠い目をして鳴き声といえないような声をしていたボス猫を今日見かけた。立派な鳴き声を立てて、立派にまだ生きていた。

最良な日の様な日

2015-07-12 18:05:58 | 日記
今日は一人でゆく。一人ぼっちという雰囲気ではなく、一人でだ。しかし、一人と一人ぼっちというのは、世界の中の私というのを、あっ、いや一人について、書いていては冒頭で終わるかもしれない。

この暑さ、代謝の悪い身体にとっては脂汗ものだ。実際脂汗だ。

水に潜みながら、陸に近いところで浮いているブルーギル、陸に遠いまんなか辺りで群れをなしている魚はなんというのだろうか、その現時点では名無しの魚はこの広い水辺の中心部にところ狭しとぶつかり合うようにして円を描く様にして背鰭で波紋を浮かばせている。相談中にもみえる。

後目にして歩く、いつもの釣りびと、が、少し違った様子。その光景に足が緩まる。ひとつも竿の先をみていない目線、表情が笑っている。プププと失笑している笑いではなくて、どこか、この世のしまいだ!と諦めてガハハと笑っているような笑いにみえて、足元のラジオからは、漫才の様な声が聴こえている。手にあるメモ帳にダダダと聞こえてくる様な勢いで書いている。気になりすぎて、手の届くほど背後まで迫る。覗くと文字がびっしり。「何を書いているのですか?」と聞ける勇気がないまま、想像する。ネタ帳のような物だろうか、誰かの笑顔の為の。

子供たちが、枝で猫をつついている。「つつくな!」と言う。

一月ほど前に生まれたカモ達は、すっかり大人のカモをただ小さくしたような模様に変わっていた。驚くはやさだ。

またもう一人釣りびとかと思ったら、ラジコンみたいな物を持っていて、このおじいさん船の玩具で遊んでいるのか、と思ったら、その玩具に短い竿を取り付けて、立派に釣りを楽しんでいた。僕の笑いが声になる頃、後ろのベンチでおばあちゃんが、死にそうな顔で休んでいて、ハァハァしている。熱中症に注意だ、と思ったら僕も具合が悪くなってきそうだ。と、ここまで書いて長くなりそうなんで、ビールを飲み、煙草を燻らせると、「うぇっ」と軽くえづく。





お堀を一周して、南門から公園に入る、二匹の猫は今日も寄り添ってだらしなく寝そべっている。顎のしたよりもお尻を叩くと「ミャーン」と言う。時より移動して伏せ直す。お尻をポンポンとやるときの手のひらと尻の良いあんばいを探しているのだと思う。

先にゆく、手入れされた場所に雀が多いにエサをつついている。この多いの中に一羽、「僕人類?」と聞こえそうに首を傾げて寄ってくる雀がいて、本当に一羽だけなのだけれど、ちぎったパンをそれこそ口から溢れるほど加えて飛んでいった。

僕は胡座をかきながら、またやって来る事を確信していて、この確信を裏切らない雀はまたバァーとやって来て「僕人類?」というようなかしげかたをして寄ってくる。この行為を3回繰り返した後で、どうやら人類ではなく、戻ってこなかった。アァ、パンがまだ残っているとパンくずに目をやると、ズズズっズルズルとパンくずが動いていて、その無数のアリがそれを引いている。

昨日ブログに書いた団結力が人より優れている蟻達がそれを巣に運んでいた。

大手門から公園を出て歩きながら、ふと「今日は死ぬのにもってこいの日」という題名が浮かんできて、その言葉に少し思考を巡らせると、それは今日みたいな、このような日ではないかと思ったけれど、死ぬのにもってこいの日という事は、現時点まで生きていて最もいい日ともいえる、生と死の見えない境界線が最も近く、重なるほど近い日とも言えるかもしれないと思った。

ライブ

2015-07-09 18:18:32 | 日記

思い出したようにライブ告知です。

 ■7/17(金)仙台 HEAVEN
 Open 19:00 Start 20:00 Charge ¥2000(1ドリンク付き) with imaboo(Ds)
 Act ・ ざ べっがーず
 仙台市青葉区国分町3-1-12 山下ビルB1 TEL 022-268-2771

 ■7/18(土) 新庄 A SMILE ANGEL BAR
 Open 19:30 Start 20:00 Charge ¥2000(1ドリンク付き) with imaboo(Ds)
 新庄市若葉町15-18 NLB3F TEL 023-323-6744

ならない様になるか。

何者かの目線

2015-07-06 19:13:10 | 日記
散歩の途中、遭遇してしまった。バシャッと聞こえた方に目をやると、水堀に落ちて必死にもがくすずめの子、を上空から陸までほらほらとホバリングする母、思わず「アーッ」と声をあげてしまったと同時に、二羽のカラスがバサバサーっと舞い降りてきて、うちの一羽が嘴で連れ去っていった。すずめが蝉を捕らえる時の様に一瞬だった。

温泉に浸かりついさっきみた、その一瞬の間自分の目線かどうか、別の何かからみていたような感覚を思いながら温泉の脱衣室で衣服を身に付けていると、おじいさん同士が全裸で椅子に座り、扇風機の風をあびながら「結局はんだんだず。金持ちほどけちなんだず。金がない人はいい人なんだず、金がねぇのに寄付してけてやるから寄付金もおもうようにあづまんねぇのよ。昔の人はよくいっだもんだず。いいとごの嫁さなっどよ、ゼイダグな暮らしがでぎっどおもっでほれよ、嫁さ行がせるべ。んでもよ、そっだら金持ちの家にはよー、ゼイダグさせっための金なんがねんだず、かえって大変なんだず、けちだがらよー。」

といいながら、股の間をビシャリ、タタタ、ピチャリ、ピチャッ、とぜい肉の垂れた部分と、骨ばった部分を使い分けながら、トイレに入っていった。

帰り道にビールを飲みながら公園の南側の土手の上のベンチから街を見下ろしていると、水堀を釣竿とラインを引きながらお堀にそって歩く人。確実にかかった魚を誘導して人が降りていける土手まで引っ張って、網で捕らえる作戦であろう。

竿を片手で引寄せながら、片手で斜面をささえながら降りていき、網を用意して、一気にリールをまわす。手元2メートルほど来たかと思うとバッシャンと暴れまわる、デカイ、1メートルあるんじゃないか。魚が弱るまで焦らず待つことと格闘している。いつのまにか見物人が集まってきてその様子を取り囲んでいる様を土手の上からみていた。

ようやく網が上がった、アスファルトの上で躍りはねる1メートル近い鯉。見物人達から一斉に拍手が沸き起こる。土手の上から僕らも拍手。

翌日、鯉の躍りはねていた場所を通ってみると、アスファルトに取り残されたようにして張り付いているうろこだけが、昨日の騒がしかった様子を物語っているようだった。

2015-07-05 02:04:11 | 日記


「子供が」、「役に立たん旦那など知らないわよ」、「聞いてよねぇ聞いて、私の話を」「全くわかってくれないのよ」「ねぇ、聞かないわよ、仕事ばかりのつまらないあなたの話なんて」

ほれ、乗るぞ、やれ乗るぞ、僕は汽車に乗るぞ、さあ、君は、あなたはどうする、乗るのか、乗らぬのか、いくぞ、さぁ行くぞ、乗るのならば後戻りは出来ぬぞ、僕が行こうとしている汽車に身を預けられるのか、途中で身を投げ出すのか、ならば乗らぬ方が良いぞ、不意に乗るならば前者の様に愚痴をこぼす様になるぞや、さぁ身を任せられるか、乗り込んだならば後は僕の行き先に君を連れていこう、身を任せてくれた行き先を二人で見届けようぞ。

それならば

2015-07-03 00:21:05 | 日記
そうか、それならば僕の場合は人物像みたいな部分から入ってゆくから、その人自体を好きになっていくから、好きになっていく人を音を通して知りたくなる部分が大きくて、人から音に入るから、音そのものに心が抑揚するのではなくて、この人の音だと思うからこそ、その音が面白かったりするんではないかと思えば、プロデューサーの様な聴く人々の受けをききわける様な聴く耳にはやはりならないわけだ。

好きになる本もやっぱり等しく、人から入るからその文章、その世界に一緒になって、一緒にわからなくなったりするのを感じるのが好きで、だから決まった結末から逆算するような、書きながらストーリーを決めていく様な、つじつまを会わせる様な文章を書く人を好きにはならない、なれない。

受け手の自分がそうなのだから、音や声を発する時の自分の場合も自身と一緒にわからなくもなるのだろう。